5 思いがけない救世主
場所は再び、クレアたちのいる会議室――
ジークベルトの指示により、軍の調査員が謎の"水球"についての調査報告を読み上げた。
「仮称"水球"が現れたのは二日前。場所は、ジブレール領西端の街・ウィンリスに面したシノニム湖。湖面に浮かぶような形で、内部から絶えず水を湧き出しながら球体を形成しており、その位置から動く様子はありません」
ここまではジークベルトから聞いていた内容と同じであると、クレアは思う。
隣に座るエリスに意識を向けると、落ち着いた様子で報告を聞いていた。これだけの要人が揃う会議だというのに、相変わらず肝が据わっているようだ。
「水質を調査したところ、人体に有害な物質は検出されませんでした。魚や水鳥などの生態系にも影響は見られません。ただ……このまま"水球"から水が溢れ続ければ、湖の水位が上昇し、周辺の民家に水害を齎す危険性があります」
「人為的に起こされた魔法の可能性は? 周囲に疑わしい人物はいなかったか?」
ジークベルトの問いを、調査員は静かに否定する。
「街を封鎖して調べましたが、怪しい者はいませんでした。また、一般的な魔法による現象である可能性は極めて低いと、魔法研究所から見解が出ています。所長、お願いしてもよろしいですか?」
と、調査員が投げかけたのは、白衣を着た初老の女性。
イザベラ・サザーランド。魔法研究所の所長だ。
くすんだブロンドのショートヘアに、銀フレームの眼鏡。淡いグリーンの瞳からは知性が感じられる。
イザベラは、落ち着いた声でジークベルトに言う。
「水の精霊・ヘラは、特に制御が困難な精霊です。そのヘラを湖の上で絶えず水を湧かせながら、綺麗な球体を保つように制御することなど、並みの魔導士には不可能でしょう。そうよね、エリシアさん?」
そう投げかけられ、エリスは苦笑しながら答える。
「"水球"が現れて一日以上経つんでしょ? 例え精霊の数に恵まれた環境であっても、そんな長時間も魔法を発動させるのはあたしでもムリ。寝食を放棄して意識を向け続けなきゃ、球体を保つことすらできないわね」
「ならば、オゼルトンの『神手魔符』を用いた可能性は? あれならば、魔導士が意識を向け続けなくとも自動的に魔法が発現するはずです」
と、クレアが疑問を呈するが……これは時間稼ぎのための芝居だ。神手魔符では"水球"のような現象を起こせないことなど百も承知である。
もちろん、エリスもその意図を見抜いているため、あえて丁寧な解説を返す。
「その線もないでしょうね。神手魔符による水の罠はもっと別の形で発動するし……なにより、どこかに貼り付けなきゃ使えないんだから、仮に湖の上にぷかぷか浮いていたとしても、それだけじゃ何も起こらないわ」
「では、木の板など水に浮かぶものに貼り付けて、湖面上で発動するようにした、とは考えられませんか? 魚や水鳥を狩るために誰かが仕掛けた罠かもしれません」
「だとしても、一日以上効力を発揮するなんてあり得ないわよ。残念だけど、神手魔符の可能性はゼロだと断言してもいいわ」
「なら――可能性として最も高いと思われる原因は何でしょう?」
……そこで。
皆を見渡せる中央の席に座るルカドルフが、ついに口を開いた。
十一歳とは思えぬ程に落ち着いた、無感情とも言えるような声で、エリスに尋ねる。
国の最高権力者の息子であり、アクサナを危険に晒そうとした張本人――そんな彼との初めての会話を、エリスは「待っていた」と言わんばかりに堂々と交わす。
「……"禁呪の武器"、でしょうね。現代の魔法技術で説明ができない以上、その線で考える必要がある。実際、封魔伝説には『飛泉ノ水斧』という水を無限に生み出す斧が登場する……例の"水球"とも特徴が一致しているわ」
"水球"は、『飛泉ノ水斧』により齎された可能性が高い。
