4-2 湯に浸かれば、身も心も
「──付き合っていないならなおのこと、お二人ってどういう関係なんですか?」
空がオレンジ色に染まる夕暮れ時。
二人の浸かる湯の表面も、昼と夜とを混ぜ合わせたような空の色を映し、キラキラと輝いていた。
シルフィーの問いかけに、エリスは困ったように目を逸らす。
「ど、どうって……だから、ただの仕事仲間で……」
「ただの仕事仲間があんな状況になるわけないでしょう。『嫌がらせ』っていうか、クレアさんに迫られていたんですよね? ああいうこと、今までにもあったんですか? エリスさんはクレアさんのこと、どう思っているんですか?」
矢継ぎ早に質問され、エリスはびくっと身体を震わせる。それから、
「……クレアのことを、どう思っているか……」
揺れる湯船を見つめ、暫し考え込む。
やがて、彼女が出した結論は……
「……………………変態」
「……まぁ、それはなんとなくわかりますけど……」
期待した答えではなかったが、シルフィーも納得してしまう。
何せ、初対面で『"あーん"する楽しみを奪うな』と脅してきたのだ。発言も、エリスのこととなると暴走しがちである。『おかず』云々とか、『うなじの匂い』がどうのとか……
「……でも、強くて優しくて、エリスさん思いじゃないですか。何より、顔がいいし。一緒にいてドキドキしたりとか、しないんですか?」
「………どきどき……?」
エリスは沈黙し、さらに考え込む。
広い露天風呂に、湯が注がれるちゃぷちゃぷという水音だけがしばらく響き……
……そして、エリスは言葉を選びながら、ぽつぽつと語り始めた。
「……どっちかって言うと……一緒にいて"安心する"、かな。あいつと一緒にいると、何故かご飯が美味しくなる。美味しいものを食べたら、あいつにも食べさせたいなって……そう思う」
「……それって……」
聞き返すシルフィーに、エリスは頷き、
「そう。あいつは、初めてできた………あたしの、『食べ友』なの」
がくっ。
「……た、食べ友……?」
「あと、確かに顔はかっこいいから、お店でよくおばちゃんの店員がサービスで大盛りとかにしてくれて、すごく使える」
「……使える……」
あまりにも色気のない返答に、シルフィーはがっかりする。
……が。
エリスのセリフは、そこで終わりではなかった。
「………って、思っていたはずだった。それが……今日は、なんだか違ったの。あいつに……み、耳元で……」
エリスは両手で、赤くなった頬を押さえて。
「………かっ、可愛いとか、いい匂いとかって言われて……なんか、ヘンな気持ちになっちゃった。胸の辺りが、お腹が空いた時みたいにきゅーってなって……苦しくて、上手く抵抗できなくて。それで、あんなことに……」
困ったような顔で、しおしおと俯き、言った。
それを見たシルフィーは……
胸を押さえ、「んん……っ!」と身悶えする。
「(なにこの人……魔法も世渡りも超一流なのに、恋愛方面のことになるとこんなに初心なの?! っていうかクレアさん、がっつり口説いてるじゃん! ああっ、もどかしくてしんどい! 私まで胸がきゅんきゅんしてくる……っ!!)」
……と、他人の恋愛話が大好物らしいシルフィーは、勝手に鼓動を高鳴らせる。
そして再び、エリスの顔を覗き込み、
「今までは?! そういうことされても、なんとも思わなかったんですか?」
「……まぁ、男ってみんなこんな感じなのかな、って思ってた。女好きというか、すけべというか……しかもあいつ元々、諜報部のエースだったから、身近にいる人間の身辺を調査しないと気が済まないんだって。だから、あたしにアレコレ言ったりやったりするのも全部、職業病なんだろうなぁって」
……ってことは、今までもそれなりにイロイロあったということか。
しかし彼女はそれを、特別視してこなかった。
ならば……
「……それが何故、今日は違ったんでしょうか。何かきっかけとか、あったんですか?」
「………きっかけ……」
知らず知らずの内にシルフィーに誘導され、エリスは自分の心と向き合う。
そして、
「……あいつ、あんな感じでいつもヘラヘラ笑っているから、冗談なのか本気なのか、よくわかんない時があるのよね。けどこないだ、あいつが普段と違う口調になることがあったの。余裕のないあいつの言葉は……本心のように聞こえて。あれがもし本心だとしたら、あたしのこと……すごく、大切に思ってくれているのかなぁって。そう思ったら、なんか、なんか……あいつの言葉が、今までとは違うかんじに聞こえてきちゃったの……かもしれない……」
話しながら、恥ずかしそうに両手で顔を覆うエリス。
……なんだこれ。さっきまでのチンピラヤクザはどこへ行った。もう完全に、ただの"女の子"だ。
「(……何があったか知りませんが、じわじわ効いていますよクレアさん…!!)」
と、何故かクレア側の立場になってグッと拳を握るシルフィー。
「クレアさんはエリスさんのこと、すごく大切に思っているはずです。昨日会ったばかりですが、それはひしひしと感じますっ」
「……いや、でもやっぱり、ただ女好きなだけかもしれないし。実際、シルフィーに会ってから急に『任務、任務』って言い始めたから。あんたにいいとこ見せようとして、張り切っているのかも……」
「それはないです」
「……で、でも……」
「それは、ないです」
二回、強く否定され、エリスは「あぅ……」と言葉を飲み込む。
「(……クレアさんがエリスさんしか見ていないのなんて、一目瞭然だっつーの。この人、ほんとにわかっていないんだな)」
シルフィーは、小さく息を吐いてから、
「……エリスさん。クレアさんの視線を、よく見ていてください。本っ当に、あなたのことばっかり見ていますから」
「………え。そ、そんなに?」
「そんなにですよ。あなたは食べることに夢中で、まったく気付いていないんでしょうけど」
あーあ。こんなことを言ってしまったら、これから完全に意識し始めるんだろうなぁ。
はてさて、二人の関係はどう動いていくのか……
「(散々な目に遭わされたんだから、これくらいは楽しませてもらわないとね……!)」
ふっふっふ……と、シルフィーが妖しい笑みを浮かべていると……
悔しげな顔をしたエリスが、がしぃっ! とシルフィーの両胸を鷲掴みにした!
