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2-1 待ち侘びた再会

 




 二日後。

 レナードとアクサナは、予定通りパペルニア領に入った。

 目指すは中心の街・リンナエウスだ。


 馬車は、花畑に囲まれた長閑(のどか)な街道を走る。

 漂う花の香に、アクサナはそわそわと窓の隙間に目を凝らしている。

 その向かいで、レナードは、



(……あれから、三ヶ月か)



 花の匂いに(いざな)われるように、リンナエウスでの一件を思い出していた。



 現領主であるメディアルナの父・マークスが過去に働いた不貞と、『竜殺ノ魔笛』による"負の感情"の伝播が招いた復讐劇。

 それが、あの事件の顛末だった。


 メディアルナは、母の死に隠された父の裏切りと、家族のように慕っていた使用人たちの裏切りを、同時に知った。

 その心の傷を癒やす時間もないまま、毒に侵された父に代わり領主の務めを代行することになった彼女は……


 心の拠り所を求めるように、レナードに、好意を抱いたのだ。




「…………」



 レナードは、小さく息を吐く。


 あれから、彼女の心の傷は、少しでも癒えただろうか。

 領主代行として忙しく過ごせば、嫌なことを思い出す時間も減るだろうが、無理をしすぎて身体の方を壊していないか心配だ。


 そうは思うものの、レナードは、あれ以来メディアルナに一度も会っていないし、手紙すら交わしていない。

 自分が接触すれば、正常に戻りつつある彼女の精神を、また揺さぶってしまうのではと考えたからだ。



 あの時、彼女の周りには、頼れる大人が自分しかいなかった。

 悲しみと不安から生じる甘えたい気持ちを、恋心だと錯覚したのだろう。

 だから距離を置いて、彼女に冷静になってもらおうと考えた。


 あれはきっと……ただの代替感情だから。

 本物の恋愛感情であるはずがないから。



 三ヶ月が経ち、彼女の精神もだいぶ落ち着いただろう。

 一時的な気持ちの高ぶりで告白してしまった男と顔を合わせるのは、彼女も気まずいはずだ。

 何もなかったような態度で再会するのが、彼女にとっても都合が良いに違いない。

 淡々と、事務的に、要件を済ますのがベストだろう。



 …………いや、待て。



(そもそも俺は、どうして当たり前のことをごちゃごちゃ考えているんだ……俺の仕事は、アクサナをリンナエウス家に預けること。ただ、それだけだ)



 レナード目を閉じ、思考を中断する。

 このまま考え続ければ、はっきりと自覚してしまいそうだったから。


 彼女との再会を目前にし……この胸が、得体の知れない緊張に高鳴っているということを。



 その事実に目を向けぬよう、彼はクレアからの手紙を取り出す。

 そして、目の前に座るアクサナに声をかける。



「そうして窓の外に目を向ける余裕があるということは、渡した資料はもう頭に入ったのか?」



 いつも通りの、冷たい口調。

 しかしアクサナは、そうした態度に慣れたのか、笑顔で頷く。



「あぁ。こう見えて記憶力は良い方なんだ。あなたに言われた通り、ちゃんと"理解"したよ」

「そうか。なら、資料はもういらないだろう。回収する」



 レナードに右手を差し伸べられ、アクサナは少し戸惑いながらも、「はい」と書類一式を返した。

 レナードはその中から、リンナエウス家に提出する経歴書など、残すべきものだけを抜き出すと……


 それ以外の書類──アクサナのために作成した『アイビィ・オータム』の設定資料と、クレアからの手紙をまとめてクシャッと捻り。

 ポケットから取り出したマッチに火を付け、炙り始めた。



「えっ?! な、何してんだよ?!」

「見ての通り、流出すべきでない資料を処分している。内容を覚えたのなら、もう必要ないだろう?」

「そんな……テスト前に見返そうと思ってたのに……」



 不安げな本音をこぼし、アクサナはがっくり項垂れる。


 アクサナ用の資料も、クレアからの手紙も、燃えやすい特殊な紙で出来ていた。

 こちら側の機密を護ることは、時に敵の情報を得ることよりも重要となる。

 特殊部隊に身を置く彼らにとって、この紙は日常的に用いられる"処分しやすい媒体"だった。



 焔は一瞬で燃え上がり、依代(よりしろ)を喰い尽くすと、塵と共に消えていく。


 ……そうだ。人の感情も、これと同じ。

 特に若い娘の恋心などは、燃え上がるのも早ければ、消えるのも早い。


 あの晩の告白は、なかったものとして忘れる。

 それが、お互いにとって良いはず……そうに違いない。



(……だから、何故そんなことばかり考えているんだ、俺は)




