6 気がかりな矛盾
――医師による診察の結果、保安兵団の団員・アモリにも異常は見られなかった。
医師が病室を去った後、シルフィーはあらためて彼に謝罪した。
「申し訳ありませんでした。私が"水球"に触れたばっかりに、アモリさんまで飲み込まれてしまって……」
深々と頭を下げる彼女に、アモリは短い茶髪を揺らし、朗らかに笑い返す。
年齢は二十代半ば程か。保安兵団らしい筋肉質な身体をしているが、穏やかで親しみやすい雰囲気の青年だ。
「いえいえ。元はと言えば自分が『魔法で祭司を助けろ』と急かしてしまったせいですから。とにかく、シルフィーさんと祭司が無事でよかったです」
はっきりと会話できている様子から見るに、アモリは体調的にも精神的にも落ち着いているようだ。
ならばと、クレアは早速質問をすることにする。
「アモリさん。目覚めたばかりで申し訳ないのですが、お話を伺ってもよろしいですか?」
「もちろん。"水球"の調査に協力できるなら何でもお話します」
「ありがとうございます。では、お伺いしますが……"水球"に飲み込まれた後、『夢』を見ませんでしたか?」
クレアのその問いに、アモリは驚いたように目を見開く。
「は、はい、見ました。それも、すごく不思議な夢で……まるで現実に体験したことのように鮮明に覚えています」
「どのような内容だったか、詳しく聞かせていただけませんか?」
クレアたちの神妙な面持ちに、少し緊張した様子で、アモリは語り始めた。
♢ ♢ ♢ ♢
――"水球"に飲み込まれた後。
気が付くとアモリは、保安兵団に入るずっと前……五、六歳の子供時代に戻っていた。
『夢』という自覚はなく、意識が完全に当時の年頃に戻っていたらしい。
アモリは、幼い頃に親を亡くしていた。
家に押し入った強盗に両親を殺され、別室で眠っていた彼だけが生き残った。
『夢』の舞台は、その出来事の少し後。親戚に引き取られ、このウィンリスの街にやってきたばかりの時期だった。
現代では変わってしまった街の風景も、『夢』の中ではあの頃のまま。まるで、本当に当時へ戻ったように忠実だった。
この頃はまだ友人もなく、アモリは一人でシノニム湖を眺めに行くことが多かった。
そうして湖のほとりを歩いていると……一人の男が声をかけてきた。
「君は、最近この街に越してきた子だね。私はエドガー。あそこにある教会の祭司だ」
それは、幼い日のアモリが実際に体験した、エドガー祭司との出会いの瞬間だった。
彼が指差す方を見ると、木造の美しい教会が森の入口に佇んでいるのが見えた。
エドガー祭司は、現在より若々しい顔で微笑むと、
「こんなところに一人でいるなんて……お家の人は心配していないのかい?」
アモリの背丈に合わせるように、屈みながら尋ねた。
それに、アモリは少し俯いて、
「親戚のおじさんとおばさんは仕事でいつも忙しいんだ。でも、いい人だよ。だから、迷惑をかけないように一人で遊んでる」
「そうか……君は優しい子なんだね。そういう子は、神さまにも愛されるだろう」
「神さま?」
「そう。全ての精霊の主である、聖エレミアさまだよ」
アルアビス国内には様々な信仰と宗教があるが、アモリはその神の名を聞いたことがなかった。
何も答えられずにいると、エドガー祭司はそっとアモリの肩に手を置き、
「私の教会では、君みたいな孤児を預かることができる。よかったら、うちへ来ないかい? 同じ年頃の仲間もいるから、きっと楽しいよ」
優しい声で、そう言った。
孤独を感じているアモリにとって、それは魅力的な誘いだった。
亡くなった両親。故郷の街で別れた友人たち。親しかった人々を思い出し、寂しさがぐっと込み上げてきて……
似たような境遇の仲間ができたら、少しは楽になるのではないかと考える。
しかし……アモリは、首を横に振って、
「……僕、大きくなったら保安兵団に入りたいんだ。悪い奴らから大切な人たちを護れるような、強い大人になりたい。だから……教会の子にはなれない」
そう、はっきりと答えた。
アモリの中では、両親のような犠牲者を出さないようにするため、街を護る存在になりたいという思いが何よりも強かった。
教会に引き取られたら、祭司の跡を継がされるかもしれない。そんな風に考え、アモリは断ったのだ。
その返答を聞き、エドガー祭司は残念そうに微笑む。
