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7-2 人類皆、酒の前には無力




 日が沈み、ブルーノの家の周辺はすっかり闇に包まれた。

 聞こえてくるのは川のせせらぎと、虫たちの鳴き声のみ。

 街灯もない真っ暗なその場所に、彼の家の窓から漏れる明かりだけが暖かな光を放っていた。




「──さぁ、できたぞ」



 そう言って、ブルーノは出来上がった料理をテーブルに並べた。

 魚の塩焼きに煮付け、刺身。魚のあらと海草を煮込んだスープ。貝のバター炒め。などなど……

 目にも鮮やかな、魚介尽くしのメニューである。


 それを眺め、エリスはうっとりと頬に手を当てる。



「きゃーっ、美味しそうっ♡ 港の漁師飯(りょうしめし)、食べてみたかったの♡」

「ふん。大雑把な男料理じゃ、味の保証はせんぞ」

「大丈夫! ぜったい美味しい! においが既に美味しいもん!!」



 エリスのキラキラした視線から逃げるように、ブルーノはそっぽを向いた。

 そんな彼に、クレアは漁網を持って近付き、



「こちらもちょうど終わりました。小さな穴や、ほつれかかっていた箇所もついでに直しておいたのですが……いかがでしょうか?」



 直した箇所を広げ、そう問いかけた。

 ブルーノは顎に手を当て、網をじっくりと眺め……



「……ん、まずまずだな。あんちゃんにはこの、魚のほほ肉をやる。美味いから食え」



 と、クレアの分のスープに魚の頭の部分をよそった。どうやら報酬のつもりらしい。

 隣でエリスが「えーずるーい!」と口を尖らせるが、クレアは「ありがとうございます」と遠慮なく受け取った。


 報告書を書き終えたシルフィーもテーブルに着きながら、その料理の豪華さに驚く。



「うわぁ、こんなにたくさん! なんだかすみません、押しかけるような形になってしまって」

「何を今更。恩を売りつけてきたのはそっちだろう。儂ゃ後腐れないように、対価を支払っとるだけじゃ。明日以降のメシは知らんぞ。自分らでなんとかせい」

「はーいっ♡ ねね、早く食べよ!」



 ブルーノの悪態をものともせず、エリスは待ちきれない様子で「いっただっきまーす!」と手を合わせ、箸を取り食べ始めた。


 まずは、スープを一口。

 静かに啜って、こくんと飲み込む……

 直後、カッ! と目を見開いて、



「んんんんっ! このスープうんまっ!!」



 天井を仰ぎ、叫んだ。

 突然の大声に、ブルーノは目を丸くする。

 さらにエリスが続けて、



「え、おじいさんさっき調味料そんなに入れてなかったよね? じゃあコレ全部、魚の旨み?! はぁ……すご。なんでこんなに深い味になるんだろ。あたし魚に生まれ変わったら、このスープになりたい」



 なんてことを、至極真面目な顔で言うので。

 クレアはにこにことそれを見つめ、シルフィーは「また始まった」と息を吐き。

 ブルーノは……暫し唖然としてから、



「……な、何を大袈裟な。褒めてもなにも出んぞ?」

「大袈裟じゃないわよ。もしも魚に生まれて、運悪く人間に食べられることになったら、これくらい美味しくしてもらいたいなーって本気で思うもん。ほんと、料理が上手な人って心から尊敬するわ。だって、美味しく調理するってことは、いただいた命に対する最大級の敬意の表れでしょ? さすが、『一端(いっぱし)の漁師』さんね」



