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7-1 人類皆、酒の前には無力




 半裸で倒れているチンピラ三人を漁港に残し。

 クレアたちはブルーノに導かれ、その住まいへと移動した。


 イリオンの街の中心部から外れた川のほとり。他に人家はなく、よく言えば静かな、悪く言えば物寂しい、そんな場所に彼の家はあった。

 丸太を組み合わせて造られたログハウスだ。河口が近いのか、ほのかに海のにおいがする。


 中に入ると、控えめなサイズのキッチンとテーブル、少しの本が置かれた棚と、ベッド代わりのハンモックがぶら下がっていた。

 家財道具はどれも一人分しかない質素な家。どうやら本当に、単身で暮らしているらしい。



 エリスとシルフィーはテーブルに着きながら出されたお茶(やけに熱い)を飲む。

 そしてクレアは、先ほどの言葉通り(ほころ)んだ漁網を直し始めた。

 ブルーノが持っていた予備の釣り糸を使い、結んだり編んだりを繰り返しながら、みるみる内に穴を塞いでゆく。


 その手元を、ブルーノはしげしげと覗き込み、



「……あんちゃん、器用だな」



 感心したように呟いた。それにクレアは「いえいえ」と謙遜する。

 念願叶って家に上げてもらえたシルフィーはため息をつき、



「もう。網が壊れて困っているなら、そう言ってくださればよかったのに」



 ここ数日の疲れをどっと感じて、肩を落とした。

 その隣で、エリスが熱いお茶をずずずっと啜ってから、



「網使ってるってことは、おじいさん漁師として現役なの?」

 


 その質問に、ブルーノは首を横に振る。



「いいや。もうとっくに引退した身じゃ。今は自分がその日食う分だけを捕って暮らしとる」

「ふーん。それじゃあ尚のこと、網が使えなくて困っていたんじゃない?」

「はっ、馬鹿にするでない。網がなくとも、竿一本あればこの通りじゃ」



 と、ブルーノはキッチンに置かれた木箱の中身をエリスに見せつける。

 中には十数匹の魚が、冷却用の氷と一緒に敷き詰められていた。



「うわぁーっ、すっごい♡ 美味しそう♡」



 新鮮な魚を前に、目にハートを浮かべて興奮するエリス。

 ブルーノは箱の蓋を閉めながら再び鼻を鳴らし、



「……しかし確かに、竿より網の方が効率はいい。だから、タダで手に入るならとカナールのレースの話をふっかけてみたんじゃ。この眼鏡のお嬢ちゃん、『話を聞かせろ』とあまりにしつこいんでな。ま、見るからにトロそうだし、元より期待していなかったが」



