5-1 ツカベック山の衝動
「……なんだか一生分のシュークリームを食べた気分……」
「同感です……」
結局、大量のシュークリームを食べ切るのに丸一日かかり……
エリスとクレアが次の街へ向けて出発したのは、その翌日のことだった。
「ふぅ……まだお腹が苦しい。クレア、なるべくゆっくり歩いて行こ……」
などと、エリスがお腹をさすりながら言うが。
クレアの方は、少し焦り始めていた。
何せ、この街だけで四日も滞在してしまったのだ。
彼女といるとつい、旅の本来の目的を忘れそうになる……
オーエンズ領にある目的地・イリオンは、王都から馬車なら三日もあれば辿り着く場所だ。
しかし、エリスが『馬車にかける金があるなら食事代に回したい』と言い張り、立ち寄る全ての街でゆっくりとグルメを堪能しているものだから、王都を発って早一週間が経過しようとしているのだ。
……いや、決して彼女のせいにしているわけではない。
こうなることを望んだのは、他でもないクレア自身なのだから。
それに……
「お腹は苦しいけど……みんなが欲しがるシュークリームを独占できたんだから、贅沢な話よね。一生忘れられない思い出になったわ。ほんと、あんたのおかげ。ありがとうね、クレア」
そう言って、屈託のない笑顔を向けるエリスを見て。
日に日に近付いてゆく彼女との距離感を思うと、この一週間は実に有意義であったと。
「………私の方こそ、生きてきた中で、今が一番楽しいです。ありがとうございます」
クレアはそう、思わずにはいられないのであった。
──目的地のイリオンを目指すには、領境にあるツカベック山を越える必要がある。
山の向こうにある街・カナールはもう、オーエンズ領内。そこまで辿り着けば、ぐっとイリオンに近付くのだ。
ツカベック山はそれほど標高も高くなく、山道も整備されているため、旅に慣れたものなら半日で越えられるらしい。
ピネーディアの街を昼前に出発できたので、日暮れ前にはカナールの街に到着できるであろうと、クレアは予想していたのだが……
ここでもまた足止めを食らうことになろうとは……
この時、夢にも思っていなかった。
空高く枝を伸ばした木々が、葉が、頭上を覆い尽くし足元に優しい影を落とす。
鳥たちのさえずりと、風に揺れる草木の音が耳に心地よい。
緩やかな斜面を歩きながら深く息を吸うと、深い緑と土の香りがした。
エリスとクレアは、ツカベック山の山道へと足を踏み入れていた。
道が整備されているとは言え、山は山である。何百年もの間、変わらない姿であったことを窺わせるような、自然さながらの風景が広がっていた。
ふと、クレアは枝葉の隙間から空を見上げ、
「……なんだか、雲行きが怪しくなってきましたね」
と、額に手をかざしながら言った。
山に入る前まで広がっていた青空が、今はすっかり灰色の雲に覆われているのだ。
するとエリスが、すんすんと鼻を鳴らし、
「……これ、降るわね」
「……エリス、そんなことまでにおいでわかるのですね」
「雨雲のにおい、っていうよりは精霊の数で判断できるってかんじかな。雨が近いと、ヘラが急に増え始めるから」
「なるほど。水の精霊、ですね」
クレアが感心しながら頷くと、後ろを歩いていたエリスがはた、と足を止める。
「……エリス、どうしましたか?」
振り向きながら尋ねると、彼女はしばらくクンクンと辺りのにおいを嗅いで回り、
「……川の、においがする」
「川ですか。確かに、山の麓に沢がありましたね。山を流れているのでしょう」
「小腹が空いた。そろそろお昼時だし、魚を獲りましょう」
そう言うなり、彼女は山道を外れ、木々を掻き分け勝手に歩き始めてしまう。
「ま、待ってくださいエリス。シュークリームでお腹いっぱいだと、おっしゃっていませんでしたか?」
慌てて後を追いながら、クレアが問いかける。しかしエリスは振り向かずに、川のにおいを探るように歩を進めながら、
「それはそれ。これはこれ。三食きっちり食べるのが、あたしの信条なの」
「ですが、たった今『雨が近い』と話したばかりじゃないですか。降られる前に、先を急いだほうが……」
「だったら尚のこと、今魚を獲らなきゃ。雨で川が荒れたら、もう獲れないもの。んふふ……釣った魚を、すぐに焼いて食べる……手の込んだ料理もいいけど、こういうのも最高に美味しいのよね」
などと、笑みを浮かべながらぶつぶつ呟くので。
ああ……こうなったら、もう止められない。
彼女は獲れたての川魚をその胃に納めるまで、山を下りないつもりだぞ。
と、彼女の"食"に対する執着を熟知しているクレアは、静かに悟った。
………しかし、
「それはいいですけど……エリス、肝心な釣りの道具は、お持ちなのですか?」
どんどん先へ進むエリスに、少し大きな声で聞いてみる。
すると彼女は、一度足を止め、
「……………………しまった!」
振り向きながら、ががーん! と目に涙を浮かべた。
やっぱりか……やれやれ。
と、クレアが苦笑いをした………その時!
