2-2 待ち侘びた再会
想定外だった。
メディアルナに、こんな……泣きそうな顔で迎えられるとは、思っていなかった。
そして、それ以上に。
彼女を目にした瞬間、自らの感情が大きく揺さぶられた事実に、レナードはひどく困惑した。
だが、彼はそれを表情や態度には出さない。
メディアルナもアクサナも、彼が動揺していることには気付かないだろう。
──もし、この場にクレアがいれば、彼だけは気付いたかもしれない。
レナードが一瞬息を飲み、僅かに瞳を震わせたことに。
その後輩がここにいないことを幸運に思いつつ、レナードは平坦な声で返す。
「連絡もなしに訪問してすまない。その格好、これから出かけるところだったか?」
螺旋階段の途中で足を止めたまま、潤んだ瞳でレナードを見つめるメディアルナは……その言葉に、「はっ」と口を押さえる。
「も、申し訳ありません! お客さまをお迎えするのに、こんな軽装で飛び出して……」
「いや、そういう意味ではない。『本の市場』の対応で忙しいなら、用事が済んだ後で構わないと言いたかったんだ」
「えっ?! どどど、どうしてそのことを……?!」
メディアルナは顔を青くして聞き返す。
その過剰な反応に違和感を覚えつつ、レナードは説明する。
「ここへ来る途中、そのイベントを見かけた。街ぐるみの催事のようだったが、やはりお前も運営に関わっていたのか」
「あ……そ、そうでしたか。えぇ、ちょうど今しがた、そのイベントの視察から戻って来たところなので、今日はもう大丈夫ですよ」
レナードの返答に、何故かほっと胸を撫で下ろすメディアルナ。
そして、そこでようやくレナードの後ろに立つアクサナの存在に気付き、視線を送る。
「あら? そちらの方は……?」
アクサナは、一度レナードに目配せすると……
被っていたフードを下ろし、顔を晒した。
褐色の肌。青い瞳。さらりと揺れる、黒の短髪。
凛々しい眉が、今は少し緊張に強張っている。
その容姿は、メディアルナの目に十四、五歳の少年と映ったのだろう。
褐色の可愛らしい少年を、レナードが連れて来た。
しかも、訳ありな雰囲気満載で。
……という状況を、彼女の(やや腐った)思考が綿密に分析した結果、
(これは、もしかして…………交際報告ッ!?)
ぶっ飛んだ結論に至った。
メディアルナは鼻息を荒らげながら、レナードたちに聞こえぬようぶつぶつ呟き始める。
「クール系年上男子と、可愛い系年下男子のカプ……王道と言えば王道だけど、そもそも支持者の多い組み合わせだからこそ『王道』と呼ばれるのであって、その普遍的な魅力は尽きることを知らない……っ」
「……どうした?」
「しかも、色白銀髪と褐色黒髪でお色味の対比まで完璧っ……そして何をするにもちょうど良いこの体格差……あぁっ、見れば見るほどお似合いの二人……っ」
「……聞こえているか?」
「わたくしなんかが入り込む隙などありはしない……否、一瞬でもそのような考えを持ったこと自体烏滸がましかったのです。やはりわたくしは、観測する側にいるべき存在……レナードさんの幸せのためにも、このパペルニア領の結婚制度の改革を早急に進めなければ……」
「おい、具合でも悪いのか?」
俯いたままごにょごにょ呟き続けるメディアルナに、レナードが投げかける。
すると、メディアルナはパッと顔を上げ、明るい表情で笑い、
「いえ、申し訳ありません。お二人があまりにお似合いだったので、感動に打ち震えておりました」
「お似合い? 何のことだ?」
「受け止める覚悟はできています。さぁ、遠慮なさらず、わたくしに思いの丈をぶつけてください!」
ばっ! と両手を広げるメディアルナ。
レナードには、彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかったが……こちらの話を聞き入れる準備をしてくれたことだけは、その真剣な瞳から察することができた。
だから、少し改まった声音で、こう伝える。
「……この娘を、この屋敷に置いてほしい。"禁呪の武器"に関わることで、やや面倒な状況になった。お前にも関係のあることだ」
……その言葉を聞き。
メディアルナは、自分の予想が、何もかも見当違いな妄想だったことを悟り……
「…………へっ?」
顔を赤らめながら、素っ頓狂な声を上げた。
* * * *
その後、レナードとアクサナは応接間に通された。
会食用の長いテーブルに並んで座り、ブランカに出された紅茶を半分ほど飲んだ頃、メディアルナが入って来た。
「先ほどは失礼しました……少し取り乱してしまいました」
頭を冷やすついでに着替えたらしく、水色の涼やかなドレスワンピースに装いが変わっていた。
スカートの裾を上げ、テーブルの向かいの席に座ると、メディアルナは「ふぅ」と呼吸を整え、
「では、あらためまして……お久しぶりです、レナードさん。お会いできて本当に嬉しいです。お元気でしたか?」
愛らしい笑みを浮かべ、尋ねる。
レナードは、いつもの無表情のまま静かに頷く。