「もーっ! なんかむかつく!! このおっぱい眼鏡ちゃんがっ! 何食べたらこんなデカくなるのよ?! 揉ませろーっ!!」
「ぎゃぁあああっ! ちょ、やめてくださいよ!! そんなこと言って……」
すると今度は、シルフィーがエリスの胸をわしっ! と掴んで、
「あなたこそ、こんな立派なモノ何処にしまっていたんですか!? 着痩せするにも程があるでしょう!! クレアさんに見せてきたらどうです?! きっと大喜びしますよ?!」
「にゃぁぁああああっ!!」
形成逆転。シルフィーの猛撃に、エリスは叫び声を上げ……
二人の不毛なじゃれ合い……否、揉み合いは、しばらく続いた……
* * * *
結局、リフレッシュするはずの風呂でもくたくたに疲れた二人は、先に上がっていたクレアと宿の食堂で落ち合った。
「いいお湯でしたね」
とクレアが微笑むと、エリスは「…うん」と小さく答え、目を逸らした。
「(おおっ。意識してる意識してる)」
と、シルフィーはその様子をにやにや眺めるなどし。
やがて運ばれてきた夕食を心ゆくまで堪能し、三人は『ごちそうさま』をしてから、各々の宿泊部屋へと戻ることにした。
「──それじゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみー」
シルフィーとエリスが挨拶を交わしてから、自分の部屋に入ろうとする。
……と。
クレアが、エリスの後ろに無言でついていこうとするので。
「……ちょっと。あんたの部屋はあっちなんだけど」
それに気付いたエリスが、クレアの部屋を指さして言う。
しかしクレアは、にこっと微笑んで。
「エリスが隠している"立派なモノ"を見せていただけるとのことでしたので。今から是非、お願いしようかと思ったのですが」
……なんてことを。
好青年然とした、爽やかな口調で言うので。
エリスは、ぽかんとしてから、ゆっくりとその言葉の意味を理解し……
ギリッ、と歯を軋ませる。そして!
「……っ! エドラぁああっ!!」
──ビリビリビリビリィッッ!!
クレアの脳天に、雷の魔法が直撃する!
ぷすぷすと煙を上げ、廊下に倒れ込むクレア。
「ふっ、風呂での会話、聞いてたのっ?!」
「……聞いたというか、聞こえてきたというか……」
「いつからっ?!」
倒れたままのクレアに、真っ赤な顔で問い詰めるエリス。
クレアは丸焦げになってもなお、にこやかに微笑んで、
「……女湯をこっそり覗いたら、ちょうどエリスがシルフィーさんに揉みしだかれているところでして。それで、聞こえてしまったのです。いやぁ、非常にいいものを見させていただきました」
「って、もう見てんじゃないの!!」
「(しかも肝心なところは聞いていない……!!)」
すぱんっ!とクレアの頭を叩くエリスに、彼の間の悪さを嘆くシルフィー。
「やっぱりあんたって、ただのヘンタイだわ! ヘンタイはヘンタイらしく、そうやって廊下の床とキスでもしてなさい!!」
バタンッ! と勢いよく扉を閉め、エリスは自室へと消えた。
床に残されたクレアを見下ろし、シルフィーは、
「……たぶん、そういうところですよ。クレアさん」
せっかくエリスが意識しかけているのに……もう一歩踏み切らないのは、どうやらクレアの方にも原因があるらしい。
残念なものを見るような目でクレアに呟いてから、シルフィーも自分の部屋の中へと入った。
そして。
入ってから、はたと気付く。
「…………ってことは、私のハダカも見られたぁっ?!」
ダメだ。やっぱりあの人、ただのヘンタイなのかもしれない……
「……応援するの、やめようかな……」
と。
クレアは知らぬ間に得ていた強力な助っ人に、知らぬ間に見捨てられそうになっているのだった……
そういうとこだぞ、クレアくん。
次回、エリス視点の特別編をお送りします。
お楽しみに。