8-3 純心キャラメリゼ
あっちもこっちも
香ばしく、煮詰まってまいりました。
正面からぶつけられた、シルフィーの問いかけに。
クレアは少し、驚いたような顔をした。
シルフィーは続けて、
「……エリスさん、あなたのことをただの女好きのスケベだと思っていますよ? いいんですか?それで」
……と、ジトッとした目をして言った。
それに、クレアは声を出して笑って、
「なるほど。それで昨日、あんなことを」
「昨日……? エリスさんと、なにかあったんですか?」
「いいえ、何も」
シルフィーが興味深そうに詰め寄ってくるが、クレアは静かに首を振った。
それから、自身の喉元に手を当てて、
「……本当は、何度も喉まで出かかっているのですよ。好きだ。愛しい。って。彼女を見ていると、三分に一回は言いたくなります」
「……結構な頻度ですね」
「そうなんですよ。だから、一度でも口にしたらもう抑えが効かなくなって、気持ちがダダ漏れになってしまう気がして」
「それは……確かにまずいですね。今でさえ時々、結構な変態発言が口から溢れていますから」
「でしょう? だから……一番大切な気持ちは、言わずにとっておいてあるんです」
そして。
クレアは、頭上に広がる青い空を見上げた。
言ってしまうのがもったいないという気持ちは、もちろんある。
だが、それ以上に……
"水瓶男"の件を解決するまで、自分のことは後回しにしなければ、という思いが強かった。
彼女に気持ちを伝えたら、満足してしまって、いろんな決意が揺らぎそうで……
そうなったら、自分を息子のように育ててくれた恩師に合わせる顔がない。
エリスを愛しているからこそ、その父親の無念を晴らすのは、自分でありたい。
それまで、この想いは……一番大事な想いだけは、言わずにとっておこうと思うのだ。
ある意味、願掛けなのかもしれないな、と。
そんな本音を、胸の内で呟いてから。
「いま気持ちに歯止めが効かなくなったら、仕事にならないですからね。少なくともブルーノさんの護衛が終わるまでは、言うつもりはありませんよ」
「じゃあ、無事に仕事を終えて、『今だ!』ってタイミングが来たら、伝えるんですか?」
ワクワクした声音で尋ねるシルフィーに、クレアは一度考えるように口を閉ざす。
……そして。
「……そうですね。すべての仕事が片付いて……内に留めておけないくらいに、愛しさがこみ上げてきたら、その時は言ってしまうかもしれません。『貴女を愛している』……と」
そう言って、優しく微笑んだ。
その誰もが見惚れるような微笑に、シルフィーも思わずぽー……っと惚けて。
はっ! と我に帰り、頭を振ってから、
「……なんだかフラグっぽいですね、そのセリフ」
「フラグ? 何フラグですか?」
「死亡フラグです」
「えぇー、なるべくなら死にたくないのですが」
「ふふ。すみません、冗談です。エリスさんとお付き合いできるその日まで、死ぬわけにはいかないですもんね」
そう言って、シルフィーが笑うので。
クレアも、爽やかな笑みを浮かべて、
「いえ。別に付き合えなくとも、彼女の側にいる方法はいくらでもあります。拒絶されたら、また元のストーカーに戻るまでですよ」
「あはは、そうですよね。………………って、え?」
さらりと放たれた言葉に。
シルフィーは、耳を疑う。
「……あれ、気のせいかな。今、ストーカーって……?」
その問いかけに、「冗談ですよ」の一言が続くのを待ち、クレアの方をじっと見つめるが……
彼は何も言わずに、にこにこするのみで……
「…………」
にこにこ、するのみで……
「…………………」
ひたすら、にこにこするのみで……
「………………………………」
まだまだ、にこにこするのみ
「いやなんか言ってくださいよ! 怖いですって!! 目笑ってないし!!」
たまらずシルフィーは、声を張り上げた。
クレアは笑みを浮かべたまま、ぽんと手を叩いて、
「ああ、エリスと私以外の全人類を殺すのもアリですね。そうすれば自ずと、二人きりになれます。ストーカーでいるよりもずっと、能動的ですよね」