「あぁ、問題ない。お前の方は……と、近況を聞く前に、早速本題を話してもいいか?」
「はい。そちらの方を、この屋敷でお預かりするというお話ですね。わたくしでお力になれることであれば、ぜひお聞かせください」
そう答える彼女の目は、もはや『天真爛漫な領主の一人娘』のものではなく、この屋敷の──ひいてはこの領の代表であることを感じさせる、責任感ある目だった。
それに見つめられ、レナードは複雑な感情を抱く。
(たった三ヶ月でこのような顔つきになるとは……相当な覚悟と苦労があったのだろう)
あらためて見ると、彼女の目の下にはうっすらとクマが出ていた。元々細かった身体も、さらに華奢になっているように見える。睡眠や食事が十分に取れていないのだろうか。
レナードが見つめる中、メディアルナはアクサナの方へ向き直り、柔和な笑みを浮かべる。
「はじめまして。パペルニア領の領主代行を務めております、メディアルナ・エイレーネ・リンナエウスと申します。この度は遥々お越しいただき、ありがとうございます」
「こ、こちらこそ、丁寧に迎えてくださり、ありがとうございます」
メディアルナの美しい笑みに、アクサナは少し照れながら答える。
そして、メディアルナは再びレナードに目線を向け、
「では……お話をお聞かせください」
真剣な表情で、言った。
「──なるほど……それで、今後は別の人物としてここで暮らすことが最善だとお考えになったのですね」
アクサナに纏わる話を聞き終えたメディアルナが、総括するように言う。
"禁呪の武器"に関わったことがあるため、そして王都周辺の貴族社会をよく知っているため、彼女の理解は非常に早かった。
レナードは頷き、補足する。
「ルカドルフがお前や『竜殺ノ魔笛』だったものを狙うと決まったわけではないが、可能性はゼロではない。そのためにも、アクサナには常に警戒してもらい、俺たちに随時報告を送らせるつもりだ」
「そうしていただけるなら、わたくしとしてもありがたい限りです。アクサナさんにだけ負担をかけぬよう、わたくしも常に注意を払うようにしますね」
「あぁ。それから、アクサナの屋敷での偽名や人物像については既に考えてある。経歴書も作成済みだ。彼女の本当の名前や身分のことは、他の使用人には言わない方が良いだろう」
「そうですね。このことは、わたくしとお父さまだけが把握しておきます」
「……ってことは、ボクはここに置いてもらえるのか……?」
アクサナが、確認するように伺う。
メディアルナは、にこっと微笑んで、
「もちろんです。これまでのこと、本当に大変でしたね。ここはもうあなたのお家ですから、緊張せず、どうか肩の下ろしてください。これからよろしくお願いしますね、アクサナさん」
心からの歓迎の言葉を、アクサナに送った。
緊張が解けたのか、アクサナはほっと息を吐き、「ありがとうございます」と笑った。
「ちなみに、長期的な滞在になることを見越し、性別は偽りなく『女』で設定しているのだが……領主の方は問題ないだろうか?」
念のため、レナードが確認をする。
過去の経験から、メディアルナの父・マークスは、女性の使用人を雇うことを禁じていた。
そのため、ここへ潜入捜査をするに当たり、エリスは男装せざるを得なかったのだが……
この先、長期的に身分を偽り続けることになるであろうアクサナに男装までさせるのは、さすがに負担とリスクが大きすぎると考えていた。
そんなレナードの懸念に、メディアルナは複雑な表情で答える。
「それなら心配ありません。お父さまは、もう……そのようなことは気にしないでしょうから」
それは恐らく、『領主はもう精神的にも体調的にも使用人の性別を気にする余裕がない』、という意味だろう。
アクサナを女として受け入れてもらえることは僥倖だが……それを語るメディアルナの気持ちを考えると、手放しには喜べなかった。
そうした雰囲気を自ら払拭するかのように、メディアルナはぱんっと手を叩き、
「そうと決まれば、早速アクサナさんには変装していただかなければなりませんね!」
意気揚々と、声を上げる。
アクサナが「えっ?」と聞き返すと、メディアルナはにこにこと楽しげな顔を向け、
「いつか女性のお手伝いさんがいらした時のために、何種類かお着替えを用意していたのです。じっくり試着して、アクサナさんが一番気に入ったものをお選びください」
「えぇっ!?」
「ささ、あちらの客室に用意しますから、好きなだけお試しください! アクサナさんがどれをお選びになるのか、今から楽しみです!」
「う、うぅ……」
期待に目を輝かせたメディアルナに腕を引かれ、アクサナは困惑しながら、客室へと連行された。
* * * *
アクサナが、不慣れなメイドワンピースの試着に苦戦している頃……
レナードとメディアルナは、廊下で着替えが終わるのを待っていた。
西に傾き始めた陽の光が、廊下の窓から白く差し込んでいる。
使用人は皆、各自の仕事に就いているのか、屋敷の中は寂しいくらいに静かで、庭を舞う小鳥の囀りだけが聞こえていた。
