1 街道にて
第二部 スタートです。
クレアが欲望のままにやりたい放題するパートがしばらく続きますので、どうか生温かい目で見守ってやってください。
──抜けるような青空が広がる、よく晴れた日だった。
暖かな午後の日差しを浴び、芽吹いたばかりの草葉がキラキラと輝いている。
柔らかな風はどこからか花の香を運び、優しく木々を揺らす。
そんな晴天の下、王都から隣領へと続く一本の街道を、一組の男女が肩を並べ歩いていた。
まだあどけなさの残る少女と、背の高い青年である。
少女の名は、エリシア・エヴァンシスカ。
赤い大きな瞳に、桃色がかった茶髪を持つ美少女だ。
フード付きのローブに白いブラウス、赤いスカートの下に黒いスパッツを履いている。
分厚い本の背表紙部分に革紐を付け、それを鞄のように肩から斜めにかけていた。
魔法を発現させる際に用いる不可視の存在"精霊"を、世界でただ一人、その味覚をもって認識することができる"超舌魔導少女"である。
青年の名は、クレアルド・ラーヴァンス。
焦げ茶色の切れ長の瞳に、同色の髪。鼻筋の通った端正な、それでいて常に微笑んでいるような穏やかな顔立ち。
引き締まった長身をライトアーマーに包み、腰には長剣を携えている。
国に仕える戦士として生まれ育ち、幼少期より叩き込まれた潜入捜査スキルを私的に乱用する"変態ストーカー剣士"である。
そんな二人は今、王都から二つ離れたオーエンズ領の、イリオンという港街を目指していた。
表向きは、国から命じられた治安調査のため。
しかし、その実態は……
「ああっ、刺身に炙りに煮付けにフライ! とれたて新鮮な海の幸、どうやって食べてやろうかしら……楽しみすぎておかしくなりそう♡」
頬に手を当て、エリスがうっとりと言う。
彼女にとってこれは、仕事に託けた、ただのご当地グルメ巡りの旅なのである。
そして、隣を歩くクレアにとっては……
「そうですね。私も、美味しそうに食べる貴女の姿を間近で見られるかと思うと……楽しみすぎて、どうにかなりそうです」
二年以上ストーキングしていた推しとの、夢のような旅路なのであった。
……否、忘れてはいけないもう一つの大きな目的がある。
それは、クレアの恩師でありエリスの実父であるジェフリーの仇……"水瓶男"の動向を探ること。
過激な思想の宗教団体・レーヴェ教団に強大な魔力を秘めた武器を与え、国家転覆を目論んでいたようだが……
教団は、クレアの所属する特殊部隊・アストライアーによって粛清された。
しかし、黒幕であるその男は姿を眩ませたまま。
クレアの調査によれば、奴は再び伝説級の武器を手にし、同志を集めるべくイリオンの地で暗躍しているようである。
……あのような悲劇を二度と繰り返さないためにも、必ずや"水瓶男"の手がかりを掴まなくては。
瞳に強い意志を宿らせ、クレアはイリオンの方角を鋭く見つめるが……
「え? あんた、自分が食べることより、他人が食べてる姿を見るのが楽しみなの? 変わってるわね」
と、先ほどの発言に対し、ストーキングの事実を知らないエリスが眉を顰めて言うので、
「いえ、美味しそうに食べる貴女を見ながらだと、より楽しく食事ができそうだなぁと思いまして」
クレアはすぐに穏やかな笑みを浮かべ、変態的発言をもっともらしく言い換える。
エリスは「ふーん」と興味なさげな返事をし、
「ま、いいわ。あたしはあたしで美味しく食べるから、クレアはクレアで好きなように食べたらいい」
「はい。そうさせていただきます」
「ちなみに、食事代はぜんぶ経費で落とすつもりだから。じゃなきゃこの仕事に就いた意味がないしね。そこは目を瞑ってくれるとありがたい」
「仰せのままに」
「あら、意外と物分かりがいいのね。パートナーを同行させるのが必須条件って言われたから、どんだけ口煩いお目付役を付けられるのかと心配していたんだけど」
「私も左遷させられた身なので、いつまでも従順な"国の犬"でいるつもりはありませんよ。これからは……そうですね。貴女の"番犬"になる、というのはいかがでしょうか。女性の一人旅は何かと危険ですから。その御身を護る為についてきたお供、くらいに思っていただければ」
「番犬、ね……確かにあんた、なかなか腕が立つみたいだもんね。けど、魔法であたしに勝てる人間なんてそうそういないだろうし、本当は一人でも全然ヘーキ……」
と、エリスが肩を竦めた……その時。
二人の背後から、一台の馬車が物凄い勢いで向かってきた。
どうやら馬が暴走しているようだ。ガタガタ揺れる車体の上で、御者が決死の表情で手綱を握っているのが見える。
エリスがそれに気が付き、振り向いた時にはもう、すぐ目の前まで馬が迫っていて……
「…………ッ!」
身体を強張らせ、目をぎゅっと閉じた……直後。
彼女の身体はクレアに抱き締められ、そのまま道路脇の草むらへとダイブしていた。
間一髪、馬との衝突を免れた。
二人が直前まで歩いていた場所を踏み鳴らし、馬車はガタゴトと走り去って行った。
「……と、こんな感じでお役に立てることもあるかと思うのですが……番犬として、どうかお側に置いてはいただけないでしょうか?」
