風説ファイル1 『手鏡』
「依頼をお願いしたいんですけど」
デスクで本を広げていた女性が数秒、固まっていた
いきなり事務所に踏み込んで挨拶もなしに開口一番に依頼なんて口にしたこちらに非があるような気がする
無理もない
私だって自分の部屋にノックなしで誰か入ってきたら呆気に取られてしまう
反省しよう
次に活かすかは知らない
「うん?ああ、依頼。依頼ね。ごめんね、仲介のない直接の依頼なんて随分と久々だから驚いちゃった」
「そうですか」
意識の戻ってきたその女性は本を閉じ、笑いかけてくれた
礼儀がなってないだとか失礼だとか怒鳴られず内心ホッとした
「で?うち、相談料5万とかいうふざけた場所だけど大丈夫?」
「用意してます」
ここの情報を調べたときに必要だと思ったものは用意しておいた
五万を入れておいた封筒をあまり物の置かれていないデスクの上に置いた
女性は封筒の中身を確認し、こちらに向き直った
「ああ、罰ゲームとかじゃない感じ。ごめんね。たまーにあるからさ、悪戯。本気で依頼な訳ね。君、こんな寂れたビルに入れたね大したもんね。おねーさんなら入り口で引き返してるわ」
「はあ」
よく無神経と友人に言われる
自分でも物事に対して関心が薄いことは自覚している
さっきの反省も一時間もすれば忘れていると思う
それでも、廃ビルにしか見えないここに入るのは度胸が必要だった
本当に人がいるかどうかわからないレベルであった
外装はボロボロなのに内装はしっかりしていて表情にこそは出ていないだろうが結構驚いている
「で、依頼の内容は?」
「友人を探しています」
「人探し、ね。警察とかのほうがいいんじゃない?それとも警察じゃ見つけれないと判断したのかな」
「じゃないとこんなところに来ません」
「こんなところとは言ってくれるわね。まあ、その通りなんだけど」
言った後に失言に気付いたが笑って流してくれたので結果オーライ
反省しろよと他人事のように思う
他人事のように思うから直らないんだけどね
私が依頼をしにきた探偵事務所だ
探偵といっても浮気調査とかが多そうなイメージの普通の探偵ではない
今のは普通の探偵への風評被害だった
風評
風の噂
あるようなないような、あったりなかったり真相が不確かな曖昧なもの
『風説』
その『風説』の専門家
ここは『風説探偵』という専門家の事務所だ
自分から依頼を持ち込んでおいてなんだが『風説探偵』とはなんなのか
胡散臭いにも程がある
普通に警察に通報したほうが五千倍マシなんじゃないだろうかと理性が訴えかけている
けれど、私の直感が同じように訴えかけているのだ
普通では手遅れになるぞ、と
悪い予感はよく当たる
「詳しく聞かせてもらえる?ああ、申し遅れたかな。おねーさんは太刀洗流渦。しがない『風説探偵』よ」
風説探偵という得体の知れないものに私は友人、長年の付き合いある幼馴染みの命運を預ける
まずは
「座ってもいいですか」
私、古賀〈こが〉命日子〈めにこ〉は今のは自分でも少し図太いなと思った
篭に入ってる煎餅は客人用と見えるし、食べてもいいかな
※ ※ ※
学校の終わり
帰宅
はせず、友人もとい近所の歳上の幼馴染みの家にお邪魔した
よくあることで、合鍵も持っている
家に入ると、靴があり幼馴染みが家にいることが分かった
「おかえり」という声も聞こえた
玄関からリビングまで音や匂いがよく通るのでテレビが付いていて、料理の準備がされていることも分かった
よく幼馴染みの家で料理をご相伴に預かる
この日も幼馴染みの手料理をいただくつもりだった
靴を脱ぎ、スリッパは履かない主義なのでそのまま上がった
幼馴染みがいるリビングまで歩いて数秒の距離しかない
リビングの扉に手をかけたその瞬間、何かを落とす音が二つした
まあ、珍しいことではないので気にせずリビングに入った
そしたら幼馴染みの姿はどこにもなく、ソファーの近くに電源の入った携帯と手鏡が落ちていた
そのときの音の正体は携帯と手鏡だと思う
少々不審に思い幼馴染みを探したけれどリビングのどこにもおらず、用意されていた二人分の料理が湯気をたてているだけだった
驚かそうとしているのかもしれないと思い、待ったが姿を現す様子もなく、折角のいつもより豪勢な料理はすっかり冷めてしまった
腹拵え〈はらごしらえ〉を済ませて、家中探して回ったがやはり幼馴染みは姿も形もない
