1-1 クレアからの手紙
レナードがメインとなる後日譚、スタートです。
宜しくお願いします。
(──さて、そろそろ頃合いか……)
ガタゴトと揺れる、馬車の中──
レナードは顔を上げ、目の前に座るアクサナを見つめた。
オゼルトンの山を下り、麓のジブレール領に着いたのは昨夜のこと。
常人の足で丸二日はかかる険しい山道だが、雪山に慣れたアクサナが想像以上の健脚を見せたため、一日で下山することができた。
一夜明け、二人はジブレール領から馬車に乗り込んだ。
ここからアルピエゴ領、オーエンズ領を経由し、目的地であるパペルニア領へと向かう。
順調に進めば、明日の夕刻には到着できる見込みだ。
ここまでの道中、二人の会話はほとんどなかった。
昨夜の夕食も、今朝の朝食も、宿の部屋でそれぞれ携帯食料を食べて済ませた。
すべては、人の目に触れることを避けるため。
何故ならアクサナは、"禁呪の武器"の呪いに狂い、処分された人間……『存在しないはずの存在』だから。
オゼルトン以外の街で、その土地の人間に認識されることは徹底的に避ける必要があった。
オゼルトン人の特徴とも言える日焼けした肌を隠すため、アクサナはフードの付いた裾の長いローブで全身を覆っている。
その上で、人通りの少ない早朝にこの馬車へ乗り込んだのだった。
この護送の役目を任された時、レナードは「何故自分が?」と、クレアたちの丸投げぶりに怒りを通り越し呆れたが……
今では、自分以上の適任者はいなかったであろうことを確信していた。
エリスやクレア、あるいはチェロが同行した時のことを少しでも想像すれば、その問題点が容易にわかる。
『食欲の権化』とも言えるエリスが側にいては、食事の時に黙っていることなど不可能。目立つことが目に見えている。
クレアも、そんなエリスを咎めるどころかアクサナを呑気に外食へ誘うだろう。
そして、チェロについては……
「…………」
レナードは、彼女の護衛としてオゼルトンまでの道のりに付き従った数日を思い出し、眉を顰める。
当人にその記憶はないようだが……チェロは毎晩、酒の飲めないレナードを無理矢理酒場へ連れ出し、浴びるように酒を飲んでは愚痴を溢し、最後は酔い潰れ、レナードに宿まで背負われて帰ることを繰り返したのだ。
あの不良教師には特にアクサナを任せられないと、レナードは強く思う。
だから、私欲に溺れず、沈黙を苦としない自分が付き添うのが最良の選択だったのだと、レナードは納得していた。
そうは言っても、レナードも延々と黙っているわけにはいかない。
アクサナには、共有すべきことがいくつもある。人目を気にせずに済むこの馬車での時間を使わない手はなかった。
アクサナは、僅かに開いた窓の隙間から、流れゆく景色に目を凝らしていた。
どうやら、こうして風景を眺めるのが好きなようだ。
そんなアクサナに向け、レナードは沈黙を破り、声をかける。
「……これを。次の街に停まるまでに目を通しておけ」
突然話しかけられ、アクサナはビクッと震えつつも、レナードに差し出されたそれら──数枚の書類を受け取った。
今後アクサナは、『アイビィ・オータム』という名の少女としてリンナエウス家に仕えることになる。
書類は、その『アイビィ』の架空の経歴書と設定の覚え書きに始まり、パペルニア領の特色、そしてリンナエウス家で起きたあの事件についての概要をまとめたメモなどであった。
それらをめくりながら、アクサナが目を丸くし尋ねる。
「これ……全部、あなたが用意したのか?」
「厳密に言えば、俺とあの色狂いの二人で、だな」
言わずもがな、クレアのことである。
どこで誰が聞き耳を立てているかわからないため、屋敷までの道中は個人の名前を口にしないことをアクサナと約束していた。
それにしても悪意しかない呼び名だが、アクサナは呼び名よりも彼らの仕事の早さに感心している様子だ。
「あの短期間で、こんな書類を作れるなんて……二人ともさすがだな」
「そんな感想をもらうためにそれを渡したわけではない」
「わかってる。ここに書かれていることを覚えればいいんだな?」
「そうだ。表面的な暗記ではなく、"理解"しろ。きちんと読解し、自分のものにするんだ」
そう。重要なのは、新しい人格になり切ること。
設定を暗記してなぞるのではなく、元々『アイビィ』という人格だったのだと自分に思い込ませること。
それが、身分を隠しながら潜入する上で、最も必要な能力だ。
特殊部隊の後輩に、この能力に長け、あらゆる潜入捜査を成功させてきた者がいるが……
彼の場合は自己暗示力が強すぎて、仲間に回収されるまで別人格のまま生活してしまうのが欠点だ。
もちろん、アクサナにそこまでの自己暗示は求めていない。
最低限、自分の身を護るため、探りを入れられてもボロが出ないようにしておくべきだと、レナードは考えていた。
「屋敷に着いたらテストをする。どんな質問をされても自然な返答ができるよう、しっかり準備しておけ」
「っ! ……お、お願いします!」
『テスト』という単語に一瞬怯んだが、アクサナはすぐにその目にやる気を漲らせた。
早速覚え込もうと書類に目を落とすが、レナードは「ところで……」と仕切り直すように続け、
「あいつらから手紙を預かっていないか? 俺宛てのものがあれば、今受け取りたい」
