10 最期の指令
――翌日。
レーヴェ教団・奇襲作戦の決行日。
昼過ぎ。カトレアに告げられた待ち合わせ場所――いつもの酒場がある路地の入口に、アルフレドは立っていた。
緊張した面持ちで落ち着かない様子だが、それももちろん演技だ。
しばらくして、タイトなワンピースに身を包んだカトレアが現れた。
今日、アルフレド扮するコリンの勧誘に成功すれば、念願の違法指輪がもらえる。
そんな約束された未来を誇るような、華やかな装いだった。
「それじゃあ……行こっか」
「は、はい」
カトレアの案内で、アルフレドは歩き出す。
その後を、ジェフリーを始めとした特殊部隊の隊士たちが気配を殺しながら追跡した。
クレアも、当時と同じようにそれに続いた。
レーヴェ教団には特定の活動拠点がない。
そのため、集会がどこで・どれくらいの頻度でおこなわれているのか不透明だった。
だが……それも今日で明らかになる。
信者と教祖が一堂に会する現場を押さえ、関係者を一網打尽にする。
違法指輪を所有しているとはいえ、相手は一般人だ。特殊部隊の敵ではない。
……恐らく、全員がそう思っていた。
この時までは。
――アルフレドの後を追い、隊士たちが辿り着いたのは……王都を囲う城壁の外にある、廃墟だった。
持ち主のいなくなった農園の一画。家畜を飼っていたらしい広い農舎。
カトレアは、装いに似合わないその場所にアルフレドを招き入れた。
人の出入りが途絶えたことを確認し、ジェフリーが隊士たちに合図を送る。
そうして、信者の集う農舎を取り囲むようにして、クレアたちは位置についた。
閉ざされた扉の向こうから、信者たちの雑談する声が聞こえてくる。
気配からして二十から三十人ほど。事前に入手していた情報と一致していた。
やがて、信者たちの騒めきがぴたりと止まった。
直後、農舎の奥に……ゆったりとした足音が響いた。
教祖・レーヴェリアス。
その男が、姿を現したのだろう。
「……私たちのもとに、魔法の威光が等しく降り注がんことを」
レーヴェリアスと思しき声――若くはない男の声が、もっともらしい挨拶を述べる。
その後を、信者たちが復唱する。
「正しき世界を願う同志よ、ここに集えたことを喜ばしく思います。……おぉ。本日も、初めてお目にかかる方がいるようですね」
レーヴェリアスのその言葉を待っていたかのように、カトレアが答える。
「はい! 私の友人のコリンさんです! 我々のように魔法の在り方に疑問を抱いている同志です! 教祖さま、どうか彼を導いていただけないでしょうか?」
「よろしい。コリンさん。あなたはどのような迷いを抱え、ここにいらしたのですか?」
悠然と問うレーヴェリアスの声。
それに、コリン――アルフレドは、戸惑うように答える。
「えっと……僕は、その……」
「遠慮はいりません。ここにいるのはみな仲間……家族も同然の存在です。さぁ、恐れずに迷いを打ち明けて」
「それじゃあ、遠慮なく……こほん。僕がここに来たのは――――あんたらを、捕縛するためだよ」
控えめな雰囲気から一変。
不敵に笑いながら、そう言った。
それが合図となった。
十名あまりの特殊部隊隊士が、一斉に農舎の中へ突入する。
「軍の特殊部隊だ! 全員両手を頭の後ろに回し、地面に伏せろ!!」
長剣を構えながら、ジェフリーが言う。
農舎の中の光景は、クレアの記憶と変わりなかった。
家畜を囲う柵が残る広い空間……その中央に整列するように信者たちが座っている。
そして、その正面に一人――黒い口髭をたくわえた初老の男が立っている。この男がレーヴェリアスだ。
神聖さを演出する白いローブを身に纏い、禿げ上がった頭には丸い帽子を乗せている。