 と、エリスがにっこり笑って言うので。

 やはりブルーノは、あっけにとられたように口を開けたのち、



「……まったく。ほんとにヘンな小娘だな」



 険しい顔を緩め、少しだけ微笑むようにそう返した。





 ──それから四人は、美味しい料理を囲みながら楽しく食事を進めた。


 どんな人間でも、食事の時は身も心も無防備になるものだ。

 同じ皿の飯を食らうことで、心の距離まで縮まるように思える。


 実際、ブルーノの気難しい表情や態度も、徐々に柔らかくなっているとクレアは感じていた。

 もしかすると、こんな風に誰かと食卓を囲むこと自体、独り身のブルーノにとっては珍しいことなのかもしれない。


 ……この雰囲気なら、あるいは。


 と、クレアは機を伺う。

 『風別(かぜわか)(つるぎ)』を飲み込んだイシャナの噂について、聞き出すその機を……



 しかし。

 クレアが動き出すより早く、先手を打ったのは、エリスだった。

 彼女は幸せそうな顔で食べ進めながら、その合間に、こんなことを口にしたのだ。



「ねぇねぇ、そういえばさ。クレアってお酒、好き?」



 本当に、何の気なしに聞いた、というような口調だった。

 だからクレアは、あまり深く考えずに、



「はい。好きですよ」



 そう、答えた。

 するとエリスは小首を傾げながら、



「こういう魚料理って、よく『お酒に合う』って言うじゃない? あたし、まだお酒飲めないから、それがよくわからないのよね。『お酒に合う』って、どんな感覚なの?」



 興味深そうに、尋ねてきた。

 するとその横で、シルフィーが驚いた顔をして、



「そういえばエリスさんて、まだ十六歳なんですよね。未だに信じられないですけど」

「なにそれ。老けてるって言いたいの?」

「いえいえ、お若いのにしっかりしてるなぁってことです」



 エリスがジトッとした目を向けるので、シルフィーは慌てて手を振る。

 いや、見た目じゃなくて内面の図太さが十六歳少女のソレではないだろう……

 なんて本音は、言えるはずもないので飲み込んでおく。



「そう言うシルフィーも、クレアと同じ二十歳(はたち)なのよね。信じられないことに」

「信じられないってどういう意味ですか」

「シルフィーはお酒好き? 『お酒に合う』って、どんなかんじ?」



 こちらの疑問は完全無視で、クレアにしたのと同じ質問を投げかけるエリス。シルフィーは「うーん」と天を仰ぐ。

 国によって法律が異なるが、ここアルアビスでは十八歳から飲酒が可能だ。

 当然、シルフィーにもそれなりに飲酒経験はあるが……



「……まぁ、嫌いじゃないですけど、そんなに頻繁には飲まないんですよね。パーティなどで乾杯用のシャンパンを飲むくらいかなぁ」

「おお、パーティ。さすが貴族」

「そんなにお酒強いわけでもないですし、ちゃんと食事と合わせて楽しむなんてこと、あまりしたことないかもです」

「ふーん。じゃあやっぱりクレアに聞こう。で、どうなの? クレア」



 再びバトンを託され、クレアも「そうですね……」と少し考え込む。

 そして、



「これはあくまで、私の持論ですが……エリス。この魚の煮付け。白いご飯にとてもよく合いますよね」

「うん。めっちゃ合う。ご飯何杯でもイケる」

「その感覚に非常に近いです。塩気や脂が濃いものは、美味しいですが、それだけを食べるのはなんだかもったいない気がしますよね。何かで中和したい……いや、むしろもっと引き立てたる何かと一緒に口にしたい。そんな時にお酒を飲むと、おかずがより美味しく引き立つのです。それが恐らく、『酒に合う』という感覚なのだと思います」



 理路整然としたクレアの解説に、エリスだけでなくシルフィーまでもが『おぉっ』と感心する。

 しかし、ブルーノだけは「ふんっ」と鼻を鳴らし、



「逆だな。"メシを美味くするための酒"じゃない。"酒を美味くするためのメシ"じゃ。真の酒飲みは、まず"酒ありき"で(さかな)を考える」

「よーするにどっちも引き立つってことでしょ? なんとなくわかったわ。で、おじいさん」



 そこで。

 エリスはぐっと、ブルーノの顔を覗き込み、



「今の口ぶりからすると、相当なお酒好きなのよね。今は禁酒してるって言ってたけど……せっかくだから、今日は飲んじゃえば?」



 などと、禁酒している人間にとっては悪魔の囁きでしかないセリフを放った。

 ブルーノは、あからさまに狼狽えて、



「なっ、何を言っとるんじゃキサマは! 人がせっかくガマンしているというのに!!」

「え〜いいじゃない。こうして一緒に食卓を囲んでいるのも何かの縁だしさ。目一杯楽しみましょうよ。酒飲みは、まず"酒ありき"なんでしょ? なんで我慢しているのか知らないけど、せっかくこんな美味しい料理があるのに、お酒を飲まないのはもったいないと思わない?」



 と、にんまり笑って追撃する。



 そこで、クレアはようやくエリスの企みに気がついた。

 彼女は、ブルーノに酒を飲ませ、気持ちよく酔ったところでイシャナについて語らせるつもりなのだ。


 そうとわかれば……クレアもその策に乗るまでである。



 エリスの甘い誘惑に、ブルーノは苦渋の色を浮かべながら、



「……いいや、儂は飲まんぞ! 最近酒で失敗したばかりなんじゃ! そう簡単に流されてたまるか!!」



 まるで自分に言い聞かせるようにして首を振るので、エリスは「ふーん」と目を細めてから、再びクレアに向き直り、



「おじいさんがお酒飲まないって言うんならさ、クレアもらっちゃいなよ。あたし、さっきそこの棚にいーっぱいお酒が入ってるのを見たの。魚料理に合うのもあるんじゃないかしら」

