番外編③(後編) もったいないくらいのご褒美
モモちゃんの全国ツアーが始まって、数日。
ファンたる私は、彼女を追いかけて全国を飛び回る――なんてことはもちろんなくて。
「疲れた……」
いつもと変わらず研究室に行き、夜8時を過ぎてから家へと帰ってきた。
結局チケットはとれず仕舞。ファンクラブは優先抽選権があるはずなのに。日々がんばってる私に少しくらいのご褒美があってもいいはずなのに。世界は残酷だ。
神様に恨み言のひとつでも言ってやりたくなる――けど、そんなことはしない。
だって今夜の私には、他の誰にもないご褒美があるから。
ご飯を食べて、お風呂から上がって。ベッドに腰を下ろしてから、スマホを握りしめて見つめる。真っ黒な画面に映る表情は、どこかぎこちない。
「……ごくり」
時刻は午後11時。
もうそろそろ、かな――
「ひゃっ」
めったに震えないスマホがぶるぶるする。LINE通話の着信。すぐさま私は「応答」ボタンをタップした。
「もっ、もしもし」
「あ、もしもし?」
電話口からは、いつも壁越しに聞くかわいい声。
「もう電話して大丈夫だった?」
「う、うん。ちょうど準備できたところ」
うそだ。ほんとは20分くらい前からまったく同じ態勢で待ち構えていた。
「よかったー、時間に間に合って。私、さっきホテルに戻ってきたところなんだよー」
「それなら、ちょっと一息ついてからでもよかったのに」
「いいのいいの。それよりも私は飲みたかったし」
飲兵衛みたいな発言が聞こえたと思ったら、続けてぷしゅ、と缶を開ける音。
「それじゃー早速、かんぱいしよ、かんぱい」
「あ、ちょっと待って」
私も慌ててテーブルに用意した缶ビールを開ける。
「かんぱーい! ほら、ナギさんも」
「もー、モモちゃんてば早すぎだよ。かんぱい」
言って、なにもない空気中に向かって缶を掲げてから、ビールを流し込んだ。
ツアー中に話す手段としてモモちゃんが提案してきたのは、スマホでのLINE通話。
LINEだからビデオ通話という選択肢もあったけど、お互いそれを言うことはしなかった。いくら画面越しとはいえ、まだモモちゃんの顔を見て話す自信は……ない。それに、彼女も今はそれを望んではいないような気がした。
それにしても、まだ信じられない。私の友だちリストに、本物のアイドルの連絡先が入ってるなんて。
「あれ、もしもーし」
「え?」
「もしかしてナギさんも疲れてる?」
「そ、そんなことないよ、大丈夫」
お互いの顔は見えてなくて、ベランダで壁越しに話しているときとさほど変わらない……はずなのに、モモちゃんの声が、大好きな人の声が耳元で聞こえてくるだけで、私の心臓は暴れだしそうになる。
「今日は仙台なんだよね? どうだった?」
私は努めて、いつもと同じように振る舞い、話すことを意識する。
「うーん、会場はやっぱり小さかったなー。一番後ろのお客さんの顔が見えそうなくらいだったし」
「あはは、まあファンの立場だとうれしいけどね。後ろからでもよく見えるっていうのは」
裏を返せば、会場が小さいせいでチケット枚数が少なく、倍率が上がったともいえる。
「にしても……はー、疲れたー」
ばふっ、という音が聞こえる。たぶんベッドにダイブしたんだろう。ベッドに寝転ぶアイドルとLINE通話。なんだかすごく背徳的。
「今日もマネージャーがめんどくさくってさー」
そこから、モモちゃんの愚痴が始まる。マネージャーの小言が多いとか、マナーの悪いファンがいたとか。私はいつものようにそれを聞いて、返事をして、お酒と一緒に流し込む。
「そういえば、札幌のライブはファンクラブで動画が配信されてから、さっそく見たよ」
モモちゃんの愚痴がひと段落したところで、私は話題を変えた。
「あー、マネージャーがそんなこと言ってたような気がする。でもあのときのはあんまり自信ないんだよねー。ステップとかちょっと失敗しちゃったし」
「そんなことないよ。すごくよかったって」
私もあの場所にいれたらどれだけよかったかと悔やむほどには、いいライブだった。
「それに、演出もすごかったね。モモちゃん、キラキラしてたよ」
「そ、そう?」
「うん。かっこよくて、かわいかった」
「そうかな……」
文字にすればぶっきらぼうだが、その声は少しうれしそうにしていて、私も胸のあたりがぽかぽかする。
「あと、すごく豪華だったね。バックダンサーもたくさんいて」
「あー、あれは事務所の新人の子たちなんだよね」
「そっか、あの子たちもアイドルなんだね。だからみんなかわいかったんだ」
未来のモモちゃんみたいな子もいるのかもしれない。
と、急に電話口の向こうが静かになった。
「……」
「あ、あれ? モモちゃん?」
「……なんですけど」
「え?」
「私も、アイドルなんですけどー」
「あ……」
し、しまった!
アイドル本人と、それも大ファンのモモちゃんを前にして別のアイドルの話をするなんて!
これじゃあファン失格だ!
「ご、ごめんモモちゃん!」
「別にいいですよー」
そんな言葉のあと、まるでヤケ酒でも飲むみたいにぐびぐびと酒をあおる音が聞こえてくる。
「どうせ私はもうフレッシュさもなければかわいさもない、さびれたアイドルですよーだ」
「そ、そんなことないってば! ほんとごめんってモモちゃんー」
「つーん」
ああダメだ、完全に機嫌損ねちゃってる!
「ぷっ」
「え?」
「あはは、ナギさんてば慌てすぎー」
ころころとした笑い声。ライブや握手会で聞くのとはまた違う。
それは紛れもなく、佐倉桃華という女の子の笑い声。
「しょーがないから、許してあげる」
「モモちゃん?」
「だってナギさんには、いつもたくさんもらってるからね」
「……うん」
そんなことないよ。
私の方こそ、いつももらってるんだから。
怒ったり、拗ねたり、笑ったり。
ベランダで、電話で、こうやって見せてくれるすべてが、私にとっての宝物。
それに見合ったものを、いつかきちんと返せるように。
私はいつだって、あなたにあげられるものを探してるんだから。
それから、私たちはとりとめのない会話をする。他愛もなくて、明日になったら忘れてしまいそうな、
「モモちゃん?」
ふと会話が途切れて、私は名前を呼んでみる。けれど、
「…………」
返事はない。おかしいな、通話は切れてないのに。
「……すー」
「!!!!」
もっ、もしかして……。
モモちゃん、寝てる!?
「……すー、すー」
スマホに耳をぎゅっと押し付けると、かすかに聞こえてくる息。まるで電話口の向こうに天使がいるかのようだ。いや、天使か。天使なのか?
ファンなら誰もが羨む、彼女の無防備な寝息。それを、今この瞬間は、私がひとり占めしてしまっているわけで。
「……こんなの、通話切れるわけないよ」
私は通話がつながったままのスマホを握りしめて、ベッドに寝転がった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今回、リクエストのあった内容を一部盛り込ませていただきました。(リクエストにかなうものになっているか不安しかありませんが…)
あらためて、リクエストありがとうございました!