農舎の出入口は四か所。東西南北に位置している。
そこを隊士が一人ずつ塞ぎ、残りの者で信者たちを捕縛する作戦だ。
教団は違法な魔法指輪を所持している。そのため、魔法による抵抗を想定していたが……まともな訓練を受けていないが故に、咄嗟に発動できなかったのだろう。信者たちは瞬く間にロープで縛られ、次々に床へ転がった。
そうして拘束されたカトレアが、アルフレドを睨み付ける。
「あんた……よくも騙したわね!」
殺意のこもった鋭い視線。
しかし、アルフレドは顔色一つ変えずに、
「無駄吠えはやめておけ。この後の取り調べで嫌と言うほど喋らされるんだからな」
冷徹な隊士の態度で、そう返した。
信者たちはほとんど無抵抗に捕らえられたが、教祖のレーヴェリアスだけは必死に抵抗していた。
しばらく農舎の中を逃げ回っていたが、ジークベルトとレナードがついに取り押さえた。
「ったく……無駄な足掻きを」
「外も包囲している。もう諦めろ」
ジークベルトが組み伏せるように押さえ付け、レナードがロープを用意する。
そして、その両手を縛り付けようとする――が、その時。
レーヴェリアスが、天を仰ぎ、
「――神の遣いよ!! 我が手に、聖なる槍を!!!!」
目を血走らせながら、そう叫んだ。
レナードとジークベルトが顔を顰める。この期に及んでまだ血迷いごとを言うのかと……クレアも三年前はそう思った。
しかし、違った。
今思えば、これは……
"水瓶男"――"精霊の王"への、呼びかけだったのだ。
刹那、レーヴェリアスの手に、熱が宿った。
その熱さに、レナードとジークベルトは咄嗟に後退る。
陽炎を生む得体の知れない熱源……やがてそれは槍の形を成し、レーヴェリアスの手中に収まった。
「なっ……なんだ、ありゃあ……?!」
離れた場所で信者を縛っていたジェフリーが、驚愕の声を上げる。
黄金に輝く、長い持ち手。
その先にある白銀の槍穂と――そこに灯る、青い焔。
突如現れた奇妙な武器に、隊士たちは戦慄し……信者たちは、酔い痴れるような感嘆を漏らした。
「ちっ……早く取り押さえろ!」
ジェフリーの号令に、隊士たちが一斉に斬りかかる。
いくら武器を握ろうが、相手は素人。特殊部隊が数人がかりで挑めば容易く拘束できるはずだった。
だが、その不気味な槍を手にしたレーヴェリアスは……
「くふふっ……あはははははははっ!!」
狂ったように高笑いすると……
目にも止まらぬ速さで槍を振るい、隊士たちの剣撃をすべて弾き返した。
「なっ……あいつ、槍術の使い手か……?」
アルフレドが額に汗を滲ませる。
が、そんな生温いものではないことを、クレアだけは知っている。
これはレーヴェリアスの実力ではない。
"禁呪の武器"による強制的な狂戦士化……人の理を超えた力を齎す、禁忌の呪いなのだ。
隊士たちはタイミングをずらしながら、隙を突くように斬りかかる。
だが、レーヴェリアスはそのすべてに反応し、槍で受け止め、弾き、突きを繰り出した。
猛攻に紛れるように、レナードが数本のナイフを素早く投げ付ける。
死角からの不意打ち。しかし、レーヴェリアスは人体の構造を無視するような動きで身体をうねらせ、これを躱した。
厄介なのは槍による攻撃だけではない。レーヴェリアスが動く度に槍穂に灯る炎が飛び火し、農舎に残る牧草を燃やした。
そこら中から火の手が上がり始め、建物内の酸素を奪ってゆく。
「クレア、アル! 信者たちを退避させろ!!」
ジェフリーが二人に命ずる。
クレアは……いよいよその時が近いことを悟る。
北側の出入口を開け、クレアとアルフレドは信者たちを外へ誘導する。
すると、複数の隊士と激しい戦闘を繰り広げていたレーヴェリアスがそれに気付き、
