12-1 温厚そうな奴ほどキレると恐い
──チェロが指輪を探しに出て、半時間後。
「……ったく、ブルーノのジジイめ。なかなか口を割りやがらねぇ」
さっきとは別の山賊が、不機嫌そうに文句を言いながらエリスのいる採掘場跡にやってきた。
そして、そこでロープに縛られたまま座っているエリスを見つけると、ニヤリと笑い、
「お、気が付いたか。へへ、次はお前の番だ。大人しく来てもらうぞ」
そのまま連れ出そうと手を伸ばすが……触れる直前で、ピタッとその手を止める。
何故なら……彼女の様子が、少しおかしかったから。
焦点の合わない瞳で、ぼんやりと虚空を見つめ……
……ぶつぶつと、何かを呟いているのだ。
「お……おいおい。じゃじゃ馬娘だって聞いていたが、随分話が違うじゃねぇか。電撃にやられて、頭おかしくなっちまったか?」
山賊が顔を覗き込むが……エリスは視線を合わせることなく、やはり何かを呟いている。
「……チッ。これじゃあ尋問にならないかもしれねぇが、とりあえず連れて行くか」
山賊は舌打ちすると、エリスの身体をひょいっと持ち上げ、肩に担いで歩き始めた。
それでもエリスは……低く、小さく、何かを呟き続けた。
* * * *
──時間は少し遡り、場所はイリオンの街中。
クレアとシルフィーは、街の馬車組合を訪れていた。
一刻も早くカライヤ山に乗り込むため、麓までの道のりに馬車を利用しようと考えたのだ。
しかし……
「ですから。今日はもう馬車は出せないんですよ」
「そこをなんとか、お願いできないでしょうか。人が攫われたのです。早く向かわなければ、取り返しのつかないことになる」
「そうは言っても、この雨だからねぇ……馬が転んで怪我でもしたら、商売にならなくなるでしょう?あんたら、責任取れるの?」
クレアが必死に頭を下げるが、受付カウンターの向こうの男性にそう言ってあしらわれてしまう。
その太々しい態度と、クレアの必死な表情を見て、シルフィーは……
ダンッ! と一度、カウンターのテーブルを叩いて、
「……責任なら取れますよ。ほら」
懐から紙の束を取り出し、そこから一枚千切ると、
「……お好きな額を書いてください。アインシュバイン家が必ず、お支払い致します。それでも、馬を出していただけませんか?」
紙を差し出しながら、落ち着いた声音で言う。
それは……アインシュバイン家の紋章が入った、正式な小切手だった。
馬車組合の男性は、ごくっと生唾を飲んでそれを受け取り……
「……すぐに、手配しましょう」
大急ぎで、馬を準備し始めた。
──二頭の馬が、水を跳ね上げながら雨空の下を進んでゆく。
その後ろに引かれた馬車の箱の中で、シルフィーは「ふぅ……」と息をついた。
「なんとかなりましたね。小切手なんか初めて切ったから、ちょっとドキドキしちゃいましたが……これで、カライヤ山に早く向かえます」
「すみません、シルフィーさんにこんな手段を取らせてしまって。私から軍部に話を通すので、後で経費として請求しましょう」
「あ、そっか。そんな方法もあったんですね。いや、でもいいんですよ。私は金くらいでしか、お役に立てませんから」
と、シルフィーは自嘲気味に笑う。
それに、クレアは静かに首を振り、
「お金は、ある意味で一番平和的な解決方法です。私なんか、もう一回頭を下げてダメだったらあの男を人質にして脅すか、馬車を盗んでやろうかと考えていましたから」
「それは……あまり穏やかとは言えませんね」
「はい。なので本当に、シルフィーさんがいてくださってよかったです。ありがとうございます」
なんてお礼を言われ、シルフィーは苦笑いをする。
冗談っぽく話してはいるが、クレアの表情からはいつもの余裕が消えていた。
エリスの安否のことで頭がいっぱいで……焦りと、怒りと、情けなさに苛まれ、心臓がうるさいくらいに脈を打っている。
こんなに心を乱されることなど、生まれて初めてだった。
いつだって任務の遂行が最優先で、仲間に何が起ころうが動揺なんてしたことなかったのに……やはりエリスのこととなると、冷静ではいられなくなる。
クレアは少しでも気持ちを落ち着かせるため、一度息を吐き。
先ほど得た情報を、シルフィーに共有することにした。
「……実は、みなさんが海に出ている間、『保安兵団』の屯所へ行って来ました」
「え……お役人のところに?」
「はい。何か事情があってあの山賊たちに手出しが出来ずにいるのなら、軍部が手を貸しますよと、助言しに行ったのです。しかし……答えは、ノーでした」
「……そうでしたか」
「ですが、明らかに怪しかったので、その後少し盗み聞きをしまして。そうしたら……やはり、いるようでした。山賊たちを裏で操る権力者が。その人物は『風別ツ劔』を探すため、当初はイリオンの漁業水域の半分を明け渡せと、街に要求してきたそうです」
「は、半分も?!」
