9-3 星屑でいと
エリスが何を言いかけたのか、非常に気になるところではあるが。
グラスをテーブルに置き、あからさまに目を泳がせる彼女を見て、クレアはそれ以上の追求はやめることにした。
代わりに、
「そういえば……ブルーノさんの漁に同行してみて、いかがでしたか? 何か、イシャナの手がかりになるような収穫はあったのでしょうか」
と、彼女が答えやすそうな話題を振ってみた。
実際その件は、クレアも気になっていたところである。
するとエリスは、「そっ、そうそう!」と手を打ち、
「……おじいさん、やっぱり『風別ツ劔』に対して並々ならぬ執着心を持っているみたい。『劔』にまつわるあたしの考察を聞かせたら……妙な反応をしたのよ」
身を乗り出し、内緒話をするように言うので。
クレアは、スッと目を細めてから……
「……詳しく、お聞かせ願えますか?」
いつもの微笑を浮かべ、そう促した。
エリスは一つ頷いて、ブルーノと交わしたやりとりを再現するように語り始めた。
『風別ツ劔』の構造について、真剣に考察してみたこと。
その結果、伝説にあるような力を持つ劔を生み出すことは不可能であるという結論に至ったこと。
しかし、現代の技術では無理でも『王との離別』以前の時代であれば可能だったかもしれないこと……
「なるほど……『王との離別』という概念は、私も初めて耳にしました。なかなか興味深いですね」
「やっぱりあんま知られていないのね、この説。あたし、自分がこんな体質だから、もしかすると本当にそんな時代があったんじゃないかなぁ、なんて思っていたりするの。ま、本当にその時代に伝説の劔が作られていたとしても、数百年経った今の世に残っているとは思えないけどね。……っていう話を、おじいさんにしたのよ。劔を持っているなら、『そんなものありえない』って否定された時に何か反応を示すんじゃないかと思って。そしたら……やけに低い声で、こんなことを言ってきたの」
エリスはそこで言葉を止め、神妙な面持ちになり、
「………作ることは、無理だとしても………それを…………」
「………………」
張り詰めた雰囲気に、クレアも思わず息を飲む。
『風別ツ劔』の在り処を示す重要なヒントか……?
と、続く彼女の言葉を待つが……
………しかし。
「………って、そっから先が聞こえなかったのよね☆」
てへっ☆ と頭を叩くエリスに、クレアはガクッと項垂れた。
「いや……そこ、めちゃくちゃ重要なところだったのではないですか?」
「だってぇ、聞き直してもはぐらかされちゃったんだもん。あんまり問い詰めてヘソ曲げられても困るしさぁ。せっかくここまでお近付きになれたんだから、慎重にいきたいじゃない? それに……」
それに。
と、エリスはあの時のことを思い出す。
ブルーノとの会話の直後。
クレアとシルフィーが仲睦まじく手を取り合っているのを目撃してしまい。
……何故だか胸が騒ついて、そのことで頭がいっぱいになり……
だからブルーノに、それ以上何も聞けなくなってしまったのではないか。
「…………………」
例の光景が脳裏に蘇り、エリスの心に、再びモヤモヤとしたものが渦巻く。
黙り込んでしまった彼女を、クレアは心配そうに見つめるが……
「………エリス……?」
「……あ、あんたのせいよっ!!」
突然、理不尽に怒鳴られ、彼は頭に「?」を浮かべる。
エリスはムスッとしてそっぽを向きながら、
「……とにかくっ。その言いかけたセリフから、ちょっとは予想ができそうでしょ? 『作ることは、無理だとしても……』ってことは、『作る』と対称的な言葉を言おうとしていたはずよ。つまり……」
続く答えを託すように、エリスは目で問いかける。
その瞳を、クレアも見つめ返して。
「………『壊す』……でしょうか」
そう、口にした。
エリスは頷く。
「恐らくね。劔の構造に興味を抱いていたのも、作りたいからじゃなくて、その逆だったのかもしれない。となると、やっぱりおじいさんは伝説の劔を持っている、ってことになるんだけど……かえって謎が深まるのよね。どうして、壊したいのかしら。あたしはてっきり、劔を使って今だ一人イシャナ漁を続けているんじゃないかと踏んでいたんだけど……」
と、腕を組み首を傾げる彼女。
確かに謎だと、クレアも思う。
ブルーノが『風別ツ劔』について何か知っているということは間違いなさそうだが……それを『壊したい』とは、どういうことなのか。
持っているにしても、あの家の中にも、漁船の中にも置いてはいないようである。
一体、何処に……何を、隠している……?