「私の信者を……返せぇぇええええっ!!」
バッ、と高く跳躍し、出入口の方へと一気に距離を詰めてきた。
落下しながら、クレア目掛けて槍を振り下ろすレーヴェリアス。
クレアは転がるようにそれを避け、すかさず斬り返す。
しかし、すぐに弾かれ、反撃される。
その突きの重さと肌を焼く炎の熱は、三年前のこの時を完全にトレースしていた。
(ここで、レーヴェリアスを抑え込めていたら……)
クレアの胸に、無意味な後悔が押し寄せる。
(あるいは、信者たちをもっと早くに退避させられていたら……ジェフリーさんは、きっと……)
だが、運命は変わらない。
どんなに悔やんでも、過ぎた時間は二度と戻らない。
だから――
――ジェフリーが遺した現在を、護るしかない。
……そして。
その時が、ついに訪れた。
クレアが応戦している間に、アルフレドが信者たちを外へと逃す。
と、他の者に押されたカトレアが、足をもつれさせ転倒した。
それを目にしたレーヴェリアスは……
「貴様のせいだ……この役立たずがぁああああっ!!」
クレアの剣撃を躱し、カトレアへと向かって行った。
頬を掠める炎の熱。
それに振り返った時には、もう遅かった。
カトレアへ一直線に伸びる青焔の槍――
その切先が、彼女へ到達する…………その直前。
彼女を庇うように、手を広げ。
ジェフリーが、立ち塞がった。
槍が防具を突き破り、彼の腹を貫通する。
くぐもった呻きと共に、口から鮮血が吹き出した。
そうなることを知っているはずなのに、クレアは……
「……ジェフリーさんッ!!」
あの時と同じように、叫んでいた。
腹を貫かれたにも関わらず、ジェフリーは倒れない。
それどころか、腹に刺さった槍の柄を両手でぐっと握り、レーヴェリアスの動きを封じる。
「クレア! やれ!!」
血を飛ばしながら、ジェフリーが叫ぶ。
その命令を待つより早く、クレアは動いていた。
槍を引き抜けず、焦りの表情を浮かべるレーヴェリアス。
その背後へと、クレアは駆け……
鋭い一閃で、レーヴェリアスの首を跳ね飛ばした。
ブシュウッと噴き上がる血が、白いローブを真っ赤に染める。
刹那、宙を舞った首がゴロリと地面を転がり……
分離した身体が、ドサッと崩れ落ちた。
信者たちはパニックを起こし、悲鳴を上げながら逃げ出す。
それを隊士たちが追う中、クレアはジェフリーに近付き……腹から『炎神ノ槍』を引き抜いた。
脱力するジェフリーの身体を、クレアが抱き留める。
腕の中で温もりが、命が、徐々に消えてゆくのがわかる。
『クレア……最期に、頼まれちゃくれねぇか……?』
あの時の声が、今もクレアの耳に残っている。
『時々でいい。娘と、妻を……見守っていてほしい』
しかし今、目の前のジェフリーから、その言葉は紡がれない。
当然だ。だって、ジェフリーが下した最期の指令は……クレアしか知らないのだから。
『娘の誕生日に……これをこっそり、届けているんだ。あいつの、誕生花』
『もうすぐ、あいつの誕生日なんだ……頼む、家の前に置くだけでいい……俺の代わりに、これを……』
……その遺言を、口にすることなく。
"虚水の鏡界"が生んだニセモノのジェフリーは、小さく微笑み……
眠るように、息を引き取った。
三年の時を経て、再び目の当たりにしたジェフリーの死。
わかっていたのに。
覚悟していたはずなのに。
愛を知った今の方が、あの時よりずっと……胸が痛くて。
「……ジェフリーさん。貴方が遺した最期の指令は、今も継続中です。貴方の大事なものは、俺が命をかけて護りますから…………安心して、眠ってください」
混乱する周囲の喧騒に紛れるように。
クレアは、シナリオにないその報告を、彼に捧げた。