10 とろけるような幸運
――数時間後。
クレアとエリスは馬車に乗り、王都を出発した。
目指すはジブレール領。王都の北隣にある領地だ。
「はぁ……なんか、どんどん大変なことになってきたわね」
揺れる馬車の中。
窓の外を流れる昼下がりの街道を眺め、エリスがため息をつく。
「"禁呪の武器"を無力化するだけなら何とかなるって思ってたのに……こんな拗れた話になるとは」
午前中の会議や、先ほどのレナードとの話を思い出しているのだろう。見るからに疲弊した様子だ。
その横顔を、クレアは隣で痛ましげに見つめ、
「私としても心苦しい限りです。"武器"の悪用を目論む敵が、国の上層部だとは……煩雑な調査や潜入は私に任せて、貴女は道中のグルメに専念してくださいね」
「そんな無責任なことするわけないでしょ? 元はと言えばあたしが"精霊の王さま"と約束しちゃったんだし……あたしだって、あんたを護りたいもの。これでも公私共に『相棒』だからね」
言って、照れ臭そうに顔を背けるエリス。
その言葉と仕草に、クレアの胸がきゅんと締め付けられる。
前回の『地烈ノ大槌』の一件で、エリスは寝る間も惜しんで魔法を研究し、持ち得る力を尽くしてくれた。
クレアの頼れる相棒として、共に"武闘神判"へ挑むために。
"食"にしか興味がなかったはずの彼女が、こうしてクレアを護るために時間と労力を割いてくれている。
そのことが、クレアには堪らなく嬉しくて……同時に、申し訳なくもあった。
その想いに突き動かされるように、クレアは「エリス」と呼びかけ……
振り向いた彼女の顎に手をかけ、瞳を見つめた。
「なっ……なによ」
「……どちらが良いか、聞かせてください」
「はぁ? なんの話?」
「こちらの――」
……と。
クレアは、荷物の中から二つのナニカを取り出し、左右の手に掲げて、
「――ビキニと、ワンピース。どちらの水着が良いか、選んでください」
「はぁあああぁあッ?!」
エリスの絶叫が、馬車の窓から溢れる。
クレアに突き付けられたのは、異なるデザインの……水着だった。
「な……なんでンなモン持ってきてんのよ?!」
「だって、湖での調査ですよ? "水球"にはボートで近付くにしてもいつ落水するかわかりませんし、『飛泉ノ水斧』を相手にするなら濡れてしまう可能性が大いにあります。ならばいっそ、水着で調査に当たった方が服を乾かす手間が省けて良いかと」
「ただあんたが水着を着せたいだけでしょ?! だいたい何なのよ、その破廉恥なデザイン!!」
と、彼の用意した水着を改めて見るが……
明らかに布面積の狭い、白のビキニと。
比較的布が多いかと思いきや、背中部分がばっくり露出した白のワンピース。
どちらも罰ゲームですら着たくない、恥ずかしすぎるデザインだった。
しかしクレアは、何故か得意げに鼻を鳴らし、
「この私が長年研究を重ねようやく辿り着いた、エリスの身体を最も魅力的に魅せるデザインです。どちらもギリギリ見えそうで見えない、絶妙なラインを楽しむことができます。しかも、なんとこの生地……水に濡れると透けるんです」
「水着として致命的でしょうが!!」
神妙な顔をして何を言うのかと思えば、これである。
欲望剥き出しな変態プレゼンに、エリスはこめかみを押さえる。
「っていうか、そんなん着て他の人に見られたらどうすんの?! 現地には街の住民や調査員もいるだろうし……!」
「それはもちろん、任務に託けて湖を全面封鎖するのですよ。そうすれば、私とエリスだけのプライベートレイクの完成です。二人きりの湖畔で存分にきゃっきゃうふふしましょう」
「誰がするか! っていうかジブレール領ってオゼルトンの隣よ?! 絶対に寒いじゃん! だから防寒着持ってきたのに!」
「ふっ……わかっていませんね。上はもふもふ防寒着、中は露出度ギリギリな水着。その組み合わせが趣深いんじゃないですか」
「わかりたくもないわよ、ンな趣!!」
まともに取り合うのも馬鹿らしくなり、エリスはクレアの手から水着を奪い取る。
「これは没収! ったく、何考えてんのよ。この変態」
「あぁん、私の最高傑作が」
「遊びに行くんじゃないのよ?! "水球"と『飛泉ノ水斧』の関連性を調べて、湖が溢れるのを阻止しないといけないんだから! あんた、ちゃんとわかってんの?!」
そう怒鳴りつけた直後……
クレアは、真剣な表情でエリスを見つめ返し、
「エリスの方こそ……この任務に対する『初心』をお忘れではないですか?」
なんて、唐突に聞き返され……エリスは「え?」と声を上げる。
クレアは穏やかな笑みを浮かべ、こう続ける。
「貴女が"禁呪の武器"解放の任を背負ったのは、国から給与と経費を受け取りながら、私と美味しいものを食べ歩くためだったはずです。それなのに、難しい顔でため息ばかりついて……そんなの、勿体無いと思いませんか?」
そう言われ、エリスは悟る。
(もしかして……あたしの気分を変えるために、わざと水着で怒られるような真似を?)
