表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
280/332

7 会えない時間が育てるもの

 




 ──翌朝。


 レナードは身支度を整え、屋敷の外門を出る。

 予定通り、"中央(セントラル)"へ帰るのだ。


 その前に、昨晩メディアルナから聞いた怪しい紅茶店を捜査する必要がある。予定よりも早いが、彼女の笛の演奏が終わった直後に発つことにした。



「ルカドルフの動向にはくれぐれも気を付けろ。怪しいと思う者がいればすぐに連絡を寄越せ。必ず駆けつける」



 見送りに来たメディアルナと、アイビィに扮したアクサナに向け、レナードが言う。

 アクサナは力強く頷き、それに答える。



「はい、常に警戒しておきます。本当にお世話になりました。エリシアとクレアルドにもよろしく伝えてください」

「あぁ。異常がなくとも、あいつらには手紙を出すといい。隣にいる領主代行さまが取り次いでくれる。あいつらの能天気な手紙を読めば、お前も少しは気が休まるだろう」

「あはは。うん、そうします」



 笑うアクサナに、迷いや不安は見られない。

 ここでの新しい生活に、覚悟と希望を見出したのだろう。


 レナードは頷き、その視線を──隣のメディアルナへと移す。



「……メディアルナ」

「は、はいっ」

「アイビィのこと、宜しく頼む」

「もちろんです。責任を持ってお預かりします」

「アイビィは気が利く人間だ。身の回りのことは彼女を頼り、お前も少し楽をすると良い」

「はい。助け合いながら、一緒に頑張っていきます」

「それと、体調には気をつけろ。よく食べ、よく寝ること。何事も身体が資本だ、基本的な生活を疎かにするな」

「わかりました」

「それから……」

「なぁ、まだ続くようなら、ボクは屋敷に戻りましょうか? 朝の清掃をしなきゃならないんで」



 長引きそうなレナードの説教に、アクサナは半眼になって言う。

 レナードは、無表情のまま頷く。



「あぁ。ぜひそうしてくれ」

「じゃあ戻りますね。なんだかレナードさんにはまたすぐに会えるような気がするなぁ。来てくれるのを楽しみにしていますよ。それじゃあ、道中お気を付けて」



 そんな、二人の関係に気付いているのか、それともただの勘なのか測りかねるような挨拶を残し、アクサナは屋敷の中へと戻って行った。


 残されたのは、レナードと、メディアルナのみ。

 風に揺れる草花の音と、飛び回る小鳥の鳴き声が、晴天の下に優しく響く。


 昨夜のことを思い出したのか、二人きりになった途端、メディアルナは恥ずかしそうに頬を染め、俯いた。

 それを観察しながら、レナードが言う。



「……お前は、美人だ」

「へぇっ?!」

「三ヶ月前よりさらに綺麗になったと、会った瞬間に思った。だから、油断するな」

「な、ななな、何にですか?!」

「男に決まっているだろう。お前に近付きたいと考える男がごまんといるはずだ。用心しろ。お前の小説のファンだという印刷屋の男にも、必要以上に心を許すな」



 突然「美人」だ「綺麗」だと褒められ、メディアルナは嬉しさと恥ずかしさに混乱する。

 そんな彼女に、レナードは一歩近付き……囁く。



「俺ももう……お前以外の女には触れないと約束する」

「……それって……!」



 各地の犯罪組織の動向を探るための"情報源"を、自ら断つ、ということ。


 レナードは、これを伝えればメディアルナが喜ぶと予想していた。

 しかし、目の前の彼女は……自分のせいでレナードのやり方を変えてしまったことに、強い罪悪感を抱いているようだった。


 だからレナードは、こう返す。



「元々、潮時だと思っていたのだ。このやり方は、信頼性の高い情報が得られる代わりに、こちらの素性が露見するリスクが常に付き纏う。曖昧な態度を続ければ、向こうも徐々に不信感を抱くからな。これからは、別のやり方で情報を集める」