 頭を軽く振り、考えを止めると。

 レナードは馬車の窓を開け、手の中に残った灰を、風の彼方へと飛ばした。






 * * * *





 二人がリンナエウスの街に着いたのは、昼過ぎだった。

 街の入り口で馬車を降り、そのまま商店や宿屋が建ち並ぶ大通りを歩く。


 色とりどりの花に飾られた、美しい街。

 道行く人々はみな笑顔で、生き生きとしている。

 王都とは異なる上品で明るい雰囲気を感じ、アクサナはフードの下で目をきょろきょろと動かした。


 レナードも目だけを動かし、周囲を観察する。

 以前訪れた時に比べ、やけに人の往来が多い。通り沿いの装飾や人々の会話から察するに、何かのイベントがおこなわれているようだ。


 その答え合わせをするように、ちょうど辿り着いた中央広場に、無数の出店が並んでいた。

 広場の入り口には、『第二回 本と花の手作り市場』と書かれた幕がかかっている。

 アクサナの「わぁ」という小さな感嘆を聞きながら、レナードはそのまま広場を通り抜けることにした。



「ようこそ! こちら、お配りしている記念品です」



 幕を潜るなり、イベントの関係者らしき女性が何かを差し出してきた。

 栞だ。押し花が貼られ、開いた穴から可愛らしいリボンが通してある。

 アクサナも、わくわくした様子でそれを受け取った。


 この記念品と、幕に書かれたイベント名の通り、出店の多くは何かしらの書籍を扱っていた。

 書籍と言っても、本屋で売っているような表紙のしっかりした本ではなく、手作り感満載な冊子がほとんどだ。


 内容は様々で、家庭料理のレシピをまとめたものや、旅先での体験を元にしたガイドブック、子育ての苦労と秘訣を綴った手記や、童話・冒険譚といった自作の物語を売る者もいる。


 要するに、作家を生業としない素人が、創作した本を売り出すためのイベントなのだろう。

『第二回』ということは催し物としての歴史はまだ浅いようだが、既に認知度が高いのか、広場には多くの人が詰めかけ賑わっていた。


 アクサナとはぐれないよう注意しつつ、レナードは人混みを掻き分けるように進む。



(こんなイベントが催されているとは……なんともタイミングの悪い)



 レナードは、内心ため息を吐く。

 人混みのお陰でアクサナや自分のような余所者が目立たなくて済むが、これほど盛り上がるイベントが開催されているとなると、領主代行であるメディアルナも忙しくしている可能性がある。

 訪問するタイミングとして、良いとは言えなかった。


 だからといって、イベントが終わるまで待つわけにもいかない。

 屋敷にメディアルナがいることを願いつつ、レナードは賑わう市場の中を歩き続ける。



 その少し後ろを、アクサナは珍しい出店や人の多さに目を白黒させながら、落ち着かない様子で歩いていた。

 ……と、数ある出店の中で、一際列を成している店を見つけ、「ん?」と目を留める。



(すごい人気だな……どんな本を売っているんだろう?)



