3-1 絶頂☆れーしんぐ 〜嵐の前の静けさ〜
──翌日。
年に一度の祭りがあることを知ってか知らずか、天には雲一つない青空が広がっていた。
カナールの街の中心地……噴水広場には、昼前から多くの人が集まった。
この『頂上祭』のレース参加者、そしてそれを見物に訪れた街中の人々だ。がやがやとした賑わいに混じり、食べ物や飲み物を売る出店からは威勢の良い呼び込みの声が聞こえてくる。
お祭りムードに浮き足立つ人々の中で、広場に到着したエリスは、ザッ! と仁王立ちになり、
「さぁっ! 出店グルメを端から端まで制覇するわよーっ!!」
「エリス、違います。そういうレースじゃありません」
目を輝かせながら言うエリスに、クレアが冷静にツッコむ。
それにエリスはくるっと振り返り、
「えぇ〜っ! こんな美味しそうなにおいがあちこちからしているのに、ガマンしろっていうの?!」
「レースが終わった後にゆっくり堪能しましょうよ。ほら、参加者はもう集まらなくてはいけない時間です。せっかく動きやすい装いで来たのに、お腹がいっぱいになっては意味がありませんよ」
そう言いながら、クレアは……彼女の服装を、あらためて見る。
いつもの旅装よりもだいぶ薄着な、白いシャツとスパッツ姿。髪も珍しくポニーテールに結わえており、白いうなじが涼しげに晒されている。
……いや、ポニテ可愛すぎかよ。
嗚呼、そのうなじの匂いを小一時間ほど嗅がせてほしい。
……と、静かに興奮するクレアだったが、そんなこと口にできるはずがないので、
「……エリス。うなじの匂いを嗅がせていただいてもよろしいでしょうか?」
「は?!」
あ、間違えた。つい口から出てしまった。
しかしクレアは、むしろ開き直って、
「私もうなじの匂いはレース後まで我慢しますから。エリスも終わるまで出店グルメを我慢しましょうね」
「なに同列で語ってんのよ! つーかレース後も嗅がせないから! このヘンタイ!!」
……という二人のやりとりを後ろから眺め、
「……ホントに大丈夫かな、この人たち」
シルフィーは、不安げに目を細めるのだった……
「──『頂上祭』に参加される方ー! 全員集まりましたかー? これよりルール説明をおこないまーす!!」
噴水広場の端で、祭りの運営係の男性が声を上げる。
シルフィーとクレア、そしてエリスが、出店への未練タラタラなまま彼に引きずられるようにしてレース参加者の輪に加わった。
「ではあらためて、ルール説明をします! 三人一組のチーム対抗で、ここから坂の上にあるゴール……街役場を目指し競争していただきます! 途中、様々な障害物を仕掛けていますので、チームで協力しながら頑張ってクリアしてくださいね! なお、参加者がお互いに妨害を仕掛けるのは禁止です! 己の足だけで勝負しましょう! チーム内の誰か一人でもゴールすれば、その時点でチームの順位が決まります! 上位三チームには豪華賞品が進呈されますので、張り切っていきましょう!」
なるほど。と、クレアは自分たち以外の参加者を見回す。
ざっと三十人……つまり、十チームほどと競い合って坂の上を目指すということか。
漁師風の男たちや、街の自警団のバッジを付けた男たちなど、なかなか手強そうなチームも見受けられるが……それ以外はごく普通の女性や、中には子どもだけで集まったチームもある。
単純な速さ競争であれば、脅威となり得るライバルはいなさそうである。
と、クレアが考える横で、エリスが口を尖らせる。
「え〜妨害ダメなの? せっかく魔法使えるのに、意味ないじゃん」
「まぁまぁ。障害物を回避するのにきっと魔法が有効ですから。存分に力を発揮して、全部突破しちゃいましょう!」
その横で懸命にフォローするシルフィー。と言いつつ、昨日の自分のような、エリスの魔法の犠牲者が出ないことにほっと安堵したりしていた。
「ではでは、肝心の豪華賞品について紹介します! まずは三位! 走った後はぜひお買い物を! うみねこ商店街で使える商品券〜! 続いて二位! カナールの職人が魂を込めて作った! 漁師垂涎の高級投網〜!」
「あ、あれです! 私たちの目的の品!!」
運営スタッフに掲げられた投網を指さし、シルフィーが言う。
あれが……イリオンの老いた漁師が提示したという、交換条件の品か。
「……ということは、我々は二位でゴールしなければならないのですね」
「ふーん。逆に難しそうね」
それを眺めながら、クレアとエリスが呟く。そして、
「最後に、見事一位となったチームに贈られる優勝賞品は……カナール随一の高級温泉宿・かもめ旅館の宿泊券〜!! ……と。ピネーディア・リリーベルグの酪農家と共同開発! カナール産の海塩を使用した…………絶品☆塩キャラメルプリン、一年分〜!!」
運営の男性が高らかに言うと同時に、荷車に乗せられた大量の瓶入りプリンが登場する。
それを見たシルフィーが、「うわー、美味しそうですね」と呑気な感想を述べるが……
「……………」
クレアは顔に笑みを貼り付けたまま……戦慄していた。何故なら。
……うちのエリスが、これに反応しないわけがないからだ。
案の定、
「……絶品……塩キャラメル……プリン……?♡」
彼女は目にハートマークを浮かべ、登場したプリンの山をうっとり眺めている。
……これは、非常にまずい。まさか一位の賞品に、食べ物が出てくるなんて。
しかもこんな、いかにもエリスが好みそうな、ご当地の名産品をふんだんに使った品……
その視界を遮るように、クレアは彼女の目の前で手をひらひらと振りながら、
「エリス。わかっていますね? 我々が狙うのは二位ですよ? 一等賞ではありません。あの高級投網がなければ、イシャナを獲ったという漁師さんに会えないのですからね?」
「うんうん♡ わかってりゅわかってりゅ♡」
と、うわ言のように答えるエリス。駄目だ、聞こえていない。目の前のプリンのことで、頭がいっぱいなのだろう。
「……シルフィーさん」
突然クレアに呼ばれ、「はっ、はいっ」と答えるシルフィー。
クレアは神妙な面持ちで彼女に近付き、
「状況が変わりました。エリスは、一位の賞品に目移りしています」
「えっ?! 温泉宿にですか?!」
「いえ。プリンの方です」
「ぷりん?!」
「おそらく一位の座を狙って何かしら動くと思いますので……シルフィーさんも、エリスの動向には十分気をつけてください」
彼に告げられた状況に、シルフィーはゴクッと唾を飲み込んでから頷く。
今回ばかりは、エリスの希望を叶えてやるわけにはいかない。
"水瓶男"が狙う『風別つ劔』について、何らかの情報を持っているであろう年老いた漁師……それと接触するためには、二位の賞品が何としてでも必要なのだ。
……本来の任務のため。そしてそれは、エリスが安心して暮らせる平和な未来のために他ならない。
だからここは、心を鬼にして。
「……エリスを、全力で止めます」
今だ隣でぽーっとプリンを見つめる彼女の横顔に……
クレアは固く、誓ったのだった。