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9-4 星屑でいと




 星の綺麗な夜だった。

 遠く東の空には、糸のように細い月が、妖しく微笑むように浮かんでいる。


 二人は、海沿いの道を遠回りして帰ることにした。

 賑やかだった飲み屋街を離れ、左手に暗く静かな海を臨み、歩く。

 聞こえてくるのは互いの足音と、堤防を叩く波の音のみ。



 その堤防の上を、エリスは両手を広げながら歩き、



「流れ星でも落っこちてきそうな空ね」



 頭上を仰いで、そう言った。

 それに、堤防の下を歩くクレアもつられるように空を見上げ、



「本当に……夢みたいに、綺麗な晩ですね」



 独り言を呟くかのように、そう答えた。



「ステーキ、美味しかったわね」

「……ええ、とても」

「ご飯も、いいお米使ってたよね。お腹に余裕があれば、おかわりしたいくらいだった」

「……そうですね、確かに」

「パンも美味しそうだったなぁ。斜め前の席のおじさんが食べていたの。付け合わせにも手を抜かないのは、いい店の条件の一つよね」

「……はい、おっしゃる通りで」

「…………ねぇ、ちょっと」



 そこで、エリスは足を止め、



「さっきからなんなの、そのカンジ。完全に上の空じゃない」



 と、堤防の上からクレアを見下ろし、文句を言う。

 すると彼は、ゆっくりと彼女の方を振り返り……

 わなわなと、震えながら。



「……いや、これ本当に現実なのかな、と思いまして。ちょっともう、エリスの可愛さが次元を超越しているというか……ポニーテールにしてきた辺りからおかしいと思っていたのですよ。こんな都合の良いこと、あるのかなって。その上、『遠回りして帰ろう』だなんて……ああ、やっぱり夢です。夢オチに決まっています。夢だから、こんな……貴女との食事も、夢のように楽しくて。ずっと終わらなければいいのに、だなんて願ってしまって……」

「あああもうストップストップ!! ちょっと一回黙って!!!」



 うわ言のように語るクレアを、エリスは顔を真っ赤にして止める。

 それから、



「……そ、そんなにヘン? 現実のあたしが……こんなことしちゃ」



 口を尖らせ、ポニーテールの先をくしゃっと握りながら言うので。

 クレアはその姿を、半ば放心状態で、ぽーー……っと見つめ。



「………エリス。キスしてもいいですか?」

「は?! 何言ってんの、ダメに決まってんでしょ!!」

「抱きしめるのは?」

「それもダメ!」

「……なら」



 すっ。

 と、クレアは右手を差し出し、



「……隣に立つのは?」



 そう、微笑んだ。

 エリスは、しばらく口を噤んでから……



「……ん」



 その手を取った。

 エリスの力も借り、クレアは堤防の上へひょいっと飛び乗る。



「ありがとうございます」

「……別に、これくらいなら」

「では、もう一つだけ。よろしいですか?」

「…………なによ」



 エリスが少し警戒しながら尋ねると。

 クレアは、その場にストンと腰を下ろし、



「ここに座って……一緒に、星を眺めませんか?」



 自分の隣をポンと叩きながら、そう、お誘いした。


 エリスは、自分の心臓がとくん、と脈打つのを感じながら。



「……まぁ……それくらいなら」



 と、大人しく彼の隣に腰を下ろした。




 二人の目の前に広がる、夜の海。

 月明かりが海面に"光の道"を作り出し、キラキラと揺らめいていた。

 昼間とは違う表情を見せる景色に、エリスはまるで別世界に来てしまったかのような感覚に陥る。


 チラ……と横を見ると、クレアも隣で、何も言わずにそれを眺めていた。

 その沈黙が、雰囲気が、エリスはどうにもむず痒くて。



「……魚も今ごろ、海の中で寝ているのかしら」



 なんて、大して疑問にすら思っていないことを口にしてしまう。

 それにクレアはくすっと笑って、



「さぁ、どうでしょうね。こんな波の中眠ったら、知らない内に流されてしまいそうですが」



 という軽口を返してくるので、エリスは少しほっとする。



「そうやって毎日波に揉まれているから、魚は美味しいのかしら」

「ああ、常に塩揉みされている的な」

「そうそう。よく考えたら大変よね、ずっと泳いでいないといけないんだもの。オチオチ寝てもいられないでしょうよ」

「油断していたら自分より大きい魚に食べられてしまいますしね」

「確かに! うわぁ、魚の人生ってなかなかにハードモード……で、無事大人になったらなったで人間に食べられるんでしょ? ああ……これからは今まで以上に感謝して食べよ」

