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第1話 アイドルの秘密の癒し

「いっくよぉー!!」


 全身に、スポットライトを浴びる。

 重厚(じゅうこう)な音楽が会場全体を震わせる。

 視界を()()くしているのは、数えきれないくらいの黒い人影と、彼らが手に持ったオレンジ色のサイリウム。


「「「はい!はい! はいはいはい!」」」


「「「ふーふーふー!!」」」


 リハーサルなんてしていないのに、私の歌に完璧に合ったコールが(ひび)く。それこそ、地鳴りみたいに。

 光も、音も、声も。全部が全部、私に向けられていて。世界の中心にいるみたいに。


 私はその全てに応える。歌って、踊って、笑って、手を振って。


「「「うーはい! うーはい!」」」


 パンパンパン! パパンパン!


 コールと手拍子のテンポが上がっていく。

 いよいよクライマックス。最後のサビを超えて、曲のビートのテンポが上がっていく。


 そして――、


 ジャァァァァンッッッ!!


 ギターとドラムが最後の一音を叩き出し、ライブが終わる。


「みんなーっ! ありがとーっ! だいすきだよーっ!」


 一番後ろの席まで届くよう、声を張ってお礼をいう。


 すると、


「「「うおおおおおおっ!!!!」」」


 一瞬の静寂(せいじゃく)の後、割れんばかりの歓声と拍手。


 私は笑って、手を振って、ありがとうと連呼して――

 スポットライトが、消える。


 ライブが、終わった。



「あ゛あ゛ー、やってらんねぇ!」


 自宅に帰って玄関のドアを施錠(せじょう)した直後、私の叫びは室内にこだました。


「はあーっ」


 力いっぱいため息をつくけど、体内に溜まったストレスは一緒に吐き出されはしない。


「ったくあのクソ野朗が……」


 さっきまでかわいく歌っていたのと同じ口から出てきたとはとても思えないドスのきいた声。自分でもびっくり。


 アイドルとして売り出している自分のこんな姿を見られでもしたら大騒ぎだが、地上7階のマンションの一室、閉め切った1LDKならば話は別だ。

 もちろん、私の帰宅を出迎えてくれる人はいるわけない。もしそんな存在がいたら、大スキャンダルに発展してしまう。


「ふぅー」


 服を適当に脱ぎ散らかして部屋着に身を包んでから、もう一度盛大に息を吐く。そして昨日と同じように、ソファになだれ込んだ。

 時刻はちょうど24時。あと30分もすればこの間収録した番組が放送されるけど、見る気は全くおきない。


 ねむた……。


 6時起きだし、早くメイク落としてシャワー浴びないと……。

 明日はスタジオ入って、インタビューの仕事して、それから……。


 した方がいいこと、しなきゃいけないことが頭の中をグルグルする。なのに、身体はぴくりとも動かない。


 あーもーこのまま寝ちゃいそうだ……。


 氷が溶けるみたいに、とろんと意識がぼやけていって、


 コン、コン、コン。


「!」


 瞬間、ソファの背中に面する壁から、ゆっくりと3回ノックの音が。


 これは、合図だ。

 お(さそ)いの。


 勢いよく起き上がる。眠気はほとんど飛んでいった。


 コン、コン、コン。


 ソファから身を乗り出し、私は返事をする。

 3回が意味するのは――イエス。


 裸足(はだし)でペタペタと床を歩き、ベランダへ出る。ぬるい風が()めるように疲労感たっぷりの身体を撫でる。


「こんばんは」


 壁――隣のベランダを仕切る板の向こうから、女の子の声。ノックの主と同じ人。


「こんばんは」

「はいこれ、どうぞ」


 言って、壁の外側から円柱形のものを渡してくる。いつものことなので、慣れた手つきでそれを受け取る。350mlのアルミ缶。そしてラベルには、


 イチゴミルク風味! しゅわしゅわサワーアルコール5%


「新商品が出てたから、今日はそれにしてみたんだ」

「へー、こんなのあるんだ」

「前にイチゴミルク好きって言ってたっしょ? だからこれ気に入るかなって」

「そっか……ありがと」

「それじゃ、カンパイしよっか」


 仕切りの外側には再び缶――CMでよく目にする銀色のやつだ。スーパーでドライ。

 缶を持つ指は、いつ見ても細くて白い。赤いネイルも、自ら光を放っているみたいに美しい。


「「カンパイ」」


 かちん、と缶を軽くあわせる。プルタブを引っ張って開けると、サワーを流し込んだ。

 イチゴミルクの甘い風味と、少しのアルコールが身体中に広がっていく。


「……おいしい」

「ほんと? よかったよ、喜んでもらえて」


