7-3 人類皆、酒の前には無力
──それから、一時間後……
テーブルの上には、空になった酒瓶が十本以上並んでいた。
そのテーブルに、ダンッ! とグラスを置いて。
「でぇ! お父さまったら、こんどはわたしに『お見合いしろ』とか言いはじめてぇ!! しかもぉ、ウチより格上だからって、官僚やってる寡夫だとか、どこぞの領主の次男坊とか、ひとまわり以上も年上の男とムリヤリ会わせようとしてきてぇ!! ほんと、この仕事決まんなかったら、今ごろ顔も知らないおじさんと結婚させられてたかもしれないんですよぉ?! 考えられますぅ?! 政略結婚だなんて! いつの時代の話だっつーの!! なぁにが『由緒正しきアインシュバイン家』だ! もうあんな家つぶれちまえ! わたしがぜーんぶお金つかい果たして、破滅させてやるんだからぁっ!!」
……と、お手本のような酔い方をしたシルフィーが、真っ赤な顔してクダを巻いていた。
それを、同じく赤ら顔になったブルーノと、完全に素面のエリスが、
『いいぞー! やれやれー!!』
やんややんやと手を叩き、面白がって囃し立てる。
その光景を、クレアは相変わらず涼しげな微笑を浮かべ、眺めていた。
ということで。
一時間前、怒りに任せてグラス一杯分飲んでしまったブルーノは……
エリスの思惑通り、すっかり開き直って酒を飲み始めたのだった。
"真の酒飲み"を自称するだけあって、その飲みっぷりはなかなかのものであった。
いくら飲んでも顔色ひとつ変えないクレアと競うようにして、酒瓶を一本、二本と空けてゆき……
五本目を空にした頃には、もうすっかりご機嫌になっていた。
さらに、巻き込まれる形となったシルフィーも、クレアとブルーノほどではないもののそこそこの量を飲まされ……
今ではこのように、ただの酔っ払いと成れ果てたのだった。
一頻り愚痴をぶちまけたシルフィーは、とろんとした顔でにまにまと笑い、
「えへへ♡ お酒飲むのってこんなに楽しかったんれすね。ブルーノしゃんのごはんがおいしいから、いっぱい飲んじゃいました。エリスしゃんも飲めたらよかったのにね♡」
舌ったらずな声で、そう言った。
あまりのキャラの変わりように、エリスは苦笑いしながら、
「あたしは別に、飲まなくてもじゅーぶん楽しいもの」
「えぇ〜? でもでもぉ、普段ツンツンなエリスしゃんがお酒飲んだらどうなるのか、見てみたかったなぁ♡ 意外と素直な甘えん坊になったりして。そしたら、アレの続きも見られたのかなぁ?」
「アレ? アレとはなんじゃ?」
ブルーノに尋ねられたシルフィーは、「うふふ♡」と笑う。
そして、
「この二人、こないだキスしそうになってたんれすよ♡ でも、わたしがイイトコロで邪魔しちゃって……ほんと、惜しいことしたなぁ。あ、なんならお二人。今からあの続き、してもいいれすよ? 見ててあげますから♡」
……などという特大の爆弾をぶん投げてきたので。
エリスは堪らず「ぶふっ!」と吹き出す。
「えぇ〜なにソレ詳しく聞きた〜い♡ 儂にも教えて〜っ♡」
と、何故か乙女口調で身体をクネらせるブルーノ。こちらも酒に飲まれ、相当なキャラ崩壊を起こしているらしい。
エリスはバンッ! とテーブルに手をついて立ち上がり、
「詳しくも何も、アレはただの事故で……!」
「事故ぉ〜? でもさぁ、エリスしゃん……」
ニヤッ、と口の端を吊り上げ。
シルフィーは、エリスにだけ聞こえるような距離で。
「……あの時、キスされてもいいかもって、思っちゃったんでしょ……? もう認めちゃいましょうよ。エリスしゃんも、クレアしゃんのことを、トクベツに思ってるってこと……」
耳元で、そっと。
囁くように、言ってきた。
それに、エリスはピキーンと表情を固めて……
「………………」
徐ろに、まだ中身の残っている酒瓶を手に取ると……
「……むぐぅっ?!」
シルフィーの口に、無理矢理ねじ込んだ!