「なっ、何を勝手に! ありゃ儂の酒で……」

「え? だっておじいさん、飲まないんでしょ? ならいいじゃない。もったいないし」



 エリスの言葉に、「ぐぬ……っ」と歯軋りするブルーノ。

 クレアはにこやかに笑うと、



「では、お言葉に甘えて」



 席を立ち、エリスに言われた戸棚を無遠慮に開ける。そこには確かに、数十本もの酒瓶がズラリと並んでいた。

 その中から、クレアは適当なものを一本取り出し、



「すみません、ブルーノさん。こちら、いただきますね」



 見せつけるように言ってから、グラスにその中身をとぷとぷ注ぎ始めた。



「せっかくなので、シルフィーさんもいかがですか?」

「わ、私も? じゃあ、一口だけ……」



 と、シルフィーも遠慮がちにグラスを差し出す。

 ブルーノは瓶から酒が注がれる様を、ごくっと喉を鳴らし見つめていた。



「それじゃあ、かんぱ〜いっ☆」



 エリスのかけ声に合わせて、三人はグラスをカチンと鳴らす。

 もっとも、エリスのグラスの中身はただの水だが。



「……あ、美味しいです。食事に合うお酒ってかんじで、飲みやすいですね」



 グラスから口を離し、シルフィーが感想を述べた。



「そうなんだ。クレア、いいの選んだわね」



 と、エリスは彼に目を向けるが……

 クレアはグラスを傾け、未だ(のど)に酒を流し込んでいた。

 そうしてあっという間に、一杯分を一気に飲み干してしまった。

 彼は空になったグラスをテーブルに置いてから、



「ふぅ。確かに、すっきりしていて飲みやすいですね」



 いつもの爽やかな笑みを浮かべる。

 その豪快な飲みっぷりに、ブルーノとシルフィーは口をあんぐりと開けるが、エリスだけは目を輝かせて、



「クレアすごい! お酒強いの?」

「まぁ、弱くはないですよ」

「それならじゃんじゃん飲んじゃいましょ♪ 美味しいご飯と美味しいお酒、あたしの分まで楽しんで♡」



 と、クレアのグラスに追加で酒を注ぐ。

 彼はそのグラスに手を添えて、



「エリスにお酒を注いでもらえる日が来るなんて……感無量です。これはすぐに酔ってしまうかもしれません」



 ……と、感慨深そうに言ったクセに。


 クレアはその後、酔いなど微塵も見せず、立て続けにもう三杯飲み干した。



「はぁ……エリスが注いでくれたかと思うと、殊更(ことさら)に美味いですね。これはもはや聖水と言っていいのではないでしょうか。無限に飲める気がします」



 ……発言は酔っ払いのようでもあるが、エリスとシルフィーはこれが彼の"通常運転"であることを熟知している。

 現にその表情は、いつも通りの涼しげなものだ。


 クレアの変態発言に、エリスは「んんっ」と咳払いをしてから、



「……よし。このヨユーそうな表情がいつまで続くのか、限界に挑戦してみましょ!」

「ちょっとエリスさん! 潰すつもりで飲ませないでくださいよ!! クレアさんも無理なら無理って言わないと、明日の行動に支障が出ますからね?!」

「はは、大丈夫ですよ。まだ見ぬ()()のことより、エリスにお酌してもらっている()の方がずぅっと大事ですから」

「って何一つ大丈夫じゃないし! もう、知らないですからね?! 二日酔いになっても!」

「なに言ってんのシルフィー。あんたも飲むのよ」

「えぇっ?! あっ、ちょ、やめ……んぐぅっ!?」



 有無を言わさず、シルフィーの口に酒瓶を突っ込むエリス。


 などと、やいやい騒ぐ三人の様子を黙って見ていたブルーノだったが……



「……なっとらん」



 身体を震わせ、ぼそっと呟いてから。

 バンッ! とテーブルを叩きながら立ち上がり、



「黙って見ておれば、お前ら全然なっとらん!!」



 いきなり、三人を怒鳴りつけた。

 そしてそのまま、酒瓶の入った棚を開けて、別の酒を一本取り出し、



「いいか?! 魚料理に合う酒はコレ!! (ひや)でも(あつ)でもイケる!!」



 自身のグラスに、それをどばどばと注いで、



「で! まずは肴を口にし……」



 魚の煮付けをぱくっと頬張り、



「甘辛い煮汁の味が残っている内に、流し込む!」



 グラスの酒を、ごくごくと飲んだ。



「………ぷはぁっ! コレじゃよ、コレ!! コレが正しい酒の(たしな)み方じゃ!! それをお前らときたら、考えなしにガバガバ飲みおって! なんともったいないことを……………」



 ……そこまで言って。

 ブルーノは、はたと言葉を止めた。

 そして、「しまった」という顔のまま、フリーズする。


 エリスは、ニタァ〜っと悪い笑みを浮かべて、



「あれ〜? おじいさん、飲まないんじゃなかったっけ? どう? 久しぶりに飲んだお酒の味は」



 という、意地悪な質問をする。

 尚も固まるブルーノに、さらに追い討ちをかけるようにして。



「一杯飲んじゃったんなら、二杯も三杯も変わんないよね? さ、ガマンなんかしないで、みんなで一緒に楽しみましょ♡」



 酒瓶を手にしながら、にっこりと。

 堕落に導く悪魔のように、そう囁いた。




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