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5センチ越しの恋  作者: 今福シノ
番外編
6/11

番外編① いつの日か、ファーストキス

「お前のことが……好きだ!」


 彼の告白。その言葉だけで、私の胸は高鳴(たかな)った。


「私、も……」


 ちゃんと言ってくれた。だったら、私も自分の気持ちを伝えなきゃ。


「私もっ! あなたのこと……好き!」


 がばっ!

 瞬間、私の身体が彼に包まれる。私も(うで)を回して、抱きしめ返す。


 そして、見つめあう。


「――」

「――」


 ふたりの間に言葉はない。

 だけど、すべてが通じ合っているように。お互いの顔は吸い寄せられるように近づいて。


 唇が、重なる――



「――っていうシーンが今度あるんだよね」


 チューハイ片手(かたて)に、ぼやくように私は言った。


「それ、最近出てる深夜ドラマの話?」

「まーねー」


 答えて、ぐびりと缶をあおる。今日は桃のチューハイだ。


「てことはモモちゃん、今日はドラマの収録だったんだね」

「うん」


 渡された台本にばっちり「キスシーン」と書いてあった。


「ていうかナギさん、やっぱり見てるの?」

「そりゃあもう大ファンですから」


 声だけで自慢(じまん)げにしているのがわかる。なんで自慢げなのかは知らないけど。


 いつもは、ひとりのアイドルと、ひとりのファン。だけど、夜のベランダ――5センチの壁を(へだ)てたこの場所で、紆余(うよ)曲折(きょくせつ)ありながらも私たちは本音を言い合える関係になった。


「にしてもすごいよね、モモちゃん」

「なにが?」

「ドラマの主演だよ? 一流芸能人ってやつだよ」

「そんなことないよ」


 ダメ元でいいからと、事務所に受けさせられたオーディション。私自身もどうせ落ちるだろうと思っていたのに、なんの間違いか、私はヒロイン役で合格してしまった。


「このまま大女優の階段をかけ上がっちゃうんじゃない?」

「ははは、ないない」


 いつものアイドル活動だって演技してるようなもの。これ以上演技が増えたら収集(しゅうしゅう)つかなくなりそうだ。


 ――それに。


「ま、ファンの私としてはありがたいけどね」

「……」

「なんてったって、テレビでモモちゃんを見れる機会が増えるんだし」

「……」

「モモちゃん?」


 ぐいっとチューハイをあおる。お酒の力を借りるなんて、私も悪い大人になったなあ。


「ねえナギさん」


 そして、今日の本題に入る。


「ナギさんは――キス、したことある?」


「キス?」

「うん、キス」


 ちゅー。口づけ。ベーゼ。接吻(せっぷん)


 ナギさんは「あー」となにか納得したように声を出して、


「キスシーン、やっぱり緊張(きんちょう)してるんだ?」

「そりゃまあ、ね」


 そもそもドラマの撮影なんてものが初めてだし。


「相手はやっぱりあの人? 主人公役の若手俳優の」

「うん、そうそう」

「人気急上昇らしいね」

「って言っても、今回のドラマで会ったばっかで、ぜんぜん知らないんだけどねー」


 聞けば、デビューして間もないのに、深夜ドラマとはいえもう主役に抜擢(ばってき)された新進(しんしん)気鋭(きえい)の人気若手俳優らしい。実力派らしく、間違いなく私なんかよりも演技慣れしている。


