12 暴かれた罪
――教会を後にし、クレアとエリスは真夜中の病院へと侵入した。
シンとした廊下を進み、昼間訪れた大部屋に辿り着く。
その病室の利用者は今、一人きりだ。
一番奥にある、窓際の病床。
そこに、エドガー祭司はいた。
眠っている。容体が落ち着いているのか、呼吸は安定していた。
クレアはカーテンを開ける。
月明かりが差し込み、彼らを照らす。
眩しさを感じたのか、エドガー祭司はぴくりと反応し、ゆっくり瞼を開けた。
そして、目の前に佇むクレアたちの姿に、すぐに目を見開いた。
直後、クレアは声を上げられないよう、祭司の口を押さえつける。
「おっと。ここは病院です。深夜に騒ぐのはマナー違反ですので、どうかお静かに」
「むぐっ……!」
「昼間中断してしまったお話の続きをしに参りました。冷静に応じていただけるのであれば、こちらも乱暴な聞き取りは致しません……よろしいですね?」
クレアの低い声と細めた瞳に、エドガー祭司は何度も頷く。
それを確認し、クレアは口元から手を離す……が、
「たっ、助けてくれ!!」
祭司はベッドから飛び降りると、大声を上げながら病室の出入り口へと駆け出した。
しかし、すぐに足を止める。
何故なら、扉の前に分厚い鉄板が立ち塞がり、廊下への逃げ道を阻んでいたから。
「な、何だこれは! 誰か! 誰か来てくれ!!」
「ムダよ」
鉄板を叩いて喚く祭司に、エリスが背後から言う。
「こうなるんじゃないかと思って、音が外に漏れないよう"空気の膜"を張ったの。その鉄板もちょっとやそっとじゃ壊れないように作ってあるわ。諦めなさい」
「くっ……」
皺の目立つ顔にさらに皺を寄せ、祭司はエリスたちを睨み付ける。
「き、貴様らに話すことなど何もない!」
「それを判断するのは私たちです。少なくともこちらは、あなたに聞きたいことがいくつもある」
コツ、コツ、と足音を鳴らし、クレアは月光を背に受け、祭司に近付く。
「あなたが養育していた問題のある子供たちのこと。高級ワインや禁じられた魔導書を買い揃える資金の出所。そして…… 娘さんと、蘇生の魔法について」
近付く毎に挙げられる秘密の数々に、祭司の顔がどんどん青ざめてゆく。
「き、貴様……何故それを……?!」
「はは。国の諜報部員を相手にそれは愚問ですよ。我々は平和と秩序を守るためならあらゆる手段を講じて情報を手に入れます。あなたが地下室でおこなっていたことよりずっと残忍な"聞き取り"も……必要があれば、いくらでもできる」
……そして。
鉄板にもたれるようにへたり込む祭司の顔の横に、ガンッ! と足をつき、
「さぁ……話していただきましょうか。あの"水球"について、知っていることをすべて。あなたの言う『救い』とは、一体何なのか」
上から覗き込むように瞳を見つめ、クレアは、妖しく笑った。
微笑みから漂う威圧感に、エドガー祭司は涙を浮かべ……
「は……話す……話すから……酷いことはしないでくれ……!」
声を震わせながら、何度も頷いた。
その様子を後ろから見ているエリスは、「こわ〜」と他人事のような感想を抱いていた。
「ご協力、感謝致します。では、どうぞ」
クレアは足を下ろし、祭司の前にしゃがむ。
祭司は、意を決したように目を伏せ……静かな声音で語り始めた。
「……お前たちの言う通り、私は…………娘のアリスを生き返らせるための研究をしていた。問題のある子供を預かることで謝礼を受け取り、その金を研究に当てていた」
やはり……と、クレアは思う。
"水球"の件とは別に、この不正についてはあらためて立件する必要がありそうだ。
「アルアビスの古い魔導書やオゼルトンの民間伝承には、かつて『再生の魔法』が存在していたとの記録があった。あらゆる傷を治癒し、死者を甦らせる神秘的な力だ。その魔法に必要なのが、大地、水、炎、風の精霊さま……しかし、風だけは現代において存在しない。だから私は、別の精霊さまを用いて再現する術を探した。研究に明け暮れ、儀式をおこない、祈りを捧げ……成果が出ないまま、三十年という歳月が流れた」
