4-1 ピネーディアの攻防
──スイーツ。
ケーキにパフェ、タルトにプリンといった、甘い甘いデザート。
それはいつの世も、人々……特に女性の興味を惹きつけてやまない、魅惑の存在。
超舌怒濤の食欲魔神ことエリシア・エヴァンシスカも、御多分に洩れず甘いものには目がない。
しかし、真に美味なるスイーツというものは当然人気があり、故になかなか手に入らない場合もあって……
これは、とある至高のスイーツを巡り繰り広げられた、四日間の攻防の記録である──
深夜に一騒動あったものの、リリーベルグの宿屋での朝食をしっかりと堪能したエリスとクレアは、朝食を終えるとすぐに次の街へと出発した。
「チェロさんがどうなったのか、確認しなくて良いのですか?」
とクレアが尋ねるも、エリスは淡々とした声音で、
「次の街で早く食べたいものがあるから、そんなんどうだっていい」
と血も涙もない答えを返した。
クレアは胸の内で合掌しつつも、それ以上何も言わないでおいた。
次に目指すのは、ピネーディアという街である。そこそこ田舎街だったリリーベルグよりもさらに田舎な、農地が広がる長閑な街だ。
そんな土地に向かうというのに、昨日までと比べ心なしか足早に歩を進めるエリスを、クレアは横目でしばらく眺めてから、
「エリス。次の街でのお目当ては、何ですか?」
そう聞いてみた。
するとエリスは進行方向を見据えたまま、
「シュークリームよ」
「ほう。甘いものですか」
「そ。ピネーディアは酪農が盛んなの。だから、新鮮で濃厚なミルクを使ったスイーツが最高に美味しいんだって。中でも大人気なのが、『レヴェロマーニ』のシュークリーム」
「『レヴェロマーニ』とは……店名ですか?」
「その通り。焼き菓子屋さんよ。そこのシュークリーム目当てに他所の街から買いに来る人までいて、すぐに完売しちゃうんだって」
「なるほど。それで少し急いでいるわけですね」
「そうなの! ほら、リリーベルグは養鶏が盛んだったでしょ? そんな隣街の卵と、ピネーディアの牛乳。新鮮で濃厚な二つの食材を使ったカスタードクリームは、一度食べたら忘れられないにくらい美味しいんだって。嗚呼……考えただけでほっぺが落ちそう♡」
そう言って、両頬に手を添え、うっとりするエリス。クレアは「確かに」と顎に手を当て、
「昨晩、リリーベルグで食べたオムライスは絶品でしたからね。二つの街の特産品をふんだんに使ったスイーツ……これは、かなり期待が持てますね」
「でしょでしょ? クレアは甘いもの大丈夫な人? シュークリームは好き?」
「はい。どちらかと言えば、甘いものは好きな方ですよ」
「よかった! じゃあいっぱい買い込んで、今日はシュークリームパーティーにしましょ♡」
はい可愛い。にっこりスマイルいただきました。
どうやら昨晩の暴走行為で損ねたご機嫌は、完全に直してくれたようだ。
……などと考えながらクレアが微笑み返すと、エリスは「よーし!」と息巻いて、
「そうと決まれば歩いてなんかいられない! クレア! 走るわよ!!」
「え? 今からですか? ピネーディアまで、まだ結構ありますよ?」
「何言ってんの! 絶品シュークリームが売り切れる前に、なんとしてでも辿り着かなきゃ!! ゴーゴーッ! ゴーーッ!!」
意気揚々と走り出し、あっという間に進んでいってしまう。
その楽しそうな後ろ姿を、クレアがしばらく眺めていると、
「ほーらクレア! 置いてっちゃうわよ!!」
エリスが一度振り返り、こちらに手を振ってくる。
クレアは、自分の存在を待ってくれていることに嬉しくなり、
「今、行きます」
彼女の元へ、すぐに駆けて行った。
──その、数時間後。
「…………………………」
エリスは、立ったまま白目を向いて……
気絶、していた。
正面には、無事に辿り着いた『レヴェロマーニ』の店舗と……
入り口に貼られた、『シュークリーム 本日分は完売しました!』の文字。
彼女の心情を表すかのように、ヒュー……と風が吹き抜ける中、クレアは「お気を確かに」と声をかけてみるが、反応がない。よっぽどショックだったらしい。
確かに、時刻はようやく昼を迎えた頃である。いくら人気店とはいえ、まさか午前中に売り切れてしまうとは……さすがに予想外だったのだ。
エリスが無言のまま打ちひしがれていると、背後から「あらあら」という声がする。
クレアが振り返ると、そこいたのは……小太りの中年女性だった。まっピンクなワンピースと、逆三角形の金縁眼鏡をかけている。裕福そうな雰囲気のマダムだ。
「あなたたち、旅の人? ここのシュークリームを目当てに来たのかしら。だったら、惜しかったわね。ついさっき完売したところよ。おほほ」
と、真っ赤な口紅で縁取られた口を縦に開けて、お上品な声で笑う。
固まったままのエリスに代わり、クレアがそれに応じることにする。
「噂通りの人気店なのですね。いつも昼前には売り切れてしまうのですか?」
「ええ、そうよ。材料と窯の関係で、一日百個しか作れないんですって。だから、だいたいこの時間にはいつも売り切れね」
「何時頃に来れば、購入できそうでしょうか?」
「そうねぇ……朝九時にオープンするから、明日またそれくらいに来てみたら?」
クレアが「ご親切にどうも」と会釈すると、マダムはにこやかに去っていった。
「……だ、そうです。聞いていましたか?エリス」
マダムの姿が遠ざかった後、クレアは隣で石化したままの彼女にそう尋ねてみる。
すると、
「…………リベンジよ」
小さく呟いたかと思うと、エリスは両手をグッと握りしめ、
「明日、開店と同時に乗り込む!! そんで、あるだけ買い占める!! あたしが通ったあとには一片のシュー生地も残らないんだからね!! 首を洗って待っていなさい!!!」
ビシッ! と店を指差し、悔し涙を浮かべながら叫んだ。
いや、買い占めるって……もし一番乗りで、百個残っていたら、全て買うつもりか?
……まぁ、彼女ならやりかねない。たかがシュークリームを買うだけなのに、まるで果し合いでもするかのようなこの気迫。彼女はいつだって、食べることに全力だ。
エリスが店舗を睨みつけるその横で、彼女は今日もブレないなぁ、と。
クレアは一人、穏やかに微笑んだ。
──しかし。
この時、クレアはまだ知らなかったのだ。
"甘いもの"を巡る女の戦いは……
そんなに甘いものではない、ということを。