18 君を泣かせる方法
「は……あたしが、あんたを泣かせる?」
聞き返すエリスに、クレアは頷く。
「はい。自発的に泣くことは難しそうなので……涙が出るようなこと、してみてくれませんか?」
「え……うぇえ?」
いきなり突き付けられた難題に、エリスは大いに困惑する。
その表情をクレアがにこにこと眺める中、エリスは虚空を見つめ、暫し思案した後……
何か思い付いたのか、魔法陣を描き始めた。
描いたのは、鉄の精霊を呼び出す魔法だ。
そうして彼女は、鋭利なナイフを生み出し……
その柄をぎゅっと握って……クレアにジリジリと歩み寄る。
「………………いくわよ」
「あっ。これ、刺されるかんじですか?」
「だって、泣かせろって言うから……!」
ナイフを向けながら、ぶるぶる震えるエリス。
クレアは、思わず半眼になる。
(人を刺すことに恐怖を覚えている割に、最初に思い付いた方法が暴力とは……なんともエリスらしい)
などと思いつつ、クレアはナイフをそっと取り上げる。
「明日の行動に支障をきたすといけないので、負傷を伴う方法はナシでお願いします。それに……どんなに斬り刻まれても、涙は出ないと思いますよ」
「えっ、そうなの?」
「はい。生死を彷徨うような負傷をしても、気絶するほどの拷問を受けても、泣いたことなどありませんでしたから」
「なんか……久しぶりにあんたの闇に触れた気がするわ」
エリスは軽く手を振り、生み出したナイフを無に帰した。
そして再び、「うーん」と考え込み……
「……あっ、わかった」
ぽん、と手を打ち、「こほん」と咳払いをしてから……
クレアの前に仁王立ちすると、
「――クレア! あんたとはもう、キスしないから!!」
ばばーん。
得意げに言い放った。
しかしクレアは、彼女の意図をすぐに悟る。
これは、前回オゼルトンで催した『激辛スープ早食い対決』の時のセリフだ。
すべての痛みを快感に変えるべく、マゾの精神を身体に降ろしたクレアにエリスが言い放った愛の鞭。
確かにあの時は、自然と涙が零れたが……
自信満々に胸を反らすエリスに、クレアはずいっと近付くと、
「残念ながら、今となってはそのセリフには何の説得力もないのですよ」
「んなっ?!」
「だってエリス……私とのキス、大好きでしょう?」
言いながら、彼女の顎を持ち上げる。
そして、その瞳をぐっと覗き込み、
「いつも可愛い声で『もっと』とねだるじゃないですか。そんな人に言われても、涙なんて出ませんよ」
「っ……!」
「むしろ、もうキスができないとなったら……泣いてしまうのはエリスの方ではないですか?」
「は、はぁ?! んなワケ……!」
と、反論するエリスの口を――
――ちゅ……っ。
……と、唇で塞いだ。
予期せぬ口付けに、エリスは頬を染め、目を見開く。
「……まぁ、『しない』と言われても勝手に奪うのですが」
「っ……あんたねぇ……!」
「ということで、この方法も却下です。さぁ、どうやって私を泣かせますか?」
ニヤニヤ笑うクレアを、エリスは悔しげに睨み付ける。
「くっ……なら、くすぐりは?! こちょこちょこちょ!」
「あん。ソコはだめです、エリス」
「ヘンな声出すな! うぅ……一体どうすれば……」
頭を抱え、うんうん唸るエリス。
彼女の困った表情を充分堪能したクレアは、そろそろ勘弁してあげようかと考えるが……
その前に、エリスは何か閃いたようにピタッと固まり、
「……わかった。この方法なら、きっとあんたを泣かせられる」
ゆらっ……と、顔に影を落としながら不敵に笑って、「待っていなさい」と部屋を出た。
そしてすぐに戻って来ると、何故かベッドの上に立ち……
ブラウスの襟元に手をかけながら、こんなことを言い放った。
「……あんたから没収したあのシュミの悪い水着を、服の下に着てきたわ」
「なっ……」
「今からゆーっくり服を脱いでいくから……最後まで見たかったら、瞬きしないでずっと見てなさい。一度でも目を瞑ったら、その時点で脱ぐのをやめるからね」
……クレアは、戦慄する。
(ま、まさか…………瞬き厳禁・えちえちストリップショーの開幕、だと……?!)
