3-7 絶頂☆れーしんぐ 〜水に流してさようなら〜
クレアとエリス、最接近。
頂上祭編、遂に決着です。
──頭上から降り注ぐ外界の音が、どこか別の世界の事のように聞こえた。
狭く、仄暗い穴の底。
二人の湿った息遣いだけが響く。
流れた汗ごと首筋を甘噛みされたエリスは、ぴくんと身体を震わした。
噛みながら少し舌を動かしてやると、その感触に声を漏らす。
「……エリス……」
甘噛みの合間に、クレアは切なげな声で彼女の名を呼ぶ。
『一人で食べるなんて……寂しいじゃない』
『クレアと一緒にご飯食べるの、楽しかったのに』
独りが好きだったはずの彼女から、告げられた言葉。
自分と一緒にいたいと。一緒にいるのが楽しいと。
そう思ってくれていることを知って、クレアはもう、気持ちが抑えられなくなってしまった。
好きだ。
愛している。
このまま、離したくない。
ずっとこうして、腕の中に閉じ込めて。
全部全部、俺だけのものにしたい。
──エリスの身体からは、完全に力が抜けていた。
どうやら本当に、噛まれるのに弱いらしい。頬を上気させ、瞳を潤ませ、熱い吐息を漏らしている。
彼女が無抵抗なのをいいことに、クレアは首筋に舌を這わせゆき……
そのまま、耳たぶを食んだ。
刹那、エリスは「んっ」と声を上げ、一際大きな反応を示す。
「……そんなに気持ちいいですか? 噛まれるの」
耳元で、意地悪く囁いてやる。と、
「そっ……そんなワケ、ないでしょ……っ」
声を震わせ、濡れた瞳で答えるエリス。
その説得力のない表情に、クレアは口元に笑みを浮かべながら、
「……おかしいですね。今日はお薬飲んでいないはずなのに……あの時と同じくらい、可愛らしい声が漏れていますよ……?」
「…………っ!」
そんな風に言われ、エリスは先日の洞窟内での出来事を思い出し、耳まで真っ赤に染め上げる。
その反応にますます加虐心を擽られたクレアは。
「……まぁいいです。気持ちよくないと言うのなら…………声、我慢できますよね?」
妖しく微笑みながら、そう囁くと。
再び、彼女の耳のふちをなぞるようにして……
「やっ……ちょ、だめ…………ん……っ!」
つぅっと、舌を這わせた。
* * * *
──ちょうどその頃、地上では。
「ここを真っ直ぐ行けば、すぐに街役場だよ」
馬の嘶きと共に、馬車が停まった。
シルフィーは座席から降り、一度振り返ると、
「ありがとうございます。こちら、約束の品です」
金貨で膨らんだ革袋を、ずしっと御者に渡した。
その重みを確かに感じ取った御者は、
「毎度あり。レース、頑張ってな」
人の悪い笑みを浮かべてから、馬車を走らせ去って行った。
……さぁ。いろいろと失ったものはあるが、とにかくレースに復帰だ。
シルフィーは言われた通りに道を真っ直ぐに進む。
と、程なくして、頂上祭のコースである『うみねこ商店街』の通りに出た。
やった。ついに戻ってきた。
しかし……今、レースの経過はどのようになっているのだろう。
「……まさかもう、エリスさんが一位になっていたりして……」
一抹の不安を抱きながら、街役場を目指して坂を上って行くと……
「おっ?! あれは……キターーーっ!! 魔導少女チームの三人目!! 穴に落ちた二人が一向に出てこない中、ついに最後の希望が現れたぁぁっ!! これで優勝は決まりだぁぁああっ!!!」
ゴールテープの向こうで待ち構える運営スタッフが、シルフィーの姿を見つけた瞬間にテンションを爆発させ叫んだ。
それに呼応するようにして、役場前の広場を囲う観客たちも大いに湧き上がる。
盛大な拍手に迎えられる中、シルフィーはきょろきょろ周囲を見回して、
「……つまり、私が……一番乗り、ってこと?」
ゴールテープは張られたまま。
その向こう側に、エリスや他のチームの姿もない。
これは……最高のタイミングで戻ってこられたかもしれない。
あああよかった……金とプライドと良心を捨てた甲斐があった……!!
観客たちにとっては興醒めだろうが……このまま他のチームがゴールするのを待って、二位で入賞しよう。
と、シルフィーは達成感に胸を震わせてから……
ふと、今の実況を思い出し、首を傾げる。
「…………穴に落ちた、二人……?」
ふと見れば、坂を登りきった広場の入り口付近の地面に、ぽっかり黒い穴が空いている。
……まさか、この中にあの二人が……?