「ていうかモモちゃん。私のことなんか聞いてもしょうがなくない?」

「あるよー。だって私、ほかの人のキス事情とかぜんぜん知らないし」

「なにさキス事情って」


 ナギさんは笑う。缶ビールをひと口飲んだんだろう、ぷはあと息を吐くのが聞こえて、


「私のことなんかより、モモちゃんの方が気になるけどなあ」

「わっ、私?」

「そりゃそうだよー。アイドル佐倉(さくら)桃華(ももか)のファンとしても、『モモちゃん』が好きな人としても、ね」

「……」


 からかわれている気がする。いや、気のせいじゃない。

 この壁があると、ナギさんは本当に自信のある女性だ。くそう、この間のサイン会に来たときはめちゃくちゃオドオドしてたのに。


「で、どうなの?」

「え?」

「キス、したことないの?」

「それは、その……」


 あらためて()かれると、なんと答えていいものか。いや、答えはわかりきってるんだけど。


「キスもなにも、だいたい私まだ付き合ったこととかないし……ごにょごにょ」


 もういい歳だし、こんな仕事をしているんだから、ファーストキスは好きな人と……なんて幻想は捨ててしまうのがいいに決まっている。

 なのに、こういうところはちゃっかり女々しい自分が(いや)になる。

 だからこういう話題は苦手なんだ。


「そっかそっかー。モモちゃんのファーストキスはまだなのかー」

「なんでナギさんがうれしそうなのさ」


 どうせ私は経験の足りない女ですよーだ。


「それじゃあさ」

「ん?」


「私と――しておく?」


「え……え!?」


 ベランダにいるということを忘れて、思わず大きめの声を上げてしまった。


 今この人なんて言った?

 キス? 私と? ナギさんが?


「な、な、ナギさんってばなにを」

「いや、ね? 初めての相手があんまり知らない俳優さんになるくらいなら、まだ知ってる人の方がいいかなーって」

「ナギさんの言うこともわかるけど」


 いいの? 女の子同士だよ?

 いや、たしかにここでこうしてるときのナギさんは好きだし、気持ちも伝えたし。ナギさんも私のこと好きだって言ってくれてたし。

 でもでも、だからって今ここで? キス? そんな、誰かにあげちゃうくらいならとりあえず安心・安全な方にあげちゃえ、とかそんな――


「なーんてね」

「……へ?」

冗談(じょうだん)だよ、冗談」

「じょ、じょうだん?」

「あははは、モモちゃんが(あわ)てるのがおもしろくて、ついね?」

「も、もおおお!」

「あはは、ごめんごめん」


 人が悩んでるのに!


「でも、ほんと冗談だから」

「ナギさん?」

「トップアイドルのモモちゃんとキスなんて、私なんかが相手じゃおこがましいよ」


 モモちゃんの唇を(うば)うなら、その人気俳優くらいじゃないと、相手は務まらないよ。

 なんてナギさんは言う。


 自分とじゃ、身分が、住む世界が、違いすぎる。

 つまりはそういうこと。


 だけど――


「いいよ」

「え?」

「いいよ、ナギさんとなら」


 この場所でなら、話は別だ。

 ここを離れればナギさんの言うとおり、私たちはアイドルとファン。

 だけどここでなら。

 私たちは、好きな人同士なんだから。


「……」


 黙って、私はもう一度、缶を(かたむ)ける。

 それを、壁の外側からナギさんの方へと渡す。


「はい」

「え?」

「受け取って」

「これって、モモちゃんの」

「そう。私が口、つけたやつ」


 缶を持ったナギさんが、少しきょとんとした声で、


「これって、つまり間接キス?」

「うん。だから、ナギさんが飲んでるやつもちょうだい」


 自分でも(かた)い声になっているのがわかる。


 と、しばしの静寂(せいじゃく)


 あれ、もしかして変に思われた?

 なんて考えていると、


「ぷっ」


 聞こえたのは、笑い声だった。


「あははっ! いやー、そうきたかー」

「な、なんで笑うのよ!」

「だってモモちゃんがすっごい乙女だから……」

「お、乙女?」


 いやだって壁があるからキスなんて難しいし、そもそもいきなりキスなんてハードルが高いし……。

 あーもう! やっぱりこの手の話は調子(くる)うなあ!


「じゃあお返しにこれ。私が飲んでたやつ」


 今度はナギさんの方から、缶を渡される。


「ビールだから、おいしくなかったら飲まなくていいからね」

「……いい。飲む」


 銀色のラベルが、きらりと光る。そして、飲み口の部分も。

 ナギさんが……さっきまで飲んでたやつ。


 ええいっ!

