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8-1 純心キャラメリゼ




 クレアが去った部屋の、ハンモックの上で。



「………………」



 エリスは、早鐘を打つ鼓動と、きゅうっと竦む鳩尾(みぞおち)の感覚に、眠れずにいた。



 まただ。また、この感覚。

 苦しくて、むず痒くて……なのに不思議と、嫌ではない感覚。

 一晩眠って、やっと治ったと思っていたのに……また、ぶり返している。



 エリスは頭をぶんぶん横に振ってから、無理矢理にでも寝てやろうと、ぎゅっと目を閉じてみる。

 聞こえてくるのはブルーノのいびきと、シルフィーの寝息、外にいる虫の鳴き声。



 ……あいつ、何処へ行ったんだろう。

 頭を冷やすとか言っていたけど……帰ってくるまでに、眠らなきゃ。

 なんとなく、今は……どんな顔をして会えばいいのか、わからないから。



 そしてエリスは、瞼の裏側で。

 先ほどの彼の言葉を、思い出す。




『私が、酔ったフリをしてまで誰かに触れたいと思ったのは……これが、初めてです』




 ……あれ、なんでだろう。

 もしかして、あたし……


 ……ちょっと嬉しい、だなんて、思っている……?



「………………」



 ……だめだ。心臓が、胃が、ぎゅうぎゅう締め付けられて眠れる気がしない。

 そうだ。食べ物のことを考えよう。むしろなんで考えていなかったんだろうか。そうしよう、そうしよう。


 明日は何を食べようかな。

 やっぱりお魚かな。

 海老とか蟹も食べたいな。

 貝もいい。ブルーノさんが作ってくれたバター炒め、美味しかったな。

 いや、漁業の街だからこそ、ここはあえて逆に……



 ……と、食べ物のことに考えを集中させていたら、段々と眠くなってきた。

 そうして五日先の晩ご飯の妄想までしたあたりで、彼女は幸せそうな笑みを浮かべながら……



 すやすやと、眠りに就いた。








 ──ぱち。



 と、次に彼女が目を開けた時、辺りはまだ真っ暗だった。

 何故目が覚めたのかと言えば、物音がしたからだ。


 エリスは音の正体を探るため、部屋の中を見回す。

 テーブルでは、シルフィーが伏せたまま眠っていた。

 ハンモックのすぐ側の床では……いつの間にか戻っていたクレアが、横向きに丸まって寝ていた。


 そして、家の入り口付近で。

 ……ブルーノが竿や網を抱えて、今まさに外へ出ようとしているところだった。



「おじいさん」



 エリスは口の横に手を当て、声を潜めて呼びかける。

 ブルーノはびくっ!と肩を震わせ、そうっと振り返り……



「……なんじゃ、起こしてしまったか」

「どこ行くの?」

「漁に決まっとるだろ。今日食べる分を取りに行く」

「あたしも行きたい!」

「えっ?! まぁ……構わんが。船酔いしても知らんぞ」

「だいじょーぶっ」



 などとヒソヒソ話してから、エリスはハンモックを飛び降り。

 扉を開け、ブルーノと共に、夜明け前の海へと向かった──





 * * * *





 ──クレアが目覚めたのは、その数時間後。日が昇った後のことだった。


 瞼を開け、静かに身体を起こす。床で寝たせいか、少々首が痛い。

 首をさすりながら顔を上げると……ハンモックで寝ていたはずのエリスが、消えていた。

 床にダウンしていたブルーノの姿もない。

 いるのは、未だテーブルに突っ伏したまま寝ているシルフィーだけだ。


 クレアは立ち上がって、テーブルの上を見る。と、なにやらメモのようなものが置かれており、達筆な字で、こんなことが書かれていた、



『漁に出てくる。昼前には戻る』



 エリスの字ではない。ということは、ブルーノか。

 さしずめエリスも彼の漁について行ったのだろう。イシャナのことを、まだまだ諦めてはいないようだったから。

 しかし、家を出る気配に気付くことができなかったとは……自覚はないが、身体はしっかりと深酒(ふかざけ)の影響を受けていたらしい。



 クレアは少し焦った。

 エリスと別行動になることは、できるだけ避けたかった。何故なら、昨日のチンピラ一味が……"水瓶男(ヴァッサーマン)"の手下かもしれない奴らが、近い内にまた接触して来るはずだからだ。

