1 見知った被害者
――翌日。
クレアとエリスはバーナムの街を発ち、目的地であるウィンリスを目指した。
まだ夜が明けたばかりの街道は、昨日の祭りの賑わいを忘れたように静かだ。
馬車の中、二人は祭りで買ったチーズパンやクッキーで朝食を済ませた。
パン生地に練り込まれたダイス状のチーズをしっかり味わいながら、エリスが言う。
「ウィンリスに着くのはお昼頃だよね。まずはごはんを食べたいなぁ。例の"水球"に異変がなければいいけど」
「現状、水を発生させているだけのようですからね。住民に被害がなければ、昼食後の調査でも良いでしょう」
「ふふーん、何食べよっかなー? ワインが有名だから、やっぱおつまみ的な料理が多いのかな?」
「いえいえ。肉の赤ワイン煮込みやブラウンシチュー、フルーツのコンポートといった、ワインを使用した料理も美味しいらしいですよ?」
「くぅーっ、これは期待できるわ! あたし、お肉がトロットロに煮込まれたシチューが食べたい!」
「では、お昼はシチューにしましょうか」
「やったー!!」
両手を上げて喜びながら、エリスはまだ見ぬ昼食に思いを馳せる。
芳しい香りを漂わせながら、コトコト音を立てるブドウ色のシチュー……その中でじっくり煮込まれたお肉は、きっと歯がいらないくらいに柔らかく、ほろほろだろう。
そんな妄想に、「うへへ」とよだれを垂らしてから……
ふと、エリスはチェロとの約束――マリーを預かってもらうお礼に、ウィンリスの街でワインを買って帰ると伝えたことを思い出す。
「はっ。そうだ、チェロへのお土産。チーズだけじゃなくてワインも買わなきゃ。つっても、あたしワインは全然詳しくないんだよね。クレア、良い銘柄とか知ってる?」
「ウィンリス産のワインといえば、『ウィンリス・テロワール』が有名です。街の名を冠した高級ワインで、貴族御用達なんだとか」
「へぇー。ってことは、当然お高いんでしょ?」
「そうですね。一番安いものでも、私たちの給料三ヶ月分くらいでしょうか」
「さっ、三ヶ月分?!」
「えぇ。一般的にワインは熟成させた年月が長ければ長いほど味わいが増すと言われており、それに比例して価格も上がります。五十年もののボトルなどは、私たちの年収より高いかもしれません」
「ひぃ……ど、どうしよう。『一番良いワインをお土産にする』って言っちゃった。そんなの絶対経費じゃ落ちないじゃん!」
「チェロさんの方がワインにはお詳しいでしょうから、そこは理解してくれるはずです。それに、エリスからのお土産ならきっと何でも喜びますよ。ワイナリーでおすすめを聞いて、お財布と相談しながら現実的な値段のものを買いましょう」
「そうね……そうするしかないかぁ」
クレアのフォローを聞き、エリスは残念そうに答えた。
あんな変態教師だが、チェロにはずっと世話になってきた。
魔法学院時代はもちろん、イリオンの一件では山賊のアジトまで助けに来てくれたり……
"魔符式冷蔵技術"だって、エリスが丸投げした原型を試行錯誤しながら改良し、実用化まで持っていってくれた。
さらには、マリーを無理やり預けた上、ルカドルフ王子の部屋の捜索まで押し付けて……
さすがのエリスも、ほんの少しだけ罪悪感を抱き始めていた。
だから、これを機に大好きなワインでお礼がしたいと考えていたのだが……
「はぁ……"水球"の件を解決したら、お礼に街の人から高級ワインもらえたりしないかなぁ?」
なんて、見返りを求める気満々なセリフを臆面もなく吐く。
それに、クレアは窘めるどころかにこっと笑って同調する。
「そうですね。できればチェロさんと我々の分、最低でも二本はいただきたいです」
「え? あんたも飲みたいの?」
「いえ。ただ……食べてみたくはないですか? 超高級な『ウィンリス・テロワール』で作ったシチューや肉の煮込み。もし手に入るなら、エリスに作ってさしあげたくて」
なんて、爽やかに言ってのけるので……
エリスは途端に瞳をキラキラさせ、クレアの手をぎゅっと握り、言う。
「食べたい!!!!」
「でしょう? なら、"水球"を排除して、街の人々に恩を売りましょう。ちょっと大げさにピンチを演出したりして」
「さんせー! ぬふふっ。待ってなさい! 『ウィンリス・テロワール』!!」
ビシィッ! と進行方向を指差し、意気揚々と叫ぶエリスを……
クレアは、やはり微笑ましく見つめるのだった。
* * * *
――穏やかな日差しが降り注ぐ午後。
クレアとエリスは、予定通りウィンリスの街に到着した。
