8 避けられない運命
――クレアは自分のデスクに座り、アルフレドの経歴書を確認する。
アルフレドが養成施設『箱庭』に引き取られたのは、彼が二歳の時。
借金のかたとして親に売られ、犯罪組織に監禁されているところを当時の特殊部隊に救出された。
しかし、親も既に犯罪組織に殺されていたため身寄りがなくなり、そのまま国に引き取られたらしい。
推定四歳のクレアが『箱庭』に来たのは、この少し前。
同時に、魔法研究所は『天穿ツ雷弓』を入手した。
経歴書にはアルフレドが受けた適性実験のことは書かれていなかったが……
時期から推測するに、『雷弓』の適性者を見出す実験は、アルフレドが『箱庭』に入った直後におこなわれたのだろう。
幼いアルフレドは『雷弓』の呪いにより悪意の素となる感情を吸い出され、"禁呪の武器"の適性者となった。
同時に、感情の起伏に乏しい人間になってしまった。
……クレアと同じように。
――"空っぽな人間"。
アルフレドが他者を演じ切れるのは、"武器"に感情を奪われたことにも理由があったのだろう。
その後、アルフレドは『箱庭』で国の戦力として育てられ、十三歳の時に特殊部隊へ入隊した。
経歴書に書かれている情報は、それですべてだった。
「……どうだ? 欲しい情報は見つかったか?」
ニセモノのジェフリーが、そう投げかける。
クレアは立ち上がり、経歴書を返しながら答える。
「えぇ……アルは、実の親に人身売買されたのですね」
「そうだ。当時のことは、まだはっきり覚えているって言ってたぜ」
経歴書をしまいながら何気なく言うジェフリーに、クレアは驚く。
「それって……アルには二歳の頃の記憶があるということですか?」
「あぁ。なんなら、赤ん坊の頃の記憶も鮮明に残っているらしい。稀にそういう人間がいるって聞いたことがあるが……忘れられないっつーのも困りモンだろうな」
その情報は、初耳だった。
これが事実なら、アルフレドは二歳の頃に受けた"適性者"の実験についても記憶しているはずだ。
当時の魔法研究所が何を目論み、そして、そのデータを用いて王子らが何をしようとしているのか……それを知る鍵は、アルフレドにある。
「なるほど……教えていただきありがとうございます」
「にしても、まさかクレアが後輩を励まそうとしているとはなぁ。人間っつーのは変わるもんだ」
面白がるように笑うニセモノのジェフリー。
その憎らしいくらいに本物じみた笑みに、クレアは……
「……そうですね。私は、変わりました」
貴方と、貴方の娘のお陰で。
そう胸の内で付け加え、静かに微笑み返した。
* * * * *
――その夜。
クレアは、昨日と同じ酒場にバーテンダーとして立った。
開店からしばらくの後、記憶通りにカトレアが来店した。
クレアの顔を見るなりバツが悪そうに目を逸らし、カウンターの隅に座って、呟くように酒を注文した。
「もう来てくださらないかと思いましたよ」
カクテルを差し出しながら、クレアが言う。
カトレアは、赤い紅の塗られた唇をつんと尖らせ、
「……昨日は悪かったわ。ついカッとなっちゃって……あんなことしちゃった」
「お気になさらずに。酒場に喧嘩はつきものですから」
「……似ていたのよ、昔のあたしに」
ぽつり、とカトレアが言う。
「あのコリンって男の子……昔の自分を見ているみたいで、腹が立ったの。うじうじして、現状に不満があるくせに何も変えようとしない……所謂、同族嫌悪ってやつね」
そして、カクテルを一口飲んでから、
「もしまた会えるなら、謝りたかったんだけど……さすがにもう来てくれないわよね」
そう残念そうに言うので、クレアはにこっと微笑みかける。
「いえ、きっと今夜もお見えになりますよ。噂をすれば……ほら」
……そこで、来客を告げるドアベルが鳴る。
「こ、こんばんは……昨日はどうも」
気弱な青年・コリンになり切ったアルフレドが、控えめな声でそう言った。
――その後、カトレアはコリンに謝罪した。
自身もコリンと似た境遇にあったこと。
昔の自分を見ているようで苛立ってしまったこと。
それらの話を聞き、コリンに扮するアルフレドも謝罪した。
カトレアの酔いも進み、二人は良い雰囲気で会話を続けた。
そして……夜も深まった頃。
「――今日は楽しかったです。カトレアさん、ありがとうございました」
「いいえ。あたしこそ……楽しかった」
帰り支度をするアルフレドに、カトレアが微笑む。
会計を済ませ、アルフレドは「おやすみなさい」と店を出た。
その背中を、カトレアは暫し見送り……
突然、思い立ったように店を出て、彼の後を追った。
「コリンくん!」
後ろから呼ばれ、振り返るアルフレド。
カトレアは駆け寄り、彼の手を取ると、
「……コリンくん。二日後、時間をもらえない? あなたに来てもらいたい場所があるの」
「二日後? 大丈夫ですけど……どこに行くんですか?」
「『未来』よ」
カトレアは、熱の上がった目で彼を見つめ、
「あなたが諦めた『あるべき未来』を……あたしが見せてあげる」
花園へ誘う蝶のように、妖しく囁いた。
* * * * *
「――つーことで。二日後、レーヴェ教団の集会にお呼ばれすることになりましたー!」
数時間後。
特殊部隊の隠れ家にて、アルフレドが意気揚々と拳を掲げた。
その陽気な報告に、レナードとジークベルトは呆れ果て、クレアは笑みを保ち……
ジェフリーは嬉しそうに笑いながら、アルフレドの背中をバンバン叩いた。
「やるじゃねぇか、アル! これで教団を一網打尽にできるな!」
「ありがとうございます! これもすべて先輩たちのご指導のお陰っす!」
そう言って「ガッハッハ!」と笑う二人に、レナードたちはやれやれと首を振った。
……これで三年前と同じように事が運んだと、クレアは思う。
レーヴェ教団の集会に乗り込むのは二日後。つまり、明日はまだ時間がある。
引き続き"中央"へ赴き、ルカドルフ王子と魔法研究所の関係者について調査することにしよう。
そして、明後日……いよいよ、集会の奇襲作戦の日。
このまま記憶通りに進むのなら、クレアたちは教祖が振るう『炎神ノ槍』と対峙することになる。
それを回収した後、魔法研究所がどのように扱うのか……そこにアルフレドやルカドルフ王子がどう関わってくるのか、当時見ることのできなかったそれらの動きをしっかり観察する必要がある。
などと、すべきことを整理する一方で……
クレアは、どうしても避けられない運命について考える。
アルフレドと肩を組み、豪快に笑うジェフリー。
……この時、ここにいる誰もが、想像すらしなかった。
二日後、見たこともない槍に貫かれ、ジェフリーが命を落とすだなんて。
そんな未来を知らずに、ニセモノのジェフリーはクレアたちに向かって、
「よーし、今から肉食いに行くぞ! レナード、ジークベルト! お前らも来い! もちろん、クレアもな!!」
三年前と同じ声で、彼らの名前を呼んだ。