尋ねる。
オゼルトン滞在中はガルャーナやチェロがいたため、クレアと込み入った話──主にルカドルフに関する今後の相談をすることができなかった。
ガルャーナとチェロも今や立派な関係者と呼べるが、彼らはあくまで一般人……それも、国の要人と呼べる人物だ。これ以上"禁呪の武器"や上層部の目論見に深入りさせるべきではない。
そのため、オゼルトンでは話せなかった内容を文書で用意しているのではと、レナードは予想していたのだが……
通常、そうしたメモを秘密裏に受け渡すのに使う鞄の隠しポケットや上着の内ポケットなどには、クレアの触れた形跡がなかった。
そうなると、残るは『アクサナに託している』という可能性のみだ。
レナードの問いに、アクサナは「あぁ」と答え、
「あなた宛てのものはないけど……三人から手紙を預かっているよ。ほら」
と、自分の鞄から、三通の封筒を取り出して見せた。
レナードは受け取り、それぞれの差出人と宛名を確認する。
一通は、ガルャーナからパペルニア領主……メディアルナの父親であるマークスに宛てたもの。
アクサナの身柄を託すに当たっての挨拶と、今後の交易にまつわる内容が記されているのだろう。
別の一通は、エリスからメディアルナに宛てたもの。
そして、最後の一通は……クレアから、メディアルナに宛てたものだった。
「…………」
それらの手紙を見つめ、レナードは……
まず、エリスからの手紙を、無遠慮に開封した。
「えっ?! ちょ……いいのかよ、人の手紙を勝手に開けて!」
アクサナが至極真っ当な指摘をするが、レナードは無視。
そのまま、折り畳まれた便箋を開き、内容を読み始める。
そこには、こんなことが書かれていた。
『やっほーディアナ! 元気にしてる?
こないだ手紙を送ったばかりなのに、またすぐに書くことになるなんてね。
これを読んでいるってことは、アクサナにはもう会っているよね。
詳しくは本人と、同行した優しーお兄ちゃんから話があると思うけど、すごく素直で純粋な良い子だから、仲良くしてあげてね。
ちなみに、アクサナが好きな食べ物は『スウェレタ・ッサュ』っていう辛ーいスープ粥なんだ!
彼女のおばあちゃんから聞いたレシピを添えるから、モルガン料理長に渡してもらえる?
料理長ならあの味を完全に再現してくれるはずだから!』
レナードが次の便箋を確認すると、確かにレシピらしきものが記されていた。
さらに、同封されていたのはそれだけでなく……
(…………これは……)
『神手魔符』。
それも、全部で六枚。何故、メディアルナ宛ての手紙に魔法の札が入っているのか疑問に思い、レナードは続く便箋に目を落とす。
『あと、もう一つ伝えなきゃいけないことがあって……
実は、ディアナの笛に宿る音の精霊が一人、勝手にあたしのところへ着いて来ちゃったみたいなの。
そのコのお陰で今回の任務は成功したんだけど……やっぱり仲間の元に帰すのが一番かなって思うから、この札と一緒にディアナに託すね』
それを読み、レナードは驚く。
エリスはもちろんクレアからも、あの場に"音の精霊"がいたことは聞かされなかった。
いや、言えなかったのだ。あの『竜殺ノ魔笛』の一件を知らぬ者に、"音の精霊"の存在を識られるわけにはいかないから。
『これは「神手魔符」っていって、オゼルトン領で使われている魔法を発動するための道具……を、音の精霊用にあたしが改造したやつよ。
これには精霊を引き寄せる力があるから、あたしのところに来ちゃった個体も、たぶんこの札と一緒にそっちへ帰ってくれると思う。
でねでね、この札がけっこう便利なの。
なんと、声や音を覚え込ませて、そっくりそのまま発生させることができるのよ!
もしかしたらディアナの役にも立つんじゃないかと思って、ちょっと多めに作ったわ。
使い方は次の紙に書くから、よかったら活用してね。
精霊は、人間から必要とされないと消えてしまうって、前に話したよね。
この札を使えば、笛に住んでいる音の精霊も活躍できるし、良いことづくめだと思うの。
まずは、そこにいる無愛想なお兄ちゃんを驚かすのに使ってみたら? この札のことは知らないから、きっとびっくりするはずよ。
その時の様子を、ぜひ次の手紙で教えてちょうだい。
楽しみにしてるね!!』
……そこまで読んで。
レナードは、舌打ちをしそうになるのを、ぐっと堪えた。
そして、便箋の最後の一枚──音の『神手魔符』の使い方が書かれた紙を読む。
本当にこれだけで音声を留めることができるのかと疑いたくなる程に、簡単な手順だった。
(……使い方にはくれぐれも気をつけるよう、メディアルナに言って聞かせなければ)
エリスからの手紙をすべて確認し、レナードは封筒を元の状態に戻した。
続いて、クレアからの手紙を開封しようとし……
レナードは、その封筒の重みに顔を顰める。
エリスのものに負けず劣らず、厚みのある封筒だった。
メディアルナ相手に、何をそんなに認めることがあるのかと、レナードが便箋を広げる、と…………
その手紙は、こんな一文から始まっていた。
『おやおや。人の手紙を無断であらためるとは……あまり良い趣味とは言えませんね、レナードさん』
「………………」
レナードは、いよいよ我慢ならず……
こめかみを引き攣らせながら、「チッ」と舌打ちをした。




