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超舌天才魔導少女と公式変態ストーカー剣士が、国の金でグルメをめぐる旅に出た。  作者: 河津田 眞紀
〜第三部 後日譚〜

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4 小鳥たちの行方

 




 ──翌朝。

 空が微かに白む、夜明け前。

 レナードは目を覚まし、身支度を整え、宿泊している客室を出た。


 隣の客室にいるアクサナの気配を探るが、まだ寝ているようだ。起こさぬよう足音を殺し、廊下を進む。


 そのまま彼は、屋敷の庭へ出た。

 植えられた草花が朝露を纏い、夜明けを待ち侘びるように輝いている。


 湿った土の匂いと、瑞々しい植物の香り。

 それらに、レナードは三ヶ月前ここで過ごしたことを想起しながら、あの時と同じ場所に置かれたベンチへと腰を下ろした。




 そうして、屋敷に、リンナエウスの街に、朝日が昇り──


 暖かな陽の光と共に、美しい笛の()が、降り注いだ。




 メディアルナの奏でる旋律だ。

 あの一件でクレアが破壊した塔は既に修繕され、彼女は今もその最上部から笛の音を響かせている。


『竜殺ノ魔笛』だった頃の、精神に作用する呪いはもうない。

 それでもその音色は、聴く者が思わず目を閉じてしまう程に優しく、伸びやかで、美しかった。


 笛を取り巻く"音の精霊"による影響もあるのだろうが、それ以上に、メディアルナの演奏技術そのものが素晴らしいのだと、レナードは思う。



 元々は吹けなかった笛を、彼女はレナードの指導を素直に聞き、熱心に練習し、短期間で習得した。

 あれから三ヶ月。今聴こえる旋律からは、彼女がレナードと別れた後も努力を続け、演奏の腕を磨いてきたことが伺える。


 それは驚くべきことではなく、レナードの想定通りの結果だった。

 何故なら彼女は、あの柔らかな雰囲気からは想像もできないくらいに責任感が強く、人一倍努力家だから。



「…………」



 演奏が終わり、レナードは静かに瞼を開ける。


 彼がこの庭に来たのは、メディアルナの演奏を近くで聴くため。そして……自らの感情を落ち着かせるためだ。


 昨日、クレアからの贈り物を大事そうに抱えるメディアルナを見た時、腹の底に不快感を感じ、目を背けるように立ち去ってしまった。

 あれは、良くなかった。自分らしくない、衝動的な行動だった。


 今日一日、滞在を延期したのだ。このような精神状態で彼女と過ごすのは良くない。

 冷静に、客観的に。

 そうした精神統一は得意だった。

 だから、"音の精霊"の力を借り、感情を落ち着かせてから彼女に会おうと考えた。

 そして……彼女は間もなく、ここに現れる。




 ちょうどその時、庭の奥──塔の方から、石畳を歩く足音が聞こえた。

 メディアルナだ。薄いナイトドレスを着た彼女が、屋敷に戻るため歩いて来た。


 差し込む朝日に金色の長髪が眩く輝き、白い肌はより一層透き通る。

 妖精や女神を彷彿とさせる美しさに、レナードは思わず目を細めながら立ち上がる。

 それに気付いたメディアルナが、驚いて足を止めた。



「レナードさん……お庭にいらしたのですか?」

「あぁ。お前の笛の()を聴いていた」



 メディアルナの瞳が揺れる。

 それを見つめ、レナードは笑みを浮かべ、



「……美しい音色だった。指導者として、誇らしいと思える程にな」



 と、心からの想いを述べた。


 言いながら、彼は自分の感情が安定しているのを感じる。

 そう、これでいい。

 彼女と自分は、元は『生徒と指導者』の関係だった。

 それに徹すれば、余計な感情の揺らぎを感じることもない。


 そんなレナードの心情を知らず、メディアルナは褒められたことに目を輝かせ、安堵したように笑う。



「あ……ありがとうございます。レナードさんに教わったことを思い出しながら練習を続けた甲斐がありました」

「あぁ、その努力が伝わる演奏だった。『本の市場』の次は、お前のソロコンサートでも企画したらどうだ? 領民が喜ぶ人気のイベントになるだろう」

「そっ、それは……さすがにご冗談ですよね?」

「さぁ、どうだろうな」



 レナードの軽い口調に、メディアルナは「もうっ」と頬を膨らませてから、くすくすと笑った。



「あ、そうだ。レナードさんに、お見せしたいものがあるのです」



 ふと、メディアルナは何かを思い出したように言う。

 レナードが「見せたいもの?」と聞き返すと、彼女は「こちらへ」と庭の奥へ彼を案内した。


 彼女の案内で向かった先に現れたのは、一際高く伸びた樹。