「そうですね。今日食べたような肉も最高ですが、魚もとても美味しいですからね」

「うんうん。モノイワズなんか、肉に匹敵する脂の乗り方していたもんね。あれこそお酒に合うんじゃない?」

「恐らく、そうでしょうね。実際食べていないので、わからないですが」



 という、クレアの返答に。

 エリスは、ぱちくりと目を(しばた)かせる。



「……え? クレア、あの時食べなかったんだっけ?」

「はい。貴女が食べている最中にブルーノさんが現れてしまったので、結局そのまま」



 それを聞いた途端。

 エリスの顔が、サーッと青ざめる。



「ご……ごめ……あたし、一人で夢中になって食べちゃって……」

「いえいえ、いいのですよ。元々貴女に食べてもらいたくて、あの店に行ったのですから」

「でも……あんなに美味しいもの、食べられなかっただなんて……あ、明日もあのお店やってるかな。絶対に食べたほうがいい。食べなきゃ後悔するわよ」

「あはは、そんなに美味しかったのですか? では、明日また行ってみましょうか。シルフィーさんも食べていませんでしたから」



 と。

 彼の口から出た、シルフィーの名に。

 エリスはまた……胃の辺りがグルグルするのを感じ。



「……そういえばさ」



 彼女は、伺うようにクレアの方を見ながら、



「……あの時、シルフィーと……どんな話をしていたの?」



 そう尋ねてくるので、クレアは首を傾げる。



「『あの時』とは、いつのことでしょうか」

「……ほら、あたしが船で戻って来た時。二人で船着場にいたでしょ?」

「あぁ、あの時ですか。まさに、貴女の話をしていましたよ」

「は……はぁ? あたしの話?」

「はい。シルフィーさんもエリスを見習って、"使えるものはなんでも使う"精神で生きていくと、そんな話をしていました」

「……ほんとに?」



 ジトッ、とした目で見つめられ、クレアは少し戸惑う。

 ……本当は、エリスを愛していて、それをいつ伝えるのか、というような話をしていたのだが……

 そんなこと、本人に伝えられるはずもないので。

 クレアは、いつものように穏やかな笑みを浮かべて、



「……本当ですよ」



 そう返した。

 すると、



「……それってさ」



 エリスは。

 ぱしっとクレアの右手を取り、



「……こんな風に……手を握りながら、するような話なの……?」



 なんて、眉を顰めて聞いてくる。

 クレアは……その問いかけと、いきなり握られた手の感触に、口を開けて驚く。



「……見ていたのですか?」

「なっ! ちが、たまたま見えちゃったのよ! あんたらが仲良さそうに手を取り合っているのが!!」

「……『仲良さそうに』、ですか。それで?」

「えっ?!」

「それを見て、エリスは……どう思ったのですか?」

「ど、どうって……」



 顔を覗き込むように、質問を返すクレア。

 その真っ直ぐな視線に、エリスはなんとなく逃げ場のなさを感じる。


 やがて、観念したのか。

 ……拗ねたように、目を伏せて。




「……なんか…………………ちょっと、ヤだった」




 蚊の鳴くような声で。

 そう、答えた。


 刹那。



「……ぐほぁッ!!」



 クレアは、吐血した。



「え?! なに?! どうしたの?!」

「す、すみません……ちょっともう、キャパシティーがオーヴァーしちゃって…………あの、エリス。これは私の願望混じりの質問なので、そのつもりで聞いていただきたいのですが……」



 ごくっ。と、彼は一度息を飲んでから。




「……それって、つまり…………ヤキモチを、妬いてくれたということですか……?」




 彼女の手を握り返して。

 そう、尋ねてみた。

 すると、



「………………はぇっ??」



 エリスは、今まで聞いたことのないような素っ頓狂な声を上げた。

 そして、みるみる内に顔を真っ赤に染めて、



「や、や、ヤキモチって……! 何言ってんの?! それじゃあまるで、あたしがあんたのこと……!!」




 好きみたいじゃない!!



