11 貴方のものである証
――街灯に、暖かな色の光が灯る。
夕闇に暮れる中、多彩なチーズ料理が並ぶ祭りの出店を、エリスは夢中で巡った。
チーズサンドにチーズパイ。
肉や野菜にチーズをかけた串焼き。
チーズタルトやチーズケーキといったスイーツまで。
クレアとはんぶんこしながら、目に付く料理を手当たり次第に食べ尽くした。
とろけるようなその味に、エリスは頬張る度にうっとり悶えた。
それから、的当てや輪投げといった遊戯の屋台も楽しんだ。
景品にチーズクッキーなどのお菓子がもらえ、エリスは子供のようにはしゃいだ。
最後に二人は、お土産用の固形チーズを売る店を見て回った。
一口にチーズといっても、その種類は様々である。
ワインに合う、酸味あるさっぱりした味。
肉料理と相性の良い、濃厚でこってりした味。
スイーツ作りに最適な、甘くてクリーミーな味。
そして――
徹底的に熟成された、究極の味。
「こ、これが……最上級のチーズ……?」
それを目にしたエリスが、ゴクッと喉を鳴らす。
彼女の目の前にあるのは、土産物屋で売られている中で最も高級なチーズ――
青黒いカビを生やした、その名も『ブルー・ド・バーナム』だ。
食材としての実績があるものなら、どんなゲテモノだろうと口にする主義のエリスだが……
その強烈な見た目には、さすがに慄きを禁じ得ないようだった。
「試食できるそうですよ、エリス。お一つ、いかがですか?」
フォークに刺した一口大のそれを、クレアが差し出す。
エリスの表情には、やはり躊躇いが見られるが……
怖さより好奇心が勝ったのか、警戒しながらも、少しずつ顔を近付けてきた。
カビまみれのチーズを見つめ、じりじりと躙り寄るエリス。
……が、あと少しというところで、
「うっ……!!」
そんな呻き声と共に、バッと顔を背けた。
「エリス……?」
クレアが様子を伺うと、彼女は鼻をつまみ……
「くっさぁっ……あんた、そんな近くにいて平気なの……?」
と……
目に涙を浮かべながら、眉を寄せた。
確かに、クレアの鼻にも饐えたようなにおいが届いているが……
人より嗅覚の鋭いエリスは、このカビの生えたチーズを何倍も臭いと感じているらしい。
……その臭がる様子と、嫌そうな表情に。
どういうわけか、クレアは……ゾクゾクッとキてしまい。
「………………」
無言のまま、カビたチーズを突き付けるように、じりじりとエリスに近付いた。
「ちょ……なんで近付けるのよ?!」
「もっと言ってください」
「はぁ?」
「ほら、くっさい私が近付きますよ? もっと嫌がって、罵ってください」
「ば、馬鹿なの?! なに興奮し……って、くさぁっ!」
「あぁ、その目、そのセリフ……最高です。ほら、エリス。あーんして? この臭いモノ、お口に入れて?」
「ヘンな言い方するな! ちょ、ほんとに……心の準備がぁっ……!!」
……などと、臭がるエリスを一頻り堪能した後。
クレアは、土産物屋の店員の方を振り返り、一言。
「これください」
「買わないよ?!!」
すかさず止めるエリス。
しかしクレアは、キリッと真顔になり、
「エリス。これは最上級の熟成チーズなのですよ? あらゆる『最上級』を味わってきた貴女が、それを入手しなくて良いのですか?」
「う……いや、あたしだって食べたい気持ちはあるケド……」
「ならば買いましょう。そうすれば、家でじっくり鑑賞することができます」
「鑑賞ってなにを?!」
「『臭くてたまらない、けど欲求に抗えず口に入れてしまう悩ましげなエリス』に決まっているじゃないですか」
「普通にチーズの味を楽しみなさいよ!!」
という、不毛な言い合いの末……
結局、『ブルー・ド・バーナム』のお土産用を二つ購入し、二人はその場を後にした。
紙袋を抱え、クレアは満足げに微笑む。
「チェロさんにも良いお土産ができましたね。ワインに合うでしょうから、きっと喜ばれますよ?」
「ったく……チーズすら変態行為の道具にしようとするなんて。油断も隙もあったもんじゃないわ」
「帰ったら、一緒に楽しみましょうね?」
「だから、その含みのある言い方やめなさい!」
クレアをぴしゃりと怒鳴りつけ、エリスは呆れたように息を吐く。
そして……そのまま、何故か彼の顔をぐっと覗き込むので。
クレアは思わず足を止め、彼女を見下ろす。
「……どうかしましたか?」
「……クレア。もしかしなくても……ちょっと浮かれてる?」
いきなり問われ、クレアはドキッとする。
何故なら……図星だったから。
上手く隠していたつもりの内心をエリスが見抜いてくれたことに、クレアは嬉しさを覚えながら微笑む。
「……えぇ。何せ、貴女との久しぶりのお出かけデートですからね。浮かれるに決まっています」
「デートってあんた……いちおう任務で来ているんだけど」
「もちろんわかっています。でも、こうして二人きりで任務に赴くのも初回ぶりじゃないですか? だから……貴女との水入らずのひと時が、とても嬉しいのです」
言って、クレアはエリスの手をきゅっと握る。
と、今度はエリスがドキッとした顔をして……照れくさそうに目を逸らす。
「い……一緒に住んでるんだから、いつも水入らずじゃない」
「でも、日中は別々の場所で働いているでしょう? 私が数日不在にすることもありますし、こうして四六時中一緒にいられるのは久しぶりじゃないですか」