「そう、ですか……」

「……嬉しくなかったか?」

「う、嬉しいですよ! 嬉しいですけど……やっぱり、申し訳ないなって」

「俺が勝手に決めたことだ。お前が気にする必要はない」

「でも……」

「……お互い、制約が多いことは重々承知している。それでも俺は……お前とは、対等な関係でいたいんだ」



 そう言って、レナードはメディアルナを見つめる。

 その瞳から彼の想いが伝わり……メディアルナは、唇を噛み締めた。



 ……本当は、もっと一緒にいたい。

 けれど、それぞれが抱える身分と使命は手放せない。

 レナードには大事な仕事があるし、メディアルナも領主代行としてまだまだ頑張らなければならない。


 普通の恋人のような関係ではいられない。

 けれど、できる限り傷付けることなく、誠実でありたい。


 メディアルナのことが、大切だから。



 ……そんな想いが、痛いくらいに伝わってきて。

 メディアルナは、一度目を伏せてから……

「行かないで」という言葉の代わりに、一通の封筒を差し出した。



「……これは?」

「レナードさんへのお手紙です。お、お家に帰ってから開けてください」



 少し恥ずかしそうに答えるメディアルナに、レナードはこそばゆい愛しさを感じながら、それを大事に受け取る。



「……わかった、帰ってから読ませてもらう。次来る時には、土産をたくさん持ってこよう。欲しいものはあるか?」

「へっ? い、いいですよ」

「遠慮するな。お前には貰ってばかりなんだ、少しは返させてくれ」

「大丈夫です!」

「何でもいいんだぞ? 甘いもの、本、花、アクセサリー……何が良い?」

「っ……わ、わたくしが欲しいのは……レナードさんだけです! お土産を選ぶ時間があるのなら……一秒でも早く、会いに来てください……っ」



 振り絞るように、メディアルナが言う。

 そのセリフに、レナードは……


 ──ドスッ!


 と、何かに胸を射抜かれたような感覚に陥る。

 固まるレナードを見て、メディアルナは慌てて弁明する。



「も、申し訳ありません! レナードさんのご厚意を無碍(むげ)にするようなことを言って……でも、本当にわたくしは、レナードさんさえいてくだされば、何も……!」



 必死の弁明を遮るように、レナードは彼女の腕を引き……

 ぎゅっと、強く抱き締めた。



「れ、レナードさん……?!」

「……俺も、同じ気持ちだ」

「っ……」

「だから……何も用意しなくていい。ただ、元気で待っていてくれ。またすぐに会いに来る」



 ぴくっ、とメディアルナの身体が震える。


 いよいよ、別れの時だ。


 彼女は、名残惜しい気持ちが少しでも伝わるように、彼の背中に細い腕をそっと回し、



「はい……元気で待っています。レナードさんも、どうか……ご無事でいてください」



 心からの願いを、祈るように伝えた。






 * * * *






 そうして、レナードは屋敷を後にした。


 王都へ帰還する前に、メディアルナが情報を掴んだ怪しい紅茶店へ向かう。


 彼女から聞いた住所に、その店は確かにあった。

 建物の構造、人の出入り、店の周辺の情報などをメモにまとめると、レナードはリンナエウスの街の保安兵団にそれを託した。

 レナードが突入することは容易いが、それではこの街の防衛機能が育たない。彼は最初から、彼らに調査を任せるつもりでいた。



(見たところ大した組織ではなさそうだ。保安兵団に任せても問題ないだろう。彼らに太刀打ちできない相手であれば、自ずと特殊部隊(アストライアー)に依頼が回ってくる。今後の報告を待つとしよう)