 嬉々(きき)とした声が聞こえた直後、ぐびぐびと(のど)を鳴らす音。私も真似(まね)して、一気に半分ほど缶の中身をあおる。


「っっぷっはぁー!」


 思わず出る、居酒屋(いざかや)のおっさんみたいな所作。きっと私の呼気(こき)にはアルコールがたんまり含まれている。

 そして、さっきどれだけため息をついても吐き出されなかったストレスのいくらかが出ていった気がした。


「あはは、今日もおつかれだね」

「すんませんナギさん、いつも付き合ってもらっちゃって」

「いいっていいって。私が好きでやってんだし」


 それに、と続けて、


「モモちゃんも毎日会社で疲れてるんだから、これくらいのリフレッシュは必要っしょ?」

「まーそれには感謝しかないけど……」


 ナギさんとこうして夜のベランダでお酒を酌み交わすようになったのは、1か月くらい前からだ。

 私がベランダでぶつくさ愚痴(ぐち)を吐いていた時、たまたまナギさんが隣で一人晩酌(ばんしゃく)をしていたのかきっかけ。


 以来、3回のノックをお互いにしたのを合図に、都合がつくときだけこうやって缶1個分のお酒を一緒に飲む。厚さ5センチの壁を隔てて。


「モモちゃん、今日はけっこう遅かったね。残業?」

「まあ、そんなとこかな」


 ちなみにナギさんは私がアイドルの佐倉(さくら)桃華(ももか)だということは知らない。というか彼女が知っているのは、性別が女で「モモ」という名前であることだけ。

 反対に、私もナギさんのことは同年代くらいの女性ということしか知らない。知らないし、お互い知るつもりも、知ろうともしない。


 私にとって、この時間だけが、アイドルの佐倉桃華からただの「モモ」でいられる。


「てか、いつもお酒もらってばっかなの悪いよ」

「気にしなくていいよ。私の晩酌に付き合ってもらってるようなもんだし」


 ナギさんは笑い飛ばす。


 私だって自分で買いたいのは山々だが、お店で選んで買うとなるとどうしても人の目がある。清純派で売り出しているアイドル・佐倉桃華がアルコール類を購入している姿を撮られでもしたら、その瞬間アイドル生命は絶たれてしまう。


「ほんっと、仕事っていろいろめんどくさいわ」


 あれもダメこれもダメ、今日に至ってはCMに出てる会社の商品以外は使うな、買うな、ときたもんだ。そのうち私生活にすら干渉してきそうだ。マネージャーの頭の固さにはうんざりしてしまう。


 私はアイドルである前に、一人の人間なんだ。


「いろいろ溜まってるね」


 今度は笑うことなく、優しい声音(こわね)で話してくれる。


「そんなときは心の中で笑い飛ばしてやればいいのさ。結局のとこ、仕事は仕事。絶対にそれにしがみつかないと生きていけない、なんてことはないはずだよ」

「ナギさん……」

「モモちゃんはきっとがんばってるよ。こんなの気休めにしかならないけど」

「ううん、ありがと、ちょっと元気出た」

「あはは、よかったー」


 こうして話してると、気が楽になる。私が私でいられる、数少ない時間。唯一の安らぎ。

 ナギさんは私の愚痴にまじめに相手してくれて、時には笑い飛ばしてくれる。


 ほんとはもっとナギさんと話したいけど……。


 きっとナギさんにはナギさんの生活がある。こうしてベランダで壁一枚を隔ててお酒を酌み交わせているのは、本当に幸運な偶然にすぎない。

 夜も更けている。明日も朝早い。ナギさんもきっとそうだろう。これくらいで終えた方がいい。


 でももう少し、もう少しだけ。


「あの、ナギさ――」


 と、ポケットのスマホが震える。この振動(しんどう)の長さは……電話だ。


「ごめん、電話だ」

「そっか。じゃあ夜も遅いし、これくらいにしておこっか」

「……はい」

「じゃあまたね、おやすみ」

「はい、ナギさんも」


 そう答えたところで、隣の部屋から窓が閉まる音が聞こえる。


 宵闇(よいやみ)の空間に、私ひとり。

 まだ震えるスマホ。誰だろう。


「げっ」


 画面には、今日の私の愚痴の対象、つまりはマネージャー。

 出たくないのは山々だけど、まだ着信が続いてるってことはよっぽと急ぎの案件なんだろう。

 さすがにとらないわけにはいかない。


「もしもし――」


 スピーカーから聞こえてくる事務的な男の声。わずか数分で通話は終わる。

 そして、残ったサワーを一気飲みして、


「あーもー! やってらんねぇぇー!」


 真っ黒な空気の中に、私の吐露(とろ)した気持ちは溶けていった。

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