10-2 焦燥の雨音
『保安兵団』の屯所は、コの字型の造りをしていた。
正面の入り口から入って、左右の奥へと廊下が分かれている。その建物に囲まれるようにして中庭があるようだった。
クレアは玄関口で少し待たされた後に、団員と思しき若い男に案内され、応接間へ通された。
扉を開けると……革張りのソファの前に、二人の男が並んで立っていた。
その内の一人──三十代半ばくらいだろうか、くすんだ金髪と同色のあご髭を生やした快活そうな雰囲気の男である──が、にこやかな笑みをたたえて、
「王都から遥々、ご苦労様です。どうぞ、おかけください」
と、向かいのソファに座るよう促すので。
クレアも微笑みながら、それに従った。
クレアが座った後、二人の男も腰を下ろし。
そして、今しがたクレアに座るよう促した方の男が再び口を開いた。
「はじめまして。アスドワ・メラジウトです。ここの団長を務めています。と言っても、自分は体動かすのが専門なので、参謀的なことは全部こいつに任せていますが」
そう言って、隣に座るもう一人に目を向ける。
アスドワとは対照的に、厳格な面持ちをした男だった。年はアスドワよりも少し若めだろうか、黒い短髪をきちっと整え、先程から眉一つ動かさずに背筋を伸ばしている。
その見た目と違わぬ淡々とした声で、
「ネグル・エメラルダ。イリオン・保安兵団の副団長を務めている」
と、手短に挨拶をした。
クレアはにこりと微笑んで、
「あらためまして、治安調査員のクレアルド・ラーヴァンスと申します。すみません、突然お伺いしてしまって」
「とんでもない。この街には、いついらしたので?」
「昨日の夕方です。街に出て夕食を取りましたが、やはり魚料理が美味しいですね。さすが漁業の街」
「それは何よりです。にしても、珍しいですね。治安調査員の方が直々にここを訪れるなんて……普通なら、あまりないことでしょう?」
団長のアスドワが、困ったように笑いながら言う。
彼の言う通り、治安調査員というのは『保安兵団』がきちんと機能しているかも含め、抜き打ちで覆面調査するのが通例だ。こんな風に『保安兵団』の人間に姿を見せることなど、あり得ないはずである。
だからこそ。
クレアはその違和感を利用すべく、ここを訪れたのだが。
「そうですね、普通ならあり得ないことかもしれません。ですが……もう、直接聞いてしまった方が早いかなと思いまして」
顔に笑みを貼り付けたまま、そう返すクレアの言葉に……アスドワは少し緊張した面持ちになる。
代わりに、隣に座るネグルが、
「ほう……街を見て、何か気になる点でも?」
すっ、と目を細め、尋ねた。
クレアは尚も、柔和な笑みを浮かべ、
「いいえ。私の目で見た限りでは、賑やかで活気のある、とてもいい街でしたよ。ですが……夕食の時に、妙な噂を耳にしてしまいまして」
「噂……?」
「ええ。なんでも、カライヤ山に住み着いた山賊が街に下りてきて、悪さを働いているとか。それで先日も、年老いた漁師が一人怪我を負わされた……というような話だったのですが、これは事実でしょうか?」
明らかにブルーノの件だとわかるよう、そう問いかけた。
こう聞かれて……やましいことがあるのなら、必ず反応を見せるはずである。
クレアは二人の表情の変化を見逃さぬよう、注視するが……
口を閉ざすアスドワに代わり、やはり副団長のネグルが口を開き、
「事実だ。その漁師は『伝説の剣を飲んだイシャナを捕獲した』などという狂言を吐いたがために、山賊たちに目をつけられている」
と、表情筋をピクリとも動かさず、冷静に言った。
「狂言、ですか……何故、そんな狂言に山賊たちが群がっているのでしょうか?」
「それは我々の知るところではない。山賊など、元々何を考えているかわからない連中だからな」
「確かにその通りです。では……あなた方『保安兵団』は、その件に対してどのような対応を?」
「……そんな風に聞くとは、我々が何も策を打っていないのではと、疑っているということか…?」
一層、声を低くして。
ネグルが、クレアに鋭い視線を向ける。
クレアは、これまでとは違う……少し含みのある笑みを浮かべて、
「とんでもない。あなた方も街を護るべく選ばれた精鋭部隊ですから、たかが山賊どもに手を焼いているとは思いません。ですが…………何か"困り事"があるのなら、力になれるのではと思いまして」
「……困り事?」
「はい。もし、"あなた方だけで解決できない問題"があるのなら………軍部に助けを求めることもできます。その橋渡しをするのが、我々治安調査員ですからね。いかがしょうか。何か"困っている事"、ありませんか?」
そう、問いかけた。
ここで全ての事情を打ち明けてくれるのなら、それが一番早い。山賊たちの裏に、『保安兵団』には手出しできないような権力者がいる、と……
その人物が"水瓶男"とイコールかはわからないが、何にせよそのような事実が確認できればアストライアーを動かし処断することも可能だ。
だから、彼らが本当に困っているなら……この場で助けを求めて欲しかった。
逆に、敵と完全な癒着関係にあるのなら、それはそれで対処しなければならないが……
さぁ。この問いに、どう出る……?