腕の中のエリスに向かって、クレアは草むらに横たわったまま尋ねる。
………が。
ふと、気がつく。
……密着した、彼女の身体の感触に。
彼女の身を護るため咄嗟に取った行動だったが、冷静になってみるとこれは……いろいろとやばい。
眼下にある艶やかな髪からはふんわり甘い香りが漂ってくるし、腕にすっぽりと収まる肩は驚く程に華奢だ。
……なにより。
自分の胸板に押し付けられ、むにゅうっと形を変えている立派な双丘が……その柔らかすぎる感触が、己の中の獣をこれでもかと刺激する。
嗚呼、たった二年でこんなに大きく育って……けしからん。実にけしからん。
などと、クレアが笑顔の裏に狂気を秘めているとも知らずに。
エリスは、「一人で平気」と言いかけた直後にさっそくクレアに助けられてしまったことを恥じ、少し顔を赤らめて、
「……わ、わかったわよ。体術ではあんたに敵いそうにないし…………なんかあったら助けなさいよね、番犬」
そう、密着したまま上目遣いで言ってくるので。
「……………ぐほぁっ」
クレアは……吐血した。
「えっ?! だ、大丈夫? どっかケガでも……」
「……大丈夫です。過度な供給に、内臓が追いつかなくなっただけなので……」
「……きょうきゅう……?」
「いえ、こちらの話です……とにかく、いつまでもこの体勢でいるのはいろいろと危険なので。離れましょう」
首を傾げるエリスを、クレアは名残惜しくも引き離そうとするが……
「あ、待って」
ぐいっ。
今度はエリスに身体を引き寄せられた。
再び、二つのふくらみがクレアの胸に押し当てられる。
「いや、え、ちょっと……」
平静を装うのが得意なはずのクレアも、さすがに余裕のない声を上げる。しかしエリスはお構いなしに身体を寄せ……
彼の首筋に、唇が触れてしまいそうな距離にまで顔を近付けたかと思うと……
───すんすん。
その匂いを、嗅いだ。
「………………あの、エリス? 一体なにを……」
「いや、なんかあんたの匂い、どっかで嗅いだことがあるような気がして……」
どきっ。
クレアの心臓が、思わず跳ね上がる。
エリスは彼の瞳をぐっと覗き込んで、
「ねぇ…………あたしたち、どこかで会ったことある……?」
真っ直ぐに、そう尋ねてきた。
それに、クレアは……
彼女を見守り続けていた事実を、隠さなければいけないとわかっていながら。
自分の匂いを認識してくれていることに、どうしようもなく嬉しくなってしまって。
「……だから、言ったじゃないですか」
彼女の身体を仰向けに押し倒し、その上に覆い被さるようにして跨り、
「……私は、貴女のストーカーです。貴女のことを、ずっと側で見ていました。これからも貴女を護る番犬でいたいのですが……いつか抑え切れなくなって、主人の首筋に牙を立てる狼になってしまうかもしれません。それでも、本当に……側にいて、よろしいでしょうか?」
いつもの穏やかな表情とは違う、妖しげな笑みを浮かべて言う。
ストーキングしていたことがバレては、旅のパートナーを解消されたっておかしくないのに……自分でも何故こんなことを言っているのか、わからなかった。
ずっと見てきたことを知ってもらいたいのか、それとも、彼女の怯えた表情が見たいのか……或いは、その両方か。
エリスは、ルビーのように赤い瞳を大きく見開き……
しかし、それをすぐに細めて。
「……あたしの美味いもの巡りを邪魔しないのなら、ストーカーだろうがオオカミだろうが、なんでもいいわ。あんたからは……悪い人間の香りはしないもの」
怯える様子もなく、キッパリと答えた。
クレアは拍子抜けしたような、それでいて「彼女らしいな」とも思う、なんとも言えない気持ちになって。
「……そうですか。しかし……本当に悪い人間でないか、もう少し確認した方が良いのではないですか? しっかり匂いを嗅いでいただくため、なんなら今すぐ服を脱ぎましょうか?」
「いや脱がんでいい、脱がんで」
「えぇー、そう言わずに。ほら、もっと嗅いでくださいよ。会ったことがあるか否か、思い出せるかもしれませんよ?」
「だぁから、脱ぐな! あたしの勘違いだから! あんたみたいなヘンタイ、一度会ったら忘れないし!!」
声を荒らげるエリスに、クレアは「あはは」と笑って、
「すみません、つい悪ふざけを。貴女が可愛らしいので、困らせたくなってしまうのです」
立ち上がり、仰向けに寝そべる彼女に手を差し出す。
その手を取り、同じく立ち上がりながらエリスが呆れ気味に息を吐き、
「……それってどういう理論? そう思うのなら、普通困らせないでしょ」
「おっしゃる通りですが、自分でもよくわからなくて。私はどこかおかしいのかもしれません」
「そうね。間違いなくヘンタイだわ」
膝に付いた土を払いながら、吐き捨てるように言った。
クレアは、何故か嬉しそうに微笑んで。
「──では。貴女の忠実な番犬として、そして公認の変態ストーカーとして、しっかりお供させていただきますので。宜しくお願い致します」
「……あんまりヘンなことするようなら、イリオンの海に沈めて魚のエサにするからね」
「善処します」
その足を、草むらから土を固めた道路へ戻すと。
二人は再び肩を並べて、イリオンの街を目指し歩き始めた。