 ブルーノの言葉に、シルフィーが「んなっ?!」と声を上げた。



「先程のように、あの連中に襲われることはよくあるのですか?」



 網を直しながら、クレアが尋ねる。

 ブルーノはやはり眉間に皺を寄せたまま、



「襲われるという程のことでもない。ただ、くだらん噂話を信じ込んで、絡んで来ているだけじゃ」

「しかし、あまり頻繁に絡まれるのも困りものでしょう。誰か力になってくれる人はいないのですか? それこそ、役人に相談するとか……」



 と、クレアは穏やかな声音で続ける。



 まずはブルーノと信頼関係を築くこと。それが先決だ。ここでいきなり、本題である噂話の真偽について聞くべきではないと、クレアは思う。

 先ほどからこちらの言葉を全て"否定"で返すこの偏屈な老人に、いきなり「イシャナの噂について話せ」と言ったところで"ノー"を喰らうことは目に見えている。

 それを感じ取っているのか、エリスもシルフィーも本題に切り込もうとはしなかった。



 クレアの問いかけに、ブルーノは少しだけ沈黙し、



「……誰も、助けになどならん。この街に、儂の味方はおらんのじゃ。何故なら……」



 ………と、言いかけたところで。



 ──コン、コン。



 家の戸をノックする音が響いた。

 全員がそちらに視線を向ける中、ブルーノがスタスタと近付き戸を開けようとするので、



「待ってください。さっきの連中かもしれません」



 クレアが止める。

 が、ブルーノはゆっくりと振り返り、



「なに、誰かはだいたい察しがつく。『噂をすれば』、というやつよ」



 などと答えてから、戸を開け、来訪者の姿を確認した。


 そこに立っていたのは、二人組の男だった。どちらもかっちりとした制服のようなものを着ている。

 予想通りの相手だったのか、ブルーノはあからさまに顔をしかめた。

 それに二人組の男は、遠慮がちな笑みを返しながら、



「や、やぁ。ブルーノさん。さっき港で揉め事があったみたいだけど、大丈夫だったかい?」

「料理屋の店主から話を聞いて、心配で見に来たよ」



 そう言った。

 ブルーノは、二人組をキツく睨み付けると、



「なにが『心配で』じゃ。どうせあの連中が逃げ帰るのを何もせずに見届けてきたんだろう? フヌケたお前らに心配されるほど落ちぶれてはおらんわい、さっさと()ね!」



 一方的に怒鳴りつけ、バタンッ!と、勢いよく戸を閉めた。

 その様を静かに見つめるクレアと、「あらー」と呑気な声を出すエリス、そして「あわあわ」と狼狽えるシルフィー。

 ブルーノは無言のまま足を踏み鳴らし、元いた椅子へどかっと座り直した。



「……今のが、この街の役人……『保安兵団』ですか?」



 ブルーノが口を開く様子がないので、クレアの方から尋ねる。



 『保安兵団』とは、街ごとに配置されている公の組織だ。

 街の治安維持のため事件や事故に対応し、住民の暮らしを守ることが仕事である。

 先ほどのようなチンピラが乱暴を働けば、真っ先に駆けつけ取り締まるべき立場なはずなのだが…



 ブルーノはテーブルにあご肘を付き、むすっとした顔をして、



「……そう呼ぶことも腹立たしい。あいつらは、儂ら住民があの連中に絡まれているのを知りながら、それを解決しようとせんのじゃ」

「なにそれ……街の平和を守る身でありながら、あのチンピラたちの悪事を見過ごしているということですか?!」



 ガタッ、と立ち上がるシルフィー。責任感の強い彼女にとっては、俄かに信じ難い話のようだ。

 しかしエリスは、相変わらず緊張感のない声音で、



「つまり、あのチンピラどものトップにいるのは、この街の役人には手を出しづらい誰かさん…ってことね」

「え……?」



 シルフィーが聞き返すと、エリスに代わりクレアが続けて、



「ええ。大方、街に影響力のある権力者か何かでしょう。役人たちはその人物の顔色を伺って、チンピラたちを捕えられずにいる、と……そういうことでしょうか、ブルーノさん?」



 問いかけられたブルーノは眉をひそめ、一拍置いてから、



「……さぁな。親玉が誰かなど、詳しいことは儂にもわからん。ただ、あのフヌケどもがチンピラをのさばらせていることは確かだ。だからみんな、抵抗しても助けを求めても無駄だと、半ば諦めておる」

「そんな……それじゃあ、イリオンの治安は悪化する一方じゃないですか!」



 再び声を上げるシルフィーに、クレアは冷静に頷く。



「こういう時のためにいるのが、我々『治安調査員』です。各領地が治める街の暮らしは守られているか、『保安兵団』は適切に機能しているのか……それを抜き打ちで調査し、国に報告するのが我々の仕事。シルフィーさん、この件について、早速"中央(セントラル)"に報告書を送りましょう」

「は、はいっ!」



 シルフィーはハッとなり、鞄の中から紙とペンを取り出すと、大急ぎで報告書の作成を始めた。

 クレアは今一度、ブルーノに向き直り、



「ブルーノさん。"中央(セントラル)"が動き出すまでの間、ぜひ我々と行動を共にしていただけないでしょうか。『風別ツ劔』の噂の渦中にいるあなたと、先ほどそのニセモノを見せつけた我々が一緒にいれば、敵は間違いなく尻尾を出します。敵の所在が分かればこの件は早期に解決できますし、なにより我々が側にいればあなたを護衛することができる。互いにとって、最良の選択であると思います。煩わしいかもしれませんが……どうか側に置いていただけないでしょうか?」