 意を決して、私は口をつけ、飲む。


「ぷはっ」


 感じたのは、ただただ炭酸と苦みだった。

 あーやっぱり苦いなあ。ビール、まだ慣れないかも。


「ありがと」


 と、壁の向こうから小さく返ってくる。


「いいよ取り(つくろ)わなくて。どうせ私、恋愛はお子ちゃまだから」


 あと舌も。


「ううん、そんなことないよ」


 ナギさんは言う。


「モモちゃんの気持ち、うれしいな」

「……」


 恥ずかしくなって、お酒をぐいっと飲みたい衝動(しょうどう)()られる。

 けれど、私の手にあるのは苦手なビールだけで、ただただ顔の熱が引くのを持つことしかできなかった。



 それから1週間は、仕事が忙しくてナギさんと話せなかった。

 ようやく夜に時間ができたので、いつもの合図――3回のノックをしてから、ベランダに出る。


「それで、どうだったの? 収録」


 他愛(たあい)のない話もそこそこに、ナギさんが訊いてきた。


「一応、無事に終わったよ。再来週に放送の予定かな」


 自分で見ようとは思わないけど。


「いや、それもそうなんだけど、さ」

「ん?」

「どうだったのかなーと思って」

「なにが?」

「その、キスシーン」


 ナギさんの言葉は、いつもより歯切(はぎ)れが悪い。顔を合わせているわけでもないのに。


「どう、っていうのは?」

「その……本当にしたのかなあって……キス」


 あー、なるほど。


「……気になる?」

「そ、そりゃあ気になるよ。いちファンとしてはさ」

「えー、それだけ?」


 訊くと、壁の向こうから呼吸を整えるような吐息が聞こえてきて、


「ううん、モモちゃんをひとりの女の子として好きだから、気になります」


「……そっか」


 少しだけ胸が高鳴るのを抑えるように、私は息を吐く。


「あっ、そうだ。今日は私がお酒買ってきたから」

「え?」

「ほらほら。渡すから手、出して?」

「う、うん」


 戸惑(とまど)う声が聞こえつつも、壁の外側からきれいな白い手が出てくる。指先には、見慣れた(つや)のある真っ赤なネイル。


 私はその手をつかむと――


 ちゅ。


 彼女の腕に、キスをした。


「え……えっ!?」

「あははは! ナギさんてば声大きすぎー」

「いやだって、モモちゃん、今……」

「へっへー。はいこれ、いつも飲んでるやつね」


 得意げに笑い、私は今度こそナギさんに缶ビールを渡す。


「かんぱーい」

「ちょ、モモちゃん」


 そして、自分用の缶チューハイを開けて勢いよくあおった。


「ぷはー。仕事終わりのお酒はやっぱりおいしー」

「それよりも、どうだったのさ。教えてよ」

「えー、どーしよっかなー」


 私はチラ、と壁の方を見る。その向こうでナギさんがハラハラしているのが、雰囲気(ふんいき)で感じ取れた。


「それはねー」

「それは?」


「ひみつ」

「えええー」

「この前笑われた仕返しだよー」

「そんなー」

「放送見たらわかるかもねー」


 私の笑い声が、夜の中に溶けていく。そうして夜も、ふけていく。


 いつか私も、好きな人に面と向かって好きだと言って。

 好きな人とちゃんと、キスができる日がくるんだろうか。

 そんなことを思いながら、私はレモンチューハイを傾けた。

最終話のあとがきにも書かせていただいたとおり、後日談の番外編になります。本編が思いのほか読んでいただけてるので、味をしめて早速書いてしまいました。


僭越ではありますが、もし「こんな話が読みたい」といったご要望がありましたら、ぜひお教えいただけるとありがたいです。(決してネタに困っているわけではないです、、汗)


他の作品ともども、今後ともよろしくお願いします!

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