暇を潰したい魔女様は気まぐれをおこす
魔女というものは常に暇だ。薬草の面倒を見て、各々管理する領域に住む魔物の様子を見て、日がな一日事務的なことと暇潰しをして暮らす。
魔女は人間とは別の種族だ。人間の女が姿形のベースになっているが、中身はまるきり別物だ。そもそも、姿形は対象と同じくらいの魔力を持つなら何にだってなれる。動物や、魔物にも。
変幻自在、自由自在な力を持つ魔女というものの起源はわからない。あるとき急に意識が発生して、魔女ごとに様々な姿で生まれるのだ。
そして、生まれてすぐに色々なことを理解する。生まれたこの場所は自分の管理する領域で、そこに暮らす魔物の面倒を見ること。けれど魔物にも生活があるから基本的な関与はしないこと。魔物の面倒を見るためには薬草が必要だったりすること。
自分の領域たる森が何らかの理由によって消えたり、そこから魔物がいなくなってしまった場合、管理する魔女も消えてしまうこと。また、管理する魔女が長期間管理を放棄した場合も同様にその魔女は消える。とはいえ、こんなことは滅多にない。
これだけのことを生まれた時から理解していれば、やることは多いと思うだろう。だが、やることが多いと思うのは最初の内だ。
領域内の魔物が好むものを直接聞いて回り、時には生まれたばかりの魔女を喰らってやろうと舌なめずりする魔物に幾度も傷を付けられながら返り討ちにするまで戦って魔力の使い方や伸ばし方を学び、時には魔女の頑張りを見守る魔物に助けられながら、魔物が好むものを用意しようと奔走する内に慣れてしまうものなのだ。
そうして生まれた直後の最初にして最難関である森の安定化を終えるとその後は、まるで今までの苦労が嘘のような暇がやってくるのである。
暇潰しで薬草の育つ環境を変えてみたり、手入れを変えてみたり、薬草を好まない魔物に食べさせてみたり、他の魔女と交流したり、時には外から迷いこんで魔物に遭遇しないまま魔女の住みかまで辿り着いた人間と交流してみたり、その人間の幾人かを魔物に処分させたり……。
気まぐれに森の外に出ては、人間と交流を持つ魔女もいる。が、それはあくまでそういう魔女がいるというだけだ。
迷いの森メイユール──人間がそう名付けたらしい──の管理者、ファリアはそういった他の魔女のような暇潰しは、人間関連では一度もしたことがない。森を安定して管理できるようになったときからずっと事務的なことをこなして暮らしてきた。それで不自由したこともなかった。
だが、現在。
「……暇」
薬草に水をやって、手入れをして、魔力が必要なものには魔力を注いで、森に異常がないか、些細な異変が起きてないかと様子をより深く感じ取って、昼になってやってきた別の魔女をもてなしながらファリアはポツリと呟いた。
「アンタ、本当に管理してるだけだもんね。魔物とは仲良くやってるようだけど、外にはキョーミなさそうだし」
「違う。森と魔女と魔物以外に興味がないだけ」
「そういうのを外に興味がないっていうのよ! はぁ、なんでアタシらって生まれ方は同じなのにこんなに違うんだろうね? 年のせいかしら」
何とも無関心そうに言ったファリアに、別の魔女はやれやれと赤毛を揺らす。そうして、一息つこうとファリアの淹れた薬茶に口をつける。その様子を見ながらファリアは正直に思ったことを口にした。
「私は、私があと200年生きててもリエラのようになるとは思えない」
リエラと呼ばれたその魔女が、口元で傾けていた持参のカップもそのままにくわっと目を吊り上げた。鋭い金の目が迫力を増して、空気に緊張感が増す。けれど、ファリアはそれが彼女の本気ではないことをよく理解している。
「だまらっしゃい。アタシとアンタの年齢差を持ち出すんじゃない。第一アンタはまだ50年も生きてないぺーぺー魔女でしょうが」
「年の話を先にしたのは、そっち」
「そうだけどさぁ! もう、本当になんでこんだけ違うんだろうね、全く……」
カップを傾けて喉を潤し、気分も話題も転換と言わんばかりにリエラが力を抜いた。
「にしても、暇ねぇ。折角だからこれを機会に、人間で暇潰ししたらどう?」
「……どうやって?」
「外で流行ってる読み物を買ってみるとかさ。人間から直接。あと、街で売ってる食べ物も美味しいから、誰か外の人間と繋がりを持てば良いよ。最初は少し不審に思われるかもしんないけどさ、アタシらの生まれてすぐの仕事よりかはマシだろう?」