警察に失踪届けを出そうかと思ったが、数秒前までいた人間が忽然〈こつぜん〉と姿を消したのは些〈いささ〉か異常事態ではないかと思い、別の方法を模索することにした
決して警察とかが面倒だとか、方法とかよく知らないから嫌だなと思ったからではない
ないのだ
お巡りさんだって暇ではない
お手を煩わせる訳にはいかないと一人奮起することにした
ヒントは手鏡と電源がつきっぱなしだった携帯
そこから紆余曲折〈うよきょくせつ〉で『風説探偵』に行き着いた
場所もそこそこに近かったので、当たって砕けろの精神で訪ねて、今に至る
※ ※ ※
「それはいつのこと?」
「今日です」
「落ちてた鏡は?」
「持ってきてます」
「大いに結構!君の友達は助かるかもしれない」
「本当ですか」
「あんまり嬉しそうじゃないわね。まあ、糠喜び〈ぬかよろこび〉させて助けれませんでしたじゃ話になんないし半信半疑くらいのほうが気が楽かな。勝算は高いけど100%じゃない、手遅れって可能性だってある。鏡貸して」
「どうぞ」
太刀洗さんに手鏡を渡す
「そういえば、古賀君は『風説』についてどれくらい知識があるのかな?」
「全く。今日、初めて聞きました」
「結構。知ってても役に立つことなんて滅多にないから大雑把に摩訶不思議な現象の名称くらいに思ってもらえばいい。詳しいことは面倒だから省くわ」
怪談、迷信、都市伝説、etc……
これらの現実にあり得ない話が実態を得たものを『風説』と呼ぶらしい
太刀洗さんは側に立て掛けていた竹刀袋を掴むと中にあったソレを取り出す
「日本刀?」
「そう、骨董品。で、おねーさんの仕事道具」
鞘から抜き放たれた刀身は素人目から見ても錆一つなく、とても切れ味がよさそうだった
太刀洗さんは日本刀を仕事道具と言った
まさか漫画よろしく『風説』を斬るとでも言うのだろうか
「そのまさか。鏡を斬るの」
彼女はニッと笑い、私の胸の内を言い当てた
顔に出ているとは思えないが、いままでの依頼人も皆同じようなリアクションを取ってきていたのだろうか
「ああ、鏡を斬るけど許してね。後でお友達に謝っておいてもらえる?」
そういうと返事も聞かず手鏡を宙に放り投げ、スパッと斬った
鏡を斬ったとは思えない不快な音と共に黒い霧が吹き出し、次の瞬間には霧散していた
真っ二つに斬られた筈の鏡はどこにもなく、綺麗さっぱり消えていた
「手品?」
「曲芸ってことには変わらないかもね」
太刀洗さんは日本刀を鞘に戻していた
「ここに出てきてくれたら良かったんだけど。多分、お友達は元の場所に帰ったと思うわ……無事かどうか確認してもらえる?」
少し、歯切れが悪そうに言った
心配は残るが、まるで『風説』を取り敢えず解決したかのような口調だ
「解決、したんですか?」
手鏡を日本刀で斬っただけで解決したなんて言われても納得できる人はいないのではないだろうか
「手応えはあった。この『風説』は確かに断ち斬られた。信じるか信じないかは貴女次第。お代は相談料だけでいいわ」
それだけ言うと仕事は終わりとばかりに事務所から送り出された
追い出された
ここは一般人が来る場所ではないというように
出来れば、二度と会うことがないのを祈るというように
穿ち過ぎか
※ ※ ※
今日は学校から帰って一度も自宅に戻っていないことに気付いたが、心配する親はいないのでそのまま幼馴染みの家に直行した
適当にあしらわれたのではないかという不安があったが、電気の付いていないリビングで幼馴染みは寝ていた
確かにリビングのソファーに幼馴染みがいた
私が見落としていただけで実は初めからそこにいたのではないかとすら思った
いや、流石にそれはないな
そこまで節穴ではない
つまり、『風説探偵』は確かに依頼を為し遂げてくれたのだ
正体不明の『風説』に連れ去られた、或いは消されていた幼馴染みを無事に見つけ出すことが出来た
さて、安心した次は自分の心配をしないといけない
幼馴染みのものだったと思われる手鏡を斬られて消失させてしまったことと、財布から抜き取った5万の言い訳を考えないといけない
『風説』なんて言っても信じて貰えそうにない
私だってまだ夢見心地で実感がないのだ
夢オチだと助かる
バイトをしていない学生が5万なんて大金持っていないのだから
幼馴染みが目を覚ますまで頭を悩ませることになった
これが風説に触れるきっかけになったとも知らず