 昨日のようなレベルの連中なら、エリス一人でも簡単にあしらえるだろう。だが、次は必ずもっと力のある奴を寄越すに決まっている。

 自分がいない時にエリスが襲われることだけは避けたい。何も知らない彼女を、危険に晒すわけにはいかないから。


 とにかく、エリスとブルーノの安否確認をしなくては。二人が無事に海に出たのか、港で確認をしよう。


 ……そうと決まれば、まずは。



「……シルフィーさん。起きてください。朝ですよ」



 クレアは、テーブルに伏せているシルフィーの肩を揺すり、呼びかける。

 すると彼女は「うーん」と唸りながら身体を起こした。



「んぁ……あれ? わたし、なんでこんなところで寝て……」

「おはようございます。お酒を飲んで、そのまま眠ってしまったのですよ。ご気分はいかがですか?」



 正確には『エリスに昏倒させられた』、が正しいが……色々とややこしくなりそうなので、クレアは言わずにおいた。

 シルフィーは眼鏡を外し、片目をこすりながら周囲を見回す。


 其処彼処(そこかしこ)に転がった(から)の酒瓶。

 食べ散らかしたままの食器類。

 そんなテーブルに、突っ伏して寝ていた自分……



「………まっったく記憶がないんですが、これはアレですか。酔い潰れた、ってヤツですか」

「ええ。なかなかに酔っていらっしゃいましたね」

「うぅ、恥ずかしい……私、なんかヘンなこと言っていませんでした?」

「いいえ。むしろブルーノさんを気持ちよく酔わせるのに一役かってくださいました。お陰で……少し、情報を引き出すことができましたよ」



 クレアの言葉に、シルフィーはハッと顔を上げる。


 ……が。

 その瞬間に頭がズキッと痛み、彼女は咄嗟にこめかみを押さえた。

 彼女にとって、初めて味わう深酒の代償……"二日酔い"であった。



「いたた……それで、肝心のブルーノさんは? エリスさんもいないようですが……」

「それが、どうやら二人で漁に出てしまったようで。心配なので港まで見に行こうと考えていたところです。二人の無事が確認できたら、そのまま役場で報告書の発送手配をしようと思います。シルフィーさんにもぜひ、ご同行願いたいのですが」

「……なるほど。わかりました。ですが、その前に一つだけお願いが」



 シルフィーは青白い顔で、クレアの前に人差し指を突きつけ。



「お水を……お水を一杯、ください……ぅぷっ」








 二日酔いの身体を引きずって、シルフィーはクレアと共に港を訪れた。

 昨日チンピラ三人衆と剣を交えた、あの船着場だ。


 港にいた漁師に尋ねたところ、ブルーノの船に若い娘が乗っているのを見かけたそうだ。

 間違いなくエリスだろう。とりあえず二人の安否が確認でき、クレアはほっと胸を撫で下ろす。


 ついでにこの街の船出のルールを聞くと、そもそも港に船を置くには街の漁業組合への登録が必要だということがわかった。

 当然、チンピラやゴロツキなどのいかがわしい連中には登録許可が下りない。つまりあのチンピラたちも、海の上までは追ってこられないというわけだ。



 漁に出ていてくれた方がかえって安全だとわかり、クレアたちは安心して役場へと向かうことにした。

 シルフィーが作成した報告書を"中央(セントラル)"に送る手配をするのだ。


 その、道すがら。



「──えぇっ?! じゃあ『(つるぎ)』の件は、ブルーノさん自身がついたウソだったんですか?!」



 クレアから昨晩の話を聞かされ、シルフィーは驚愕の声を上げた。



「はい。酔った勢いの大法螺(おおぼら)だったそうで」

「えぇー……それでこんな、チンピラを巻き込むような騒動にまでなっているだなんて……完全に自業自得じゃないですか」

「そうなんですよ。ブルーノさん曰く、あのチンピラたちもその与太話に(かこつ)けて暇つぶしに絡んできているのだろう、とのことでした。ただ、エリスはまだイシャナを諦めていません。ブルーノさんがまだ何か隠しているのではないかと思い、漁について行ったようです」



 シルフィーは、未だに少し痛む頭を押さえながら、



「でも……妙じゃありませんか? あのチンピラたちは『劔』を求めて、ブルーノさん以外の住民にも悪さをしているんですよ? そんな明らかにウソだとわかるような話をわざわざ引き合いに出すなんて……もしかして、ブルーノさんに恨みを持つ誰かが手引きしているのではないですか? 街のみんなに、『ブルーノさんのせいで面倒なことになっている』と思わせたくて悪事を働いている、とか」

「……なるほど、その線は思いつきませんでした。しかもそれは、役人が手をこまねくような"権力者"である可能性が高い、と」

「はい。……ブルーノさん、昔お偉いさんと何かやらかしたんですかね? まぁ、そうなってもおかしくない性格ですけど」



 と、彼に散々門前払いを喰らった苦い記憶を蘇らせ、シルフィーはますます顔をしかめる。

 クレアは考え込むように、少し沈黙してから……



「……では、聞き込みをしてみましょうか」

「え?」



 聞き返すシルフィーの方を見下ろし、



「ブルーノさんの過去について……彼に恨みを持つ人間に心当たりはあるか、街の漁師さんたちに聞いてみましょう。そこから何か、見えてくるかもしれません」



 穏やかな笑みを浮かべ、そう言った。





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