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第十話 迷宮

 迷宮ダンジョンとは強力な魔物が形成する一種の巣のようなものとされている。


 レベル60以上の魔物は周辺の空間フィールドを己に有利に作り変えることができる。その能力の延長線上にあるのが、『迷宮創造』のスキルだ。

 もっとも、このスキルは無条件に使えるものではない。ダンジョンにはその土台となる何らかの礎が必要なのだ。


 その点でいえば、アレグノー平原南部にある『地下遺跡』は最適の土台といえた。

 古の時代、12神が降臨するはるか以前に存在した文明によるものとされるこの遺跡は人の立ち入らぬ禁足地であり、今も滅び去った文明の怨念を留めている。


 死と怨念の渦巻く土地、そう言った場所にこそ魔界の扉は開かれ、迷宮は築かれる。


 ラグナとリエルはその脅威を今目の前にしていた。

 

 遺跡の入り口は黒い大穴に変質し、内部を覗くことはできない。立ち上った瘴気が周辺の環境にまで影響し、ここ半日はただ呼吸をすることにさえ苦痛が伴った。


「……大丈夫だ」


 思わず縋りついてきたリエルの肩に、ラグナは手を乗せる。視線を合わせて、ゆっくりと頷いた。

 リエルの恐怖がわずかばかり薄れる。ラグナは不愛想だが、その態度にはどこか人を安心させるような力強さがあった。

 遺跡にたどり着くまでの半日間、リエルはよく耐えていた。竦む足を叱咤し、ここまで一度も立ち止まらずに、ラグナを案内した。


 それはラグナから見ても尊敬すべき勇気だった。

 人は容易く恐怖に屈してしまう。生物としての本能がそうさせる。そこにあらがうことは並大抵のことではない。


 ラグナ自身も微塵も目の前の暗闇に恐怖していない。

 だが、それは勇気ゆえにではない。幾度も死線を乗り越えるうちに何かが壊れたのか、あるいは元からそうだったのか、今のラグナは死や痛み(ダメ―ジ)に対して恐怖を感じられなくなっていた。


「……ここまででいい。ありがとう」


「で、でも」


「これから先はオレの役目だ。だから、君には別の役割を頼みたい」

 

 ラグナはそういうと首にかけていたアミュレットを外し、リエルの手に握らせる。

 竜の卵の形をしたその首飾りは造りは荒く、もたらすステータス上昇も微々たるものだが、どこか暖かさを感じさせた。


「オレの……友達がくれたお守りだ。もしオレが3日経っても戻らなかったら、これをもってアルゴーって街に行くんだ。そこにいるシスターなら君を守ってくれる」


「で、でも」


「もう十分助けてくれた。ありがとう」


 ラグナはリエルの前にひざまずき、諭すように語り掛ける。

 ダンジョン内の魔物は力を増す。ラグナが成長しているといってもリエルを守りながら進むのは不可能だ。


 だが、リエルはもうあの小屋には戻れない。あそこに戻っても死ぬだけだとリエル自身も理解している。

 未練がないわけではない。母の墓はあの小屋の側にある。置いていくと考えるだけでリエルの胸はきつく締め付けられるようだった。

 それでも、生きていくには前に進まなければならない。リエルにはその覚悟があった。


「……酷なことを言っているのはわかっている。だが、君は勇気がある。だから、これを預けるんだ」


「……わかりました」


リエルは預けられた首飾りを強く握り、胸に抱く。ごつごつとした感触は勇気をくれた。

 

「……行ってくる」


 まるで散歩に行くような気軽さで、ラグナはダンジョンへと踏み込む。

 リエルはその大きな背中をただ見送ることしかできなかった。


 

 足を踏み入れた瞬間、景色が一変した。


 黒色の壁は石でもレンガでもない奇妙な素材できている。床と天井には光の線が走り、どこまでも続いていた。

 背後を振り返っても、そこに出口はない。先ほどまであった黒い穴は跡形もなく消えて、同じ形をした通路が延々と広がっていた。


 ラグナは一歩ずつ慎重に前へと進む。動揺はしていない。


 ダンジョンに侵入する際に、入り口以外に飛ばされることはよくあることだ。いきなり敵の集団のど真ん中に転移させられなかっただけ、今回は幸運と言える。


 しかし、油断はできない。ラグナが侵入したことはすでに敵に知られている。もたもたしていると敵に囲まれてしまう。


 通路をしばらく進むと分かれ道にでる。

 右か、左か。ラグナは迷わず左を選んだ。理屈ではなく彼の直感がそう選択させた。


 勇者ロンドと旅をしていた時は、タンクであるラグナは常にパーティーの先頭を務めていた。


 ダンジョンに潜る際もそれは変わらない。

 罠があれば事前に察知し、敵と遭遇すれば真っ先に仕掛ける。失敗することもあったが、数えきれない修羅場をラグナは先陣に立って切り抜けてきた。


 それらの経験はラグナに最善の道を選ぶための『直感』を与えた。スキルとして明文化されたものでこそないが、ラグナは己の直感を信用していた。

 