「そうか……わかった。だが、もし気が変わったら、私はいつでも君を歓迎するよ。辛いことがあったらぜひ教会に来てくれ」
「うん、ありがとう」
頷くアモリに、エドガー祭司も頷き、
「そうだ。お近付きの印に、これをあげよう。この街のブドウで作った飴玉だよ」
と、ローブのポケットから包み紙にくるまれた飴を取り出した。
アモリは顔を綻ばせ、「ありがとう」とそれを受け取り……
包み紙を開け、飴玉を口の中に放り込んだ。
――直後。
得体の知れないナニカが、彼の体内へ侵入した。
溶け出した飴玉の甘い味……それと共に喉へ、食道へ、その奥にある内臓へと這い寄ってくる。
「なに……これ……っ」
あまりの不快感に胸を押さえながら、エドガー祭司を見上げるが……
そこに、祭司の姿はなく。
それどころか、湖も教会も、すべて消えていて……
気付けば、青い青い水の中に、沈んでいた――
♢ ♢ ♢ ♢
「――夢はそこで途絶え……目覚めたら、この病室にいました」
全てを話し終え、アモリはそう締め括った。
シルフィーは喉を鳴らし、震える声でこう返す。
「わ、私も夢を見たんです。アモリさんと同じ、すごくリアルな世界で……最後には、すべてが水に変わりました」
「え……?」
アモリが困惑の表情を浮かべるので、クレアが補足するように続ける。
「実は、それこそがあの"水球"の能力なのかもしれないのです。現実そっくりの世界へ引き込み、虚構を見せる……恐らくアモリさんが見た夢は、"水球"が齎した幻想です」
「幻想……? しかしあれは、実際過去に体験した出来事なんです。もう二十年ほど前のことですが……自分の中にある記憶と何ら違いはありませんでした。あれが夢でなく"水球"に見せられた幻想だとすれば、記憶を覗かれたとしか思えません」
「記憶を覗かれた、ね……」
その言葉に、エリスは腕を組みながら考える。
『水御霊は、すべてを記憶する』
ガルャーナから聞いたあの言葉が、クレアの脳裏にも蘇っていた。
水には、同化した生物の感情や記憶を保存する性質がある。
水の精霊が封じられているであろう『飛泉ノ水斧』も、触れた人間と同化する性質を持つならば……
「……"水球"は取り込んだ人間と瞬時に同化し、その記憶を元に幻想を作り出しているのかもしれないですね。だから過去の出来事を見せられたり、よく知る人物が登場したのではないでしょうか?」
「えっ、私の記憶が読まれたってことですか?! 怖っ!! ……あれ? でも、それだと矛盾が生じますよね? 私はエリスさんたちがおこなった『雷雲の実験』を知らないのに、それが幻想に出てきたわけですから」
「そこが引っかかるのよねー。シルフィーが忘れてるだけで、実は実験のことをどっかで見聞きしてたんじゃない?」
「まさか。あんな狂気的な実験、一度聞いたら忘れられないですよ」
エリスの言葉をばっさり否定するシルフィー。どうやら本当に記憶にないようだ。
シルフィーもアモリも、"鏡界"で遭遇したのは現実世界で実際に起こった過去の出来事。
しかし、アモリはそれが自身の記憶にあるもので、シルフィーは記憶にないものだった。
この違いは、一体どこから生じているのか……
答えを導き出すには、まだ情報が足りないのかもしれない。
「……どうやら、現段階では結論が出せそうにないですね。エドガー祭司のお話を聞いた後、もう一度推論を立てましょう」
「そうですね……それじゃあ、祭司が目覚めるまでの間に現場を見に行きませんか?」
言って、シルフィーは立ち上がり、荷物を背負う。
「クレアさんたちはまだ"水球"の実物を見ていないんですよね? 私、もう体調良いんで案内しますよ。アモリさん、保安兵団のボートをお借りしてもいいですか?」
「もちろん。何なら、自分も一緒に――」
「――待った」
と、そこで。
エリスが、深刻な表情で止める。
シルフィーとアモリは緊張気味に彼女を見るが……
クレアには、次にエリスが何と言うのかがわかっていた。
「ど……どうかしましたか? エリスさん」
シルフィーが、ごくっと喉を鳴らしながら尋ねる。
エリスは、険しい表情を徐々に緩め……
目に溜めた涙を、今にも零しそうにしながら、
「あたし……まだお昼食べてないの! もうお腹ペッコペコ! 先にごはん食べさせてぇっ!!」
弱り切った叫びを、病室内に響かせた。