15 仕組まれた芽ぐみ
「──まさか、この札に精霊を呼び寄せる力があるなんて……」
エリスの説明を聞き終え、チェロが驚きを露わにする。
オゼルトン特有の魔法技術として、チェロも『神手魔符』の存在は知っていた。
しかし、そこに精霊を集める効果があることは、当然ながら知らなかった。無理もない。精霊の所在を認識できるエリスが分析したからこそ、知り得た事実なのだから。
「すごいわ……これは、魔法学における『神手魔符』の価値そのものが揺らぐ大発見よ。研究したいと名乗り出る学者がたくさん現れるはずだわ」
「これは"武闘神判"用に作ったものだけど、発動の形態や範囲を指示する紋様を調整すれば、冷蔵庫にちょうどいい冷気を発生させられると思うの。どうかな?」
「そうね。精霊への細かな指示の部分には、まだ改善の余地があるわ。問題は、貼っただけで冷気を放つようにするか、呪文を唱えて発動するようにするか……安定するのは呪文の方だろうけど……」
「そう。法律的な問題に引っかかりそうなのよ。『神手魔符』はあくまで狩りの道具として特例で国に認められてきたけど、狩り以外の用途で普及するとなると、その特例に該当しなくなる」
「えぇ。呪文を使うのなら、それはもう立派な魔法だものね。指輪を持たない者でも使えてしまう点は、確かに問題視されそうだわ」
「やっぱり貼るだけで発動するように、力を最小限に抑えるべきかな……」
……と、二人が専門的な会話を繰り広げる横で、アクサナはぐるぐると目を回す。
魔法の知識がほとんどない彼女にとって、二人の話す内容は完全に異次元のそれだった。
チェロは、冷気の『神手魔符』が抱える問題点について、エリスとしばし意見を交わした後、
「……わかったわ。その辺りの問題も含めて、この件は私が引き取る。必ず実用化させて、オゼルトンの豊かな未来に繋げてみせるわ。ありがとう、エリス。あなたは本当に……私の自慢の生徒よ」
誇らしげな、それでいてどこか切なさを内包したような表情で、礼を述べた。
しかしエリスは、大したことないと言わんばかりに肩をすくめ、
「ま、今回の件は"冷気の精霊"の発見者であるあたしにも責任があるからね。ある意味、罪滅ぼしよ。別にチェロ先生に褒められたくてやったわけじゃないわ」
と、そっけなく答えた。
そんな態度でも、チェロは嬉しそうに微笑む。そして、そのままガルャーナに視線を向ける。
「この冷気の『神手魔符』をオゼルトンの次なる産業へと発展させる役目は、私が担います。しばらく滞在して、この地で開発を進めても良いでしょうか? エリスの代わりにはならないけれど、私も一応は護衛が付くような人間なので、置く価値はあるはずです」
要するに、嫁入りを拒否したエリスに代わり人質になる、ということだ。
確かにチェロほどの要人が滞在すれば、国もないがしろにはできまい。研究に必要な資金や資源もスムーズに供給されるはずである。
当然、ガルャーナに断る理由はなかった。腕を組み、すぐに頷く。
「あぁ、もちろん。何なら、そのまま僕の妻になってくれてもいいぞ」
「それは無理です」
「そうか。残念だ」
本気かどうか、いまいちわからないテンションで口説くガルャーナを、チェロはにこやかに振る。
結局、優秀な女なら誰でも良いのか……と、エリスはジトッとした目でガルャーナを睨むが……
その視線に気付き、ガルャーナは「む」とエリスを見返し、
「なるほど。先ほどの対決で、何故この男にスープを飲み干す力が湧いたのかと疑問に思っていたが……確かに、エリシアに冷たい視線を向けられると、滾るものがあるな」
「はぁ?! あんた、何言って……!」
「これが、この男を勝利に導いた『マゾヒズム』の力か……今後オゼルトンをより強くするためには、この"打たれ強さ"が必要なのかもしれないな」
「なるほどね。そういうことなら、私にも必要な力だわ。エリスに睨まれたい……いいえ、いっそキツく縛って踏んづけてもらえないかしら」
「黙れ変態ども! あたしにそんなシュミないから!!」
思わぬところで共鳴するガルャーナとチェロに、エリスは全力でツッコむ。
そのやり取りの傍らで、クレアは何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべ、アクサナは「まぞ……?」と首を傾げる。
そして、レナードは……
誇り高きオゼルトンの領主・ガルャーナと、優秀な魔法学教授・チェロが、揃いも揃って変態発言をする様に、エリスをまじまじと眺め、一言。
「…………変態人間量産女が」