──ガサガサガサッ!
と音を立て、何かが草木を掻き分けながらエリスの元へと近付いてきた!
エリスがそちらに目を向けると同時に、木の陰から音の正体が飛び出し、その姿を現わす。
それは……
「ヒャッハァ! 女だぁ! しかもなかなかの上玉!! これは楽しめそうだぞ!」
男だった。熊のようにずんぐりとした体型を、有り合わせで作ったようなチグハグな鎧で覆った……いかにも、賊っぽい出で立ちをしていた。
そんな男が、いやらしい笑みを浮かべてエリスを眺めてから、飛び出してきた方向を振り返り、
「頭ぁ! 女でさぁ! 早く捕まえて、お楽しみを………って、お前は?!」
言葉半ばで、エリスの後方にいたクレアに気がつき絶句する。
エリスが「知り合い?」と首を傾げると、クレアが答える前に木々の間からもう一人、地面を踏み鳴らし、さらに大柄な人物が現れた。
同じく、チグハグな鎧にガラの悪―い人相。そして、特徴的なモヒカン頭……
頭と呼ばれたその男は、「女ぁー?」と言ってからエリスの姿を見つけると、
「お、ほんとだ。へへ、けっこう可愛い顔してんじゃねぇか。どれ、俺がその顔を快楽で歪めてやるから、楽しみに……」
「お、おおお、お頭! 後ろ! 後ろォ!!」
最初に現れた男が、クレアを指さし必死に叫ぶ。それにモヒカン男は「あン?」と怪訝そうに後ろを振り返ると……
「……………げっ!! あ、あなたは!!」
クレアと顔を合わせたその男は……二日前の晩、クレアが奇襲し利用した、あのワルシェ団の山賊頭だった。
圧倒的な強さでボコボコにされた上、四つん這いで椅子がわりにされ、挙げ句の果てには手錠までかけられたことを思い出し……山賊頭は顔を真っ青にする。
「あ、その節はどうも~! あれ、ひょっとしてこちらのお嬢さん、クレアさんのお連れ様でしたか?! なんだぁ~早く言ってくださいよ~さすが、いい女連れてますね~~!!」
額から汗をダラダラ流しながら、必死で媚びへつらう山賊頭だったが……
クレアはただ、にこりと微笑むと。
無言で長剣を抜き、山賊頭のモヒカンを根元から斬り捨てた!
「ぎ……ぎゃあぁぁあああ! 俺様の自慢のヘアーが!!」
「お、お頭ぁぁああ!!」
一瞬で毛髪を失い、取り乱す山賊頭とその手下。
クレアは剣を鞘に納めながら、
「先日ご協力いただいた情けで、目は潰さないでおきましたが……いいですか。彼女のことをエロい目で見て良いのは、公式ストーカーであるこの私だけなのです。次、彼女を辱めるような言葉を口にしたら、その時は……」
「って、あんたもダメだよこのヘンタイ!!」
キメ顔で言うクレアの言葉は、エリスによる全力のツッコミによって遮られたのだった。





