8-2 純心キャラメリゼ
シルフィーが提示したその仮説は、クレアにとって実に好都合であった。
ごく自然な流れで、"水瓶男"と思しき人物に関する聞き込みができる大義名分を得たのだ。エリスやシルフィーの目を盗みながら、どうやって調査を進めようか頭を悩ませていたが……これなら、コソコソする必要はない。
その後、クレアとシルフィーはイリオンの街役場にて報告書の発送手続きをおこなった。
速達用の早馬ならば、ここから王都までは二、三日だ。いちおうクレアとエリスの名も連ねておいたので、こちらが目的地に辿り着いたことをアストライアーに周知する良い機会にもなるだろう。
治安調査員の仕事をやり遂げ、肩の荷が下りた様子のシルフィーは、
「さ、ブルーノさんのやらかしについて、聞き込みをしましょうか!」
と、意気揚々と歩き始めた。
なんとなく感じてはいたが、彼女は他人の噂話やスキャンダルを探るのが好きらしい。
あまり褒められた性格ではないが……案外この仕事には向いているのかもしれないと、クレアは思う。
役場から再び港へと戻り、ブルーノとエリスが帰ってきていないかと見てみたが、まだ船はない。未だ海の上にいるようだ。
エリスたちが帰ってくるまでの間、クレアとシルフィーは船着場にいる漁師たちにブルーノのことを聞いて回った。
ブルーノに恨みを抱いていそうな人物はいないか。
あるいは、過去に諍いを起こした相手に心当たりはないか。
しかし、どの漁師に聞いても皆、口を揃えてこう言った。
「ブルーノさんに恨み? はは、そんなヤツいっぱいいるだろうよ」
クレアとシルフィーは唖然とする。
その内の、口髭をたくわえたベテラン漁師が、より詳しく話してくれた。
「あの人は、このイリオンの街を"漁業の街"として発展させた『陰の立役者』なんだ。昔、イリオンと言やぁ"金鉱の街"だった。しかし金が取れなくなってから、街は廃れる一方でな……そんな中、漁業で盛り上げようと奔走したのが、若き日のブルーノさんだったんだ。新しい漁法をいくつも考案し、密漁を取り締まり、後進の育成にも貢献して……お陰で、この街の漁獲高は年々右肩上がり。もちろん、役場の連中も街を豊かにするために頑張ってくれたが……結局は、特産品が獲れなきゃ他所から客は寄って来ないからな。今の賑やかなイリオンがあるのは、ブルーノさんのお陰だと思っているよ」
「……それが何故、『恨みを持つ人がいっぱいいる』、という話になるのですか?」
クレアが尋ねる横で、シルフィーも同調するように頷く。
すると、ベテラン漁師は声を出して笑い、
「君らもあの人に会ったんなら、わかるだろう? どうにも頑固というか、一本気すぎるんだよ。昔かたぎの職人肌だから、若いヤツらの中にはついていけない者も多くてな。育てられた漁師も多いが、あの人の厳しさを恨み、船を降りた漁師だって何人もいる。それに昔、この海域で密漁をしていた海賊ともやり合ってたって話だ。激しい海上戦の末、ブルーノさんだけ生き残った……なんて噂まである。海賊なんざ今どき流行りゃしないが、当時はそういった連中からも恨みをかっていただろうな」
「海賊……じゃあ、あのチンピラたちはその海賊の末裔! とか?」
ひらめいた! と言わんばかりに指を立てるシルフィーに、漁師は首を振って、
「いいや。あいつらはツカベック山から流れてきた山賊の一派だ。なんでも山賊団の中で内部分裂を起こしたとかで、数年前にカライヤ山に移って来た」
「カライヤ山?」
「あそこだ」
と、ベテラン漁師が指さす方向を振り向くと、街並みのむこうに一つの小高い山が見える。
「例の、金が取れなくなった鉱山だ。未だに坑道は取り壊されずに残っているから、そこに根城を張って雨風を凌いでいるんだろう」
「なるほど」
クレアは山を見上げ、考える。
『ツカベック山の山賊』というのは……先日シュークリームを買い占めるのに利用した、ワルシェ団ことではないか……?