 ……と、頭の中で叫んだその言葉に。

 エリスは……自分自身で、フリーズする。





 え……あれ?

 …………ス、キ……?


 ……いや、待て待て。そんなはずはない。

 あたしがこんな……

 こんな、変態のことを…………


 ……だけど、あれ??

 そうだとしたら、全て辻褄が合う。

 ここ最近、自分の中に湧き起こったよくわからない感情にも……全て説明がついてしまう。


『可愛い』と言われて動揺したのも。

 キスを受け入れそうになったのも。

 フレンチトースト作ってもらって、ときめいたのも。

 他の(ひと)といるところなんて見たくないと思ったのも。


 もう少しだけ……二人きりでいたいと、そう思ってしまっているのも。


 全部、ぜんぶ、ゼンブ。

 世間一般で言うところの、"恋愛感情"というヤツに、当てはまるのではないか……?



 ……うそ。ほんとに?

 ほんとに、あたし……

 クレアのことが…………



 す……………………………






 ───ぷしゅぅぅうっ。



 脳内回路が導き出した答えに。

 エリスは顔から湯気を上げて、ショートした。



「……え……あ、あれ?? どどどど、どうしよう……あ、ああああたし……」

「だだだ大丈夫ですかエリス。落ち着いて。すみません。私が変なことを聞いたばかりに、混乱させてしまいましたね。今のは忘れてください」



 目をぐるぐる回し取り乱す彼女を、クレアも慌てて宥める。



「……あの時は本当に、貴女の話をしていたのですよ。決して、シルフィーさんに変なことをしていたわけではありません。手を握られたのも、『これからも頑張りましょう!』みたいな流れの中で、たまたまそうなっただけです」



 ……嘘は言っていないぞ、嘘は。

 と、クレアは内心言い訳をする。



「それにエリスだって、先ほどブルーノさんの手を取ってお礼を言っていたじゃないですか。それと同じ感覚ですよ」

「……あたし、そんなことしたっけ?」

「していました。ステーキ屋さんを教えてもらった時に、こう、手をぶんぶんと」



 言われて、エリスは「うーん」と天を仰ぎ記憶を遡る。そういえばそんなこと、していたような……



「だから、安心してください。シルフィーさんとの仲を疑われるようなことは、何もしていません。ヤキモチではなく、心配していたんですよね? シルフィーさんが、私にセクハラされてはいないかと」



 ここまで疑われるとは……日頃エリスにセクハラをし過ぎた報いだな。

 などと、クレアは一人反省するが……



「…………しれないんだけど」



 波の音に消されそうなくらい微かな声で。

 エリスが何かを呟く。



「え? なんて……」



 聞き返すクレアに。

 エリスは赤い顔のまま、彼を睨みつけて、




「……だからっ。……ヤキモチ……………かも、しれないんだけど」




 ぽそっと、言い放った。



 クレアはその言葉の意味を正しく理解するのに、少し時間を要した。


 ヤキモチ、カモ、シレナイ……?