 そう考えながら、レナードは王都へ向かう馬車へ乗り込む。


 リンナエウスから王都へは、丸三日かかる。

 チェロの護衛という短期間で終わるはずの任務が何故長引いたのか、報告書に記す言い訳を考えるには十分な時間があった。


 オゼルトン行きも突然決まったことだったが、まさか最終的にリンナエウスを訪れるとは思わなかった。

 こんな機会がなければ、恐らく来ることはなかっただろう。

 頭に浮かぶクレアのヘラヘラとした顔に、レナードは今だけ礼を述べた。


 しかし、浮かれてはいられない。

 "禁呪の武器"の適性を探るルカドルフと、その背後にいるであろう真の黒幕……

 彼らの目論見を潰さないことには、アクサナもメディアルナも安心して暮らせない。


 まずは、ルカドルフの周辺にいる人間の情報を徹底的に洗う必要がある。

 その中に、ルカドルフを裏で操る者がいるはずだ。


 "禁呪の武器"による悲劇を生まないため、そしてメディアルナたちの身の安全のためにも、王都へ帰ったらすぐに動き出そう。



 そう決意し、レナードは馬車の窓の外に目を向ける……と。

 突然、馬車が急停止した。

 牽引する馬が、ヒヒーンと(いなな)く。


 何が起きたのかと、レナードは腰の剣に手を添え警戒するが……外から、御者のこんな声が聞こえてきた。



「すみませんねぇ、お客さん。今、目の前を羊の群れが横断中で……ここいらの農園ではよくあることなんだ。じきに通り過ぎるから、少々お待ちくださいね」



 ……と、いうことらしい。


 レナードは、窓から馬車の前方を覗く。

 御者の言う通り、白や黒のふわふわな羊たちが、街道を我が物顔で横断していた。


 その平和すぎる光景に、レナードは警戒を解き、座席に座り直す。

 群れの数から見るに、すべてが通り過ぎるにはそれなりの時間がかかりそうだった。



(……そういえば、オゼルトンの養豚には羊のような毛が生えていたな……メディアルナに話してやればよかった。あいつは動物好きだから、きっと興味津々で話を聞いただろう)



 なんて、メディアルナの喜ぶ顔を想像しながら、羊の群れを眺めていると……



 ──ピィーーーーッ。



 甲高い笛の音が、周囲に響き渡った。


 羊飼いの笛だ。

 その途端、のろのろと歩いていた羊たちが、一斉に早足で移動を始める。

 そして……

 羊たちのけたたましい足音に紛れるように、




『──れ、レナードさん。聞こえますか? メディアルナです』




 そんな声が、どこからともなく聞こえた気がして……

 レナードは、背もたれに預けていた身体をバッと起こす。



 今のは……幻聴か?

 別れを惜しむあまり、遂にそんなものまで聞こえるようになったのか?



 と、冷や汗を流しながら、もう一度耳を澄ませてみると……




『エリスにもらった、音を留めることができる札を使ってみたのですが……上手くできているでしょうか?』




 その声は、幻聴ではなく……

 レナードの荷物の中から、確かに聞こえていた。



「札……まさか……」



 レナードは急いで荷物を開け、別れ際にメディアルナから渡された封筒を取り出す。

 家に帰ってから開封するよう言われたため、開けるつもりはなかったが……声の出所を確認するため、やむを得ず開けることにする。


 案の定、中に入っていたのは……

 エリスが創った、音の『神手魔符(カンピシャシ)』だった。

 メディアルナが声を留めたものが、羊飼いの笛の音で発動してしまったのだろう。



『えっと……昨晩は、ありがとうございました。本当に、言葉では言い表せないくらいに幸せな時間で……レナードさんの匂いも、温もりも、まだ身体に残っている気がします』



 ということは、この札に声を留めたのは今日の朝なのだろう。


 ……などと分析しつつ、メディアルナの恥じらいに満ちた声で昨夜の逢瀬のことを聞かされるのは、レナードとしても非常に恥ずかしいものがあった。


 しかし、音声を止める方法も、後でもう一度聴くことができるのかもわからないため、レナードはそのまま声に耳を傾ける。



『でも、眠りから覚めた今、ふと思ったのです。レナードさんと想いが通じ合ったのだと浮かれていましたが……それはすべて、わたくしの都合の良い思い込みだったのではないか、と』


「……え?」



 淡く光る札に、レナードは思わず聞き返す。

 それに応えるように、メディアルナの声が、こう続ける。



『だって……抱き締められたし、キスもしてもらえたけど、わたくしっ…………「好きだ」って、はっきり言われたわけではないのですから!!』


「なっ……!」



 レナードの顔が、ぼっと赤らむ。

 不安に震える彼女の声が、捲し立てるように続く。



『次に来てくださる時は、ちゃんと……「好き」って、言葉にして聞かせてほしいです。でないと、わたくしの都合の良い思い込みか、夢だったのではと疑ってしまいます。不安のあまり、エリスかクレアルドさんに手紙で相談してしまうかもしれません!』