予想だにしない展開に、クレアは鼻血を垂らしながら震える。
暴力もダメ。精神攻撃も、くすぐりも効かない。
ならば直接眼球を刺激しようと、エリスは考えたのだろう。
確かにこの状況なら、クレアは絶対に瞬きをしない。極限まで目が乾けば、自然に涙が溢れ出るはず。クレアの変態性を理解しているからこそ思い付く妙案だった。
(少し揶揄うだけのつもりが、こんなオイシイ状況に恵まれるとは……この光景は、なんとしても網膜に焼き付けなければ)
ギンッ、と開眼し、クレアは床に正座して、
「こちらの準備はできています。さぁ、始めてください」
「目こわっ! そ、それじゃあ……ちゃんと見ててよ?」
気恥ずかしさを押し込めるように言うと……
エリスはおずおずと、ブラウスのボタンを外し始めた。
その動きは、ひどく緩慢だった。
ボタン一つ外すのに十数秒。すべて脱ぎ切る前にクレアの眼球を乾燥させ、涙を流させる算段なのだろう。
無論、そんな彼女の魂胆をクレアは見抜いている。
だからこそ、引くつもりはなかった。
たとえ眼球がカッピカピに干涸びようとも、エリスの水着姿を拝むまで、この眼は決して閉じない……そんな意地と劣情が混じり合った決意を胸に、クレアはエリスを見つめ続けた。
その鋭すぎる眼光に怯みつつ、エリスは余裕を装い、投げかける。
「ど、どう? そろそろ瞬きしたくて目が潤んできたんじゃない?」
「いいえ、まったく。むしろ貴女公認の元、脱衣を鑑賞できるこの状況に眼球が歓喜しています」
「言うことがいちいちキモいのよ! ふんっ、その痩せ我慢がいつまでもつかしらね!」
吐き捨てるように言って、エリスはストリップを再開した。
じりじりと、焦らすように動く指先……
ブラウスのボタンは、半分まで解放された。
彼女の深い胸の谷間が、ちらりと覗き始める。
その途端、クレアの瞳がさらに鋭さを増した。
一秒も見逃すまいと、瞳孔全開で食い入るように見つめている。
「ちょ、ちょっと……そんなに見開いたら本当に干涸びちゃうわよ?」
「構いません。この眼に最後に焼き付けるのが貴女の水着姿なら、それも本望です」
「失明したら元も子もないでしょ?! いい加減、降参しなさいよ!!」
しかし、それでもクレアは動かない。
ただじっと、エリスの指が動くのを待っている。
彼女の動作を、恥じらう顔を、露わになる肌を……すべて眼に焼き付けようと、ひたすら見つめている。
その鬼気迫る視線に射抜かれ、エリスは……自らの失敗をようやく自覚した。
クレアを相手に、この作戦は無意味だった。
何故ならこの変態は、エリスの水着姿を拝むまで死んでも瞼を閉じないし、涙だって流さない。
たとえ眼球が乾き切り、使い物にならなくなろうとも……それでも見たいと、本気で考えるようなヤツなのだ。
「ね、ねぇ……そろそろ瞬きしないと、本当にやばいわよ?」
微動だにしなくなったクレアを案じ、エリスが言う。
「なんか、目濁ってきてない……? 乾きすぎて涙すら出てこなくなったんじゃ……」
「………………」
「ちょ、ほんとに……さすがに危険だって! とりあえず一回、目閉じて!」
「………………」
「うぅ………………わかった、あたしの負けよ! だから、早く瞬きしてっ!!」
エリスは、ぎゅっと目を閉じると……
ブラウスのボタンを一気に外し、胸元をバッ! と露出した。
その勢いで、ばるんっと揺れる豊満な双丘。
それを覆うのは、申し訳程度の布面積しかない、小さなビキニだ。
あと少し動こうものなら、秘められた部分がチラリと見えてしまいそうで……
……遂に訪れた、歓喜の瞬間を。
クレアは、ギンギンに開いた眼に、しかと焼き付けた。
そして…………
「…………ぶっはぁ!!」
噴き出した鼻血で放物線を描きながら……
背中からバタッと、倒れ込んだ。
「うっ……ありがとう、ございます……」
「馬鹿! 倒れてないで早く目閉じなさい!!」
「あぁ……瞼を閉じると今の光景が蘇る……なんて見事な揺れ、絶妙なチラリズム……」
「わぁああっ! やっぱ目ぇ開けて! つーか結局涙出てないし!!」
などと散々騒いでから……
クレアはむくりと起き上がり、正座しながらエリスを拝む。
「ありがとうございました。今の光景は無事、私の走馬灯リストに登録されました」
「あんたの走馬灯、しょーもなさすぎるでしょ!」
「すみません。貴女の困った顔が見たくて意地悪をしてしまいましたが……五秒いただければ、涙をお渡しできます」
……なんて、意味不明なことを言ってのけるので、エリスは「は?」と首を傾げる。
クレアはにこっと笑うと……そのまま、あっという間に目に涙を溜めて、
――ぽろっ。
……と、綺麗な涙を零した。
「ど……どどど、どういうこと?!」
「涙腺を制御できるのです。必要な時に泣く演技ができるよう、鍛えてきましたので。はい、涙」
「いや……涙腺を鍛えるって何?!」
小瓶を差し出すクレアに、エリスは堪らずツッコんだ。
それからボタンを留め直し、息を吐く。
「ったく……そんな簡単に泣けるなら、この時間はなんだったのよ」
「さて、次はエリスの涙を瓶に収めましょう。どうしますか?」
立ち上がり、クレアが尋ねる。
それに、エリスは肩を竦め、
「どうって、あくびでもすればすぐに流れるでしょ。見てて」
と、エリスは「ふぁあ〜」と無理やりあくびをしてみせるが……
僅かに涙が溜まるものの、零れるまでには至らなかった。
「あ、あれっ? いつもなら簡単に流れるのに……」
「おやおや、困りましたね。では……お手伝いしましょうか」
「……へっ?」
クレアは微笑むと、エリスの顔を覗き込み、
「今度は私が……貴女を泣かせてさしあげますよ」
と……囁くように言った。