2 悪夢からの目覚め
エリス同様、クレアも驚いていた。
シルフィーの屋敷に忍び込み、日記を確認していたため、彼女が治安調査に出ていることは知っていたが……
まさかこの街で、このような形で遭遇するとは。
しかし、今は驚きに浸っている場合ではない。
クレアはシルフィーを診ていた医師に尋ねる。
「彼女の容体は?」
「呼びかけても反応なし。脈と体温は正常ですが、水を飲んだのか肺に雑音があります。他の二人も似たような状況で……」
医師が答えるのを聞きながら、エリスは動き始める。
シルフィーの身体を観察し、すんすん鼻を鳴らすと、
「……やっぱり、水の精霊のにおいがする。誰か、水を受け止められる桶を持って来て!」
エリスが言うと、近くにいた看護師がすぐに病室を飛び出し……
木の桶を手に戻り、エリスに渡した。
受け取るなり、エリスは桶の上で魔法陣を描き始める。
そして、
「――ヘラ。ここに集まって」
と、水の精霊に呼びかけながら、魔法陣を完成させた。
直後、エリスの指先にコップ一杯分の水が現れ、桶の中にパシャッと落ちた。シルフィーの体内にあった精霊が、エリスの魔法陣で取り除かれたらしい。
シルフィーが「ごほっ」と咳き込むが、意識はまだ戻らない。
「彼女の体内に留まっていた水の精霊を呼び出したわ。でも、まだ少し残っているみたい」
「そんな……一体どうすれば……」
困惑する医師に、エリスは一枚の札を取り出す。
それは、水の精霊に作用する『神手魔符』。オゼルトンの一件でアクサナからもらっていた内の一つだ。
「近くにいる精霊を呼び寄せるお札よ。これを貼っておけば、自然と出てくると思う。その間に、もう二人の身体からも精霊を呼び出してみる」
言って、エリスはシルフィーのベッドの柵に神手魔符を貼り付ける。
そして、隣のベッドに横たわる別の一人――教会の祭司と思しき服装の、白髪の男性に近付いた。
そこでも同じように魔法陣を描き、彼の体内から精霊を取り出し、傍らに神手魔符を貼り……
残る一人、保安兵団の団員である茶髪の男性にも同じ処置を施した。
それぞれの容体を確認する医師たちが、驚きに満ちた表情を浮かべる。
「は、肺の雑音が消えた……!」
「これならじきに意識も戻るだろう。ありがとうございます、魔導士さま!」
医師たちから感謝を受け、エリスは「いーえ」と軽く答えた。
シルフィーたちの体内に残っていたのは、ただの水ではなく、水の精霊だった。
単に湖で溺れたわけではない。"水球"に取り込まれ、水の精霊による何らかの干渉を受けたのだ。
でなければ、精霊が人の体内に留まることなど起こるはずがない。
一体、シルフィーたちの身に何が起きたのか。
意識が戻ったら、慎重に聞き取る必要がありそうだ。
(そもそも、教会の祭司は何故"水球"に触れた? 湖への侵入は規制されていたはず……無断でボートを漕いでまで近付きたい理由があったのだろうか?)
と、未だ瞼を閉じたままの祭司をクレアが見つめていると……
「ん……う……」
シルフィーが小さく唸り、目を開けた。
無事に意識を取り戻したようだ。
「おぉ、気が付いた!」
「大丈夫ですか? ここがどこか……自分が誰だかわかりますか?」
医師たちが彼女を囲み、様子を伺う。
シルフィーはゆっくりと上体を起こし、眼鏡をかけ直すと……
ぼんやりとした表情で、目の前に立つ二人――エリスとクレアを瞳に映した。
エリスは、ぱっと片手を上げて、
「やっほー、シルフィー。気分はどう?」
なんて、緊迫感ゼロな口調で投げかける。
すると、シルフィーはぱちくりと瞬きをしながら、みるみる内に顔を強張らせ……
「え、エリスさんに、クレアさん……?! いや……来ないで! もう勘弁してぇえっ!!」
と、怯えたように毛布を被るので……
エリスとクレアはきょとんと顔を見合わせた。
* * * *
――その後、シルフィーは落ち着きを取り戻し、医師の診察を受けた。
脈、呼吸、体温ともに正常。気を失っていたことによる意識障害もなし。
会話して問題ないとの診断を受け、クレアとエリスはベッドに座るシルフィーと話すことにした。
「お久しぶりです、シルフィーさん。意識が戻ってなによりです」
「どうも……まさかこんな場所でお会いするなんて。エリスさんが助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
戸惑いと疲労を滲ませながら、シルフィーが礼を述べる。
それに、エリスは頬を膨らませ、
「そーよ。せっかく助けたのに『来ないで!』なんて。失礼しちゃうわ」
「あはは……すみません。なんか、エリスさんたちに纏わるすごくリアルで嫌な夢を見ていて……意識が混濁していたんです」
リアルで、嫌な夢。
その詳細が気になるところではあるが、クレアは順を追って経緯を聞き取ることにする。
「目覚めたばかりのところを申し訳ないのですが、詳しく教えていただいてもよろしいですか? シルフィーさんが"水球"に触れるに至った経緯と……触れた後に見た『夢』について」
クレアに問われ、シルフィーは……記憶を辿るように、語り始めた。