2-3 ホンモノとの邂逅
シルフィーの話は、こうだった。
オーエンズ領の治安調査を任された彼女は、ひと月ほど前に領内に足を踏み入れた。
今いるカナールを経由し、めちゃくちゃ迷いながらもなんとかイリオンの街へ到着。自身で街を見て回ったり、聞き込みをするなどして治安に問題がないか調査していたところ……妙な噂を耳にした。
とあるチンピラ集団が『風別ツ劔』を探し回り、あちこちで悪さをしている、と。
「……『風別ツ劔』……って、あの封魔伝説の?」
話の途中、エリスが不思議そうに尋ねる。シルフィーは頷いて、
「はい。はるか昔、魔王を封印した七賢人の一人が所有していたと言われる剣です。本気なのか口実なのかは不明ですが……そんなおとぎ話に出てくるような武器を探しているという集団が、街の住民や旅人を次々に襲っているというのです」
……ここまでは自分が調査した内容と合致しているな。
と、クレアは確認しつつも静かに続きを聞く。
「さらにもう一つ、別の噂もありまして。それは……とある漁師のおじいさんが『風別ツ劔』の在り処を知っている、というものです。しかも、それもまたおとぎ話みたいな内容なのですが……『風別ツ劔』を飲み込んだ巨大魚をおじいさんが捕まえた、なんていう現実離れした話なんです。魚の種類は確か……イシャナとかなんとか……」
「イシャナ?!」
ガタッ! と、エリスが立ち上がる。
驚くシルフィーの横で、クレアがフォローするように、
「いつだかエリスが食べたいと言っていた、希少な魚のことですね」
「そうそうっ、それよ! イシャナ……本当にイリオンで捕れるのね……!!」
目をキラッキラさせてエリスが身を乗り出すが、シルフィーは慌てて手を振り、
「それが、わからないんです。他の漁師さんたちに聞いたところ、イシャナは本当に数が減っていて、ここ十年ほどイリオンの港では水揚げされていないそうなんです」
「えぇ〜っ、そんなぁ……」
ガクッと肩を落とし、あからさまにテンションを急降下させるエリス。
代わりにクレアが口を開き、
「不思議ですね。だったら何故、そのような噂が広まったのか……幻の巨大魚が伝説の劔を飲み込んでいる、だなんて、なかなか具体的な内容ですからね」
「そうなんです。チンピラ達もその噂の真偽が不明だから、いろいろと聞き回って悪さを働いているみたいで……それで、そのイシャナを捕ったという漁師のおじいさんに詳しく話を聞こうと思い訪ねたら……門前払いを喰らってしまいまして」
しゅん、と今度はシルフィーが肩を落とす。
攻守交代するかのように、エリスが犬歯を剥き出しにして、
「それで、すごすごと逃げてきたってワケ?! イシャナが捕れたのかも聞かずに?!」
「まぁまぁエリス、落ち着いて」
と、治安のことより魚の方が大事なエリスだが、そんなのはいつものことなので、クレアは微笑みながら宥める。
食ってかかられたシルフィーは、弁明するようにぱっと顔を上げ、
「逃げてきたのではありません! その人、街でも有名な偏屈じいさんで……『話を聞きたければ指定するものを持って来い』と、交換条件を突きつけられたのです。それが、このカナールの街で手に入るから……だから一旦イリオンを離れ、この街を目指していたのです!」
なるほど。それで、迷った挙句ツカベック山にまで登ってしまったというわけか。
そう納得してから、クレアは考える。
今しがたシルフィーの口から語られた、『風別ツ劔』を飲み込んだ魚の話と、それを捕獲したという漁師の話は、完全に初耳だった。
これはあくまで推測だが……
もしかすると"水瓶男"は、所有していた『風別ツ劔』を何らかの原因で海に落としてしまい、チンピラを使って近隣の漁港に水揚げされていないか調べさせていたのかもしれない。
その中で浮上した、剣を飲んだイシャナと、それを捕まえた漁師の噂……次にチンピラたちに狙われるのは、間違いなくその老いた漁師だろう。
これは……こちらとしても、その漁師と接触する必要がありそうだ。
事情を聞くためにも、その身を護るためにも。
「……お話はよくわかりました。で、その漁師さんが指定したものとは、一体何だったのですか?」
一刻も早くその交換条件とやらをクリアし、漁師と接触せねば。
と、クレアがシルフィーに尋ねる。
すると彼女は……一度唾を飲み込み、あらたまったようにクレアとエリスの方を見て、
「……実は、それについて……お二人に、お願いがあるのです」
なんてことを言う。クレアとエリスは顔を見合わせてから、シルフィーに続きを話すよう視線を送る。
「……年に一回、このカナールの街でおこなわれる大きなお祭りがあります。その名も、『頂上祭』」
『頂上祭?』
クレアとエリスが声をハモらせ聞き返すと、シルフィーが頷く。