「はぁ……そんなに一緒にいたいの?」
「はい」
迷いなく返された答えに、エリスは思わずクレアを見る。
すると彼は、エリスを愛おしげに見つめていて……
「許されるのなら、私は……この先の人生、一秒でも長く貴女の側にいたいです。貴女のことを、愛しているので」
そう言って、にこっと笑った。
不意打ちな「愛してる」に、エリスの頬がかぁっと火照る。
「なっ……いきなり何言って……!」
「いきなりではありません。常日頃から思っていることです。その証拠に――」
――スッ。
と、クレアは、指で摘んだ"ある物"をエリスの前に掲げ、
「もう他の男に狙われることがないよう……『虫除け』を着けていただこうかと考えていたところです」
……なんてことを、笑みを浮かべたまま、言った。
クレアの指に摘まれたそれは……指輪だ。
くすんだブロンズ色の、華奢なリング。
見覚えのないそのアクセサリーに、エリスはぱちくりと瞬きをする。
「な……なにその指輪」
「先ほど遊んだ輪投げ屋台の景品です。ほら、キャンディーを模した装飾が付いているのですよ? 可愛いでしょう?」
「いつの間にそんなものを……で、それをどうするって?」
「貴女に着けていただくのです。こうすれば、ガルャーナさんのように言い寄ってくる男を牽制できるはずです」
そして、クレアはエリスの左手を持ち上げ、
「今はおもちゃの指輪ですが……いつか必ず、ちゃんとしたものを贈ります。それまでは、これを――貴女が私のものである証として、着けていてくれませんか?」
そう、囁くように言った。
暮れた街を照らす街灯。
その灯りを映すエリスの瞳が揺れる。
……別に、アクセサリーになんて興味はない。
それに、こんな指輪がなくたって、他の人に気移りするわけがない。
そう思っているはずなのに……
『指輪をもらう』という特別な行為に、確かな嬉しさを感じていて。
エリスは、その感情を隠すように唇を尖らせ、
「…………ん」
『着けて』と促すように、彼に取られた左手を、少し持ち上げた。
クレアは嬉しそうに笑って……
彼女の薬指に、指輪をそっと通した。
包み紙にくるまれたキャンディーの形をした飾り。
そんな可愛らしいデザインの指輪が自分の指に嵌っていることをこそばゆく思いながら、エリスはわざとそっけなく言う。
「これで満足?」
「はい。ありがとうございます」
「まったく……まだあの領主サマ相手にヤキモチ妬いてたの? あたしにその気がないって、いい加減わかってるでしょ?」
「それはそうですが……あの容姿と地位を持っていながら一般常識や普通の倫理観が通用しない感じが、なんとも脅威でして」
「それ、まんま自己紹介になってるって自覚ある?」
「とにかく、これで少し安心できます。エリスはいつ何処で誰を魅了するかわからないですからね。その指輪はしっかり着けておいてください」
「はぁ……別にいいけど。嫉妬もほどほどにしておきなさいよね。じゃなきゃ、"禁呪の武器"の呪いに打ち勝てなくなるわよ?」
と、何気なく放たれたエリスの言葉に、クレアは「え」と固まる。
エリスは「だって」と続けて、
「あんたと同じく狂戦士化の呪いに耐性のあるディアナや領主サマは、純粋無垢で、嫉妬も独占欲もなさそうな感じでしょ? なのに、あんただけが欲まみれじゃない」
「……欲まみれ」
「そう考えると不思議よね。どうしてクレアには"武器"の呪いを打ち破る力があるのかしら。あんたみたいな変態色欲人間、真っ先に狂戦士化しそうだけど」
そんな風に言われ、クレアは……「確かに」と思う。
幼少期に『天穿ツ雷弓』に触れ、負の感情を吸い取られたせいで、狂戦士化の呪いにかからなくなった。
だからこそ、自分には"武器"の呪いを突破する力があるのだと思っていたが……
エリスの言う通り、今の自分はとっくに欲まみれだ。嫉妬や独占欲といった悪意を嫌と言うほど知っている。
そうなれば、"武器"の呪いにより悪意が増幅し、狂戦士化するはずが……
前回の『地烈ノ大槌』も、問題なく触れられてしまった。
(考えてみれば、これは特異な事例なのかもしれない。『幼少期に負の感情を吸い取られること』以外に、呪いを受けない条件があるのか……?)
メディアルナやガルャーナの境遇や性質を振り返り、自分との違いを考えてみるが……
これといって思い当たるような特別なことはなかった。
……まぁ、ここで悩んでいても答えは出ない。
レナードがルカドルフの部屋で見つけた資料にあったように、かつて魔法研究所では"禁呪の武器"の適性者を見出す実験をしていたらしい。
今後の捜索でその詳細が明らかになれば、"適性者"の新たな共通点が見えてくるかもしれない。
だからクレアは、爽やかに笑い、こう答える。
「きっと、私の欲望が"純粋な愛"に由来するものだからでしょう。スケスケ水着を着せたいのも愛。くっさいモノを嗅がせて涙目にさせたいのも愛。指輪で男たちを牽制し、ガチガチに独占するのも愛。だから、私には呪いが通用しないのです」
「どう聞いても"歪んだ性欲"由来だけど?!」
「さぁ、宿に向かいましょう。スケスケ水着を試着して、私の"純粋な愛"を受け止めてください」
「だから着ないってば! 明日の出発に備えて、今日はすぐに寝るからね!!」
「えぇ〜」
などと言い合いながら……二人は賑わう夜の街を歩くのだった。