クレアがじっと、二人を見つめる中……
核心に迫るその問いに返答したのは、団長のアスドワの方だった。
彼は「あっはっは」と笑い声を上げてから、
「そんな、軍部に助けを求めるような話じゃないですよ。クレアルドさんのおっしゃる通り、相手は"たかが山賊"。その狂言を吐いたじいさんというのが、この街の古株の漁師でね。気難しい性格のせいで、山賊と正面からやり合っちゃって。それで、いささか話が拗れているだけなんですよ。こっちがいくら仲裁してもキリがないから、最近はその対応の優先度を下げているのは事実ですが……何もしていないわけではありません。どうか、ご心配なさらずに」
そう、あっけらかんとした口調でそう言った。
……なるほど。それが、答えか。
クレアは表情を元の柔らかい笑みに戻して、
「そうでしたか。それを聞いて安心いたしました。実は私、治安調査の仕事はこれが初めてでして。コソコソ聞いて回るより、『保安兵団』のみなさんに直接話を聞いてしまったほうが早く報告書が出せるなぁと思って。それでこうして、お話を伺いに来た次第です」
「それって……自分で調査する手間を省いてるってことですよね? 上に知られたら怒られちゃうんじゃないですか?」
「ですね。だから、内緒にしておいて下さい」
なんて、口元に指を当て言うので。
アスドワは思わず、苦笑いをした。
「──では、『イリオンは特に問題なし』と報告をあげておきます。お忙しい中お時間を取っていただき、ありがとうございました」
「いえいえ。よかったですよ、誤解が解けて。イリオンでの残りの滞在を、どうか楽しんで」
にこやかに手を振るアスドワと、無言のままのネグルに一礼し。
クレアは、応接間を後にした。
──さて。
と、顔を上げたところで、廊下に控えていた若い団員が「玄関までお送りします」と声をかけてくる。
クレアは申し訳なさげな笑みを浮かべて、
「すみません。お手洗いをお借りできますか?」
「ああ、もちろん。この廊下の突き当たりです。玄関の場所はお分かりで?」
「はい。勝手に帰るので、お構いなく」
クレアが言うと、若い団員は頭を下げて去って行った。
この警戒心のなさ……どうやら隠し事をしているのは、団の中でも上の者たちのみということらしい。
ならば……やはり先ほどの二人を探らせてもらおう。
クレアは廊下に人がいないことを確認してから、トイレへと向かう。
案内された通り、廊下の突き当たりにある扉を開け、中へと入る。小便器と個室が三つずつ設置された、広くはない空間。ここにも、他に人はいなかった。
窓は……正面の壁に一つ、明かり取りのための小さなものがあるのみか。
一見すると、人が通り抜けることなど不可能な大きさだが……クレアはここから中庭へ出ることに決めた。
目的はもちろん、先ほどの二人の会話を外から盗み聞きするため。
例の件について突いてやった直後だ、今ごろ二人で重要な話し合いをしているに違いない。
クレアはまず、懐から取り出した工具を使って手早く窓ガラスを外す。
そして一度外に顔を出し、中庭にも人がいないことを確認した。
それから、腰に差した長剣や上着などの嵩張るものを身体から外し、先に窓の向こうへと放り投げる。
身軽になった状態で、個室の壁に手をかけ、振り子のように勢いをつけてから、小さな窓に両足から突っ込んだ。
そのまま、膝、腰、腹、胸……と窓を通り抜けていくが、見込んだ通り、一番幅の広い肩の部分で引っかかった。
そこで彼は、両腕を上げ、肘同士を寄せるようにして……
──ゴギンッ。
と、肩の関節を外す。
肩幅が縮まったことで、なんとか窓を通り抜けることができ……