 実際、青鱗兵団との戦いを切り抜けることができたのもこの直感があってこそだ。どの攻撃を受けてはいけないのか、一瞬で判断できなければ生き延びることはできなかった。


 左の道の先には、大部屋があり、その中央には底の見えない大穴があった。

 穴の淵は焼け焦げており、はるか昔に何らかの爆発で空いたものだということがわかる。覗き込むと下の階層に続いているようだった。


「……珍しくツイてるな」


 多くの場合、ダンジョンの中枢は地下深くにある。今いる場所がどの階層にせよ、向かうべきは下だ。


 穴のふちに足をかけて、ラグナは飛び降りる。

 数階層分を落下し、ラグナは転がることで衝撃を逃がした。


 周囲に危険はない。それどころか、大部屋の中央には棺のようなものが祀られていた。

 こういった棺には多くの場合、副葬品として稀少なアイテムが備えられている。冒険者がダンジョンに潜る際、ダンジョンそのものの踏破や閉鎖が目的ではなくこれらのお宝が目当てになる。


 一方、そういったお宝には罠や呪いがつきものだ。それらの解除を専門とする盗賊や僧侶がいない以上、簡単に手を付けることはできない。

 

 宝そのものは役には立たない。だが、棺そのものはどうか。そこまで考えたところで、ラグナの脳裏に妙案がよぎった。


 棺の位置を記憶に留めて、ラグナは大部屋を後にする。

 

 通路に出た途端、悪臭がラグナの鼻を突いた。

 すえたような獣の臭い。ここ数日間でかぎなれたこの臭いはハイリザードマンのものだ。


 魔軍の前哨基地が近い。つまり、この階層に魔界のゲートがある可能性が高い、ということだ。


 ラグナはより慎重に匂いの方向へと歩を進めた。


『どんな些細なことでも見落とさないようにすること。それが基本だ』

 

 ラグナはかつて共に旅をした盗賊なかま言葉を肝に銘じ、床や壁、天井に細心の注意を払った。

 そのおかげで、途中、数か所で遺跡そのものに備わった防衛機構わなを事前に発見することができた。


「――聞いたか? 今日、軍団長閣下がここに来られるらしいぞ」


 曲がり角の向こうから声が聞こえ、ラグナはとっさに角に隠れて息をひそめた。もう侵入したことは気取られているだろうが、門に近づくまで見つからないのに越したことはない。


 二人分の気配が近づいてくる。哨戒中の兵士なのだろうが、何やら話し込んでいるようだった。


「ああ、聞いた。なんでも、魔王様直々のお達しらしい。ドルナウ様を殺した人間を捕らえろって」


「捕らえろって、生け捕りってことか? なんで?」


「わからねえ。魔王様が処刑なさるんじゃないのか? それか、洗脳しちまってこっちの味方にするとか……おまえ、直接見たんだろ?」


「確かにありゃ化け物だった。何度刺されても死なないんだぜ? オレは背筋が凍ったね。ていうか、勇者が死んだから楽勝だって聞いてたのに、なんなんだろうな、ありゃ」


 会話を聞きながら、ラグナは内心己の幸運に感心していた。


 魔王が生け捕りを命じた、というのはラグナにとっては有利な状況だ。


 魔物は本能的に強いものに従うようにできている。ゆえに、その目的がなんであるにせよ、魔軍にとって魔王の命令は絶対だ。

 つまり、魔軍はラグナを簡単には殺せない。戦いの興奮の中でそれが徹底されるとは限らないが、それでも迷いや躊躇が生じれば、隙となる。

 

 そのわずかな隙がラグナの勝利の糸口となる。状況はいまだに絶望的だが、天運はにわかにラグナの味方をし始めていた。


「ともかく今は侵入者を見つけて――待て、これは……


 不意に、左の兵士が立ち止まる。鼻を動かし、なにかに気づく。

 同時に、ラグナも己のミスを認識した。

 姿は隠した。音は立てていない。気配も消した。だが、匂いだけはどうにもならない。


「て、敵――」


 兵士が叫ぶより先に、ラグナは角から飛び出した。

 素早く懐に潜り込み、左の兵士の顎を大盾でかち上げる。ハイリザードマンの青いうろこが飛び散って、頑強な顎が砕けた。


 残りは一人だ。

 

 ラグナは左手の剣で喉を狙う。切っ先はまっすぐに迫るが、微かに逸れた。兵士がとっさに右腕を盾にしたからだ。

 すぐにラグナは追撃を放つ。兵士はのどを裂かれ、壁に崩れ落ちた。


 だが、兵士が叫び声をあげるには、そのわずかな一瞬で十分だった。


 


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