 レナードは、この樹を覚えている。


 これは……三ヶ月前、メディアルナと共に、鳥の巣箱を取り付けた樹だ。



「あの巣箱に、小鳥が住み着いたのです。しかも、(つがい)で!」



 メディアルナが興奮気味に言う。

 彼女が向ける指の先を追うように、レナードは頭上を見上げる。

 すると、ちょうど一羽の鳥が巣箱の穴から飛び立った。



「ほら! いま飛んで行きました!」

「うん、そうだな」

「すごいですよね! まさか本当に小鳥さんが来てくれるなんて……夢みたいです」



 飛んで行く小鳥を見つめながら、メディアルナが目を輝かせる。

 元々動物が好きで、飼うことを許されなかったがために取り付けた巣箱だ。小鳥が住み着いたことがよほど嬉しいのだろう。


 が、彼女は、その嬉しそうな顔に不安を滲ませる。



「でも、最近出入りしているのは一羽だけみたいなんです。もう一羽はどこかへ行ってしまったのか、それともずっと巣箱の中にいるのか、少し心配で……」



 その言葉に、レナードは「ふむ」と考え……一つの仮説を導き出す。



「……抱卵しているのかもしれない」

「ほうらん?」

「もう一羽は、巣箱の中で産んだ卵を温めているかもしれない、というこだ」

「たまご……! では、もうすぐ雛が孵るかもしれないのですね!」

「あくまで推測だがな」

「わたくし、巣箱の中をちょっと覗いてみます! レナードさん、梯子の脚を支えていただけますか?」



 メディアルナは返事も待たず、近くに立てかけていた梯子を持ってくる。

 そして、そのまま巣箱の樹に立て登り始めるので、レナードは急いで支える。



「おい。覗くのはいいが、落ち着いて登れ」

「わかりました! 小鳥さんを驚かせないよう、慎重にいきます!」



 逸る気持ちを抑えながら、メディアルナは一段、また一段と梯子を登っていく。

 そして、到達した巣箱の穴を、そっと覗き込む。



「……どうだ? 中は見えたか?」



 頭上でひらひらと靡くドレスの裾を直視しないよう、レナードは顔を背けながら尋ねる。

 メディアルナは返事をしないまま、しばらく観察し……

 やがて、バッ! と振り返り、



「な、中に一羽います! 卵を温めていますよ! レナードさんの言った通りで……!!」



 ……と、嬉しそうに言った、その時。

 振り返った勢いで、メディアルナは、ぐらりとバランスを崩した。



「……!」



 レナードはすぐに反応し、落下する彼女を受け止めようと身構える。

 梯子から指が離れ、彼女の身体が背面から倒れ込む…………かと思われたが、



「……ぅわわわぁっ! あああ、危なかったぁ!!」



 すんでのところでメディアルナは梯子にしがみつき、転落を免れた。

 ぜえはあと荒い呼吸を繰り返す彼女を見上げ、レナードは「はぁ」と息を吐く。



「まったく……()()お前を抱き止めなければならないのかと肝が冷えた。だから落ち着けと言ったんだ」



 その言葉に、メディアルナはハッとなる。

 恐らく、以前梯子から落下したのを抱き止められたことを思い出したのだろう。かぁっと赤面した後、取り乱しながら、



「い、今の……やり直しさせてください!」



 などと、意味不明なことを叫んだ。

 レナードが「は?」と聞き返すと、彼女はぷるぷる震えながら彼を見下ろし、




「……落ちていれば、あの時みたいにレナードさんに抱き止めてもらえて、触れることができたのに……うっかり助かってしまいました。残念すぎます」




 目にうっすら涙を浮かべながら、そう言うので……

 レナードは、心臓がドキッと脈打つのを感じる。

 そしてその動揺を、珍しく声に含ませながら、



「ふ、触れるなどと……はしたないことを言うな。いいから、早く降りて来い」



 叱るように言った。


 精神統一したばかりだというのに、彼女の一言で簡単に心を揺さぶられたことに、レナードは内心困惑する。



(……今、この状況で言うべきことを客観的に考えろ。彼女が、梯子を降り切る前に)



 メディアルナがゆっくりと慎重に降りている間に、レナードは彼女にかけるべき言葉を用意する。


 はしたないと叱られたことを気にしているのか、地上に降りたメディアルナは、しゅんと肩を落とした。

 その姿に罪悪感を覚えてしまったため、レナードは予定よりもずっと優しい声で、こう言った。



「……落ちていれば良かったなどと、二度と言うな。怪我をしていたかもしれないんだぞ」

「……ごめんなさい」

「今日一日、病院のベッドで過ごしたかったのなら話は別だがな。しかしそれでは、俺が滞在を伸ばした意味がなくなるだろう? せっかく気晴らしに付き合ってやるつもりでいたのに」