当時の絶望を映すように、祭司は瞳を曇らせる。
しかし……突然、その瞳に得体の知れない希望を宿し、顔を上げる。
「だが……ついに現れたのだ。人智を超越した、聖なる"水球"が……私は確信した。あれは、精霊の主たるエレミアさまが齎した『卵』に違いないと。あの中にはアリスがいる。時が来れば卵から孵り、私の元へ帰ってくる……私の祈りに神がようやくお応えになったのだ! は、はは……!!」
そう言って、笑う。
狂気を孕んだ瞳を天に向け、笑う。
その不気味な笑い声を聞き、クレアは理解する。
祭司が"水球"を『救い』だと言い、消滅を拒んだ理由……
あの中から蘇生した娘が孵ると思い込んでの言動だったのだ。
笑い声はしばらく響いた。
しかし、それは突如として止まる。
「それなのに…………何故だ」
祭司が、渇いた声で呟く。
「アリスを迎えようと、卵に触れたのに……そこで見た『夢』の世界に、アリスはいなかった」
「え……?」
エリスが思わず声を上げる。
それは……"水球"に取り込まれた後に見た幻想のことだろうか?
クレアは祭司の肩を揺さぶり、問い質す。
「やはり『夢』を見たのですね。詳しく話してください」
「……私は、自分の教会にいた。毎日欠かさずおこなっている夕刻の祈祷がまだであることを思い出し、自室から礼拝堂へ向かった」
「時系列は? 『夢』の中のあなたは、何歳でしたか?」
「年齢は今のままだ。だからこそ、最初それが夢であると気付かなかった。私はいつものように祈りを捧げ、再び自室へ戻った。そして、机の引き出しを開け、愛しいアリスの手紙を読もうとした。しかし…………なかった」
「……え?」
「ないんだ……アリスからの手紙も、私からあの子に送った手紙も、すべて……引き出しの中には、白い"無"しかなかった」
祭司が頭を抱える。
そして、その光景を思い出すように瞳を震わせ、
「私は恐ろしくなり、教会の外へ飛び出した。そして、裏の森にあるアリスの墓へ駆けたが……墓標にも、アリスの名はなかった。そこで気付いたのだ。これは悪い夢に違いないと。私は教会へ戻り、コレクションしていたワインを一気に飲んだ。酔って眠れば、悪夢が覚めると思ったのだ。しかし、飲んだ直後、不快感に襲われ……気付けば水の中にいた」
「そして、次に目が覚めた時にはこの病院だった、と」
クレアの言葉に、祭司は頷いた。
クレアはエリスと視線を交わす。彼女も同じことを考えているのか、肩を竦め、困ったように小首を傾げた。
シルフィーとアモリの話では、"鏡界"は現実世界を忠実に再現しており、過去に起きた実際の出来事を準えていた。
だから、"水球"は捕えた人間の記憶を元に幻想を生み出しているのではと考えていたのだが……
エドガー祭司が取り込まれた"鏡界"には、現実との明確な相違点があった。
エドガー祭司を詰問すれば、"水球"に対する仮説を確信に変えられるのではと期待していたが……かえって謎が深まってしまった。
クレアは小さく息を吐き、エドガー祭司に言う。
「あなたがあの"水球"を『救い』と呼んだ理由はわかりました。ですが……残念ながらあれは、あなたが思っているようなものではないはずです」
「……どういうことだ?」
祭司が、ぎょろりとした目を向け聞き返す。
クレアは落ち着いた声音で答える。
「恐らくあの"水球"は、古の時代に作られた兵器の影響で出現したものです。その兵器には、精霊が大量に封じられている……我々は水の精霊が作用していると推測しています」
「な……古の、兵器だと……?!」
ガッ、とエドガー祭司はクレアの腕に縋り付く。