つまり、彼らの元お仲間が、昨日のチンピラたちである、と。
であれば、やはり大した連中ではないはずだ。
そうなると、問題は……
クレアは、漁師の方へと視線を戻し、
「……では何故、『保安兵団』の方たちはこれを野放しにしているのでしょうか。ただの山賊なら、問答無用で取り締まるべきだと思うのですが……何か、理由があるとか」
核心に迫るため、そう尋ねてみた。
すると漁師は、身体を屈めて声を潜め、
「……ここだけの話、あの連中が『ボス』と呼んでいるのは、チンピラ共の親分とは違う人物なんじゃねぇかと思うんだ。元々あいつらは、あんなデカイ顔して街中をうろつくような連中じゃなかった。何も知らずに山に入って来た旅人を襲って、身ぐるみ剥いで満足しているような、ちんけな奴らだったんだ。それが、ここふた月ほどで急に街まで下りてきて『劔をよこせ』と暴れ始めて……役人は、それにだんまりだ。どう考えたっておかしい。誰か強力なパトロンがついて、何か企んでいるに違ぇねえ」
などと話すので、クレアとシルフィーは目配せする。
どうやら街の住民から見ても、見解は同じらしい。
「……で。そのパトロンに心当たりは?」
ごくっ、と喉を鳴らし、シルフィーが問いかけるが。
「さぁな。それがわかりゃあ、俺たちも苦労はしねぇ」
ベテラン漁師は目を伏せ、静かに首を振った。
「──うーん……結局、ブルーノさんがすごい人だった、ってことしかわからなかったですね」
一通りの聞き込みを終え。
シルフィーは海を眺めながら、少し物足りなそうな声音で呟いた。
船着場でエリスたちの乗った船の帰りを待ちながら、クレアも地平線の向こうを見つめる。
「そうですね。あとは我々が話し合った内容と、ほとんど同じでした」
そう答える一方で、クレアはそれなりの収穫があったと感じていた。
まず大きいのが、チンピラたちの根城がわかったこと。旧鉱山の廃坑を拠点としているらしい。
次に、チンピラたちには役人にも手が出せないような大物がバックについている……という仮説の信憑性がかなり増したこと。街の住民から見ても、その線が濃厚だと考えられているようだ。
そして、その大物が誰なのか、住民たちにも検討がついていないということ。
……これはもう、直接役人を探るしかないか?
──と、クレアはそこまで考え。
「それはさておき、シルフィーさん。ここまで本当にお疲れ様でした。無事に報告書を提出できましたね」
彼は、隣に立つシルフィーに微笑みかける。
すると彼女は、「はぁぁ」と特大のため息をつき、
「ホント、長かったです……たった一人のおじいさんから話を聞き出すために、随分と遠回りさせられました……私が不甲斐ないばかりにお手伝いいただくことになってしまい、本当にすみませんでした」
「いえいえ。あなたに出会わなければ、エリスのポニーテール姿を拝めなかったかもしれないですからね。大変感謝しております」
相変わらずなそのセリフに、シルフィーは苦笑いを浮かべてから、仕切り直すように続ける。
「あとは、報告書を受け取った軍部が動き出すまでブルーノさんを護衛すれば、任務完了ですね。あのチンピラたちがどんな動きをするのか、少し心配ですけど……パトロンになっている『ボス』の正体も気になるところですし」
「そうですね。まぁ、治安調査員としては市民の護衛までできれば十分です。詳しい調査は、軍部に任せるとしましょう」
本当は全部、これから自分がやる仕事なんだけどな。
……と、クレアは胸の内で付け加える。
そうとは知らずに、シルフィーは頷いて、
「確かに。我々の仕事はあくまで、街の治安を調査し報告すること、ですからね」
そこまで言って。
彼女は、神妙な面持ちで俯く。
「……でも、今回の件を通して……誰かを護るのにも、信用してもらうのにも、ある程度の『力』が必要なんだなぁって、痛感させられました。私は、クレアさんやエリスさんのように強くはないし、器用さも、口の巧さもないけれど……」
すっ、と。
彼女は右手の親指と人差し指をくっつけて、
「……財力ならあります。よく考えたら、情報だってお金で買えますからね。これからはいっそ開き直って、使える財力はどんどん使っちゃおうって思いました」
いたずらっぽく笑いながら、そう言った。
クレアはそれに微笑み返し、
「いいんじゃないでしょうか。財産を全て使い果たして一族を破滅させると、昨晩も宣言していましたからね」
「えっ?! わ、私そんなこと言ってました?! やば……やっぱりもうお酒は飲まないことにします……」
「いえいえ、いいと思いますよ。確かに一族滅亡はやりすぎですが……"使えるものはなんでも使う"という考え方には、私も賛成です」
「……エリスさんの口癖だから?」
ふいに返された質問に、クレアは少し面食らう。
しかし、すぐに頷いて、
「……そうですね。私自身、あの人の生き方にはとても影響を受けていますから」
「ふぅーん。本当に好きなんですね、エリスさんのこと」
口元をニヤつかせながら、反応を楽しむように、シルフィーが言う。
しかし……
クレアは、穏やかに微笑んで。
「……はい。好きですよ。こうしている今も、顔が見たくてうずうずしています。早く帰ってこないかなぁと……そればかり、考えています」
臆面もなく、そう答えた。
それに、からかったつもりだったシルフィーの方が何故か顔を赤らめて、
「くっ……聞いたこっちが恥ずかしくなるヤツ……! さすがクレアさん、エリスさんとは反応が違いますね……!!」
「……何か、おかしなことを言ったでしょうか?」
「いいえ。むしろ別の疑問が湧いてきました。というより、前から思っていたのですが………」
んんっ、と一つ咳払いをしてから。
シルフィーは、あらたまったようにクレアの方に向き直る。
……そして。
「──クレアさん。エリスさんに、伝えないんですか? 好きだ、って。言葉にして、はっきりと」
彼の瞳を、真っ直ぐに見つめ。
そう、尋ねた。