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5 大地は繋ぐ

 



 ♦︎ ♦︎ ♦︎





 ────悲しみ、憎しみ、妬み、孤独。


 心の中にある、それら"負の感情"を引き摺り出そうと這い寄る、呪い。


 "禁呪の武器"に触れる時、エリスはいつも吐きそうな感覚に襲われる。

 心の奥底に沈めた、彼女自身も忘れている嫌な気持ちを強制的に引き出し、増幅する……それが、この"武器"が持つ狂戦士化の呪いだ。


 しかし、エリスは恐れない。

 何故なら、彼女の精神が喰われる前に、その呪いを喰い尽くしてくれる相棒(クレア)がいるから。


 手を握ることで繋がったクレアの意識が、エリスの中に侵入した呪いをすべて駆逐する。

 エリスは意を決し、自らの意識を"武器"の奥深くへと潜り込ませた────






「────ここは……」



 辿り着いた、"武器"内部の最奥。

 しかしそこは……先ほどまで立っていた闘技場(カムプラヤ)の広大なフィールドだった。



「あ、あれ? もしかして、意識戻されちゃった?」



 困惑するエリスに、クレアは周囲を見回しながら答える。



「いえ、ここは現実の闘技場ではないようです。ガルャーナさんたちがいませんし、設備がまだ新しいです」

「ということは……これは、精霊の記憶の中の……」

「過去の闘技場、でしょう」



『風別ツ劔』や『竜殺ノ魔笛』同様、封じられた精霊の記憶を追体験しているのだろうと、二人は悟る。


 と、闘技場の入場口から、一人の人間がこちらに近付いて来た。

 男だ。日の光を知らぬような白い肌に、艶々と靡く黒髪。端正な顔立ちをしているが、その表情は苦しげに歪んでいる。

 顔の造形や体格、そして身に纏ったオゼルトンの伝統的な正装から、クレアはある人物を思い浮かべる。



「あれは、ガルャーナさんの──」

「ご先祖さま、かしらね」



 エリスも同じことを考えたらしく、クレアの言葉を継いだ。

 ガルャーナによく似たその男は、後ろ手に何かを持っている。

 闘技場の平らな地面にガリガリと跡を残しながら引き摺られているそれは……



「……あれ、『神判の槌(ポロト・ガベル)』よね?」



 長い柄の先に輝く黄金色……間違いなく、あのハンマーだった。


 ガルャーナの先祖と思しきその男は、虚な瞳を揺らし、額に汗を滲ませながら、ふらふらと闘技場の中央に辿り着く。

 そして、引き摺っていた『神判の槌(ポロト・ガベル)』を両手で掴むと、力を振り絞るようにそれを掲げ、



「……神よ、最期の願いだ。俺が俺でなくなる前に…………この身を、貴女の(はら)に還してくれ」



 そう、祈るように言った。


『俺が俺でなくなる』。

 その言葉と、明らかに正常ではない身体状態から、"禁呪の武器"の呪いに侵されていることが容易に想像できた。

 つまりは、狂戦士化の兆候が現れているのだろう。



「"武闘神判(シドレンテ)"は終わった……俺は、俺の代の役目を果たした。既に遺書も残してきた。後のことは……息子に任せる」



 男は歯を食いしばりながら、掲げたハンマーを、ドンッと地面に振り下ろした。

 すると、男の目の前の地面が「ボゴッ」と陥没し、深い穴が穿たれる。


 男はハンマーを手放すと、穴の前に立つ。

 そして、その真っ黒な淵を見下ろすと、



「嗚呼、父さん…………俺も、今からそちらへ行くよ」



 悲しげな、それでいて安堵したような笑みを浮かべ……

 深淵へと、飛び降りた。



「あっ……」



 エリスが、思わず手を伸ばす。

 しかし、男は既に穴の中へと消えていた。

 近くに駆け寄り穴を覗くが、相当に深いらしく、底がまるで見えない。男が最深部に到達した音すら聞こえてこないが、無事でないことだけは明らかだった。



「そんな……呪いに飲まれる前に、自ら命を断つなんて……」



 ガルャーナによく似た男の最期を目の当たりにし、エリスが戸惑いながら呟くと──それに重なるように、「父さん!」という声が響いた。


 直後、黒髪の少年が駆けて来る。目から涙を流し、手には一枚の紙がくしゃりと握られていた。

 さしずめ、飛び降りた男の息子だろう。手に握っているのは、男が残した遺書だろうか。


 少年は穴の淵に膝をつき、覗き込む。

 そのまま、「父さん、父さん!」と悲痛な声で何度も叫ぶが……返事がないことを悟ったのか、やがて嗚咽を上げるのみとなった。


 胸を刺すような泣き声が響き、エリスとクレアは立ち尽くす。

 母親を病で亡くしたエリスと、親のように慕っていたジェフリーを目の前で殺されたクレアには、この少年の悲しみと絶望がよく理解できた。


 だから二人は、何も言わないまま……

 互いの手を、ぎゅっと強く握った。




 ──暫くの後。

 少年は泣くのをやめ、立ち上がる。


 そして、父が遺したハンマーを手に取る。

 すると、泣き腫らした目から、悲しみや絶望といった感情が消えた。