 メディアルナは目を見開き、顔を上げる。

 驚きに満ちたその表情に、レナードは思わず笑みを浮かべ、



「たまには羽を伸ばすといい。買い物や食事くらいなら、護衛として同行する。どこか行きたいところはあるか?」



 そう尋ねた。

 メディアルナは、表情を徐々に笑顔に変え、



「あ……えぇっと、それじゃあ、お買い物と……甘いものが食べたいです!」

「わかった。アクサナの紹介が終わったら出かけよう」

「はい!」



 喜びを隠しきれない様子で、胸に手を当てるメディアルナ。

 そして、



「あの……レナードさん」



 庭を去ろうとする彼を、少しあらたまった声で呼び止める。

 レナードが足を止め、振り返ると、



「……あの時の"小鳥"は……今も…………」



 ……と、消え入りそうな声で、何かを言いかけるが。

 思い留まったのか、パッと明るく笑って、



「……いえ、小鳥の無事がわかってよかったです。ありがとうございました」



 誤魔化すように、そう言った。

 レナードには、彼女が何を聞きたかったのか、なんとなく分かったが、



「……ん。子育て中の鳥は警戒心が強いからな。今後は無闇に巣箱を覗かないことだ」



 彼女の誤魔化しに合わせ、窘めるようなセリフを返した。





 * * * *





 使用人たちが各々の仕事に就き始める頃。

 メディアルナはアクサナを連れ、今日からここで働く新人として、彼女を紹介して回った。


 表向きは、『人身売買されそうになっていたところをレナードが助けたが、身寄りがないためリンナエウス家で預かることになった少女』、という設定だ。


 使用人たちはその設定を素直に信じ、親切な態度でアクサナを歓迎した。



 その中で、メディアルナは料理長のモルガンに、エリスから預かったオゼルトン料理のレシピを渡した。



「エリスさんからも『よろしく』とお手紙をいただきました。お元気にされているそうですよ」

「…………」



 料理長は相変わらず無口な態度で、何も言わずにレシピのメモをじっと見つめる。

 それから、戸棚にある唐辛子の数を確認し始めた。

 アクサナの目にはメディアルナの言葉を無視して料理を再開したように見えたが、メディアルナが「大丈夫ですよ」と微笑むので、不思議に思いながらも厨房を出た。



「モルガン料理長は無口な方ですが、とっても優しいんです。お料理も絶品で、エリスはずっとこの厨房に入り浸っていました」

「そ、そうですか……よかった、ボクのことが気に入らないのかと思った」



 ほっ、と胸を撫で下ろすアクサナ。綺麗に結った長髪のウィッグが揺れる。『アイビィ・オータム』としての変装は、すっかり様になっていた。



「これで、お手伝いさんへのご挨拶は全員終わりましたね。この後、ブランカさんが屋敷の案内とお仕事内容の説明をしてくださるので、彼の元へ行きましょう」

「はい。ち、ちなみに……」



 アクサナが、何か聞きたそうにもじもじするので、メディアルナは「ん?」と首を傾げる。

 少し葛藤した後、アクサナは頬を赤く染め、