少しだけ首をかしげて、考える。ファリアの黒髪がさらりと揺れる。そのほんの一瞬の思考で、
「森に益があると思えない」
リエラの言葉をばっさりと切り捨てた。
「……いや、暇してるのアンタでしょ」
「だとしても、私が関わることは森にも関わる。下手なことはできない」
「はぁ、まぁ、アンタがそう思うんならアタシはもう何も言わないけどさ。結構面白いよ、人間も、外も」
***
(……なんていうことがあったからだろうか)
目の前の、ファリアのものである寝台には今、自分と同じ黒髪を持つ傷だらけの……人間の男が寝ている。この男は数日前、森に入り込んだ侵入者だ。
ファリアの安定した管理によってそれなりに強い魔物がいるこの森に人間の男が丸腰でやってきた理由もわからないが、それよりも数日間ずっとさ迷って空腹で倒れたこの男を森の外に放り投げなかった自分の考えがわからなくなっていた。
(起きたら、やっぱり追い出そう)
はぁ、と少しばかり大きい溜め息が部屋に落ちる。人間をこの寝台に入れたことをファリアはちょっぴり後悔した。
この家は、植物の魔物や老成した知恵深き魔物、リエラのような他の魔女の力を借りて作った思い入れのある家なのだ。その中でも寝台は、遠い森の魔女が土産にとくれたモフモンという魔物の毛で作ったとても素晴らしくもふもふなベッドなのだ。
モフモンは暖かい気候の森に生息するため、少し肌寒い気候の森であるファリアのところにはいない。また、光合成をして毛を生やす上、光がよく当たらないと毛の質は低下する。人間を追い返すために薄暗くなるよう魔法を働かせているファリアの森には尚更寄り付かないし、居たとしても質が悪くてさわり心地は思わしくないだろう。
遠い森の魔女は上質な毛を持ってきてくれた。ファリアにとってとても大事なものとなったその寝台に、今ファリアより確実に体重がある人間の男が寝っ転がっているのだ。考えているだけでも腹立たしくなってくる。
「うぅ……ん」
「!」
「っでぇ!?」
ごろんと寝返りを打った男が、モフモン毛布に頬擦りをしようとする……その頬に、一筋の唾液の跡。
ファリアの頭は真っ白になって、気がついたときには魔法で男を床に転がしていた。
驚きで見開かれる瞳は、ファリアの青と正反対の赤。きょろりと辺りを見回して、ファリアを認識するなり警戒が宿る。
だがしかし、臆することなくファリアもまた男を睨み返した。というよりは、ほぼ無表情で見下ろした。だってお気に入りの布団に見知らぬ、種族も違う男のヨダレがつきそうになれば無関心を常としているファリアでもさすがに怒る。たとえ男を寝台に入れたのが自分だとしても、そもそも男が森に入って行きだおれたのが悪いのだ。
互いに黙ること約一分、言いたいことがあったのを思い出したファリアが口を開く。
「出てって」
「は……?」
「早く出てって。ここ、私の家。起きたのならもうこの家におく理由ないから」
「いや、その前にここどこだよ。俺は森にいたんじゃなかったのか……」
「ここはメイユールの森。私は魔女。わかったらさっさとどっかいって」
何故か家主たるファリアの要求も聞かず自分の思考に入ろうとし始める男に苛立ち、ファリアは自分の正体を喋ることにした。家から出て森に入ってくれさえすれば、あとは森にかけている魔法を少し弄るだけであっという間に外に出せるだろう。
本当は、自発的に出ていくのを待たなくとも強制的に魔法で追い出せばいい。けれど、この男を家にあげた自分が軽率であったのにそこまでするのはさすがにどうかと思ってしまったのだ。
しかし、脅しのために口にした言葉が裏目に出るとは──まさか、思いもよらなかった。
「魔女……魔女だと?」
「そう。だから、」
「俺をこの家に置いてくれ!!」
「大人しく出ていっ……はあ?」
警戒と不審から一転、体勢を整えて素早く膝まずいて男はファリアに懇願した。
これは、始まりの話。暇潰しに正体不明の訳あり男を拾ってしまった超無関心魔女様が、いつの間にか男がいることを当たり前に思い始め、男のそばで安らぎを得る、そんな物語の始まりの話である。
続きは予定しておりませんが、ハッピーもメリバもバッドエンドも思い付くような内容にしてあります。
どうなるかは読者様方のご想像にお任せ……!