番外編③(前編) ライブツアーは突然に
ナギさんの大きな声を、私は初めて聞いた。
「ぜ、全国ツアー!?」
「しーっ!」
それがベランダを超えて響いていきそうなほどだったから、私は慌てて、人差し指を唇に当てる。当の本人には見えてないんだけど。
「ナギさん。声が大きいってば」
「ご、ごめん」
「まだどこにも発表されてないんだから」
公式発表を前に情報露出なんて、怒られるどころじゃすまない。
「ナギさんも、絶対に誰にも言っちゃダメだからね」
「も、もちろん」
そんな答えの後、ぐびり、と秘密と一緒にビールを飲む喉音が聞こえた。よしよし。
私は最近ハマりはじめた梅酒ソーダを飲む。缶チューハイよりも少しアルコール度数が高いけど、慣れればおいしく感じるものだ。
「でも、どうして?」
「なにが?」
「どうして私に教えてくれたの?」
「え?」
「モモちゃんもまだ誰にも言っちゃダメって言われてるんでしょ?」
「そっ、それは……」
ええい、もう。鈍いなあ! ベランダじゃいつも余裕たっぷりなんだから、それくらい察してよ!
とも言えず、
「……ナギさんだから、言ったんだけど」
「えっ」
「……」
「……」
「ちょ、ちょっと何か言ってよ」
「あ、ごめん。うれしくて言葉が出なかった」
「……」
そういうことをさらっと言えちゃうの、ずるいなあ。私がさっきの言葉を口にするのにどれだけ勇気を振りしぼったと思ってるんだ。
「でもすごいね、全国ツアーだなんて」
「別に、そんなことないよ」
「そんなことなくないって。全国をまわるなんて、誰もができることじゃないよ」
「そりゃーそうだけど」
「モモちゃんが今までがんばってきたから、でしょ?」
「まあ……うん」
前言撤回。やっぱりずるいのは私の方だ。
ベランダ越しのその言葉がほしくて、もっと言ってほしくて。でも私は素直にそれを受け取れないでいる。
思えば、私はいつもナギさんからもらってばかりだ。お酒も、優しい言葉も。
私への気持ちも。
けれど私は、それに見合ったものを返せてはいない。
「モモちゃん?」
「え?」
「それで、ツアーはいつからなの?」
「えーっと、3か月後くらいかな」
「けっこう急だね」
「なんか、ゲリラ的に小規模な会場でやるってのがコンセプトらしくて」
私から言わせれば、行き当たりばったりの企画のせいで、融通の利く小さい会場しかとれなかったってとこなんだろうけど。
「そっかー。じゃあ公式発表されたら、チケット争奪戦かあ」
「たぶんねー」
「私もファンクラブに入ってるけど、たぶんチケットはとれないだろうなあ」
「そうなの?」
「いつも倍率高いんだよー」
消沈気味の声には、実感がこもってる。訊かずとも、今までほとんどライブチケッが当選してこなかったことがよくわかった。
「でも全国をまわるってなると、しばらく家を空けるんだよね?」
「あー」
そうか。
「そうなるね」
部屋、少し片付けておかないとなあ。
ぼんやり考えていると、隣からはぽつりとしたような声。
「ってことは、ツアーが始まったら、こうやって話すのもしばらくお預け、かな」
「……そっか」
そういうことになるのか。
最近、仕事も安定してきたからか頻度が増えていた、ここでの逢瀬。
気づかないうちにだんだんと、本当に少しずつ、私の生活の一部に、当たり前になっていたんだ。
「モモちゃんは、さみしい?」
「え?」
「私は、さみしいかな」
「ナギさん……」
まただ。また私は、先に言葉がほしくて自分からは言わないでいる。
「私も……うん、さみしい」
「うん……」
しかし、しばらく会えないとなると、困った。
私が愚痴を言う機会がなくなっちゃう。
決してナギさんを体のいいストレス発散の相手にしてるわけじゃないけど。単純に、好きな人と会う時間が減るのがイヤっていうのもあるけど。
しかも今回は全国ツアー。マネージャーや周囲から与えられるストレスも今までの比じゃないことは明白。
何かいい方法はないかな。
うーん……。
「あっ」
「どうかした?」
閃いた。はじめからこうすればよかったんだ。
「ねえナギさん」
「なに?」
「さみしいんだよね?」
「う、うん」
「ツアーの間でも、私と話したいよね?」
「うん」
「じゃあさ――――」