すとん、とクレアは中庭へと降り立ち、再び鈍い音を鳴らして肩を元に戻した。
トイレに足を踏み入れてからここまで、僅か二十秒。しかし、うかうか止まってはいられない。こうしている間にも、あの二人が会話を進めているはずだ。
クレアは植え込みの間を這うようにして、先ほどの応接間の方へと進む。
そして外壁にピタリと身を寄せると……取り出した聴診器を壁に当て、室内の会話に耳をすませた。
「……考えすぎだろ。心配することはない」
壁越しなのでこもってはいるが……聞こえてきたのは、団長・アスドワの声だ。
「聞いただろ? アイツの最後のセリフ。仕事サボるために俺たちの話聞きに来たんだ。さすが、無能の代名詞・治安調査員だな」
「しかし、それにしてはやけに落ち着いた男だった。存外、軍部の回し者だったのでは……」
……と、なかなか鋭い指摘をするのは、副団長・ネグルの声。
が、アスドワはそれを鼻で笑い飛ばし、
「だったら尚のこと、あれでよかったじゃねぇか。こんな状況、バカ正直に軍部に伝えられるわけがねぇ」
「……そうだろうか。イリオンの今後を考えるなら、あの男の言う通り、国に助けを求めるべきなのではないか……?」
「馬鹿野郎!」
ダンッ!
と、テーブルを叩くような音が響く。
「こちとらジーファの奴から金まで受け取っちまっているんだぞ?! 『風別ツ劔』を探す間、静観していろと……その要求を、飲んじまっているんだ! それがバレたらどうする?!」
アスドワが、余裕のない声でそう言った。
『ジーファ』……それが、あの山賊たちの裏にいる権力者の名前か……?
アスドワが続ける。
「元々はイリオンの漁業水域の半分を占領して、海の中調べるって話だったんだ。それを何とかやめさせて、今はブルーノのじいさん一人いたぶるので満足してくれているんだから、問題ないだろう?」
「今は、な。だがこれで、ブルーノから何の情報も得られないとなったら、奴はまた海を調べさせろと言ってくるだろう。そうなったら……この街の漁業はおしまいだ。やはり最初に断るべきだった。金を一度受け取ってしまった以上、これから何が起ころうとも、我々はそれに加担したことになる。部下の目を誤魔化すのも、そろそろ限界だ……街を護るためにも、今ここで、国に正直に申し出るべきではないのか?」
「けど……けどよォ!」
落ち着いた声音で諭すように語るネグルと、納得いかない様子のアスドワ。
ここまでの会話で、おおよその背景が掴めた。
どうやらジーファという名の権力者が、山賊を使って『風別ツ劔』を探させているらしい。
最初は海の中を調べるつもりで、イリオンの漁業水域の半分を占拠させろと言ってきた。それを拒もうとしたところ……ブルーノの噂が舞い込んできた。
ジーファは海での捜索をやめる代わりに、ブルーノへの手荒な調査に目をつぶれと、『保安兵団』に金を積んだのだ。
イリオンの海を護るため、彼らはそれを飲んでしまった……と、恐らくこのような顛末だろう。
イリオンの海を占拠できる権限と、『保安兵団』をも黙らせる経済力を併せ持つ、ジーファという人物……
それが、『風別ツ劔』を探している。
王都に住まう上流貴族の名は一通り頭に入っているクレアだが、覚えのない名だった。
……一体、何者……?
そして、何が目的なんだ……?
……そう、考えを巡らせるクレアの頭を。
──ぽつ。
と、冷たい水の粒が叩いた。
頭上を見上げると……薄日が差す雲の間から、ぽたぽたと雨が降ってきた。
朝から曇ってはいたが、それほど厚い雲ではなかったのに。
雨……
クレアは、ハッとなる。
そして、放ったままだった剣や上着を急いで拾うと。
エリスたちを見送った船着場へと、駆け出した。