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7-4 人類皆、酒の前には無力




 ──さらに、一時間後……




「……ぅ……もう、だめ……だ……」



 ぱた。



 と、先にテーブルに伏したのは、クレアの方だった。

 その様を見届けたブルーノは、椅子から立ち上がると、



「だっはっは! 残念だったな、あんちゃん!! くぐり抜けてきた修羅場と、飲んできた酒の量が違うんじゃよ!!」



 満足げな笑みを浮かべ、高笑いをした。

 エリスは、ぱちぱちと手を叩き、



「おお〜っ。さすが"真の酒飲み"! あっぱれね」

「あったり前じゃ! まだまだ若いモンには負けん!! しかし、なかなか手強いあんちゃんじゃった……もう少し長引いていたら、負けていたかもしれん」

「またまた〜そんなこと言って、全然余裕なクセに♪ さぁさぁ、勝利の祝杯をどーぞ☆」



 そう言って、ブルーノのグラスに一番強い酒をだばだば注ぐ。

 ブルーノは一瞬ためらうが、エリスにニコニコと見つめられ、引くに引けず……



「……よし、これが最後の一杯じゃ!」



 ぐびっ、ぐびっ、ぐびっ……


 半ばヤケクソ気味に、それを一気に飲み干した。

 直後!



「……うーん」



 バタンッ!!



 ……と、まるで糸が切れた人形のように床に倒れ込んだ。

 そのまま、ぐうぐうと大きないびきを立て始める。



 エリスは彼の脇腹を何度かつつき、完全に寝入ったことを確認してから、



「……もういいわよ、クレア」



 そう言って、振り返る。

 すると、テーブルに伏していたクレアがむくっと顔を上げ、



「やっと落ちましたか。長時間に渡るご機嫌取り、お疲れさまでした」



 と、いつも通りの爽やかな笑顔を返した。

 ブルーノを気持ちよく眠らせるため、酔い潰れた芝居を打っていたのだ。

 エリスは、クレアの周りに置かれた数十本の空き瓶を半眼で眺めながら、



「……ていうかあんた、こんだけ飲んでもまだ酔ってないの?」

「そのようですね。一度で良いので、泥酔という感覚を味わってみたいものです」



 などと恐ろしいことを言うので。

 エリスはそれ以上、なにもツッコまなかった。





「──んで、どう思った? おじいさんの話」



 ブルーノのいびきと、シルフィーの寝息が聞こえる中。


 エリスはクレアの正面に座り直し、あらためてそう尋ねた。

 クレアも居住まいを正しながら、それに答える。



「まるっきり嘘ではないが、まだ何か隠している……そんな風に見えました。イシャナが長らく不漁であることは事実でしょう。そうなってしまった原因も、恐らく事実。しかし、気になるのは……」



 エリスは一つ頷いて、言葉を継ぐ。



「『風別(かぜわか)(つるぎ)』に対するこだわり、ね」

「その通りです。封魔伝説への憧れがあるにしろ、咄嗟についた嘘の中にわざわざ『風別ツ劔』を登場させるのは、どうにも不自然です。イシャナ漁の壮絶さを伝えるべき場面でお伽話の武器を登場させては、かえって現実味が薄れてしまうでしょう」

「そうそう。最後にしてきた質問にも違和感を覚えたわ。劔の本物があったとしたら、その仕組みはどうなっているのか、だなんて……魔法の研究者ならまだしも、一介の漁師がそんなことに興味を抱くのは、やっぱりヘンよ」



 どうやらエリスもクレア同様、ブルーノの言葉に不自然さを感じていたようだ。

 しかし、両者が決定的に違うのは、疑いの方向性である。


 エリスはきらんっ、と目を輝かせ、



「あれはたぶん、イシャナについて何か知っているわね。もしかするとおじいさん……本物の『風別ツ劔』を使って、未だに一人でイシャナ漁をしていたりして!」



 それこそお伽話のようなことを、大真面目に言ってのけた。


 そう。エリスはあくまで、イシャナについての情報を求めているのだ。

 チンピラの親玉がどうとか、どうして『風別ツ劔』が狙われているかなどは、どうでもいい。

 だからクレアも、それに話を合わせる必要がある。



「明日、シルフィーさんが作成した報告書を"中央(セントラル)"に送ります。チンピラたちの粛清は軍部に任せるとして、我々は引き続きイシャナについて探りましょう。エリスのおかげで、ブルーノさんはかなり心を開いてくれました。ボロを出すのも、時間の問題かと」