 と、いうことは……………………





「………………………………ん????」




 顔に笑みを貼り付けたまま、クレアはダラダラと汗を流す。

 解は導き出されているはずなのに、「そんなはずはない」と脳がそれを拒絶しているのだ。


 見たことのない反応をするクレアに、エリスは慌てて手を振り、



「な……なぁんてね! 冗談よ、ジョーダン! あんたにいつもやられてるから、そのお返し! あは、あはははは!!」



 なんて、(おど)けてみせた。

 彼女の乾いた笑い声を聞き、クレアは冷静さを取り戻す。

 そして……



「……ふーん、なるほど。冗談でしたか。なら……」

「きゃっ」



 とさっ。


 クレアは、いきなり。

 エリスの身体を、押し倒した。


 そして……彼女の赤い瞳をぐっと覗き込んで。




「……これも、冗談だと思っていただいて結構ですが……私の目にはもうずっと、貴女しか映っていないのですよ。こんな風に、隙あらば触れてやりたいと、常にその機を狙っています。そんな相手……この世でただ一人、貴女だけです。だから、他の誰かに嫉妬する必要なんてありませんし……冗談の内容次第ではこんな風に襲われてしまいますから、くれぐれもお気を付けくださいね。わかりましたか?」




 もう、あと少しでも近付こうものなら唇が触れ合ってしまいそうな距離で。

 低く、腹の底に響くような声で、そんなことを囁かれたものだから……


 エリスは……これ以上ないくらいに顔を紅潮させ、



「…………は、はひ……」



 完全に返り討ちにされた、と。

 冗談めかしたことを、激しく後悔した。


 涙目になって固まるエリスに、クレアはにっこり微笑んで、



「はは。すみません、脅かすような真似して。どうですか? びっくりして、お腹もこなれたのではありませんか?」

「う……うん! もうすっかり落ち着いた! めっちゃ消化した!!」

「そうですか。では、そろそろ帰りましょうか」

「うん! そうしようそうしよう!」



 首をぶんぶん縦に振って、エリスはクレアに手を引かれ起き上がる。

 そして……その手を繋いだまま、彼が歩き出すので。



「あ、あれ? あの……クレア?」

「なにか」

「……その…………手」

「はい」

「……繋いで、帰るの?」

「いけませんか?」

「いけない、っていうか……」



 ちら……っと、エリスが頬を赤らめたまま、クレアを見上げる。と……

 彼もまた、微かに顔を赤くしていて……


 …………え?

 まさか……照れている……?


 と、エリスは信じられないものを見るような目で彼を見つめ。



「…………なにそのカオ」

「……いや、今まで散々いやらしいことしてきたのに、いざ普通に手を繋ぐとなると、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしくてですね……」