 よく見れば、列を作っているのは全て女性だ。女性向けの本が売られているのだろう。

 ますます気になり、アクサナは背伸びをして売り物を見ようとする。

 ちょうどその時、後ろを通りかかった二人組の女性が、足早に駆けながら、



「うわっ、もうこんなに並んでる!」

「早く行こ! ミンツ・キャロル先生の新刊、売り切れちゃう!!」



 そう口々に言って、列の最後尾に並んだ。



「へぇ、そんなに人気の作家なのか……」



 店頭にいるであろうその作家が気になり、アクサナはぴょんとジャンプし、列の先を見ようとするが、



「おい、何をしている。さっさと行くぞ」



 レナードに嗜められた。

 アクサナは少し残念に思いつつ、跳ねるのをやめ、大人しくついて行くことにした。






 * * * *






 賑わう街中を抜け、二人は大通りから続く坂道を上る。

 リンナエウスの街を見下ろす高台に聳え立つのが、パペルニア領領主が住まい、リンナエウス邸だ。


 城のように荘厳な造りをした屋敷を見上げ、アクサナは顔に緊張を滲ませる。

 が、大きな外門を潜り、敷地に入った途端……その表情を、ぱぁっと明るくした。


 そこに広がるのは、手入れの行き届いた美しい庭園だ。

 ここが花の都であることを誇示するかのように、様々な花が一面に咲き誇っている。


 その美しさに、アクサナは緊張を忘れ見惚れるが……レナードは、何も言わずに足を止めた。



 ここを手入れしていたあの庭師は、もういない。

 それでもメディアルナは、あの男が残した美しい庭を維持しようと努めてきたのだろう。


 庭だけではない。この屋敷には、あの者たちが残したものが至る所にある。

 それらに触れる度……彼女がどんな想いを抱いてきたのか、想像に難くない。



 ……やはり、もっと早くに様子を見に来てやるべきだっただろうか。

 いや、自分が来たところで何になる? ずっと側にいられるわけでもないのに……一時の優しさなど、無責任な毒にしかならない。



 そんな、もう何度繰り返したかわからない問答をもう一度、胸の内でして。

 レナードは、再び石畳を踏み鳴らしながら、



「……行くぞ」



 花を眺めるアクサナに言って、屋敷の表玄関へと向かった。





 程なくして見えて来た大きな玄関の前に、一人の男が立っていた。

 ベージュ色の艶やかな髪に、スラリとした細身の身体。爽やかな雰囲気の、好青年だ。


 レナードは、彼を知っている。

 この屋敷の使用人で、おつかい係を務めていた、ブランカ・ウッドマンである。

 今は守衛の仕事をしているのか、防具を身につけ、槍を携えていた。


 来訪者の足音に気付き、ブランカは顔を上げる。

 そして……レナードの姿を見るなり、目を見開いて、



「れ……レナードさん! うわぁ、お久しぶりです!」



 防具をカチャカチャと鳴らしながら、嬉しそうに駆け寄って来た。人懐っこい性格は相変わらずのようだ。



「お元気そうで何よりです。今日はどうされたんですか? そちらの方は……」



 と、全身をローブで覆ったアクサナを不思議そうに見つめるので、レナードは手短に要件を伝えることにする。



「メディアルナに話があって来た。約束はしていないが、彼女はいるか?」

「えぇ、いらっしゃいますよ。どうぞお入りください」



 ブランカに案内され、二人は玄関ホールへ足を踏み入れた。

 外観同様の上品かつ荘厳な内装にアクサナが口を開ける中、ブランカが「少々お待ちを」と階段を上がって行く。メディアルナを呼んで来るのだろう。



 ……いよいよか。

 と、レナードは目を伏せる。


 妙な気分だった。

 彼女に会うのが怖いような、待ち遠しいような……言語化できない感情が胸に押し寄せる。

 その気持ちの正体を、レナードは、これから複雑な依頼をすることへの罪悪感によるものに違いないと決めつける。

 何故なら……このような気持ちになること自体、初めてだったから。


 だからレナードは、精神を統一させ、冷静になるよう自己暗示する。

 罪悪感など、抱く必要もない。

 アクサナを預けることは、メディアルナにとってもメリットのあることなのだから。

 再会時のシミュレーションなら、馬車の中で何度もしただろう。

 きっと彼女は、再会の気まずさを隠すように、わざと能天気な笑顔で自分たちを迎える。

 だから自分も、いつも通りの態度で淡々と要件を伝える。

 あの告白のことは、忘れる。それが、互いのためだ。



「…………」



 精神統一を終え、レナードは瞼を開け、顔を上げる。

 すると上階から、ドタバタと騒がしい音が聞こえて来た。


 そして、慌ただしい足音と共に……



 メディアルナが、階段を下りて来た。




 金糸のように美しい長髪が、ポニーテールに結われ、揺れている。

 外出用だろうか、いつも着ていたドレスワンピースではなく、動きやすい黒のパンツスーツを身に纏っていた。




 たった三ヶ月、会わなかっただけなのに。

 レナードの瞳に映る彼女は、記憶の中よりもずっと大人びていて……


 …………ずっと、綺麗だった。






「れ、レナード、さん……?」



 階段の途中で足を止め、メディアルナは、彼を見下ろす。

 声に合わせ、淡いブルーの瞳が震えている。


 やがて、その愛らしい顔を、くしゃっと泣きそうに歪め、





「本当に……夢じゃない。会いたかったです、レナードさん……っ」





 目に涙を浮かべながら、そう微笑んだ。




 その表情に、声に、レナードは後悔する。

 嗚呼、来るのが早すぎた。

 自惚れなどではない。誰の目にも明らかな事実だ。


 彼女の気持ちは、落ち着くどころか……



 あの晩から少しも、変わってなどいなかった。





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