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3-3 絶頂☆れーしんぐ 〜クレアの葛藤〜




「……まさか、屋根の上を進むだなんて……」



 丸い眼鏡の位置を直しながら、シルフィーが頭上を見上げて唸る。


 人の良さそうな笑みを浮かべて人様の家に上がり込んだクレアは、二階の窓から屋根にひょいっと登り、そのまま隣の屋根へとひょいひょい進み、エリスを追いかけていった。

 確かに、これなら障害物に出くわすことなく彼女を追跡できる。


 ……それにしても、このクレアの身のこなしといい、エリスの魔法の腕といい……



「……ほんと、何者なの? この人たち……」



 昨日から薄々感じてはいたが、ただの治安調査員とは到底思えない能力の高さだ。

 クレアの去っていった屋根の向こうを、シルフィーが神妙な面持ちで見つめていると……



「えぇい、いつまでも止まっていられるか! 行くぞオメーら! 温泉宿泊券のために!!」



 彼女の横で、漁師チームの男たちが「おうっ!」と声を上げながら蒸気の中を突っ切る。



「くっ! こんな所で二の足を踏んでいては、自警団の名折れだ! 行こう! 名誉にかけて!!」



 さらに、自警団チームも蒸気を乗り越え、先へと進み始める。



「あわわっ、まずい! 私も行かなきゃ!!」



 焦るシルフィー。しかし、今だ熱々の蒸気に行く手を阻まれたままだし、こんなことがこの先も続くと考えると……自分一人で二位になるのなんて、夢のまた夢だ。


 力もない。度胸もない。

 高い身体能力も、魔力もない。

 一体、どうしたら……



「……そうだ」



 正攻法が無理なら、私も……

 ……別ルートを使えばいいんだ。


 そんなことを思いついた彼女は、運営スタッフの目を盗むようにして。

 道の脇にある家と家の狭い隙間に身体を滑り込ませ、一本隣の道に出た。



「最終的にゴールに辿り着けばいいんだし、障害物に当たるよりは早いはずっ」



 そう言い聞かせるように呟いて、彼女は正規ルートから一本外れた道を駆け上り始めた。

 ……自身が、重度の方向音痴であるということも忘れて。






 ──一方、エリスを追って屋根の上を駆けるクレアはといえば。



「……いた」



 眼下に続く、レンガ畳の坂道。

 そこに、ぴょこぴょこ揺れるポニーテールを見つけた。

 エリスだ。後ろを振り返ることもせず、軽い足取りでどんどん進んでゆく。


 ……さて、どうやって彼女を止めてやろうか。


 とりあえずクレアは、彼女に並走する距離にまで近付き、



「エリス、待ってください」



 屋根の上から、彼女を呼んだ。

 声の主を察し、エリスは足を止め顔を上げる。

 屋根の上を伝って彼が追ってきたことに驚くどころか、鋭い視線を向けて、



「クレア……止めても無駄よ! あたしはもう、プリンを手に入れるって決めたの!!」

「イシャナはどうするのですか? 一度でいいから食べてみたいと、あんなに楽しみにしていたじゃないですか」

「う……それはそうなんだけど………それはそれで、なんとかするっ!!」



 なんとかする、って……んな適当な。



 どうにも彼女は、食べ物を前にするとおつむが弱くなる傾向にある。

 しかし、その特性を上手く生かせば……彼女をこの場に引き止めることも可能だ。



 そんなことを考え、クレアはハッと何かに気がついたような表情を見せてから、



「……あ、エリス。その、真後ろにあるお店……」



 彼女の背後……二階が住居、一階が店舗になっている建物を指さす。看板には、『コーヒースタンド』の文字が掲げられていた。



「隣街から客が訪れるほどに人気のある、コーヒーゼリーを売っているお店ですよ。ご存知でしたか?」

「えっ♡」



 くるんっ、と振り向き、即座に駆け寄るエリス。小洒落たカウンターの向こうから、コーヒーの香ばしい香りが漂っていた。

 よもやレース参加者が立ち寄るとは思ってもみなかった店員が、少し驚きながらも「た、食べていくかい?」と尋ねるので、



「うんっ♡ おひとつくださいなっ♡」



 エリスは懐から金貨を取り出しながら即答した。

 店員から受け取ったコーヒーゼリーを、上に乗ったクリームと一緒にぱくっと頬張る。



「んんんんん♡ 苦味と甘味の絶妙なバランスっ。後味さっぱりだから、走ってる途中でも食べられちゃうっ。さっすがクレア、わかってるぅ♡」

「ありがとうございます。この役場までの道は、カナールのメインストリート……通称『うみねこ商店街』と呼ばれていて、観光客向けに気軽に持ち帰りができる人気店が数多くあるそうですよ。ソフトクリームにワッフル、ミートパイに海鮮の串焼き……いつもなら、どこも長蛇の列ができているんだとか。しかし……」