「ああっと!? ここで後方に自警団チームが現れた! ラストスパート!! もの凄い勢いで駆け上がってくるぅうっ!!」
突如響いた実況に、シルフィーが振り返る。
すると、例の筋肉質な男たちが必死の形相でこちらへ向かって来ていた。
「一位の栄光は我らに……! 我々の力を見せつけ、住民の安心と信頼を勝ち取るのだっ!!」
『おうっ!!』
などとかけ声を上げ、一位になる気満々のご様子である。
なんとありがたい。優勝は彼らに譲り、その後にするりと二位になってやろう。
シルフィーは目的の達成を確信し、ほっと胸を撫で下ろす。
そして、自警団チームの到着までに少し時間がありそうだったので。
さっきの穴のことを思い出し、本当にエリスたちが落ちているのかと、
「…………エリスさ〜ん……?」
暗い穴の底を、恐る恐る覗いてみた──
* * * *
エリスの口から、吐息混じりの甘い声が漏れる。
その反応を楽しむように、クレアは彼女の耳を、首筋を、執拗に攻め続けた。
やがて、ちゅっと音を立て、クレアは彼女の肌から唇を離す。
見下ろしたエリスの顔は……すっかり蕩けきっていた。
クレアはその、とろんとした瞳を覗き込み、
「……声、出ちゃってますよ」
くすっ、と笑いながら囁いた。
からかったつもりだった。しかしエリスは、強がりを言うどころか、
「……………ぅん……」
……とだけ呟いて。
ただただ虚ろな目をして、吐息を零した。
ああもう、なんて表情してんだ。
もっとちゃんと、いつもみたいに突き放してくれなきゃ……
………本当に、食べてしまうぞ……?
そのままクレアは、エリスのおでこに自分のをくっつけて。
「……そんなはしたない声を出すお口は…………塞いでしまいましょうか」
そう、言ってみる。しかし。
……エリスは、ぽーっとクレアを見つめ返すだけで。
……ありゃ。ひょっとして、意味わかっていない?
両手が使えないこの状況で、どうやって口を塞ぐのか……この距離なら、想像に難くないはずだが。
ならば、考える時間を与えよう。
ゆっくりと、時間をかけて近づくから、駄目なら拒否してくれればいい。
いつもみたいに罵って、頭突きでもしてくれればいい。
そんなことを考えてから、そっと顔を近づけていく……
………が。
「……………」
クレアの思いとは裏腹に。
エリスは、静かに。
瞳を、閉じた。
きっと、何をされるのか悟った上で、目を、瞑ったのだ。
その思いがけない"答え"に、クレアは戸惑う。
……うそ。本当に、いいの?
このまま……キス、してしまっても。
そしたらもう、戻れない。
もう、止められない。
それを……エリスは、わかっているのか?
……いや、後のことなんかどうでもいい。
だって、今、どうしようもなく……
…………エリスと、キスがしたい。
クレアは、エリスを押さえていた手を離し。
肩に優しく、手を置く。
そして……
エリスの唇に、自分のを重ね…………………
…………ようとしたところで。
「…………エリスさ〜ん……?」
上から、声が降ってくる。
瞬間、ピタッと止まるクレアと、ぱちっと目を開けるエリス。
そのまま二人は、ギギギ、と首を回し頭上を見上げ……
……穴の淵からこちらを見下ろす、シルフィーの姿を確認した。
シルフィーは、明らかにナニカしようとしていた二人の様子に、訝しげな顔をして、
「…………こんなところで、ナニしているんですか……?」
言われた途端、エリスの耳に、一気に外界の音が入ってくる。
運営スタッフの賑やかな実況。盛り上がる見物客の歓声。
……こんなところで、ナニしているか、って?
ほんと、なにしていたんだろ。
ぷるぷると震え出すエリスに気付き、クレアは、
「……………やばい」
そう、呟いたのも束の間。
エリスは真っ赤にした顔をバッ! と上げ、
「……うがぁぁああああああっ!!」
空中に、魔法陣を殴り描いた。直後!
──ぶっしゃぁああああああっ!!!
穴の底から大量の水が吹き上がり、中にいたエリスとクレア、さらには覗き込んでいたシルフィーをも吹っ飛ばした!!
「ぁぁぁああああああっ!!」
キラキラと涙を流しながら宙を舞い、落下してゆくシルフィー!
そのまま、地面に直撃!
……かと思われた直前、くるっと身体を一回転させ、しゅたっ! と見事に降り立った。
その姿に、観客から一際大きな歓声が上がる。
ふふん。私だって、やればできるんだから。
……と得意げに、大きな胸を反らす………が。
「なな、なんと!! 自警団チームがゴールテープを切る直前! 魔導少女チームがまさかの連携技で、一気にゴールを飛び越えました!! 優勝は!!魔導少女チーーーーム!!!」
実況に続き、『わぁぁああっ!』と降り注ぐ歓声。
それを聞いたシルフィーは。
『…………………』
ゴールテープを挟んだ正面で、硬直している自警団チームと目が合う。
そして。
……自分が、吹っ飛ばされた勢いで、ゴールテープの向こう側に着地し。
うっかり、一位になってしまったことを悟り。
「……な……な……ぬわぁぁああぁああっっ!??」
頭を抱え、天を仰ぎ。
身体を仰け反らせて、絶叫した──