エリスは水差しを手に取り、空になったグラスに水を注ぎながら、
「ま、いつかボロを出すだろうから、もうちょっと付き纏うことにするわ。今日、報告書を送ったんでしょ? 軍部が到着するまでの数日間、ここからが勝負ね。漁についていけば運良くイシャナを見つけられるかもしれないし、明日も早朝からアタックするわっ」
言って、水を一口飲む。
クレアはそれに、困ったような笑みを浮かべ、
「それは構いませんが……いつあのチンピラたちがやってくるのかわからないのですから、十分に注意してくださいね」
「大丈夫よ。あんた、あたしがあんな連中に負けるとでも思ってんの? またちょっかい出してこようもんなら、取っ捕まえてイシャナ釣りのエサにしてやる」
などと、非常に頼もしいことを言うが……
"水瓶男"の件を知らないのだから、そう考えるのも無理はない。
彼女が危険に巻き込まれる前に、どうにかして敵の実態と目的を掴まなくては。
……と、クレアが考えたところで。
「はい、お待たせー。リブロース三〇〇グラムと、こっちが四〇〇ね」
ジューッ! という音と共に、ウェイターが鉄板に乗った分厚いステーキを目の前に置いた。
途端に鼻を掠める香ばしいにおい。
エリスはガタッ! と身を乗り出し、
「きゃーっ♡ キターーっ♡♡ すっごいボリューム! 美しい焼き目っ! それに、この音……なんて食欲をそそる調べなの? どんなに素晴らしい演奏家も、ここまで本能にぶっ刺さる音は奏でられないわっ♡」
なんて、演奏家が聞いたら怒るか呆れるかしそうな発言をしつつ、目にハートを浮かべる。
そんな彼女を落ち着かせるように、クレアは「どうぞ」とナイフとフォークを差し出す。エリスは「ありがと」と言いながら受け取り、椅子に座り直した。
「準備はいい?」
「もちろんです」
「ではっ。いっただっきまーすっ♡」
言うが早いが、エリスはナイフでステーキを切り始めた。
そして、手頃なサイズにしたそれを、ぱくっと一口頬張る。
刹那……
「…………………んんんぅ……っ♡」
彼女は目を閉じ、しっかりと咀嚼しながら、悶えるような呻き声を上げた。
それは、彼女の想像通り……いや、想像以上の味だった。
まず、この歯触り。所謂"外カリッ、中ジュワッ"である。
肉の繊維がしっかりとしていて、非常に噛みごたえがある。だが決して硬いわけではなく、口の中でほろほろと解ける、そんな肉質だ。
噛む度に溢れ出る肉汁のなんと甘いことか。これは塩コショウで正解。余計なソースなど不要である。
それから、なんと言っても鼻から抜けるこの炭火の香り。香ばしさがプラスされ、肉の旨みを最大限に引き出している。
嗚呼、食欲が掻き立てられてたまらない……早く米を…米で美味さを中和しなければ、もったいなさすぎる。
……と、うっとりした顔で最初の一口をこくっと飲み込んでから。
一言。
「………このステーキが人なら、間違いなく死刑ね。
業が深すぎる」
「……それは、『美味しい』という意味ですか?」
「そう聞こえなかった? ていうかヒトの顔ばっか見てないで、さっさと食べなさいよっ」
エリスの蕩け顔をじっくり堪能していたクレアは、彼女に咎められナイフとフォークを動かし始める。
そして、同じように一口頬張ってみた。
その様子を、目の前のエリスが『どうどう?美味しいでしょ?』と言わんばかりに見つめてくるので、彼は少し笑いそうになりながら、
