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9 隠された深淵




 ――次の日。

 クレアは日が暮れるのを待ち、ルカドルフ王子の部屋へ侵入を試みた。


 "中央(セントラル)"にある、軍の庁舎。

 その上層階に、王子の部屋はある。


 三年前ということは、この世界の王子はまだ八歳。

 この時から"禁呪の武器"の実用化を目論んでいたのかはわからないが、レナードの調べによれば王子にメモで指示を送っている人物がいることが明らかになっている。

 それはきっと王子と近しい人物に違いない。その手がかりが何かしら掴めるのではないかと、クレアは期待していた。



 警備の目や魔法で張り巡らされたトラップを抜け、クレアは王子の部屋があるフロアに辿り着いた。

『王子の部屋』といっても、ここに居住しているわけではなく、言わば書斎のような部屋だ。日が暮れているこの時間、王子は確実に不在にしている。


 クレアは廊下を巡回する衛兵の背後に回り、首筋に手刀を食らわせ気絶させた。

 現実の世界ではここまで上手くはいかないだろうと思いながらも、部屋の前に立ち……

 他とは明らかに造りの違う、重厚で豪奢な扉と対峙した。


 レナードがチェロと共に侵入できたということは、鍵はピッキングで突破可能ということ。

 クレアは針金を取り出し、いつものように解錠を試みる。

 が……その鍵穴には、手応えがなかった。


 通常なら何かにひっかかる感触がある。当たり前だ。鍵の内部は金属同士が複雑に噛み合っているのだから。

 しかしこの鍵穴は、いくら針金を動かしてみても何かに当たる感触がない。

 まるで、針穴に糸を通しているような空虚さだ。


 初めから施錠されていない可能性を考え、ドアノブを捻るが、鍵は間違いなくかかっている。

 一体、どういうことなのだろうか?



 クレアは、先ほど気絶させた衛兵を見下ろす。もたもたしていれば、いずれ目を覚ますだろう。

 せっかくここまで来たのだ、何も掴まずに引き下がるのはあまりに惜しい。

 何より、この"鏡界(きょうかい)"へ来て既に四日が経っている。エリスの凍結魔法がいつ発動してもおかしくはない。

 手をこまねいている時間は、もうなかった。



「……………………」



 クレアは、腰から『元・風別ツ劔』を抜くと……

 息を吐き、姿勢を低く構え――


 素早く劔を振るい、扉を斬った。


 すると、重厚な扉に亀裂が走り……

 ガラガラと音を立てながら、崩れ落ちた。



 鍵穴に手応えがないのなら、扉を破壊するより他ない。

 所詮、ここは幻想の中だ。このような大罪を犯したところで現実世界に支障はない。

 


 そう開き直るクレアの眼前――舞い上がる埃の向こうに、王子の部屋が見えてくる。

 無人のため、灯りはない。

 が……視界が不鮮明なのは、暗闇が理由ではなかった。



「……な…………っ」



 クレアは、絶句する。

 崩れた扉の先。広いその部屋の中に広がっていたのは……


 白い(もや)


 この世界の果てで見た、あの曖昧な景色とまったく同じだった。



 この靄が、王子の部屋の中にあるということ。

 それが表す意味は……




「この"鏡界(きょうかい)"に……王子の記憶は、学習されていない……?」




 さらに言えば、アルフレドも王子の部屋の造りを記憶していない、ということ。


 クレアは、後退りして廊下に出る。

 すると、斬り崩したはずの扉がひとりでに動き出し……

 時間を戻すようにして、完全に元の状態へ復元した。

 "鏡界(きょうかい)"の記憶にない領域への破壊は自動的に修復される仕組みらしい。



 再び閉ざされた扉を前に、クレアは息を飲む。


 もしかすると……根本的に勘違いをしているのではないか?

 この"水球"は、クレアたちから記憶を読み取るために王子が仕掛けた罠。

 だから、王子やその勢力の記憶をベースとした幻想世界が展開しているのだと思っていたが……



 そもそも自分の記憶の中を歩き回らせるようなリスクを、王子たちが冒すだろうか?