「そうね。まだ諦めないわ。おじいさんにべったり張り付いて、イシャナの尻尾を掴んでやりましょう!」



 エリスは拳をぐっ! と握りしめ、力強く言った。

 それに微笑み返しながら……クレアは考える。



 誰もが信じないような法螺話に、チンピラたちが食いつくのも妙だ。

 きっとまだ、何か裏がある。

 エリスの力を借りてブルーノを懐柔しつつ、敵の正体と目的を探らねば……



 ……と、今後の方針を確認してから。



 クレアは、エリスの顔を見据えて。




「……ところで、エリス。私たちって、『食べ友』という関係性だったのですね」



 先ほど耳にしてから、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

 するとエリスは「へっ?!」と素っ頓狂な声を上げる。

 その反応に吹き出しそうになりながら、クレアは続けて、



「『飲み友』の食事版、ということでしょうか。エリスが命名したのですか?」

「ぅ……そ、そうだけど、なんか文句あるっ?!」

「文句だなんてとんでもない。むしろそのような呼び名をつけていただき光栄です。ありがとうございます」



 ムキになるエリスに、クレアは優しく微笑み返す。


 友だちを一切作ってこなかった彼女から、親しみを込めてそう呼んでもらえることは、クレアにとって純粋に喜ばしいことだった。


 一方のエリスは、勝手にそう呼んでいたことが本人に知られ、無性に恥ずかしくなり……

 彼の視線から逃げるように、ぷいっと顔を逸らした。


 その、赤く染まった横顔に。

 クレアの悪戯心が、ゾクゾクと掻き立てられる。

 彼は、少し意地悪な笑みを浮かべて、



「……そういえば先ほど、シルフィーさんになんて言われたのですか?」



 聞かれたら困るのを承知で、エリスにそう、尋ねてみた。

 案の定、エリスは、



「えっ?! あ……いや、あれは別に……大したアレじゃなくて……」



 顔面をさらに赤くして、わかりやすく狼狽(うろた)えた。

 あの時何と言われたのか、クレアは本当に知らない。が、話の流れからして、からかうようなことを言われたことは確かだろう。


 クレアはエリスの目をじっと見つめて、



「大したことないなら、教えてくださいよ」



 さらに詰め寄るが……エリスはだんまりを決め込む。

 なので、



「……言わないなら、くすぐります」

「は?!」



 言うなりクレアは、椅子から立ち上がり。

 両手をワキワキといやらしく動かしながら、彼女に近付いた。

 エリスはガタッ! と椅子を倒しながら、慌てて距離を取り、



「ばっ、バカ! 近寄らないで!! 骨まで燃やすわよっ?!」

「構いませんよ。エリスの手で火葬されるのなら本望です」



 だめだ、変態(こいつ)相手にこのテの脅しは通用しない……!!


 エリスは絶望しながら、壁際へと追い込まれる。

 クレアは不敵な笑みを浮かべて(にじ)り寄り、



「ふっふっふ……私から逃げられるとでもお思いですか……?」

「ちょ、なんかいつもとテンション違くない?! やっぱ酔っ払ってんじゃないのあんた?!」

「そうかもしれませんね。さぁ、くすぐったさによがる姿を見せてください」

「って、目的変わってるし!! 喋らせたかったんじゃないの?!」



 などと精一杯威嚇をするが、クレアにじりじりと距離を詰められ……



「(くっ……攻撃魔法でおじいさん家を壊すわけにいかないし……力では変態(こいつ)に敵わないし……どうすれば……!?)」



 万事休す。エリスは奥歯を軋ませ……

 迫り来るクレアの手に、ぎゅっと目を閉じた…………が。



「う……っ」



 呻き声が聞こえ、エリスはすぐに目を開ける。

 見れば、すぐ近くまで迫っていたクレアが、頭を押さえフラフラとよろめいていた。

 そのまま床に倒れそうになるので……エリスは咄嗟に、彼の身体を受け止める。



「……っど、どうしたの? 大丈夫?」

「……すみません……立ち上がったら急に、酔いが回ってきたようで……」



 と、珍しく弱々しい笑みを浮かべて、そんなことを言うので。

 エリスは「はぁ……」とため息をつく。



「まったく、調子に乗るからよ。ほら、あそこで休も」



 彼の身体を支えながら、部屋の隅に一つだけぶら下がっているハンモックへと連れて行く。

 他に寝具は見当たらないが、ブルーノはいつもはここで寝ているのだろうか?