「何その大魔王みたいな発想!? 全然アリじゃないんですけど!! っていうか、え?! ホントにストーカーだったんですか?! ……ああいや、やっぱり言わなくていいです聞くのが怖い!!」
と、ツッコんだり耳を塞いだりで忙しいシルフィーである。
「(なんてこと……告白がうまくいかなかった時点で、殺戮の魔王の爆誕が確定しているだなんて……! しかもこの人なら本当にやりかねないし、やれてしまいそうなのがまた怖い!! これはなんとしてでも、恋人同士になってもらわなくては……!!)」
彼女は、心を決めたように目を開くと。
ガシィッ! とクレアの手を掴んで、
「人類を護るためにも、エリスさんとのこと、全力で応援します! 私にできることがあれば、なんでもおっしゃってくださいね!!」
力強く、そう言った。
クレアは一瞬驚いて口を噤むが……
すぐにまた、微笑んで。
「なんだかよくわかりませんが、ありがとうございます。では早速……先日揉みしだいたエリスの胸の感触について、詳しくお聞かせ願えますか?」
「だぁから!! そういうとこですよアナタ!!!」
ブンッ! と手を振り払ったシルフィーの絶叫が、イリオンの港にこだました……
──ほんの少しだけ、時間は遡り。
場所は、大海原に浮かんだ小さな漁船の上。
心地良い潮風を浴びながら、エリスは頬を押さえ、
「んんん〜っ♡ やっぱり獲れたてが一番っ! 身の締まり方が違うわっ。釣ったその場で食べられるだなんて、幸せの極み〜っ♡」
ブルーノが釣り、ブルーノが捌いた魚の刺身を、うっとりと堪能していた。
その後ろで、ブルーノが船を操舵しながらため息をつく。
「まったく……お嬢ちゃんに食べさせていたら、すっかり遅くなっちまったわい」
「いーじゃない、お魚獲るお手伝いしたんだから。お駄賃よ、お駄賃♡」
「自分で言うな。あーあーそんなに食べて……今日の晩メシは材料不足で、大したモン作れんからな!」
「え? ご飯作るのは今回限りだって、昨日言ってなかったっけ? 今日も作ってくれるつもりでいたの?」
刺身を頬張りながら尋ねるエリスに。
ブルーノは「しまった」という顔をしてから、そっぽを向いた。
エリスは「ふふん」と笑って、
「ありがと。でもヘーキ。今夜は他所に食べに行くつもりだったから。毎晩お世話になるわけにいかないしね。それより、おじいさん」
空になった皿に、「ごちそうさまでした」と手を合わせてから。
「昨日の質問、あれからじっくり考えてみたんだけどさ」
「……質問?」
「ほら、言ってたじゃない。『風別ツ劔』の本物がもしあったら、あたしの魔法と同じような仕組みなのか、って」
するとブルーノは、眉をピクッと動かし、
「あ、ああ……それがどうした」
「封魔伝説によれば、『風別ツ劔』ってのはたった一振りで海を裂き、山を別つほどの風を生み出すのよね。それっておそらく、剣自体から無限に風が出せるってことだと思うの。あたしが昨日作ったニセモノは、あくまで風の素となる精霊を剣の周りに纏わり付かせただけ。だから、時間が経つと剣から精霊が離れてしまう。もし……本当に伝説の劔があるのだとしたら、剣の内側に何かしらの魔法が施されているんじゃないかと思うのよ。そして、あたしの知り得る限りでは……それは不可能」
「……そうなのか……?」
真剣な表情で聞き返すブルーノに、エリスは頷く。
「昨日話した通り、あたしは精霊を味とにおいで識別できる特異体質だけど、精霊ってのは本来人間には認識できない、不安定で不確かな存在なの。それをコントロールして、武器と一体化させるだなんて……まず無理ね。あたしにも、昨日やってみせたのが限界」
「………そう、か」
と、ブルーノは残念そうな表情を浮かべる。
それを確認してから、エリスは続けて、
「そこがお伽話のお伽話たる所以でしょ?非現実的だからこそ、人々の心に刺さるのよ。まぁ……『王との離別』よりも前の時代に作られたというのなら、それも可能かもしれないけれど」
「……王との離別?」