「じゃあやめればいいじゃない!」

「それは嫌です。この小さくてすべすべな手を、もう少し堪能させてください」

「気持ち悪いこと言うな! このヘンタイ!! 離せ!!」

「離しません。だいたいエリスが可愛すぎるのが悪いのです。完全に調子が狂いました。これはもう帰って全身測らせていただくより他ありません」

「なんでそうなる?! そんなん絶対させないんだからっ!! 離してよ!!」



 手をぶんぶん振って振り解こうとするエリスと、それを決して離さないクレア。

 二人はその後も離す・離さないでぎゃーぎゃー騒ぎながら、結局手を繋いだまま。


 ……ブルーノの家の前まで、戻ってきた。



『……………………』



 それまで散々騒いでいた二人だったが、家を前にしてピタリと静かになる。

 そしてそのまま、どちらからともなく、扉の前で足を止めた。


 ブルーノとシルフィーの待つ、この扉の向こうに帰ってしまったら。

 ……なんだか、全ての魔法が解けてしまうような気がして。



「……………………」



 本当に、夢のような時間だったと、クレアは思う。

 たぶん、今まで生きてきた中で、最も幸福な時間だった。

 自分が為すべき任務のことも……忘れそうになるくらいに。



 ……でも。

 いや、だからこそ。

 この夢は、もう終わりにしなくては。



 クレアは、覚悟を決めたようにエリスの手を離すと。

 彼女の前に、向き合うように立ち。



「……エリス。ちょっと、抱きしめます」

「へ? な、何を……ひゃあっ!」



 ぎゅっ。

 と、正面から抱きしめた。



「ちょ……! なにすんのよいきなり!!」

「いきなりではありません。ちゃんと断りを入れました」

「言えばいいってモンじゃないし、いいとも言ってない!」



 もぞもぞと暴れるエリスを、クレアはしっかりと腕の中に閉じ込め。

 そっと耳元に、唇を寄せ、



「……ちゃんと、言っていなかったなと思って。ポニーテール、やっぱりすごく可愛いです。私のためにわざわざ結ってくれたのであれば……とても、嬉しいです」



 そう、囁いた。

 途端に、エリスは胸の奥がきゅーっと締め付けられ……



「ち……違うっ! これは、ステーキを食べるのに、気合いを入れようと思って……!」

「エリス、キスしてもいいですか?」

「って、ヒトの話聞いてる?!」

「聞いていますよ。で、いいですか? キスしても」

「ぅ……だ、ダメだって、さっきから言ってんでしょっ」

「ほっぺにするのは?」

「ダメ!」

「おでこは?」

「……それもダメっ」

「そうですか……なら」



 すっ、と。

 クレアは、エリスの両頬に手を添え、



「舌を、出していただけますか?」

「…………へ?」

「キスするのがダメなら……舌と舌を触れ合わせることで我慢します。これなら唇は触れませんし、キスではないので、セーフですよね……?」



 ……などという、完全に支離滅裂な謎の変態理論をぶちかまされ。

 エリスは、硬直する。

 ただでさえいっぱいいっぱいになっていた頭の中を、さらに混乱させられてしまい…………


 結果、



「…………た、たしかに」



 エリスの脳は、ポンコツな答えを導き出してしまった。

 クレアは妖しく微笑むと、



「では……舌を出してください」



 彼女の顎をくいっと上げて、そう命じた。

 それに、エリスは……少し恥じらいながらも、大人しく応じる。


 目を伏せ、頬を染めながら、恥ずかしげに舌を出す彼女の姿に……

 クレアは、興奮のあまり喉をごくっと鳴らした。




 嗚呼、夢にまで見た、エリスのピンク色の舌……

 それが今、無防備に、目の前に晒されている。


 彼は、舌を出し。

 ゆっくりと、彼女に近付く。


 彼女の無垢な舌に、自分のが触れて……


 触れ…………





 ……………………と、あと少しというところで。





「……って、やっぱオカシイでしょこんなの!!」




 我に帰ったエリスが、クレアをドンッと突き飛ばした!

 突然押された彼は、バランスを崩して後ろによろめき……

 その、たたらを踏んだ足の先が。



 ──ズボッ!



 抜けた。


 そこで、エリスは思い出す。

 ……自身が仕掛けた、対チンピラ用落とし穴(底にトゲトゲ付き)の存在を。



「…………あ」



 エリスは何か言おうとするが、時すでに遅し。

 クレアは後ろに倒れこむようにして、穴の中に…………



「…………ぎゃぁぁあああああ!!」



 落ちていった。




「……………………」



 底に到達したのか、絶叫が止む。

 エリスは穴の淵に立ち、真っ暗な底をそろ……っと覗き込むが……何も見えず。


 そして無言のままそれを跨ぎ、ブルーノの家の戸を開けた。

 すると、結局酒盛りしていたらしいブルーノとシルフィーがこちらに気付き、



「あぁ、エリスしゃん! おかえりなしゃい! あれ? クレアしゃんは?」



 赤ら顔で、シルフィーが尋ねてくる。

 エリスは、額に汗を浮かべながら、気まずそうに目を逸らして、



「……………し、死んだ」

「え?」



 首を傾げるシルフィーに、それ以上何も言わず。

 彼女は、家の戸を、そっと閉じた。






 ──その扉の外。穴の底では……


 トゲに到達するギリギリで、穴の壁面に剣を突き立てぶら下がったクレアが、生きていた。


 計算通り。彼女は見事に穴の中へ突き落としてくれた。



 ……そう。今は、これでいい。

 ここから先は、ちゃんと、彼女に気持ちを伝えてからだ。

 そのためにも……為すべき任務を、終えなければ。



 彼は、自分自身の手によって終わらせた、夢のような時間を振り返り……

 ……やっぱ、ちょっと惜しいことしたかも、なんて。

 ほんの少しの後悔をしながら。



 「はぁぁ」と、大きなため息をついた。



 

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