 真剣に聞き入るエリスに、クレアはそこでわざと一拍置き、



「……それらが全て、今なら並ぶことなく買えてしまいます。レース中は、参加者しか通れないよう道が封鎖されていますからね。いかがでしょうか。後続のチームとはまだ距離があります。『うみねこ商店街』のお持ち帰りグルメ、今の内に心置きなく堪能するというのは……」

「んんんんん賛っ成〜〜っ♡」



 両手を掲げ、エリスは意気揚々と答える。

 釣れた。思ったよりもチョロかった。


 まんまと策にハマったエリスが次々に露店を巡ってゆく様を、クレアは屋根の上から眺める。

 昨日の内にこの街のグルメ情報を仕入れておいてよかった。純粋に彼女と店巡りを楽しむつもりだったが……まさかこんな形で役に立つとは。

 漁師チームか自警団チームが追いつくまで、エリスにはここにいてもらうことにしよう。


 と、クレアが後続チームの追撃を待ち構えていると……



「うんまぁ〜っ♡ ねぇクレア! このミートパイ最っ高に美味しいよ! 降りてきて一緒に食べようよ!!」



 足止めを食らっているとも知らずに、口の端にミートソースを付けたエリスが無邪気にクレアを呼んだ。

 その、眩しいほどの笑顔に、



「……ぐぅっ……!!」



 クレアは胸を押さえ、呻き声を上げる。



「だ、大丈夫です……私のことは構わず、お一人でご堪能ください……」

「えぇ〜なんで? これすんごく美味しいから、クレアにも食べて欲しいのにぃ。あたし一人で食べるなんて……寂しいじゃない」



 と、口を尖らせ、拗ねたように言うので……

 クレアは「ぐはっ!」と、血を吐いた。


 やめてくれ……そんな顔して、『寂しい』だなんて言わないでくれ……

 え、そんな()じゃなかったじゃん。一人で集中して食事楽しむタイプだったじゃん。それなのに……

 なに俺と食べるのが当たり前みたいになってんの……? 心許しすぎでしょ。なんなの。可愛い。


 嗚呼、俺のことを絶対的な味方であると信じて疑わないあの眼差し……くそっ、今すぐ降りてあの食べかけのミートパイを齧りたい! なんなら口の端に付いているソースすらも舐めたい!!

 しかし……

 ここでエリスのペースに飲まれたら、間違いなく大義を見失う。あんな可愛い笑顔で「はい、あーん♡」なんて言われた日には、「プリン食べたいですよね〜一位になっちゃいましょうか〜」って簡単に掌握される自信がある。


 ここはぐっと我慢だ……思い出せ。この旅の本来の目的は何だ? ジェフリーさんのような犠牲を二度と生まぬよう、"水瓶男(ヴァッサーマン)"の尻尾を掴み、事件を未然に防ぐことだろう?

 それが、結果的にはエリスを守ることにも繋がるのだから。


 こんな……一時的な快楽に身を委ね、大義を見失うことなど……

 あああいやでも可愛いなぁぁ……頼むからそんな仔犬みたいな目で見上げないでくれ。愛しさと罪悪感とで気が狂いそう……



 ……と、責任感と欲望の狭間で、クレアが揺れに揺れている間に、



「っしゃあ! 追いついたぞ!! 一位はいただきだぁっ!!」



 そんな声と共に、漁師チームが坂の下からみるみる内に近づいてきた。思ったよりも早く追いついたようだ。

 さらに後方からは自警団チームも近づいてきているらしく、野太い声とドスドスという足音が聞こえてくる。



「やっば! こんなことしてる場合じゃなかった! 先を急がなきゃ!!」



 それに気づいたエリスは我に返り、ミートパイの残りを口に押し込みながら慌てて走り出す。

 クレアは食べられなかったミートパイに若干の後悔を感じながらも、エリスに並走するように再び屋根の上を駆け出した……





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