そのまま無慈悲に瓶を傾け、酒を一気に喉へと流し込み……
空になった瓶をきゅぽんっと抜き去る。
と同時に、シルフィーは「うーん」と目を回して、テーブルの上に突っ伏した。
「チッ……こいつまで酔わせる必要はなかったわね」
撃沈したシルフィーを見下ろし、低く呟くエリス。
チラ……と横目でクレアを盗み見ると……彼はやはり爽やかに微笑んで、
「何を言われたのか知りませんが……とりあえずその赤くなった耳たぶ、可愛いので齧らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ダメに決まってんでしょ! このヘンタイ!!」
真っ赤になって叫ぶエリスを見て、ブルーノが「だっはっは!」と大口を開けて笑う。
「これで眼鏡のお嬢ちゃんは脱落か! 残るは、あんちゃんだけだな。どっちが先に潰れるか……勝負といこう。……んで? お前さんたち、結局どこまでいっとるんじゃ?」
「だぁから! そういうんじゃないってば!!」
ブルーノにまで茶化され、エリスは犬歯を剥き出しにして声を荒らげる。
「あたしたちは仕事上のパートナーなのっ! 強いて言うなら、『食べ友』よっ!!」
「たべとも……?」
眉をひそめるブルーノに、エリスは「そうっ!」と胸を反らし、
「治安調査員として国から給料を貰いつつ、経費で全国津々浦々の美味しいものを食べまくる、言わば共犯者!! あたしたちはそういう関係なのっ!!」
「エリス。そういうことは声を大にして言うべきではないかと」
己の職権濫用・職務怠慢を堂々とひけらかすエリスに、クレアが冷静なツッコミを入れる。
それにブルーノは、声を出して笑って、
「役人も役人だが、お前さんたちも大概だな。そんで? この街にはなにを食べに来たんじゃ?」
酒を傾けながら、そう問いかけてきたので。
エリスは「きた」と、内心ほくそ笑む。
「初めに言ったでしょ? イシャナよ。ぶっちゃけあたしは、伝説の劔だとかはどうでもいいの。ただ、"幻の巨大魚"と言われるイシャナの情報が欲しくてこの街に来た。ねぇ、おじいさん。今はもう滅多に捕れないって、本当なの?」
そう、いよいよ核心に迫る質問を、投げかけた。
……さぁ、これにどう答えるか。
クレアは固唾を飲んで、ブルーノの反応を見守る。
ブルーノは一瞬、驚いたように目を見開いてから……
……静かに、頷いて。
「ああ。本当じゃ。二十年ほど前までは市場に出回るくらいに捕れていたんじゃが……ここ数年は、見かけることすらなくなった」
と、 拍子抜けするくらい、あっさりと答えてくれた。
エリスはさらに質問を続ける。
「どうしてそんなに、数を減らしてしまったの?」
「……乱獲じゃ。イシャナのオスには、巨大な"牙"が生えていてな。それを狙った密漁者や、狩りを楽しむ貴族たちが、手当たり次第に乱獲した結果……この海域からは、完全に姿を消してしまった」
「そんな……」
ショックを受け、愕然とするエリス。
ブルーノも俯き、目を伏せ、
「"イシャナを捕る"ことにおいては、儂ら漁師もやっていることは同じじゃ。しかし、少なくとも儂らはイシャナに……いや、海に住まう全ての生き物に、敬意を払って接してきた。頂戴した命に感謝しながら、大事に大事に食べてきた。若い個体や、稀少な種は海に返し、その数を減らさぬよう注意してきた。それを……牙だけ狩り取り無惨に殺す密漁者や、殺すこと自体を楽しむ貴族たちのせいで、その数を減らされたかと思うと………やるせなくてな」
言いながら、グラスを握る手にギュッと力が入る。
その様子を見て、どうやら嘘は言っていないようだと、クレアは思う。
エリスはテーブルに手をつき、ブルーノの方へ身を乗り出し、
「それじゃあ、まだ海のどこかにはいるかもしれないの?」
「……そう思いたいがな。元々、国中を見てもこの海域でしか見られない魚じゃったから、なんとも言えん。他所の国に行けば、まだ捕れるのかもしれんが」
「……そう。ありがとう、教えてくれて。でも、だったら不思議ね。イシャナが捕れなくなって何年も経つのに、なんでおじいさんがイシャナを捕まえた、なんて根も葉もない噂が流れたのかしら?」
顎に指を添え、流れるように次の疑問をぶつけるエリス。
それにブルーノは、「え、あ、それは……」と初めて動揺を見せる。
やがて、「はぁ……」と息を吐いてから。
ゆっくりと、口を開いた。
「……漁師仲間との酒の席で、若い衆が騒ぎ始めたんじゃ。イシャナ漁はそんなに大変だったのか、ジジイどもが話を大きくしとるんじゃないか、と。実際、イシャナ漁は壮絶だった。船よりデカイ個体との戦いは、毎回死を覚悟するようなものでな。それを知らない世代が、舐めた口をきくもんだから……」
──ダンッ!