 一つ、間違いなく言えるのは、この"鏡界(きょうかい)"にはアルフレドの記憶が反映されているということ。

 そして、アルフレドは"禁呪の武器"の適性者。


 もし、クレアが王子の立場なら……

 アルフレドを、どう使う?



(そうか……きっと、前提から予想を(たが)えていたんだ)



 クレアは、エリスやシルフィーと交わした議論を思い出す。

 ルカドルフ王子の参加した、出発前の会議を思い出す。

 急な任務が入ったと、マリーを預けに来たアルフレドを思い出す。


 湖の周囲には『飛泉(ひせん)水斧(すいふ)』も、それを操る者もいない。

 だから、『水斧(すいふ)』はきっと"水球"の内部にある。

 そして、王子たちが施した何らかの方法によって、使用者のいない状態で力を発動させている。

 そう、思い込んでいたが……



 実際は、違う。

 使用者はずっと、そこにいたのだ。


 湖の中心で『飛泉(ひせん)水斧(すいふ)』を握り、"水球"を展開し、自らの記憶を元に幻想を生み出し続けていた。




 ……アルフレド。

 彼こそが、"水球"を生み出した張本人であり――


 この"虚水(きょすい)鏡界(きょうかい)"の核そのものなのだ。




「……………………」



 導き出された結論に、クレアは立ち尽くす。


 それでも、いくつかの疑問が残されていた。

 アルフレドが王子らの協力者だとすれば、その記憶の中にクレアたちを招き入れるのは同じくリスキーだ。

 加えて、アルフレドは王子の部屋の造りを知らない。つまり、ここには立ち入ったことがないということ。


 そこから推察するに……アルフレドは王子らの勢力とそれほど深く関わっていないのではないか?

 それどころか、王子の目論みをまったく知らないままこの件に巻き込まれている可能性すらある。


 ……なんて、猫を預かる間柄にある後輩への希望的観測が含まれているのかもしれないが……



 ――これから陥れようとしているクレアたちに、わざわざマリーを預けに来るだろうか?



 そう思わずにはいられなかった。




 ……なんにせよ、この世界でまだやれることはある。

 いくら劔で斬り付けようが、事実と異なる破壊は自動的に修復されることがわかった。

 ならば……暴きたい場所をすべて、暴くまで。


 クレアは劔を鞘に納めると、次なる場所――魔法研究所へと向かった。






 ――偽りの月が照らす中。

 クレアは、軍部庁舎に隣接する魔法研究所に到着した。


 衛兵を警戒し、正面玄関とは反対の裏口へと回る。

 そして……窓にかかる鍵の部分を斬り、破壊した。


 音を立てないように窓を開け、クレアはするりと研究所内へ入り込む。

 そこは、一階の廊下。白い石造りの壁が長く続いている。

 先ほどの王子の部屋と異なり、ちゃんと実体のある空間だった。



 叡智を誇る厳かな意匠と、不浄を許さぬ清廉な空気……この施設に立ち入る度、クレアは図書館と病院を合わせたような雰囲気を感じる。


 アルフレドは二歳の時、この研究所で"適性者"の実験を受けた。そして、彼には幼い頃の記憶が鮮明に残っている。

 だからこそ、この建物の内部は現実に忠実に再現されているのだろう。



 隠蔽された十七年前の実験の手がかりが残っているかは不明だが……

 とにかく、隅から隅まで探るとしよう。




 魔法研究所の建物は三階建てだ。

 クレアはまず三階へ上がり、上から順に全ての部屋を調べていく。


 が、結論を言えば、そのほとんどが(から)……クレアの寮部屋のように何もない空き部屋になっているか、白い靄が広がっているかだった。

 部屋の中がどういう造りをしているのか、アルフレドの記憶にないからだろう。


 だが、どこかに必ず、アルフレドが実験に晒された部屋があるはず。

 鮮明に構築された空間があれば、それこそが実験現場に違いないのだが……



 ……と、再び一階に戻って来たクレアは、最も広い実験室に足を踏み入れた。


 壁には魔導書や魔法薬学で用いる瓶や薬草がしまわれた棚。

 その棚に囲まれるようにして、実験や議論に適した大人数用のテーブルが四つ設置されている。

 魔法学院(アカデミー)の生徒が実習で訪れることもある、比較的開かれた部屋である。


 だからだろうか、この部屋だけは細部までしっかりと再現されていた。

 その中を歩き、クレアは注意深く観察する。そして……



(……………ん?)