「山の麓なので、とにかく坂が多い街です。その中で最も長く、傾斜が急な坂を競争で登り、頂上にたどり着く順位を競う、というものなのですが……漁師のおじいさんが指定してきたのは、その賞品の一つである高級投網だったのです」
『高級投網……』
いかにも港街らしい賞品に、クレアとエリスの声が再び重なる。
そこで急に、シルフィーがバンッ!とテーブルに両手をついて頭を下げ、
「お願いです! その、坂の頂上を目指す競争に……一緒に出ていただけないでしょうか?!」
「へっ?! 一緒に、って……」
「それは、個人競技ではないのですか?」
エリスとクレアの問いに、シルフィーは目を伏せる。
「三人一組の、チーム対抗戦らしいのです。同じチームになってくれる人を見つけるため、早めにこの街に入るつもりだったのですが……迷ってしまったばっかりに、チームメイトを見つけることもできず……」
「……そのお祭りは、いつあるの?」
「明日です」
「明日ぁ?!」
あまりに急な話に、エリスは素っ頓狂な声を上げる。
しかし、シルフィーはめげずに身を乗り出し、
「三人の内、誰か一人でも頂上に辿り着けばゴールが認められるそうです! 私は、前述の通り何をやってもダメな落ちこぼれで、しかも重度の方向音痴……それに比べて、エリスさんは優秀な魔導士とお見受けします! クレアさんも私を助け出してくれた時、高い身体能力を発揮していました! 何よりも……お二人は、恋人同士なのですよね? その息の合った協力プレイで、どうか私に代わって高級投網を……」
……と、言いかけたところで。
「ちょっと待った」
エリスが、ストップをかける。
「……今、あたしとクレアが、何だって言った?」
わなわなと震えながら尋ねられ、シルフィーは少しビクつきながらも、
「え、と……こ、恋人同士だと……って、もしかして違うのですか……?」
そう、聞き返すので。
エリスとクレアは一度、互いの顔を見合わせてから、
「違う!」
「そうです」
「待ってください、今情報が錯綜しています」
同時に放たれた真逆の言葉に、狼狽えるシルフィー。
それにエリスは、ビシィッ!とクレアを指差し、
「こいつはただのビジネスパートナー! っていうか、ただのヘンタイ!!」
「え……? でもさっき、あんなに仲良くご飯食べさせ合っていたじゃないですか。ああいうのって、恋人同士じゃなきゃやらないと思うのですが……」
「えっ、そうなの?!」
シルフィーに指摘され、面食らうエリス。
しかし次の瞬間、クレアがガシッ! とシルフィーの肩を掴み、
「……あまり余計なことを言って、私の楽しみを奪わないでくださいね……? アインシュバイン家のグラハム卿のことはよぉく存じ上げていますよ……ご家族に迷惑、かけたくないでしょう……?」
耳元で囁くように、低い低い声で言った。
それを聞き、シルフィーは震え上がる。『グラハム』とは……間違いなく、彼女の父親の名前だったから。
「(なっ……ただの治安調査員のはずなのに、何故父の名を……?!)」
一方のクレアは、ハッタリでも何でもなく、実際にアインシュバイン家のことをよく知っていた。
アストライアーの任務において、反乱分子となり得る者がいないか、国内の主要貴族については入念に捜査済みである。中でもアインシュバイン家は黒い噂のない、クリーンな一族なのだが。
どちらにせよ、こういうことに疎いエリスに余計な常識を教えて、『食べさせ合いっこ』の楽しみを奪われたらたまったものではない。だから、
「すみません、冗談です。エリスの言う通り、私たちはただのビジネスパートナー……美食家の彼女がより多くのメニューを堪能できるようにと、料理を分かち合っているだけなのです」
肩を掴む手を離し、にこやかにそう言った。
シルフィーはその笑顔に恐怖を抱きながらも、必死に頷いて、
「な、なるほど! であればおかしなことではないですね! やだなー私ったら、勘違い勘違い!! あは、あはははは!!」
乾いた笑い声を上げた。それから、
「(この男……私を脅してまで、エリスさんと『あーん』し合いたいってこと……? つまり、彼から一方的にエリスさんに好意を寄せている、ということか……)」
……なんて、恋愛事情に関してはなかなかに鼻が利くシルフィーなのであった。
「……で、エリス。どうしますか? 明日のお祭り、出てみますか?」
仕切り直すようにして、クレアが聞くまでもないと思いつつもいちおう尋ねる。
エリスはニタリ、と不敵に笑って、
「決まってるじゃない……高級投網をゲットして、その漁師のおじいさんと面会するのよ! そして、イシャナを食べさせてもらうっ!!」
ぐっ! と拳を握りしめ、高らかにそう宣言した。
かくして、高級投網を巡るカナールの『頂上祭』が、始まろうとしていた──