「古い伝承の一つよ。封魔伝説ほどメジャーじゃないけどね。
──数百年もの昔、人は今よりも自然に近い存在で、誰しもが精霊と心を通わせることができた。
しかし、人は知恵を身につけ、いたずらに文明を発展させていった。
そのため、"精霊の王"に自然界から追放されてしまった。
それが、『王との離別』。だから人間は精霊を認識できなくなった──っていうお話なの。寓話みたいだけど、真剣に研究している教授もたくさんいるのよ。案外、ほんとだったりしてね」
「ほう……確かに、精霊と心を通わせ、意のままに操ることができるのなら……そんな武器を作ることも可能、ということか」
「そ。いずれにせよ、現代の技術ではまず作れないわ。『王との離別』前の産物だったとしても、数百年前に作られたものがそのままの形で現存しているとは到底思えない。と、いうことで。魔法学院を飛び級卒業したエリスちゃんが真剣に考察した結果、『風別ツ劔』を作るのは不可能! 本物があったとしても残っているはずがない! という結論に至りました。以上。質問は?」
講義を終えた教師のように、エリスは肩を竦めて言った。
それに、ブルーノは暫し黙り込んでから……
「…………作ることは、無理だとしても……」
小波の音にかき消されるくらいの、低くて小さな声で。
「……それを…………のは……」
「えっ、何? 聞こえない!」
エリスが耳に手を当て、聞き取ろうとするが。
ブルーノは、ぱっと顔を上げ、
「いいや、なんでもない。真剣に考えてくれて、ありがとうな」
「そう? ならいいけど……にしても、なんで『風別ツ劔』なの? 封魔伝説には、他にもたくさん武器が登場するじゃない。『天穿ツ雷弓』とか、『炎神ノ槍』とか……『風別ツ劔』に、なんかこだわりがあるわけ?」
「えっ? 別に、こだわりなどはないが……たまたま、口をついて出ただけじゃ」
「ふーん。そ」
「ほれ、もうすぐ港へ着くぞ。降りる準備をしろ。……お。お迎えが待っとるようじゃ」
と、ブルーノが遥か遠くに見えてきた港に目を向け言うので。
エリスも、「お迎え……?」と目を凝らすが……
「……え、遠すぎて全然見えないんだけど」
「これで真っ直ぐ港の方を見てみろ」
舵を切りながら、ブルーノが片手で双眼鏡を渡してくる。
エリスはそれを受け取り、言われた通りに進行方向を見てみると……
「あ、ほんとだ。クレアとシルフィーがいる。……って、おじいさん。この距離で見えんの?」
「当たり前じゃ。漁師を舐めるな」
いや、それは漁師どうこうとは関係ないのでは……?
とツッコもうかと思ったが、エリスはそれを飲み込んだ。
何故なら。
覗き込んだ双眼鏡の向こうで。
クレアと、シルフィーが。
……楽しそうに、笑い合っていたから。
「…………………」
エリスは、何故か。
その光景から、目が離せなくなってしまった。
シルフィーに向けられる、クレアの優しげな眼差し。
それにシルフィーは、ぽっと頬を染める。
そしてまた、互いに笑って……
何を話しているのか、クレアの言葉にシルフィーの表情が目まぐるしく変わる。
かと思えば、いきなり。
シルフィーが、クレアの両手をぎゅっと握りしめて……
そこまで見て、エリスは。
双眼鏡から、目を離した。
「……………………」
そして。
自分の中に生まれた、得体の知れない感情に、困惑する。
なに、これ。
なんだか、胃のあたりが、ぐるぐるする。
胸のあたりが、もやもやして……苦しい。
戸惑いと、苛立ちと、悲しみが、いっぺんに襲ってきたような感覚。
嗚呼、なんで。
なんで、こんな気持ちになっているんだろう。
こんな……こんな……
……あいつが、あたし以外の女と。
あんな風に、笑い合っているのなんか……
…………見たくない、だなんて。
双眼鏡を下ろしてもなお、ぼうっと前を見つめたままのエリスを不審に思い、ブルーノが「どうした?」と声をかけるが。
エリスは、くるっと振り向いて、
「……んーん、なんでもない」
いつも通りの、明るい笑顔を浮かべ、答えた。