「……昨日読ませてもらった()()()()の存在は……他のお手伝いさんも知っているんですか?」



 と、小説の内容を思い出し、恥ずかしそうに尋ねた。

 メディアルナは静かに首を横に振り、否定する。



「いいえ。あれを読んでいただいたのは、アイビィさんが初めてです」

「そ、そうなんですか……じゃあ、みなさんには内緒にしておきます」

「はい。そうしていただけると助かります。……いかがでしたか?」

「……え?」

「小説の感想です。寝る前に、お読みになったのですよね? どうお感じになったのか、ぜひ聞かせていただきたいです」



 じわじわとした威圧感を放ちながら、メディアルナが問う。

 アクサナは顔を真っ赤に染め、目を泳がせてから、




「その…………すごく、おもしろかったです。知らないことだらけで、最初は『ボクにはまだ早いんじゃないか』って思ったけど……読み進める手が止まらなくて、すごくドキドキして、これが本当の恋人のあり方なのかな、って……身体が、熱くなった。二巻があるのなら、ぜひ読ませてもらいたい、です」




 そう、素直な感想を述べた。

 身体を疼かせるアクサナの姿に、メディアルナは引き入れに成功したことを確信する。

 そして、アクサナの肩に手を置き、にんまり笑って、



「うふふ……ようこそ、我々の沼へ。()()()()()()のお気に召したようで嬉しいです。二巻はすぐにお貸ししますから、今夜もじっくりお楽しみくださいね」



 囁くように、そう言った。






 * * * *






「──お待たせしました、レナードさん」



 アクサナの案内をブランカに引き継ぎ、支度を終えたメディアルナが玄関ホールへと降りる。


 その姿は、いつものワンピース……ではなく、ショートヘアのウィッグに、男物のシャツとスラックスを身に付けた、男装だ。


 以前、エリスと共に街へ出かけた時に使用した変装グッズを譲り受けていたらしい。

 彼女は今や、領主代行として街中に顔が知れ渡る有名人だ。人目を気にせず羽を伸ばすには、変装が欠かせなかった。


 レナードは、以前より抵抗も違和感もなく男装しているメディアルナの様子に、少し驚く。



「……着こなしているな。その姿で出かけたことがあるのか?」



 レナードの問いに、メディアルナは……

 ……BL本の出版に向けた打ち合わせのため、変装しなければいけない時は毎回この姿だった。

 ……とは言えず。



「実は、何度か」



 と、短く答えるに留めた。

 レナードは深く追求せず、「そうか」と言うと、



「では、出かけるとしよう。買い物と、甘いものだな。行きたい店は決まっているのか?」



 玄関の扉を開きながら、優しい口調で言うので。

 メディアルナは、胸の高鳴りを隠すことなく笑みに変え、



「はいっ、もちろんです!」



 元気に頷き、レナードとのおでかけに、足を踏み出した。




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