「……公務は順調か?」
その沈黙を破るように、レナードが短く尋ねる。
メディアルナはぴくっと肩を震わせ、少し緊張した声で返す。
「はい……と言っても、お父さまがやってきたお仕事をそのまま引き継いでいるばかりなので……わたくし自身の力がついているとは言えないかもしれません」
「あれほどの出来事が起きた後だ、領として問題なく存続できているだけで、十分に順調と言えるだろう」
「……ありがとうございます」
「今日のあのイベントも、かなり盛り上がっていた。領民が安心して生活している証拠だ」
「……実は、『本と花の手作り市場』は、わたくしが企画した催し物なのです」
「そうなのか?」
「はい。パペルニアはお花や養蜂が盛んですが、どちらも自然頼みの産業です。安定して領を盛り上げられる名物を新たに作れないかと、街の方々と相談をして……先月から、あのイベントを開催することにしました」
メディアルナは遠慮がちに言うが、レナードは驚いていた。
『父の仕事を引き継いでいるだけ』なんて、とんだ謙遜だ。彼女は領主代行を任された直後から、領をより良くしようと、独自に動いていたのだ。
「街の人たちとお話をして、気付いたのです。みんなそれぞれのお仕事や生活の中で様々な知恵を凝らし、工夫をして生きている……そうした日常における知恵や工夫を、もっと気軽に共有できたらな、って。そうすれば教養のある人が増え、結果的に街が、領が豊かになる。その方法として最も効率が良く、経済効果が見込めるものが、本の制作・販売だと考えたのです」
「……画期的な方法だ」
「ほんとですか? えへへ。レナードさんにそう言っていただけると、すごく自信が持てます。もっともっと大きなイベントに成長できるといいなぁ」
はにかんだように、頬を染めるメディアルナ。
その横顔を、レナードは静かに見つめ、
「……ちゃんと、休めているのか?」
棘のない、柔らかな声音で尋ねる。
「……少し、疲れているように見える。領主代行として、領を立派に盛り上げていることは賞賛に値するが……持続できなければ意味がない。企画が軌道に乗ったら、運営は他の手を頼って、自分は休むようにしろ。その方が、周りも成長できる」
諭すような、レナードの言葉。
それを聞いたメディアルナは、息を飲むように彼を見つめ……
ふっ、と、困ったように笑いながら、息を吐く。
「やっぱり…………レナードさんは、優しいですね」
その笑顔が、声が、震える。
そして……海のように澄んだ瞳が、きらきらと潤み始める。
「そんな風に、優しすぎるから…………もう会えないんじゃないかって、怖かったです」
"優しいから、会えない"。
矛盾しているように聞こえる言葉だが、メディアルナは知っているのだ。
レナードが、彼女のためを思い、会わない選択をする男であることを。
しかし……レナード自身は、それを胸の内で否定する。
違う。これは、『優しさ』などではない。
『彼女のため』なんて言葉、自分に対する言い訳に過ぎない。
本当は……本当の俺の気持ちは…………
「…………」
俯くレナードに、メディアルナは振り絞るように言う。
「お側にいることが難しいのもわかっています。わたくしの気持ちに答えてもらえないことも、わかっています。それでも、わたくしは…………貴方に、会いたかった」
涙を堪えながら、絞り出された言葉。
先ほどまでの凛とした態度が嘘のように、今の彼女は、ひどく儚げだ。
領主代行として、弱みを見せず、明るく強い女性であろうと努めているが……
この頼りなさげな少女こそが、メディアルナの本当の姿であることを、レナードは知っていた。
「……会いに来てくださり、ありがとうございます。レナードさんにとって、これが不本意な再会だったとしても……わたくしにとっては、これまでの頑張りがすべて報われたように嬉しいのです」
胸を押さえ、切なげに言うメディアルナ。
アクサナを護送するこの役目が、レナード自身の挙手ではなく、クレアたちに任されたものなのだということもわかっているのだろう。
それでも彼女は、本当に嬉しそうに……
愛おしそうに、レナードを見つめるので…………
「………………」
レナードは、胸が苦しくなり、何も言えなくなる。
自分に向けられる、真っ直ぐで、純粋すぎる好意。
本当に優しい人間なら、きっとここで、冷たく突き放せる。
それができない自分は……やはり、優しくなんかなくて。
「……いつまで、ここにいてくれますか?」
沈黙するレナードに、メディアルナが尋ねる。
その目に、切なさと、少しの悪戯っぽさを孕ませながら……
レナードの服の裾をきゅっと、指先でつまんで。
「せっかくお会いできたのに、すぐに帰るなんてイヤです。『休め』と言うのなら、もうしばらくここにいてください。わたくしに"甘えること"の重要性を教えたのは、他でもないレナードさんなのですから…………ちょっとだけ、甘えさせてください」
恥ずかしさを押し殺し、精一杯の我儘を言ってみせた。