それはこの話し合いの結論に他ならないのだが、ここで議論が終われば会議も終了してしまう。
クレアはもう少し議論を展開するため、次なる疑問を投げかける。
「ならば、『飛泉ノ水斧』を操る者がどこかにいるはずです。"禁呪の武器"単体では、力は発揮されないでしょうから」
「そう、そこが疑問なのよね。クレアの言う通り、"武器"は使う人間がいて初めてその能力を発動する。でも、湖の周辺に怪しい人物はいなかったって言うし……かなり離れたところから"水球"を生み出しているのかしら?」
「――そ、その点については……」
……そこで。
初めて上がる声が、遠慮がちに響いた。
声の主は、イザベラの隣に座る男。
ジェラルド・シュタインホッグ。
魔法研究所の副所長だ。
年齢は二十代後半か。研究所の中では最も若い研究員だが、緩く結んだ長い白髪と猫背な長身、黒ぶち眼鏡とマスクに覆われた容貌のせいで、年齢不詳な雰囲気を醸し出している。
そんな彼が、眼鏡の位置を直しながら言う。
「か、『風別ツ劔』の事例が、参考になるかもしれません。劔は、イシャナという巨大魚の喉に刺さっていた。そして、イシャナは劔内部の精霊の干渉を受け、不老不死のような状態に変異していた……つまり、"武器"を操る人間がいなくとも、接触した生物に影響を及ぼす力があるということ。今回の"水斧"も、湖にいる何らかの生物と接触することで力を発揮しているのかもしれません」
「なるほど……確かに、それならば"水球"に攻撃性がないことにも説明がつくな」
ジェラルドの言葉に、ジークベルトが納得する。
その直後、ルカドルフが再び口を開き、
「では、予定通り"禁呪の武器"担当のお二人に調査へ出向いてもらいましょう。『飛泉ノ水斧』との関連性は気になるところですが、ひとまず"水球"の調査を進め、"武器"の回収は必須としない……それでどうでしょうか、ジークベルト隊長」
そう、結論を急ぐように言った。
その指令内容に、クレアは違和感を抱く。
確かに、現段階では"水球"と『飛泉ノ水斧』の関連性は明確ではないし、『水斧』の所在もわからない。
しかし、ルカドルフはこれまで「狂戦士化の呪いを有したまま"武器"の回収せよ」とクレアたちに命じてきた。
今回も同じように、回収を最優先とする命令を下しても良さそうなものだが……それに、アクサナの時のような同行者の指示もなさそうである。
(何か別の意図がある? それとも……既に"武器"の適性条件に目処が立っているため、急いで回収する必要がなくなったのか?)
クレアが思考を巡らせる中、ジークベルトは「はい」と頷き、
「では……クレア。そして、エリシア。二人に、指令を下す」
と、正式な辞令を述べ始める。
まずい。このままでは想定よりもずっと早くに会議が終わってしまう。
今ルカドルフが部屋に戻れば、間違いなくレナードたちと鉢合わせる。いくら魔法で姿を消していても、音や気配でバレるだろう。
何か議題を……ルカドルフをこの場に引き留めるための理由を作らなくては……
(…………そうだ)
……そこで。
クレアは、ある議題をひらめき、
「――待ってください」
ジークベルトの辞令を遮り、立ち上がった。
「会議を終える前に一つ、この場にいるみなさんに伺いたいことがあります」
「ほう。何だ? クレア」
「ここ数日、エリスは"禁呪の武器"について書かれたオゼルトンの文献を研究していました。その中で、『飛泉ノ水斧』に纏わる無視できない情報があったのです。そうですよね、エリス?」
話を振られ、エリスは少し驚く。
が、クレアの言わんとしていることを悟り、すぐに答える。
「うん。アルアビスに伝わる封魔伝説では、『飛泉ノ水斧』は水を無限に生み出し操る斧とされているけど……オゼルトンに伝わる『英雄と神器』のお伽話には、別の能力があると書かれていたの」
「まぁ。それは興味深いわね」
イザベラが、研究者の顔を覗かせて言う。
