8 スープが冷める前に
クレアとエリスが自宅に戻ると、玄関の前にレナードが立っていた。
扉に背を預け、落ち着いた様子で腕を組んでいる。どうやら、王子の部屋の捜索は滞りなく終えられたようだ。
その済ました佇まいに、クレアたちはほっと安堵し、
「お待たせしました、レナードさん。さぁ、中へどうぞ」
「クレアがお肉を煮込んでくれたの。お昼、食べていって」
「だから、俺は食事をしに来たわけでは……」
「だめよ。あたしたちしばらく留守にするんだから、うちにある食材はぜんぶ食べ切っておかなきゃならないの。お兄ちゃんも協力して」
という、エリスの有無を言わさぬ誘いに、レナードは文句をいくつも飲み込み……
苦々しい顔で、クレアの開けた扉を潜った。
「――そういえば、チェロはどうしたの?」
レナードをリビングのテーブルに座らせ、グラスに水を注ぎながら、エリスが尋ねる。
クレアが鍋を温める中、レナードはグラスを受け取り、
「彼女は家に帰った。神経をすり減らしたから、早く帰って猫に癒されたいと言っていた」
「あはは。早くもマリーの可愛さにやられているのね。預けて正解だったわ」
「そちらの会議はどうだった? 想定よりも長引いたようだが」
「うん。本当は早く終わっちゃいそうで危なかったんだけど……オゼルトンの領主サマが乱入してきて、引き伸ばしてくれたの」
「というか、ガルャーナさんにエリスの居場所を教えたのはレナードさんですね? あの場に彼が現れれば、立場上ルカドルフ王子は足を留めざるを得ない。会議を長引かせるために手を回していたのでしょう?」
鍋をかき混ぜながら、クレアが言う。
エリスが驚いてレナードを見ると、彼は静かにグラスに口を付け、
「そうだ。ガルャーナ領主が今日、会合のために訪れることは把握していたからな。朝の内に彼に接触し、お前たちの会議の場所を知らせていた」
「……どうして私に教えてくれなかったのです?」
「彼を利用することを知ったら、お前が抵抗するからだ」
まぁ……それはそうだけど。
と、図星を突かれたクレアは、何も言えずに口を閉ざした。
「それで……王子の様子はどうだった? 今回の任務について、追加の指示など与えてきたか?」
レナードの問いに、エリスは肩を竦めて首を振る。
「それがなんにも。アクサナみたいな同行者を付けるどころか、"禁呪の武器"の回収は無理にしなくていいから、とりあえず"水球"を調べて来いって」
「……本当か?」
「本当よ。淡々とし過ぎていて不気味なくらいだったわ。"禁呪の武器"に興味があるんだかないんだか……」
「ふむ……何か別の形で手を回しているのか、あるいは……」
「"武器"の適性者を生む条件を、既に把握しているか」
コト、とスープ皿をテーブルに置きながら、クレアが言葉を継ぐ。
それに、レナードは頷き、
「あるいは、俺たちが警戒していることを察し、あえて任務内容を緩めたか、だな。いずれにせよ、"禁呪の武器"の回収を諦めたわけではないはずだ」
「ねぇ……そもそも王子サマって、本当に"武器"の悪用を目論んでいるのかなぁ?」
テーブルにスプーンを並べながら、エリスが言う。
「今日、初めて会って話したけど……何というか、心ここに在らずって感じだった。魔法に対する探究心も、"武器"を悪用しようとする強い野心も感じられない。もしかすると、次期総統として"武器"を兵器化することで国の武力強化を図ろうとしているのかな、なんて思ったりもしたけど、そういう無謀さや責任感もなさそう。ただなんとなく面白そうだから、"武器"に興味を持ったとか……案外、そんな幼稚な動機だったりしないかしら?」
それは、クレアも感じていることだった。
国の最高権力者の息子とはいえ、ルカドルフはあまりに落ち着き過ぎている。
……いや、その表現も適切ではない。エリスの言う通り、感情や心が読めない印象なのだ。
明確な意志のない、無感情な目……あれと同じ目をした子供に、クレアは心当たりがあった。
あれは、まるで……
(自分たちと同じ……『箱庭』で育った、国の駒のようだ)
食卓に料理を並べ、クレアは席に着く。
その正面で、レナードは目を伏せ、
「……お前の推測は、半分は当たっているのかもしれない。王子自身の意志はわからないが、少なくともこれまでの行動は、彼の独断によるものではなかったのだろう」
「……どういうこと?」
エリスが聞き返すが、クレアにはレナードの言葉が予測できた。
何故ならクレアも、その可能性を考えていたから。
レナードは一度口を閉ざし……
自身の目で見てきたことを思い出すように沈黙して、
「……恐らく王子は、何者かの指示で動いている。つまり、"禁呪の武器"の利用を目論む別の誰かが、国の上層部にいるということだ」
と、クレアの予想通りの返答を述べた。
そして、レナードは懐から数枚の紙を取り出し、
「王子の部屋で見つけた書類やメモを写してきた。例えば、これは……」
「わーっ! 待った!」
が、そこで。
本題に移ろうとするレナードを、エリスが慌てて止めた。
何事かと驚くレナードに、エリスは目を吊り上げ、
「その話、長くなるよね? だったら先に料理を食べましょ? せっかく温めたのに、冷めたらもったいない!」
なんて、キリッと言ってのけるので……
レナードは紙を差し出す手を止め、暫し固まった後、
「お前は、この状況でまだ食を優先し……はぁ。もういい。好きにしろ」
エリスの食に対する執着を嫌というほど学んでいる彼は、大人しく従うことにした。