 そんなことを考えながら、クレアをハンモックに寝かせようとすると……



「……ひゃっ?!」



 眼前の景色が、くるっと一回転した。


 気がついたら彼女は、クレアの腕に抱かれる形で。

 ……ハンモックの上に、横たわっていた。

 二人分の重みに揺れ、柱に括り付けられた綱がギシッと軋む。


 突然のことに混乱し、彼女はバッと顔を上げると……



「……つかまえた」



 目の前で、クレアがそう、囁いた。

 途端にエリスは、彼の鼓動と、体温と、抱きしめられている感触を、ありありと認識し……

 身体をかぁっと、熱くする。



「……だっ、騙したわね! 酔ったフリなんかして!!」

「あはは。こんな手に引っかかるとは、エリスもまだまだですね」

「うるさいっ! 本気で心配したのに、最低っ! 早く離しなさいよ!!」

「嫌です。昼間、約束したじゃないですか。貴女が生み出した偽物の『(つるぎ)』を使いこなしたご褒美をくれるって。褒賞として、ハグを要求します」

「はぁ?! あげるなんて一言も言ってないんですけどっ!!」

「酷いなぁ。貴女の策に協力して、こんなに大量の酒まで飲んだのに。労いのハグを求めるくらい、許してくださいよ」



 と、自分の目的のためにクレアを利用したことを指摘され、エリスは「ゔっ」と言葉を詰まらせる。

 彼女が黙ったのを良いことに、クレアは続けて、



「……それに、『心配』なのは貴女の方です。酒を勧め、相手を気持ちよく酔わせるのは悪いことではありませんが……酒に酔った男には気をつけないと、こうなりますよ。こんな風に酔いに乗じて近付いてくるのは、男の常套手段です。貴女には相手を勘違いさせる程の愛嬌があるのですから、重々、肝に銘じておいてくださいね」



 と、少し真面目な口調で諭すので。

 エリスは、何か言い返そうと口を開きかけるが……



「…………はぃ」



 彼の真剣な眼差しに負け、大人しく返事をした。

 その素直な態度に、クレアはにこりと微笑み、



「よろしい。さ、感触も充分に楽しめましたし、名残惜しいですが、そろそろ解放してさしあげましょう。エリスはどうぞ、このままこちらでお休みください」



 なにやら聞き捨てならない言葉を挟みつつ、エリスから離れ、ハンモックを降りた。



「……あんたは、どこで寝るの?」

「私は床で構いません。どうかお気になさらず」



 そう言って、クレアは脱いだ上着を床に敷き始める。

 エリスはそれを、ハンモックに座ったまま、ぼんやりと眺め。



「……ねぇ」



 彼の背中に向かって、ふと。




「……あんたもその、常套手段ってやつを…………誰かに、使ったことあるの…?」




 と。

 半ば無意識に、そんなことを尋ねていた。

 クレアが驚いたように振り返るので、エリスは慌てて、



「あ、いや、だって……なんかこういうの、慣れてるっぽいから。よく本気かどうかわかんない冗談言って困らせてくるし……そうやっていろんな(ひと)を、口説いてきたのかな、って……」

「……なぜ、そんなことを聞くのですか?」



 質問を返され、エリスは口を閉ざす。

 そして、確かになぜ、こんなことを聞いているんだろうと、自分自身の言葉に戸惑う。


 小さくなって俯く彼女に。

 クレアはそっと、近付いて。



「……私って、そんな女好きに見えます?」

「見える」

「あはは」



 真顔で即答するエリスに、声を出して笑ってから。

 クレアは、彼女の瞳を覗き込んだ。



 まったく、この人は。なんてずるい質問をするのだろう。

 そんな風に聞かれたら……勘違いしてしまうだろうが。

 もしかしたら、見えない過去にヤキモチを妬いてくれたのではないか……と。

 そんなはずは、ないのに。


 なんだか悔しいから、「そうですよ。口説きまくっていました」と、(うそぶ)いてもよかったのだが。

 やはり彼は、どうにも"冗談"を言うのが苦手なようで。



「……いいえ。エリス」



 クレアはそっと、彼女の頬に手を触れながら。




「私が、酔ったフリをしてまで誰かに触れたいと思ったのは……これが、初めてです」

「……っ、じょ……」

「"冗談"ではありません。……"本気"です」




 真っ直ぐに、そう伝えた。


 それに、エリスは頬を染め、目を見開く。

 赤いルビーのような瞳が、戸惑いに揺れていた。




 ──本当は、その瞳に尋ねてみたかった。

 どうしてあの時、瞼を閉じたのかと。

 二人だけしかいない、あの穴の底で。

 どうして自分を、受け入れたのか……と。


 しかし、それを尋ねてしまったら。

 何かが変わってしまうような気がして。


 怖いような、勿体無いような、そんな感情に襲われるから。



 クレアはそれを誤魔化すように、くすりと笑う。




「すみません。やはり少し、酔っているようです。外に出て頭を冷やしてきますね。でないと、その赤くなった頬に……今すぐにでも、キスしてしまいそうになるので」

「なっ?!」



 ぺち! と自分の両頬を手で押さえるエリスに、クレアは再び笑う。



「今のは"冗談"……と、いうことにしておきましょうか。それでは、エリス。良い夢を」



 彼女の頭にぽんっと手を置いてから。

 家の戸を開け、外へと出る。

 夜の空気は、冷たく澄んでいた。


 クレアはそれを、すぅっと吸い込んでから。



「…………はぁ」



 もし今の状況をチェロが見たら、また『ヘタレ童貞なのか』と笑われそうだ、と。


 胸に燻る"酔い"を冷ますように。

 深く深く、息を吐いた。




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