……確かに、考えても仕方のないことばかり考え過ぎていたのかもしれない。
クレアの言う通り、元はと言えば、のびのびとグルメ旅を楽しむために選んだ道だった。
その『初心』を忘れてしまっては……本末転倒だ。
……まったく。
と、エリスは困ったように笑って、
「……それもそうね。んじゃあ早速、今日の晩ご飯について考えよっか」
「そうこなくては。ご存知の通り、目的地であるウィンリスの名産はワインです。今日泊まるのはその隣街ですが……」
「ワインに合うチーズ料理が有名、でしょ?」
「その通りです。貴女が気に入りそうなお店をいくつか調べてありますので、今夜はチーズ三昧でいきましょう」
「くぅーっ! あたしチーズ大好き! 肉にヨシ! 魚にヨシ! 野菜にも合うし、そのままでももちろん美味しいっ! 今日はとろっとろにとろけまくるわよー!!」
おー! と手を上げ、ご機嫌に身体を揺らすエリス。
その嬉しそうな顔を眺め、クレアも微笑み……
今回の任務でも、エリスと美味しいものがたくさん食べられるようにと、胸の中で祈るのだった。
* * * *
……しかし。
二人の夕食の計画は、早くも狂うこととなった。
それも――より良い方向へ転じる形に。
「――バーナム……チーズ祭り……?!」
夕方。
ジブレール領に入り、馬車を降りたクレアとエリスは、今夜宿泊するバーナムという街に到着した。
決して大きな街ではないのに人通りが多く、どこか賑わった雰囲気が漂っていた。
そして……その違和感の理由は、メイン通りに差し掛かった瞬間に明らかになった。
頭上に掲げられた横断幕。
良い匂いを漂わせる出店が、通りの左右にずらりと並んでいる。
たまたま訪れたこの日、バーナムでは、年に一度の『チーズ祭り』が開催されていたのだ。
横断幕を見上げ、エリスがわなわなと震える。
「く……クレア……お祭りのこと、知ってた?」
「いいえ、まったく。これは想定外の幸運ですね」
クレアが答える中、エリスの耳に出店の呼び込みが聞こえてくる。
「ハムチーズサンドはいかがー! ハムもチーズもたっぷり挟まってるよー!」
「はっ!」
「チーズパイ、チーズパイだよー! 焼きたてサクサク、とろーり伸びる!」
「はわわっ!」
「ステーキ串のチーズがけ! 肉汁とチーズに溺れる大満足な一本だよー!」
「はわわわわっ!!」
聞くほどにエリスの目が輝き、よだれがじゅるりと滴ってゆく。
そして、彼女はバッとクレアの方を向き、
「クレアっ! その……クレアが調べてくれたお店に行く前に、ちょーっとだけ出店を見て回りたいんだけど……だめかな?」
と、遠慮がちに聞くので……
クレアはくすりと笑いながら、こう答える。
「私が貴女に『だめ』と言うわけがないでしょう?」
「それじゃあ……!」
「えぇ。お店ならまた来られます。せっかくのお祭りですから、今夜は出店グルメでお腹いっぱいにしましょう」
嬉しそうに「うんっ!」と頷くエリスの手を引いて。
クレアは、賑わう街へと足を踏み出した。