 ハンマーに……『地烈ノ大槌』に、"負の感情"を奪われたのだろう。



「……父さん、今までありがとうございました」



 淡々とした声で言いながら、ハンマーを構える。



「今日から僕が、オゼルトンの(おさ)になる。きっと立派に役目を果たしてみせるから…………どうか、安らかにお眠りください」



 そして、構えたハンマーを、地面へと振り下ろした。

 すると、「ズズズ……」と低い音を立てながら……

 男が落ちた穴が、塞がった。



「っ……」



 父が飛び降りた穴を自ら塞ぐ息子の姿に、エリスは息を飲む。

 少年は、無感情な目で塞いだ箇所を一瞥すると……細い腕でハンマーを持ったまま、闘技場を去って行った。



「……これが…………」



神判の槌(ポロト・ガベル)』──『地烈ノ大槌』と、オゼルトン一族が歩んで来た歴史。


 エリスの呟きに、クレアも小さく頷いた……その時。





「──そうだ。彼らはこのような悲劇を、何世代にも渡り繰り返してきた。この(つち)に、神が宿っていることを信じて」





 そんな声が降ってくる。

 落ち着いた、女性の声だ。ゆっくりとした語り口から、雄大さと威厳が感じられる。



「あなたは……ここに封じられた"大地の精霊"?」



 エリスの問いかけに、声が答える。



「いかにも。お前たち人間が『オドゥドア』、『土御霊(コッロィリシヌ)』と呼ぶ存在だ。お前たちは、()()()()()()と戦っていた者だな。何故ここにいる?」



『槌の一族』とは、ガルャーナのことを指しているのだろう。

 どうやら"武闘神判(シドレンテ)"での戦いを認識していたらしい。


 クレアは胸に手を当て、真摯な態度で返す。



「私たちは"精霊の王"との約束に従い、あなたをここから解放するために来ました」

「王……我らを統べる尊き王のことか?」

「そうです。人間がかけた呪いは人間にしか解けないため、王は我々にその任を託しました。ガルャーナさんと戦ったのは、槌の所有権を得るためです」



 事実を過不足なく伝えるが、この後精霊からどのような言葉が返って来るか、クレアは些か不安だった。

 何故なら、"風の精霊"も"音の精霊"も、すぐには解放に応じなかったから。

 今回もまた説得が必要なのではないかと、続く口説き文句を考え始める……が、



「……そうか。ようやく、ここから出られるのだな」



 返って来たのは、そんな穏やかな声だった。



「お前たちが目にした通り、この槌を継承する一族は、皆若くして命を落とした。自害した者もいれば、子に自らを殺めさせた者もいる。精神と肉体が槌に蝕まれ始めた時が、彼らの死期だったのだ」



 声は悠然と、一つ一つの情景を思い出すように、言葉を紡ぐ。



「生のすべてを槌に支配され、狂わされ、死んでいく……人間の子らが苦しむ様を見るのは、我も心苦しかった。だが、それも……ようやく終わるのか」



 安堵するようなその声に、エリスが言葉を選びながら返す。



「あなたは……とても優しい精霊なのね。あなたを閉じ込めたのは他でもない人間なのに、人間に同情するなんて」

「我は彼らが思うような神ではないが、大地を司る者として、全ての人間を我が子のように思っている。子は、間違いを犯すもの。例えその間違いに苦しめられようと、子を見捨てる親はいない。そうであろう?」



『人間は、我が子のようなもの』。

 よもや精霊からそのような言葉が聞けるとは思わず、エリスは驚く。

 精霊ごとに性格の違いがあることは認識していたが、"大地の精霊"は特におおらかで慈悲深いようだ。


 精霊が続ける。



「神と信じる力に狂わされ、親と同じように死んでゆく運命(さだめ)を知りながら、一族の子は槌を振るって来た。何世代も、何世代も」



 それを聞き、クレアは思い出す。

 "武闘神判(シドレンテ)"の最中、ガルャーナが放った言葉を。


『……これが"生命(いのち)を削る武器"であることなど、とうの昔に知っている。父上も、そのせいで死んだ』


 きっとガルャーナも、先ほど目の当たりにした親子のような経験をしたのだろう。

 だからこそ、呪いの侵蝕を恐れずに戦い続けた。

 それが彼ら一族の運命(さだめ)なのだと、信じて疑わなかったから。



「そうして最期は、この闘技場の地中深くに眠る……ここは、彼らの巨大な墓標なのだ。我はずっと願っていた。この呪縛から解かれ、彼らと一つになる日が来ることを」

「一つに、なる?」

「そう。この地に眠る者たちの肉体は、既に土へと還った。我はその土に宿り、彼らの魂と同化する。だから……」



 そこで一度、言葉を止めると……

 精霊は、母のように優しく慈愛に満ちた声で、こう言った。




「──槌の一族の、最後の子に伝えてほしい。槌の力は失われるが、我はそなたの父たちが眠る土に宿り、その魂と共にこの地を護る。全ての大地(つち)は、繋がっている。そなたが何処にいようとも、我は必ずその呼びかけに応えよう。そなたが信じたものは、決して消えたわけではないのだ……と」




