5 名優のジレンマ
「あら、見ない顔ね。こんばんは。この店は初めて?」
アルフレドがカウンター席につくなり、隣に座るカトレアが声をかけた。
アルフレドは緊張の面持ちでそれに答える。
「は、はい。先日成人したばかりで……あまり酒場には慣れていなくて」
「ふーん。でも、飲みたくて来たのね。お酒好きなの?」
「はい。酒は……嫌なことを忘れさせてくれますから」
目を合わせないまま、含みのある答えを返すアルフレド。
彼の狙い通り、カトレアが首を傾げる。
「何か、悩みでもあるの?」
「……それは……」
アルフレドは口ごもる。これもカトレアの興味を引く演技だ。
クレアは酒を注いだグラスを差し出し、シナリオを進める。
「はい、どうぞ。悩みをすべて吐き出す自供剤をブレンドしておきました」
「あははっ、お兄さんナイス。ほらほら、ぐいっと飲んで。ヤなこと忘れちゃいな?」
カトレアが楽しげに煽る。彼女がこの酒場に通うのは教団に勧誘するカモを見つけるためだ。彼女の目に、アルフレドは絶好の獲物として映っていることだろう。
アルフレドは意を決したようにグラスを掴み……その中身を一気に飲み干した。
ちなみに、グラスの中身は酒に似せたジュースだ。本当に酔ってしまっては任務に差し支えるし、そもそもアルフレドは未成年。だからこそ、クレアがバーテンダーとしてサポートしているのだ。
「わぁーお、良い飲みっぷり。ほらほら。これも何かの縁だし、お姉さんがグチ聞いてあげるわよ?」
カウンターに肘をつき、目を細めるカトレア。
アルフレドはドキッとした演技をして……俯きながら、小さく語り始めた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……僕、コリンっていいます。仕事は馬車の整備士。うちは代々、この家業を継いでいて――」
そうしてアルフレドは、『コリン』という架空の人物になり切り、その生い立ちを語った。
厳しい父の元、馬車の整備士としての腕を磨く日々。
生まれた時から家業を継ぐことが決められていた彼だが……本当は魔法に憧れていた。
だから十三歳の時、勇気を出して父に「魔法学院を受験したい」と願い出た。
今は手作業でおこなっている大変な作業も、魔法を使えば素早く簡単にできるようになるかもしれない。
作業効率が上がれば依頼を多くこなせるようになり、収入も増えるはずだと、論拠立てて説得した。
しかし……父は、彼の説得を一蹴した。
魔法で楽をするなどもっての他。伝統的な整備士の仕事をお前の代で途絶えさせるのかと、何度も殴られた。
コリンはすっかり心を折られ、魔法学院の受験を諦め……以来、父に教えられた古いやり方で整備士を続けているのだった。
「――ひどい話ね……」
聞き終えたカトレアが、同情するように言う。
コリンに扮したアルフレドは、弱った笑みを浮かべて、
「でも、父さんの言い分にも一理あるんです。魔法を学んだところで、その知識を整備士の仕事に活かせるかはわからない……だったら、魔法学院には通わずに整備士の腕を磨き続けた方が、結果的に効率が上がるだろうって」
「けど、魔法は既に様々な仕事の助けになっているわ。精霊を封じる瓶の技術が開発されてからは尚更、いろんな事業が魔法を活用し始めている。あなたのお父さんの考えは……あまりにも前時代的よ」
コリンの考えを尊重するように言うカトレア。
アルフレドは小さく首を振り、
「僕もそう思います。このままだと魔法を取り入れた同業に仕事を奪われるって。でも、父さんは僕の意見に耳を貸してくれない……きっと僕が半人前だからです。僕がもっと実力をつけなければ、いつまで経っても父さんと対等には話せない」
自らを責めるように、グラスを握る手に力を込めるアルフレド。
カトレアは身を乗り出し、彼に顔を近付ける。