白い壁に赤ワイン色の屋根が連なる家屋。
レンガ畳の通りと、その端を流れる水路。
決して華美ではないが、上品で洗練された雰囲気の街だ。
"水球"が現れたというシノニム湖は、メイン通りを進んだ先にある。
馬車を降り、クレアたちはその通りに差し掛かろうとする……が。
「旅の人。すまないが、ここから先は通行止めだ。観光なら反対側にあるワイナリーをおすすめする」
メイン通りの入口に立つ人物――保安兵団の制服を着た男性に止められた。
よく見ると、彼の背後には柵が設置されており、先へ進めないようになっていた。一般人が"水球"へ近付かないよう、湖への道を封鎖しているようだ。
クレアとエリスは一度顔を見合わせる。まずは昼食を摂るため、メイン通りで店を探そうと思っていたのだが……何やら物々しい雰囲気である。
状況を確認すべく、クレアは男性に自己紹介をする。
「軍部より指令を受け、"水球"の調査をしに参りました、特殊部隊所属のクレアルドと申します。こちらは特別顧問魔導士のエリシア」
「ども」
「シノニム湖への道を封鎖しているようですが、現在の状況を教えていただけますか?」
「あぁ、軍の調査員の方でしたか。お話は伺っています。どうぞこちらへ」
男性は慌てたように言うと、クレアたちを先導し、通りを歩き始めた。
「自分はこの街の保安兵団に所属しているサーヴァといいます。実は今、問題が発生していまして……来ていただけて本当によかったです」
「問題……?」
「何かあったのですか?」
「被害者が出たのです。"水球"に触れ、今も意識を失っています。それも、三人」
「え……!」
エリスが声を上げる。
どうやら呑気に昼食を食べている場合ではないらしい。
クレアは歩調を速めながら、サーヴァに尋ねる。
「被害者が出た日時と状況を詳しく教えてください」
「まず、一人目の被害者が出たのが本日の早朝。湖畔にある教会の祭司さまが無断で小舟を漕ぎ、"水球"に近付きました。そして、溢れ出る水に触れ……姿を消しました」
「姿を消した?!」
「はい。"水球"に吸い込まれるようにして、一瞬で消えました。二人目の被害者は、たまたまこの街を訪れていた魔導士の方。祭司さまを助け出すため、魔法を仕掛けようとしたところ、誤って"水球"に触れ……それを止めようとしたウチの団員もろとも吸い込まれました。それが三人目です」
"水球"に触れた人間が、吸い込まれるようにして消えた……
想像以上の緊急事態に、クレアは危機感を募らせる。
「しかし、『今も意識を失っている』ということは、その三人は戻って来たのですよね?」
先ほどのサーヴァの言葉を思い出し、クレアが尋ねる。
それに、彼は頷いて、
「はい。仲間たちと途方に暮れていたら、少しもしない内に"水球"の中から吐き出されるように祭司さまが現れたのです。その後に魔導士の方とウチの団員も現れました。全員意識を失っていたので、ひとまずボートに引き上げ、病院へ運び……それが昼前の出来事です」
「三人の容体は?」
「医師によれば、脈はあるが呼吸が不安定だと……肺に水が残っているようなのですが、なかなか吐き出さなくて」
サーヴァの言葉に、エリスは駆け出し、
「その病院へ連れて行って。あたしなら、三人の意識を取り戻せるかもしれない」
真剣な面持ちで、そう言った。
――街の病院へは、すぐに到着した。
受付で事情を伝えると、"水球"に触れた三人の病室へ案内された。
辿り着いたのは複数のベッドが並ぶ大部屋。数人の医師と看護師がバタバタと駆け回り、混乱した様子だった。
「軍部から派遣された調査員です。"水球"の被害者を確認しに参りました」
クレアが声をかけると、医師たちが汗の滲む顔を一斉に向けた。なかなか意識が戻らない被害者たちの処置に苦戦しているようだ。
「ちょっといい? 被害者の状態を見せて」
ベッドを囲む医師たちを押し退けるようにエリスが前へ踏み出す。
と、そこに横たわる被害者の姿を見るなり……彼女は、絶句した。
何故なら、それは…………エリスのよく知る人物だったから。
丸い縁の眼鏡に、豊満なバスト。
黒い長髪を三つ編みにした、ドジっ娘治安調査員の……
「し……シルフィー?! なんでこんなところに……!!」
エリスの絶叫が、病室内にこだました。
ということで、ここから第二章に突入です。
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