 ふと、ある場所に違和感を覚えた。


 それは、床。

 クレアでなければ気付けない程の微かな違和感ではあるが……場所によって、足音の響き方が微妙に違うのだ。



「…………まさか」



 クレアは、床に片耳を付ける。

 そして、何度かノックする。

 場所を変えながら、同じことを繰り返してみるが……


 ……間違いない。

 この下に、隠された空間がある。



 クレアは劔を突き立て、床板を一枚ずつ剥がしてゆく。

 バキバキと無遠慮に暴き、やがて見えて来たのは……


 何かを蓋するように閉じられた、鉄の扉だった。



 ……こんなものが、わざわざこの"鏡界(きょうかい)"に造られているということは――

 この床下の扉の存在を、アルフレドが知っているということ。



 クレアは、覚悟を決めると……

 冷たい取っ手に手を伸ばし、扉を開けた。

 

 その先にあったのは、螺旋階段。

 それも、かなり深くまで続いているようだ。



 魔法研究所に地下空間があったとは……恐らくエリスやチェロでさえも知らないだろう。


 クレアは警戒しながら、暗い階段を降りてゆく。

 灯りはない。それでも、弧を描く手すりと足裏の感覚を頼りに、クレアは着実に降りて行った。



 ……この階段を降りた先に、十七年前の実験現場がある。



 そう確信しながら、クレアは歩を進め……

 やがて、その足が、階段の終わりへと到達した。



 足音が響くほどに広い空間。

 しかし、わかるのはそれだけだった。


 真っ白だった王子の部屋とは対照的に、そこには真っ暗な闇が広がっていた。

 夜目が利くクレアでさえ何も見えない。目の前に掲げた自分の手さえも認識できないほどの、圧倒的な暗さだ。


 クレアは懐を漁り、小型のナイフを取り出す。

 それを『元・風別ツ劔』に打ち付け、火花を起こすが……

 耳障りな金属音が響くだけで、火花は光らなかった。


 ……おかしいと、クレアは思う。

 確かに火花を起こした手応えはあった。

 それなのに、自分の目には火花が映らない。

 試しに何度か繰り返すが……結果は同じ。



 ……まさか、これこそが、"この空間"なのか?

 あらゆる光を吸収する、真の暗闇が横たわる空間。


 あるいは……



 ……と、その時。

 クレアは、暗闇の奥から冷気が漂っていることに気付いた。

 陽の光が届かない地下ならば、室温が低いのは当然であるが……



 これは、そうではない。

 強い冷気を発する"何か"が、この空間の先にある。



 まさか……何かしらの魔法か?

 しかし、この"鏡界(きょうかい)"の時間軸では冷気の魔法は存在しないはず。あれはエリスが魔法学院(アカデミー)在学中に発見し、実用化させた新種なのだから。



 なら…………この暗闇の奥には、一体何がある?




「………………」



 ……その真相を探りたいと思ったが、このまま先へ進むと階段の位置すらわからなくなる。

 そうして迷っている内に破壊した床板が自動で修復し、地上への道が閉ざされてしまうだろう。

 今は、諦めるしかなかった。


 

 完全な暗闇が広がる地下空間。

 そして、その奥から漂う奇妙な冷気。


 このことは、魔法研究所が隠す秘密の一つとして、エリスに持ち帰ろう。


 

 クレアは踵を返し、降りて来た階段を戻って……魔法研究所を後にした。






 * * * *






 ――そして、夜が明け……

 その日が、ついに訪れた。


 クレアたち特殊部隊(アストライアー)が、レーヴェ教団の集会を奇襲する日……



 ジェフリーの、命日である。



 

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