エリスは、皆の注目を引きつけるように続きを語る。
「オゼルトンの伝承によれば……『飛泉ノ水斧は、ワカ・シュンケに捕らえて人を惑わす』とある。つまり、水を用いた物理攻撃だけでなく、人を惑わすような精神攻撃を仕掛けてくる可能性があるってことよ」
エリスの言葉に、一堂がどよめく。
皆の困惑を代弁するように、ジークベルトが険しい顔付きで尋ねる。
「精神攻撃……水の魔法にそのような力があるとは聞いたことがないが……」
「うん、ないわ。少なくとも現代の魔法技術ではね。でしょ? 所長さん」
「えぇ。水の精霊だけでなく、他の精霊を用いた魔法の中にも、人の精神に作用するようなものは存在しません」
「で、でも、『竜殺ノ魔笛』は聴くものの精神を汚染する力を有していたんですよね……? 古の魔法技術では、複数の精霊を複雑に融合させ"武器"に封じることで、精神への作用をも可能にしていたのかも……」
と、イザベラに続き、ジェラルドが戦慄しながら呟く。
エリスの鬼気迫る物言いのお陰で、皆この話題に食い付いてくれた。
自分の意図を瞬時に察してくれたエリスに感謝しながら、クレアは議論を見守る。
「それで、その『ワカ・シュンケ』とは一体何なのだ? 聞いたところ、オゼルトンの言葉のようだが……」
「それがわかんないのよね。よっぽど古い言葉なのか、お伽話の作者が考えた造語なのか、辞典を調べても載っていなくて。だから、『ワカ・シュンケ』が何なのか、魔法の専門家がいるこの場で予想を立てたいと思うの」
エリスの言葉に、イザベラとジェラルドが考え始める。
このままこの議論が長引けば、レナードたちに十分な時間を与えることができる。
クレアは目論見が成功したことを確信しながら、席へ座り直すが……
「――その必要はありません」
ルカドルフの声が、皆の思考を遮る。
「オゼルトンの言語なら、オゼルトン領の研究者に尋ねるのが一番です。僕から手紙を送りましょう。返事はウィンリスの街に届くようにしますから、エリシアさんたちが現地で受け取ってください」
一切隙のないその提案に、エリスは顔を強張らせる。
ルカドルフの言う通り、ここで答えのない議論を交わすくらいならオゼルトンの有識者に聞いてしまった方が早いのは紛れもない事実だ。エリスもそれがわかっているからこそ、ガルャーナに手紙を送ろうとしていた。
しかし、これほどまでにばっさりと議論を止められるとは思わなかった。
魔法や"禁呪の武器"に興味を抱く十一歳であるはずなのに、この手の議論に食い付きもしないとは……ルカドルフには想像以上に統率者としての素養があるらしい。
「でも、返事が来るのには数日かかるだろうし、"水球"を調べる中で精神攻撃に巻き込まれるのも怖いから、ここである程度予想を立てておきたいなぁ〜なんて思うんだけど……」
「ジブレール領とオゼルトン領は隣接しています。今日中に早馬を走らせれば、明日中にはあなたたちの元へ返事が届くはずです」
「う、うぅ……」
エリスが食い下がるが、それも淡々と否定される。
クレアの背中に、冷たい汗が伝う。
今度こそ、会議が終わってしまう。
この場で議題に挙げられそうなものは他にない。
このままでは、レナードとチェロが……
……と、クレアとエリスが焦りに包まれた――その時。
「――手紙の返事を待つより、早い方法があるぞ」
そんな声が、会議室に響いた。
同時に、扉が開く。廊下からの光を背に受けながら、一人の人物が入室する。
「それは――――この僕が、ここで答えを示すことだ」
艶やかな漆黒の長髪。
宝石のように輝く、碧い瞳。
均整の取れた長身に、見る者の目を奪う美しい顔立ち。
オゼルトン王族の末裔であり、最北の領地を治める若き領主――
「ガルャーナさん…………何故、ここに?」
突然現れた恋敵の名を、クレアは掠れた声で口にした。




