4-6 ピネーディアの攻防
──その、数時間後。
「…………んぁ」
エリスは、宿の自室で目を覚ました。
腕の痺れを感じ、自分の状況を確認する。
ベッドではなく、部屋に備え付けのテーブルで座ったまま、伏せるようにして眠っていたようだ。
テーブルの上には、 精霊封じの小瓶と、様々な数式や魔法陣を書きなぐったノートが散乱しており……
「………………しまった!」
エリスはガタッ! と椅子から立ち上がると、部屋の戸を開け、大慌てで廊下へと出る……
すると、そこには、
「お。お目覚めですね。おはようございます、エリス」
廊下の壁に背を預け、爽やかに笑うクレアの姿があった。
しかしエリスは、挨拶を返す余裕もなく、
「今何時?! やばい、完全に寝落ちしてた! せっかく色々準備したのに! 早くお店に行かなきゃ!!」
などと言いながら、彼の前を通過し一階へ降りて行こうとするので、
「その必要はありませんよ」
クレアははっきりとした声で、そう告げた。
それにエリスは、階段を降りかけていた足をピタッと止め、
「………………え?」
振り返りながら、顔をしかめた。
クレアは、後ろ手に隠していた紙袋を前に掲げると、中から何かを取り出し………エリスに見せつけるようにした。
まぁるくて、キツネ色をした、小さな物体。
それは、紛れもなく………
「しゅ、シュークリーム…………まさか!!」
エリスはダッ! とクレアに駆け寄り、彼の手から紙袋を引ったくる。
そこには正真正銘、『レヴェロマーニ』のロゴが描かれていて……
彼女は泣きそうな、それでいて笑うのを堪えるような、なんとも言えない顔でクレアを見上げる。
そこで、クレアが一言。
「戦利品です。どうぞ召し上がれ」
にっこり笑って、そう言った。
エリスは目を見開いてから、次第に顔を歪ませてゆき……
「あ……あ……ありがとうぅぅううああああああ!!」
だーっ、と滝のような涙を流し、わんわん泣き始めた。
想像以上の反応に、クレアは笑いそうになるのを堪えながら、
「ああ、ほら。あまり騒ぐと他のお客さんに迷惑ですから。一旦部屋へ戻りましょう」
彼女の背中に手を添え、部屋の中へと促した。
とりあえず、エリスの部屋に二人で入る。と、クレアはテーブルの上に散乱したノートに気がついた。
何やら、魔法に関連したことが書き連ねてあるようだが……やはり彼女は彼女で、何が策を練っていたのだろうか?
「エリス、これは……?」
クレアがノートを指し尋ねると、エリスは涙を拭いながら「ああ」と答え、
「新しい精霊の組み合わせと、魔法陣を考えていたの。このままやられっぱなしじゃ腹の虫が収まらないから、開店待ちしているやつら全員、腹痛起こして強制帰宅させてやろうと思って。誰もいなくなれば、自ずと私が列の先頭に立てるでしょう?」
「…………そんなことまで、魔法でできてしまうのですか?」
「できる。使い方によっては"毒"にもなる精霊がいるのよ。国の研究所にも報告していないから、完全にあたしだけが知っているモノなんだけど……それを冷気の精霊・キューレと混ぜて特定の範囲に漂わせれば、酸素と一緒に対象者の体内に吸い込まれて、猛烈な腹痛を……」
「あの、聞くのが怖いのでそれ以上は大丈夫です」
クレアは手のひらを見せ、続くエリスの言葉を止めた。
彼女はあっけらかんとした表情で「そう?」と肩を竦めるが……
危なかった。今日シュークリームを手に入れていなかったら、エリスの魔法によりパンデミックが起こるところであった。
さすが、天才魔導士にして食欲魔人。食べ物の恨みは恐ろしい。山賊を利用してでも手に入れておいて、本当によかった。
と、クレアが胸を撫で下ろしていると、エリスが続けて、
「そんなこんなで、部屋にこもって夜通し魔法の開発していたら……情けないことに、いつの間にか寝ちゃってたみたい。あいつらに仕返しできなかったのは残念だけど、こうしてあんたが手に入れてくれたから、それでじゅーぶんだわ。あ、今シュークリーム代払うわね」
そう言って財布から金貨を取り出そうとするので、クレアはすかさず止めに入る。
「ああ、お代なら結構です。大した額ではないので」
「………でもあたし、美味しいものには対価を支払わないと気が済まないのよ。それに、朝早くからわざわざ買ってきてくれたのに、お金まであんた持ちだなんて……」
と、申し訳なさそうに言うエリスの顔を見て。
……クレアは内心、「狙い通り」とほくそ笑む。そして、
「では、お金の代わりに………一つだけ、私のお願いを聞いてはいただけないでしょうか?」
人差し指を立てながら、そう尋ねた。
瞬間、エリスはジトッとした目で彼を見つめ返し、
「………こないだみたいにヘンなコトしようってんなら、お断りよ」
「まさか。先日のに比べれば、些細なお願いですよ」
手をパタパタ振るクレアを、エリスはなおも疑いの眼差しで見つめるので……
彼は、戦利品のシュークリームをそっと手に持ち、
「ただ、これを………私の手から、食べていただきたいのです」
まるで下心のなさそうな微笑を浮かべ、言った。
エリスは意味がわからず、こてんと首を傾げる。
「あんたの手から、食べる……?」
「はい。私が貴女に、食べさせて差し上げたいのです。所謂『あーん』というやつですよ」
「なぁんだ、そんなことでいいの? なら、お安い御用よ。むしろ食べさせてもらっちゃって悪いわね」
「いえいえ。美味しそうに食べる貴女を、間近で見させていただきたいので」
「その感覚はイマイチよくわかんないけど……とにかく、それでいいわ。ね、早く食べさせてっ♡」
散々『待て』を喰らった犬のように、エリスはキラキラと期待に満ちた表情で彼を見上げる。
それにクレアは、息が乱れそうになるのを抑えながら、
「……では、とりあえず座りましょうか。
それから、ゆっくりと……楽しみましょう」
妖しげな微笑を浮かべ、穏やかな声音で、そう言った。