第十一話 罠
ドルナウという指揮者を失っていながらも青鱗兵団の動きは迅速かつ的確だった。
彼らは門を守るための人員を残し、残りを十数の小部隊に分けた。各部隊で連携しながら階層をくまなく捜索し、侵入者を階層の隅へと追い詰めていくのだ。
たった一人に対するにはあまりにも大仰ではあったが、先日そのたった一人に手痛い損害を被ったことを彼らは忘れていない。
青鱗兵団はこの状況下で取りうる最善策を取った。
それに対する侵入者、ラグナの行動は逃げの一手だった。敵の狙い通りに階層内を逃げ回り、体力をすり減らしていった。
このまま状況が進めば、いずれは勝てる。兵士たちの一部にそういった油断があったことは否定できない。
その油断をラグナは見逃さなかった。
いくつかの小部隊を爆発と光の矢が襲う。突然床が消滅し、奈落へと落ちていくものもいた。
ダンジョン内に設置された罠が青鱗兵団に牙を向いた。
ただ無計画に逃げまどっていると見せかけ、ラグナは兵士たちを罠のある通路に誘導していたのだ。
通常、ダンジョン内の罠は魔物に対しては作動しない。
だが、侵入者であるラグナに対しては作動する。逃げる際、ラグナはわざと罠が動くように床を踏んでいた。青鱗兵団の兵士たちはその巻き添えになっているのだ。
加えて、ラグナは手持ちの火の十字架や油も活用してゲリラ戦を展開した。決して一か所にはとどまらず、攻撃を仕掛けては場所を変えることで確実に兵士の数を減らしていった。
数十人の兵士が倒れ、小部隊のうち三分の一が壊滅した。
それでも、青鱗兵団は怯まない。指揮者を討たれ、一度は逃げだした彼らは復讐の機会により強い決意と団結をもって臨んでいた。
青鱗兵団の執念は、刻一刻とラグナを追い詰めていった。
「いたぞ! 奥の間だ! 追い詰めろ!」
左右から迫る兵士たちに押されて、ラグナはとうとう最初に落ちてきた棺の間へと撤退する。
手持ちのアイテムも使い切り、ラグナに残っているのは盾と剣だけだった。
大部屋に展開した部隊が、ラグナを包囲する。全方位から槍を向けて、じりじりと距離を詰めていく。
「……武器を捨てろ。貴様を連行する」
ひときわ大きな体格の、角のある兵士が言った。この角付き、ブレンがドルナウに代わり指揮を執っていた。
「無理な相談だな」
ラグナはゆっくりと部屋の奥へと引いていく。一歩ずつ、慎重に距離を測った。
まだ、わずかに遠い。あとほんの少しだけ引き寄せる必要がある。
慣れないがやるしかない。ラグナは静かに決意を固めた。
「随分と及び腰だな、青鱗兵団」
「黙れ。死にたいのか」
「なに、将軍を討たれた割には随分と悠長だと思ってな」
ラグナの一言に、兵士たちが色めきだつ。百以上の殺意と怒りがラグナに向けられた。
その反応にラグナは自分の成功を悟る。これならばうまく攻撃を誘導できるかもしれない。
「口を慎め。人間風情がお前など本来ならドルナウ様の足元にも及ばぬのだ」
「そうか。まあ、どっちが生き残ったかを見れば結果は――」
「――黙れ!!」
ブレンが剣を抜くより先に、兵士の一人が激発した。
地面を蹴って、大上段から槌を振るう。大盾で受けたものの、戦技を使っての一撃にラグナは無残に吹き飛ばされた。
「やめろ! こいつは生きて捕らえろと命令されたのを忘れたか!」
「知ったことか! こいつのせいで仲間が大勢死んだんだ! そのうえ、ドルナウ様を侮辱しやがって!!」
ブレンがなだめようとするが、ほかの兵士たちも同調し始める。強きものに従うという本能以上に、彼らの中の激情が強まっていた。
吹き飛ばされたラグナはそれを聞きながら、どこか安堵していた。
あのドルナウはラグナにとって人生最大の敵だ。
今まで戦ってきたどんな魔物よりも強く、気高い強敵であり、胸のすくような武人だった。