「えぇ。しかしそのタイミングで、ブルーノさんの『劔』の噂が広まり……海を占拠しない代わりに、ブルーノさんへの手荒な調査に目をつぶれと、金を積んだらしいのです」
「そんな……それじゃあ役人たちは、それを飲んだということですか?」
「そうです。要求の規模といい、多額の金を積める財力といい……それなりの身分であることが伺えます。『保安兵団』の団長は、その人物の名を………『ジーファ』と、呼んでいました」
そのクレアのセリフに。
シルフィーの顔が、急に青ざめる。
「……どうしました? まさか……その名前に、何か心当たりがあるのですか?」
クレアは思わず、身を乗り出して尋ねる。
すると、シルフィーは……一度、唾を飲み込んで。
「……それたぶん……このオーエンズの、領主の弟ですよ。ジーファ・オズワルト・サジタリウス。私の……お見合い相手の一人です」
そう、言った。
クレアは思わず目を見開く。
「領主の、弟……?」
「はい。数年前に前領主が亡くなって、長男が後を継いだそうですが……ジーファは、その弟。つまり、前領主の次男です」
各領地を治める領主は、基本的に世襲制だ。王族と同じように、親から子へと代々引き継いでゆく。
そうか、領主の弟……それならば、イリオンの海を占拠するような要求も、多額の金を積むことも可能か。何せ、自らの一族が治める領地なのだから。
「と言うことはシルフィーさん、ジーファという男に会ったことがあるのですか?」
「あ、いえ。実際お見合いは私も向こうも拒否して破談になったので……社交パーティーでチラッと見かけたことがあるくらいです。その時は特に、何の印象もなかったですね」
「何か、その一族に関する噂などは聞いたことありませんか? 兄弟仲が悪い、とか……」
「うーん……悪い噂は、あまり記憶にないですね。私が耳にしたのは、長男が領主になってすぐに男の赤ちゃんが生まれて、これで跡取りには困らないって喜んでいたことと……ああ、強いて言えば」
シルフィーは、人差し指をピッと立て、
「亡くなった前領主……つまり、ジーファのお父さんにも弟がいて、その人は海難事故が原因で早くに亡くなったそうです」
「海難事故……?」
「はい。まぁでも、これはさすがに関係ないですかね。私が知っている情報は、これくらいです。すみません。あまりお役に立てなくて」
「とんでもない。ジーファが何者なのかがわかっただけでも、非常に大きな収穫です。やはり、シルフィーさんがいてくれてよかった」
「えへへ。こんな形で役に立つなら、お見合い話も無駄ではなかったですね。にしても……領地を治めるべき一族の者が、山賊を使って民を貶めているだなんて……本当、呆れちゃいますね」
そう言って、シルフィーは肩を竦める。
明確な動機まではわからないが……領主の弟という立場を利用して、何か大きな事を企んでいるに違いない。その辺りは、後でしっかり調査すればいい。
とにかく、今は……
……と、クレアはエリスが残した『魔導大全』に目を落とす。
千切れた紐を結び、普段エリスがしていたように肩から掛けているのだが……
雨に濡れたページをいくつかめくると、そこにはクレアとの食事の記録が、楽しげに書き連ねてあった。
自分との思い出を一つ一つ、こうして残してくれていたことを知り……クレアは、胸が締め付けられる。
……動機がどうであれ、とにかく今は。
エリスを傷付け、誘拐したことを、許すわけにはいかない。
もしもエリスの身に何かあったら………
その時は…………
「……クレアさんも、そんな顔するんですね」
……とシルフィーに言われ、クレアはハッとなる。
「……私、どんな顔していました?」
「すっごく恐い顔です」
「……すみません。エリスの身にもしものことがあったらと考えると、冷静ではいられなくて……」
「当たり前ですよ。私だってこう見えて、腹わた煮えくり返っています。だって……」
ぎゅっ、と。
シルフィーは、自分の拳を握りしめて。
「……エリスさん、クレアさんのために、一生懸命モノイワズを釣り上げたのに。『喜んでくれるかな』って、あなたに食べてもらうのを、あんなに楽しみにしていたのに……」
悔しげな声で紡がれた、その言葉に。
クレアの心臓が、一際強く脈を打つ。
「エリスが……私のために……?」
「そうですよ! 身一つで海にまで飛び込んで、ようやく釣ったんです! なのに……こんなことになるなんて。私、本当に許せません…!!」
震えるシルフィーの言葉を聞き……クレアは、昨晩エリスと過ごした夜のことを思い出す。
……そうか。モノイワズをまだ食べていないと言った自分のために、エリスは……
クレアは、エリスへの愛しさで胸がいっぱいになるのと同時に。
……腹の底から、言い知れぬ怒りがふつふつと沸き上がるのを感じ。
「……………」
馬車の外に見えてきたカライヤ山を、鋭く見上げ。
剣の柄を、強く握りしめた。