 それは、本物の神が齎らす言葉よりもずっと、救いに満ちたものかも知れなかった。


 エリスは、唇をきゅっと噛み締め、頷く。

 クレアも、胸に迫るものを感じながら、



「……わかりました。必ず、ガルャーナさんに伝えます」



 そう、力強く答えた。








 ♦︎ ♦︎ ♦︎





「────……この光は……!!」



 クレアたちの意識が現実に戻るや否や、ガルャーナの驚愕の声が聞こえた。


 二人が握る『地烈ノ大槌』から、眩い光が(ほとばし)っている。

 今まさに、内部に封じられていた精霊が解き放たれているのだ。



「これが……封じられていた精霊さまなのか……?!」



 アクサナも、見開いた目に光を反射させながら言う。


 不可視の存在であるはずの精霊が、この瞬間だけは光となり、人の目に映る。『風別ツ劔』の時もそうだった。

 抑圧されていた力が一気に放出するためか、あるいは『王との離別(ミッシング・ロード)』前に封じられた個体のため一時的に可視化しているのか……その原理は、エリスにも解らない。


 理由はどうあれ、無数の光が一斉に飛び立つその光景は、まるで蛍の群れが風と戯れるように美しく、幻想的なものだった。



「こんな場面に二度も立ち会えるなんて……本当に貴重な体験だわ」



 眼前を舞う光を眺め、チェロが呟く。

 レナードも無言で腕を組みながら、その光景を静かに見つめていた。


 クレアはエリスの手を握ったまま、光の行方を目で追いかける。

『地烈ノ大槌』から放たれた無数の光は、しばらく宙を舞った後、闘技場の地中へ溶けるように沈んでゆく。


 そうして、数え切れないほどの光はすべて大地に還り……

 やがて、誰の目にも映らなくなった。



「……成功、したのか?」



 ガルャーナが問う。

 エリスは『地烈ノ大槌』だったものから手を離し、答える。



「えぇ。封じられていた精霊は、全て解放したわ」

「……触れてみてもいいか?」

「もちろん」



 エリスはクレアと共にその場を離れ、場所を譲る。

 ガルャーナは、未だ金色に輝く槌をじっと見つめると……

 そっと手を伸ばし、柄を握った。



「………………」



 それだけで、理解(わか)ったのだろう。

 この槌にはもう、何の力も残っていないのだと。


 父や先祖たちが命を賭し受け継いできた、神器。

 それを、自分の代で終わらせた。


 それがどんなに正しい行いであっても、彼が今、言いようのない喪失感に襲われていることはクレアにも理解できた。

 先祖との繋がりを断ち切られたような……脈々と紡いできた血族の伝統から切り離されたような、途方もない孤独感が、彼の胸に迫っているに違いない。



 そんな心情を想像し、クレアは、俯くガルャーナの背中に言う。



「……この槌に封じられていた精霊から、あなたへ(ことづ)けを預かっています」

「託け? 僕に?」



 クレアは、先ほど"大地の精霊"から預かった言葉を、ガルャーナに伝えた。



 "大地の精霊"が、彼ら一族の運命をずっと憂いていたこと。

 そして今、解放されたことにより、父や先祖の魂と一つになったこと。

 これからもガルャーナに寄り添い、彼を護り続けてくれること。



 それは、やはり"救い"だったのだろう。

 ガルャーナは瞳を大きく見開くと、その顔をくしゃっと歪め、




「……精霊さまは、父上と共に…………うん。精霊さまのお力を使う時、きっとそこに、父の魂もある。全ての大地(つち)は繋がっているんだ。これまでも、これからも……僕は、独りじゃない」




 泣きそうに微笑みながら、自らに言い聞かせるように、呟いた。










「……さて。残る問題は、アクサナの今後についてね」



 腰に手を当て、エリスが明るい声で言う。



「んで? さっき、最適な居住先があるって言ってたけど、それってどこなの? あたしが知ってる場所?」



 エリスの問いかけに、皆の視線がクレアに集まる。

 アクサナが、緊張した様子で喉を鳴らす。


 クレアはにこっと微笑むと、一つ頷いて、




「はい。私がおすすめするのは、エリスもよく知るパペルニア領主の住まい…………つまり、メディアルナさんのお屋敷です」




 レナードの顔が引き攣るのを認めながら、爽やかに言った。





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