と、拳をテーブルに叩きつけ、
「……つい! つい、言ってしまったんじゃ!! 伝説の劔を飲んだ、恐ろしい力を持つイシャナとの死闘! それに勝利し、生け捕りにすることに成功したと! そんなくだらない大法螺を、儂は……吹いてしまったんじゃぁあっ!!」
悲痛な面持ちで、そんなことを叫ぶので。
エリスは思わずガタッ! と椅子から転げ落ちた。
「な……なによソレ! 完全に自分で蒔いた種じゃない! 根も葉もありまくりじゃない!!」
「そうなんじゃよー。いやー、酔った勢いというのは怖いのー」
「なに開き直ってんの?! そのせいであんなチンピラに襲われるハメになってんのに!!」
「本当になー。当然ながら、漁師仲間はだーれもこんな話信じとらん。むしろ、こんなことになって自業自得だと笑われとるわ。だっはっは!」
笑い飛ばすブルーノを、エリスはあきれ顔で見つめた。
これにはクレアも、小さくため息をつく。
どおりで、誰にも助けてもらえないはずだ。
自分で吹いた法螺のせいで、チンピラに絡まれているのだから。
まったく……『風別ツ劔』の噂の出所が、酔った勢いでついた大嘘だったとは。
しかしそれにより"水瓶男"が誘い出されたのだと考えれば、ブルーノには感謝すべきか。
いずれにせよ、『風別ツ劔』の所在を探る必要はなくなった。
チンピラたちの親玉が何者なのか、そちらの調査に専念するとしよう。
……そうクレアが考える横で、ブルーノは酒をぐいっと飲んでから、再び口を開く。
「あのチンピラどもも、手持ち無沙汰で老人いびりをしているだけじゃろう。じき飽きられる。だから、わざわざお前さんたちに助けてもらうまでもなかったということじゃ」
「もー……それでロクに抵抗もしなかったのね」
イシャナの噂が嘘だとわかり、エリスはガクッと肩を落とす。
その様子を見て、ブルーノはまた笑う。
「がっかりさせて悪かったな。しかも『伝説の劔を持ってるぞ!』と嘘の上塗りまでさせてしまって……あいつら間違いなく、またやって来るじゃろうな」
「ほんとよ! まぁ、チンピラどもを一掃してイリオンの港が守られるならそれでいいけど……」
「そうだそうだ。それが仕事なんじゃろ? それにしても、お嬢ちゃんの生み出したあの風の劔……すごかったな。あれは一体、どういうカラクリなんじゃ?」
……そう尋ねるブルーノの視線が。
クレアには少しだけ、泳いだように見えた。
エリスはそれに気づかなかったのか、肩をすくめて、
「暖気の精霊と冷気の精霊をいい感じに混ぜ合わせると、風を生み出すことができるのよ。それをフツーの剣に纏わりつかせただけ」
「ほう。魔法で風を生み出せるとは。初めて聞いたな。ということは、仮に『風別ツ劔』の本物があったとしたら………同じような仕組みで出来とるんじゃろうか……?」
なんてことを、神妙な面持ちで聞いてくるので。
エリスはぱちくりと瞬きをする。
それから「くすっ」と笑って、
「……なに、おじいさん。もしかして……伝説の劔の存在を、本気で信じてんの?」
そう、からかうように言うので、ブルーノは「なっ!?」と顔をひきつらせる。
「わ、悪いかっ! 儂らの世代にとって、封魔伝説は憧れなんじゃっ!」
「ふーん、なるほどね。"咄嗟に出た嘘にまで登場させちゃうくらい"だもんね。なるほどなるほど」
ムキになるブルーノを尻目に、ニヤニヤと頷くエリス。ブルーノはさらに鼻息を荒くして、
「まったく、年寄りをからかいおって! この話はヤメヤメ!! あんちゃん! 酒飲み勝負の続きじゃ! 一番強いのをいってみよう。ここからは、容赦せんぞ……?」
棚から新たな酒瓶を取り出しながら、ブルーノが不敵に言う。
それにクレアも、にこりと笑って、
「お手柔らかに、お願いしますね」
穏やかな声音で、そう返した。