「ぐっ……」



 額に青筋を立て、唸るレナード。

 どうやら彼女は、領主代行として優秀な交渉術を身に付けているらしい。

 何故なら、相手にとって……この場合はレナードにとって、最も嫌がることを条件として提示できるのだから。



『ということなので、わたくしがエリスたちに相談のお手紙を書く前に、どうか会いに来てください。わたくしは、変わらず貴方を想いながら、いつまでも……いつまでも待っています』


「…………」



 後半は、少し声が掠れていた。

 それだけで、レナードの目には、涙を堪えるメディアルナの顔が浮かぶ。



『……大好きです、レナードさん。次、お会いする時にはまた、抱き締めてほしいです。キスも……してほしいです』


「…………」


『それから……き、キスだけじゃなくて、その…………その…………………………っ、や、やっぱり何でもないです! とにかく、お身体に気を付けて! またお会いできる日を楽しみに、わたくしもめちゃくちゃ頑張ります! それでは!!』



 ……そこで、札から放たれていた光が消え、声も止まった。

 レナードは、熱くなった額に手を当て……ガクッと項垂れる。


 誤爆による不意打ちだったせいもあるが、とにかく、とんでもない破壊力を持つ音声だった。


 確かに、彼女に「好きだ」と言葉で伝えたわけではなかった。そこは反省すべき点だ。

 にしても、エリスやクレアを引き合いに出すあの脅し方……あそこまで上手い甘え方は、教えた覚えがない。


 それこそ、何かの小説で学んだのか……あるいは、会えない三ヶ月の間で遠慮しない(したた)かさを身に付けたのか。


 それに、最後に言いかけた言葉は…………いや、これについては深く考えないようにしよう。



 何にせよ、音の『神手魔符(カンピシャシ)』の取り扱いについて、メディアルナに注意するのをすっかり忘れていた。

 これは便利な道具だが、使い方には気を付けなければならない。

 悪意ある者に奪われでもすれば悪用されかねないし、"音の精霊"の存在が知れ渡る危険性もあるのだ。



(これは……予定より早く、リンナエウスへ行かなければならないな)



 音の『神手魔符(カンピシャシ)』について注意喚起するため。

 そして、エリスやクレアに相談されることを阻止するため。


 ……いや、これもまた、狡い言い訳だ。

 リンナエウスに行く理由など、ただ一つ。




 一刻も早く、惚れた女(メディアルナ)に会うため。




 それだけで、十分だ。






「──お客さん、待たせたな。ようやく走り出せるよ」



 馬車の御者が、外から言う。

 羊たちの足音はいつの間にか過ぎ去り、窓の外には緑の農園と青い空だけが広がっていた。


 レナードは、その遥かな空を見上げ、




「…………今日は、やけに暑いな」




 なんて、未だ火照った顔で呟きながら。



 メディアルナにもらった髪留めで、長い銀髪をきゅっと、一つに結んだ。






 *おしまい*





第三部後日譚、これにて完結です。

お読みいただき、ありがとうございました。


久しぶりに描いたレナードとメディアルナのお話、お楽しみいただけましたでしょうか?

ぜひページ下部からいいね、感想、評価(★印)をお寄せください。レビューも大歓迎です。励みになります。


本編はまだ続く予定ですが、第四部の連載時期が未定のため、作品ステータスを一旦『完結』にさせていただきます。

『連載』に変わっていたら、「あ、続き始まったんだな」と思ってください。


それでは、また会う日まで。

本当にありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白くて、一気読みしてしまいました! この作品に出会えて良かったです! もっと評価されてほしい……そうすればもっと早く出会えたのに…… [一言] 続きを楽しみに待ってます!
[良い点] だっ誰ですか、濃厚な卵プリンの上にキャラメリゼを施したのは!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