「そんな……そんなはずはない! あれはアリスの卵だ! 私の祈りを受け、エレミアさまが授けてくださった『救い』なのだ!!」
「そう思いたい気持ちはわかりますが……あなたがおこなってきた祈祷とあの"水球"に、明確な因果関係はおありなのですか?」
「それは……」
クレアの淡々とした問いに、エドガー祭司は奥歯を軋ませ……
「い……因果関係なら……ある」
と、思いがけない答えを返した。
その妙に確信めいた笑みを見て、クレアは目を細める。
「ほう……それは一体、何でしょう?」
「今から二十年前、私は……ある儀式をおこなった。『再生の祝福』を応用した、死者蘇生を可能にする儀式を」
エドガー祭司の目に、再び狂気が宿る。
彼は恍惚にも似た笑みを漏らし、息を荒らげ、語る。
「見つけたのだ……精霊さまを受け入れる理想的な"容れ物"……アリスの憑代となるに相応しい肉体を……!」
「憑代……? どういうことですか?」
「子供だよ! 私はアリスの魂の"容れ物"に相応しい子供を探していたんだ!! 死者の魂は四つの精霊を宿した肉体に還ってくる……だから、子供たちの身体に精霊の気を注入する実験をしていた!!」
「なっ……!」
エリスが驚愕の声を上げる。
つまり祭司は、資金を得るためだけでなく……
アリスの新たな肉体を作る実験台として、行き場のない問題児たちを集めていたのだ。
戦慄するクレアたちに、祭司は興奮気味に続ける。
「そうして見つけたのが、二十年前のあのガキだ……私は四つの精霊を内包したあいつを、アリスの遺体と共にシノニム湖へ沈めた! オゼルトンの雪解け水から成るシノニム湖は精霊の気で満ちている……アリスが新生を迎えるに相応しい羊水だ! それから、私は待った。アリスの魂があのガキの身体に宿り、還ってくるのを! そして、"水球"が現れた……なぁ? あの中にはアリスがいるんだよ! 私の強い信仰心が、二十年の時を経て神に届いたんだ!! くふ、あはははははは!!」
エドガー祭司は、目玉をぐるんっと天に向け、狂ったように笑い出した。
……いや。彼は、とっくの昔に狂っている。
これだけの罪を告白したにも関わらず、悪びれることなく笑っているのだから。
祭司から引き出せる情報は、これがすべてだろう。
クレアは、これ以上エリスに不快な話を聞かせないためにも、祭司の後頭部にトンと手刀を喰らわせ……彼を気絶させた。
「はぁ……まさか、こんな過去が隠されていたとはね」
ようやく途絶えた笑い声に、エリスは深々と息を吐く。
クレアとしても想定外だった。"水球"の調査から、二十年前の犯罪が炙り出されることになろうとは。
「だから祭司は、最後に預かった子供の資料を抹消していたのですね……蘇生の儀式の生け贄として殺害したから」
「そう考えると、あの磔台も実験に使われていたんでしょうね……っていうか『精霊の気を注入する』って何よ? 考えるだけで恐ろしいんだけど」
「教会に引き取られた他の子供たちがどこかで生存しているなら、祭司の実験の詳細を聞き取ることができるかもしれませんね。いずれにせよ、彼は立派な犯罪者です。保安兵団に事情を説明し、身柄を引き渡しましょう」
「やれやれ……なんだかどっと疲れたわ。早く宿に帰って休みたい」
エリスがげんなりした顔で言う。
ただでさえ深夜の行動で眠いのに、このような気分の悪い話を聞かされ、一気に疲労感が押し寄せてきたらしい。
クレアは申し訳なさそうに微笑み、彼女に言う。
「眠かったら先に宿へ戻っていてもいいですよ。彼を運ぶことくらい、私一人でもできますから」
しかしエリスは、ジトッとクレアを見つめ返し……
「……一緒に行く。どーせ一人で帰っても眠れないから」
なんて、唇を尖らせながら言った。
要するに、「クレアが側にいてくれなきゃ安心して眠れない」と言いたいらしい。
その真意を正しく受け止め、クレアは小さく微笑みながら……「わかりました」と答えた。