 そう、真摯な態度で、願い出た。

 ブルーノは、考え込むように腕組みしてから……

 後ろ頭を、ガシガシと搔いて。



「………勝手にしろ」



 ぷいっとそっぽを向いて、ぶっきらぼうに答えた。







「──おぉっ、なんて美しい三枚おろし! おじいさんすごい!!」

「ふん。自分で釣った魚を捌けないようじゃ、一端(いっぱし)の漁師とは言えんわい」



 目を輝かせるエリスに、ブルーノは魚を調理しながら満更でもない声音でそう返した。


 護衛の許可を得たクレアたちは、そのまま夕飯をご馳走になることとなった。キッチンでブルーノが、釣ってきた魚の下ごしらえを始めたところである。

 テーブルでは、シルフィーがうんうん唸りながら"中央"に送る報告書を作成している。


 その様子を横目に、クレアは網の修繕を続けながら、今後の動きについて考えていた。




 本来、治安調査員の仕事はここまで。『調査し、報告する』ところまでだ。

 そこから解決に向けて実力を行使するのは、報告を受けた軍部の仕事である。

 本職のシルフィーの面子(めんつ)を立てるためにも、彼女に報告書を書いてもらってはいるが……本件に関して言えば、これにより軍部が動くことはまずない。

 何故なら、軍部もアストライアーも"水瓶男(ヴァッサーマン)"に関する調査をクレアに一任しているからだ。彼からの要請がない限り、上が行動を起こすことはない。

 しかし、それを知るのはクレア当人のみである。


 ここからは、エリスやシルフィーに本当の目的を悟られぬよう、また、危険に晒さないように"水瓶男(ヴァッサーマン)"の調査を進めなければならない。


 ひとまず『ブルーノの護衛』という大義名分を得ることには成功した。

 ここを拠点に敵の出方を見つつ、役人たちが畏れているチンピラどもの親玉について調べる必要がありそうだ。

 先ほど話した通り、それなりの権力者である可能性が高いが……それが、"水瓶男(ヴァッサーマン)"の正体なのだろうか。


 『風別ツ劔』についても、まだまだ調べたいところである。

 ジェフリーの命を奪った『焔の槍』と同等の力を持つならば、使用者を狂戦士化させる能力があるかもしれない。

 敵の手に渡る前に回収することが望ましい。


 しかし、そちらの調査については強力な味方がいる。

 エリスだ。

 彼女はイシャナの情報を引き出すべく、持ち前の人懐っこさを発揮し、今まさに気難しいブルーノの懐にぐいぐい入り込もうとしている。

 何せ、あのチェロを変態教師化させた実績がある彼女だ。彼が心を許すのも、時間の問題であろう。


 ブルーノからイシャナの情報が引き出せれば、(おの)ずと劔の所在についても明らかになるはず。あくまで、劔を飲んだイシャナの噂が本当なのであれば、の話だが……

 とりあえず劔の件は、彼女の動きを見ながら考えることにしよう。




 ……と、クレアはブルーノの横に立つエリスに目を向ける。



 魚が調理される様を見つめるキラキラしたあの笑顔は、『()』が七割、『演技』三割、といったところか。

 目的のためならば必要な愛想はとことん振りまく……そんなしたたかなところも好きだ。


 腹の内を隠して微笑む狡猾(こうかつ)さを持ち合わせているくせに、『可愛い』と囁いた途端にガチ照れするのだからたまらない。

 腹黒な彼女が心を乱す様は、見ていて本当に興奮する。


 嗚呼、今すぐ背後から抱きしめて、あの後ろ髪に鼻を押し当て匂いを嗅ぎたい。

 そうしたら彼女は、どんな反応をするだろうか。

 顔を真っ赤にしながら、問答無用で攻撃魔法をぶっ放してくるだろうか。


 ……くそ、想像の中で既に可愛い。有罪だ。これはもう手錠をかけて連れ去るしかない。




 ……などと、後ろから熱のこもった視線を向けられているとも知らず、エリスはブルーノの手元を夢中で見つめる。



「うわぁっ、おさしみできたぁあっ♡ 綺麗〜美味しそう〜っ♡ 見るからに脂が乗ってるぅぅうっ♡」

「ああもう、やかましい! 口ばっか動かしとらんで、少しは手伝わんか!!」

「え〜だってあたし、本当に料理できないんだもん。愛情が強すぎて、食材を殺しちゃうの」

「どういう理屈なんじゃソレは……そんなんじゃ嫁の貰い手が見つからんぞ」

「それこそどういう理屈? あたしができないんなら、料理上手な旦那を見つければいいだけの話じゃない。おじいさんみたいに、魚をかっこよく捌ける男をさ」

「……ふん。本当に口ばっかり達者な娘だな。料理が出来ないなら足を動かせ。ほれ、そっちの棚の一番下から料理酒を持ってこい」

「は〜い」



 ブルーノから指示を受け、エリスは素直に従う。

 調味料がしまわれた棚の前でしゃがみ、料理酒を取り出そうと一番下の戸を開ける、と……



「うわっ、なにコレ」



 思わず声を上げるエリス。

 そこには、(おびただ)しい数の酒瓶が、所狭しと並べられていたのだ。



「これ全部お酒? 料理酒はどれなの?」

「ああ、その手前の緑色の瓶じゃ」

「おじいさん、お酒好きなの?」



 言われた通り、緑色の瓶を差し出しながら、エリスが尋ねる。

 するとブルーノは、少し目を泳がせてから、



「……あ、ああ。前まではな。最近色々あって……ちと禁酒しとるんじゃ」



 その、明らかに動揺している彼の態度に、エリスは。



「………ふぅぅうん」



 『いいこと思いついちゃった♡』と言わんばかりの笑みを浮かべ。

 酒の置かれた戸棚を見つめて、目を細めた。




次回、酒が入ります。

お楽しみに。

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