そのドルナウが部下に慕われてるという事実がラグナには快い。敬意を向けるべき相手に魔族も人間もない、というのがラグナの信条だった。
それと同時にラグナはその部下たちを皆殺しにしようとしている自分の矛盾を嫌悪した。
迷いはない。躊躇はない。後悔もない。それでも、どこか深くが痛む気がしてならなかった。
だが、すでに棺は開かれた。もはや、退路はない。
吹き飛ばされながらもラグナは棺の蓋に手をかけていた。この場所に逃げ込んだのも『棺』を利用するためだ。
棺から煙状の影が噴き出す。影は天井にまで昇り、部屋全体を覆った。
物質化した呪いだ。数千年に渡って蓄積した死者の思念は渦巻き、形を成していく。
「ひ、退け! 戦うな!」
ブレンはすぐさま撤退を命じた。
頭上の煙の正体に彼は気付いている。これは魔軍にとっても脅威だ。ここに止まっていては全滅しかねない。
だが、兵士たちの耳には届かない。彼らは目の前の獲物を血祭りにあげることに夢中だ。
呪いが実体を得て、大部屋に降り立つ。
天井にまで届く巨躯を持つ四つ足の機械。マシン・ゴーレムと呼ばれる魔物の姿を影は象った。
その姿を見た瞬間にラグナは走っていた。
あっけにとられる兵士たちを大盾で蹴散らしながら、押し進む。目指すは大部屋の出口だ。
わずかに遅れて、マシン・ゴーレムが暴れだす。棺を守るように掛けられた呪いは人魔両方に牙を向いた。
「ひ、退け! 相手をするな! 逃げろ!」
ブレンは必死で吠えるが、兵士たちはラグナを追うものとゴーレムに対処するもので分れてしまった。これでは命令の届けようがない。
マシン・ゴーレムが太い腕を振るうたびに、兵士たちのHPが0になっていく。
瞬く間に、屍の山が築かれた。マシンゴーレムのレベルは最低でも90ある。兵士たちでは束になっても歯が立たない。
この状況を企図したラグナをして心胆寒からしめる光景だった。
棺に罠が仕掛けられているのはわかっていたが、こんな形になるとは想定していなかった。
しかし、これで道が開いた。
聖鱗兵団の戦力はここに集中している。この大部屋さえ突破してしまえば門へと一直線だ。
「――貴様!」
通路に抜けようとしたラグナの前にブレンが立ちふさがる。大剣を振り上げて、一息に切りかかった。
ブレンのレベルは80。ドルナウにこそ及ばないが、青鱗兵団でも指折りの戦士だ。
本来であれば、ラグナに勝ち目はない。一度でも攻撃が当たればそれで戦闘不能だ。
死そのものといえるブレンの剣閃にラグナは臆することなく突っ込んでいく。姿勢を低くし、死線を掻い潜った。
そうして、すれ違いざま、大盾でブレンの足元を掬い上げる。
攻撃の勢いが相まってブレンの巨体が宙を舞う。ラグナとブレンの位置が入れ替わった。
そのままラグナは振り返ることなく通路へ抜ける。投げ飛ばされたブレンは自分が何をされたか理解できないでいた。
ラグナは騎士だ。騎士の習得する戦技には体術に関するものはない。一連の動きはむしろ、武闘家の戦技に近かった。
それも当然だ。先ほどの動きはラグナが武闘家の戦技を技量と身体能力だけで再現したものなのだから。
本来ならそんなことは不可能だ。この世界の大原則として適性のない戦技はどうやっても習得できない。
だが、今のラグナにはその原則が当てはまっていない。
なぜかはラグナ自身にも依然としてわからない。いっそ理不尽でさえあるが、その理不尽がラグナの命を繋いでいた。
一方、立ち上がったブレンは選択を迫られた。
仲間を見捨ててラグナを追うか、あるいはこの場に残り仲間を救うか。
短い煩悶の後、ブレンは後者を選択した。そう選択させる彼の心根こそがブレンがドルナウの後釜に推された理由だった。
悲鳴と轟音を背にラグナは走った。
心中に一瞬想いが過る。
ここにいるのがロンドならば。そんな『もしも』に盾が重くなる。
それでも足は止めない。慚愧も後悔も背負って進み続ける義務がラグナにはあった。