「そんなに自分を責めないで。あなたは悪くない。悪いのはわからずやなお父さんと……魔法に対して閉鎖的な、この世界の方よ」
と……自身の暗い感情を、声に滲ませる。
「おかしいと思わない? 魔法は便利で素晴らしいものなのに、使える人間が限られている……あなたの言うように、同じ仕事でも魔法の有無によっては利益に差が出るなんて。こんなの、あってはならないことだわ」
……そして。
カトレアは、アルフレドの手をそっと握り、
「――もし今、魔法を使える術があるとしたら……それを授けてくれる神がいるとしたら、あなたはどうする?」
彼女の中での最高の殺し文句を、囁くように口にした。
カトレアとしては、完璧な勧誘だったはずだ。
自分とよく似た境遇の青年。その劣等感に寄り添い、教団へ引き込む……彼女が何度も成功させてきた流れだ。
アルフレドとしても、理想的な形での作戦成功と言える。狙い通りレーヴェ教団への勧誘を受け、内部に潜入する糸口が掴めたのだから。
しかし……
この完璧な舞台の顛末を、クレアは知っていた。
だから、カウンターから少しだけ離れ、その後の流れを見届ける。
手を握られたアルフレドは、息を飲む。
そして、カトレアの瞳を見つめ返すと……
やはり、困ったように笑って、
「はは……そんなの、あり得ないですよ。魔法は魔法学院を卒業しなきゃ使えない。ちゃんとした知識と技術を身につけなきゃ、扱うことすらできないんです」
「だから、それを可能にしてくれる神がいたらって話よ。縋ってみたいとは思わない?」
「うーん……でも、僕みたいなダメ人間は、結局魔法が使えるようになってもダメなままだと思うんですよね。それこそ、楽な方法で身につけたら余計に苦労するというか……結局は父さんの言う通りになるんじゃないかな、って」
そう、軟弱な声で答える。
それは、『父親の言う通りに生きてきた気弱な息子』が答えるに相応しいセリフだった。
父のやり方に疑問や不満を抱きつつも、結局はその考えに同調してしまう……洗脳されている、と言ってもいい。
アルフレドの演じるコリンは、高圧的な父を持つ息子として、あまりにリアル過ぎた。
その没入的な演技は、勝利を確信していたカトレアをこれでもかと苛つかせた。
カトレアは立ち上がると、自身の飲みかけのグラスを手に取り……
中の酒を、アルフレドの顔面にぶち撒けた。
「さっきから聞いてりゃ『でも、でも』って……あんたには"自分"ってモンがないわけ?!」
そして、カクテル代を乱暴にカウンターに叩きつけると、
「変わる気がないなら、一生パパの言う通りに生きてなさい! このヘタレ虫が!!」
そう怒鳴り付けて。
ヒールをカツカツと踏み鳴らし、店を出て行った。
甘ったるいカクテルをぽたぽたと顎に滴らせながら、アルフレドは放心する。
その様を、他の客がザワザワと眺める。
作戦の初日、役に没頭するあまり、アルフレドはレーヴェ教団に近付く機会を逃す――
これも、クレアが記憶する過去の通りだった。
当時はここからどう挽回すべきかと思案したクレアだったが……
今は、まったく別の感想を抱いていた。
(飲みかけのカクテルを感情にまかせてぶち撒けるなんて……信じられない。もったいないにも程がある)
……と、せっかく作った酒を無駄にしたカトレアに、ドン引きしていた。
こんなことにショックを受けるなんて、当時の自分なら考えられなかった。
これもすべて、エリスの影響だ。だってエリスはクレアが作った料理を「うんまぁあっ!」と大喜びで頬張り、綺麗に平らげてくれるから……クレアの中ではそれが当たり前になってしまったのだ。
仮にエリスがこの場にいたなら、ドリンクをぶちまけたカトレアをとっ捕まえ、懇々と説教していただろう。
そんなエリスの姿を、脳内でありありと想像し……
(はぁ…………早くエリスに会いたい)
声に出せない弱音を、胸の内でぽつりと零すのだった。