「………うん、これは美味い。肉の旨みが、炭火で焼くことで完全に閉じ込められていますね。食感も、分厚いのに筋っぽくなくてサクッと食べられます。赤身と脂身のバランスも良い。肉本来の味を引き立てるシンプルな塩コショウの味付けも抜群です。いやぁ、ブルーノさんが他所者に教えたくないと言うのにも頷けますね」
と、立て板に水が如く淀みない講評を述べると。
エリスは、ぱぁぁあっ! と顔を輝かせ、
「そうそれ! あたしが言いたかったのはそれなのっ! さすが味のわかる男! 百点っ!!」
「ありがとうございます」
どうやら彼女と同意見だったらしい。百点をもらい、クレアは思わず顔を綻ばせる。
エリスとはよくこうして味の感想の答え合わせをするが、意見が合致するのが嬉しいのか、毎回子どものようにはしゃぐ。
その様を見ることは、彼女との食事におけるクレアの楽しみの一つでもあった。
クレアの感想が聞け満足したのか、彼女は再びナイフを忙しなく動かし、
「さぁ、アツアツの内に食べちゃいましょ! うわっ、見てこの中の焼き加減! 絶妙じゃない? まさにプロの御業ね!」
幸せそうな笑みを浮かべ、夢中でステーキを堪能する。
……どんな表情の彼女も好きだが。
やはりこうして、美味しいものを食べて楽しそうにしている時が一番彼女らしい、と。
その無邪気な笑顔を、クレアは愛おしげに見つめるのだった。
「──あぁ〜お腹いっぱい♡ 三〇〇グラムぺろりだったわ♡」
「はい。最後の一口までしっかり美味しかったです」
店を出て、二人は幸福感で満たされた腹をぽんと叩いた。
少しひんやりとした夜の空気を、エリスは深く吸い込む。
そして、星が散りばめられた夜空を見上げながら、
「あぁ……ほんとに、美味しかったなぁ……」
しみじみと、ため息をこぼすように呟いた。
それを横目で眺め、クレアは微笑む。
本当に、楽しい時間だった。
もちろん、シルフィーやブルーノのいる大勢での食事も賑やかで楽しいが。
……二人きりでの食事は、やはりどこか特別に感じられる。
だから、それが終わってしまうのが、なんだかとても名残惜しくて。
これが最後の機会というわけでは、ないはずなのに。
嗚呼、二人だけの時間が、もう少しだけ続けばいいのに、だなんて……
そんなことを、心の隅で願ってしまうのだ。
だが、家に残してきたブルーノたちのことも心配である。
後ろ髪を引かれまくる思いだが……ここはしっかりと、割り切らなければ。
そう自分に言い聞かせ、クレアは、
「……帰って、ブルーノさんにお礼を言わなければなりませんね。こんなに美味しいお店を教えていただいたのですから。この街に滞在している内に、シルフィーさんも来られると良いですね」
エリスに語りかけながら、ブルーノの家を目指し歩き始めた。
しかし、
「…………………」
エリスは、その場に足を留めたまま、動こうとしなかった。
彼女の足音がついて来ていないことに気が付き、クレアは振り返る。
「……どうかしましたか? エリス」
そう尋ねると……
彼女は何か言いたげに口を開きかけたり、かと思えば考え込むように俯いたり……ということを何度か繰り返した。
そして、
「……あ、あのさ、クレア。その……お腹いっぱいで、腹ごなししたいから……」
きゅっ、とスカートの裾を握りしめ。
彼女は、意を決したように顔を上げて。
「……ちょっとだけ……遠回りして、帰らない?」
震える声音で、ようやく絞り出した言葉を。
真っ直ぐに、彼に伝えた──