「あたしが増やしてるみたいにゆーな! こいつらが元々ヘンなのよ!!」
と、着せられた汚名を、エリスは即座に返上した。
そして、仕切り直すように咳払いをし、
「とにかく、これで今後の方向性は決まったわね。領主サマも、異論はない?」
話を締めるべく、最終確認をする。
ガルャーナは「あぁ」と頷き、答える。
「君たちの理解と協力に感謝する。オゼルトンの再建にこのような力添えがあったことを知れば、民のアルアビスに対する印象も変わるだろう。少しずつ、新しいオゼルトンへと変わっていこう」
……と、新たな決意を述べたところで、会議室のドアがノックされた。
ガルャーナが「入れ」と言うと、従者が一人入室し、封書のようなものを彼に渡した。
従者が静かに去る中、ガルャーナはその封書に目を落とす。
「……ほう。アルアビスの財政管理官が二日後に来訪するそうだ。国は国で改善案を用意しているようだが……君たちの『神手魔符』の案に勝るものは、持ち合わせていないだろうな」
それを聞き、エリスは当初の指令を思い出す。
(そういえば、元々は国の上層部がオゼルトンの財政改善案を作成するまでの時間稼ぎとして、"武闘神判"に参戦したんだっけ……)
図らずも国がすべき交渉まで既に終えてしまったが、今さらお偉方の来訪を止めることはできない。二日後にここへ到着するというのなら……
(予定通り、明日、"禁呪の武器"を無力化しなければ)
そう考えるクレアとエリス、そしてレナードが、密かに視線を交わす。
国の上層部は、"禁呪の武器"を無力化せずに回収することを望んでいる。
そこにどのような企みがあるのかは定かでないが、危険であることだけは確かだ。上層部が到着する前に、確実に精霊を解放しなくては。
そして……
(となると…………こちらも、動きを見せるとしたら今夜か)
クレアは、"もう一つの懸念点"に目を細めた後……
にこっと、いつもの笑みを浮かべ、こう語る。
「では、我々もあと二日は滞在しなければなりませんね。今日お話したことを、上の方へ引き継がなければなりませんから」
「めんどくさぁ……あたし苦手なのよね、頭の固い上層部の人たちと話すの」
「そこで、私から一つ提案があります」
「ん? どんな?」
「お偉方が来訪する前に、今のうちにハメを外しておきませんか? せっかくこのようなメンバーが一堂に会し、話し合いも無事に終えたことですし、ここいらで宴会を催すのです」
「え、宴会?」
「そう。つまり……酒です」
ぴくっ、と耳を動かし、真っ先に反応したのはチェロだった。
「あんた……たまには良いこと言うわね。ちょうど飲みたい気分だったの。賛成」
「ちょっ、本気?!」
「ふむ。確かに、オゼルトンの新たな門出を祝して宴を催すのも悪くない。待っていろ。今、オゼルトンで一番強い酒を持って来てやる。寒さも一瞬で吹き飛ぶような、強烈なやつをな」
「領主サマまで……お兄ちゃん、止めなくていいの? あんた下戸なんでしょ?」
突如として決まった宴会に、エリスは訝しげな顔でレナードへ投げかける。
しかしレナードは、腕を組み、目を伏せるのみ。止めるつもりはないらしい。
「厨房を借りられますか? 簡単なつまみを作ります」
「私も行く。オゼルトンのお酒には興味があるわ」
などと口々に言いながら、クレアとチェロはガルャーナに続き部屋を出て行く。
クレアが率先して宴会を催すなど、珍しいことこの上なかった。エリスはぽかんと開けた口から、「はぁ」とため息をつき、
「なに考えてるのかわからないけど……あたしたちは、なんかデザートでも用意してもらおっか」
と、同じく未成年であるアクサナに言う。
賑やかな席に抵抗があるのか、アクサナは肩を強張らせながら、
「う、うん」
硬い表情で、そう答えた。
* * * *
宴会は、大盛り上がりだった。
チェロとガルャーナは気持ち良く酔い、互いの人生の苦労話を語り合って、泣いたり笑ったりした。
やがて、「エリスを独り占めするクレアが憎い!」という話で結束し、ガルャーナが用意したオゼルトン一強い酒の飲み比べ対決にまで発展した。
それぞれ一杯ずつ飲んでいき、誰が最後まで立っていられるか、という勝負。
傍観していたレナードが「実に低俗だな」と呟いたのを聞き、チェロが「なによ、混ざりたいの?」と無理矢理飲ませたため、レナードは対決に参加する前に撃沈した。
そうして、クレア・チェロ・ガルャーナの三人が、飲み比べ対決の十三杯目を煽った後。
「うっ……この私が、こんなところで……」
「くそっ……また僕は、神に選ばれないの、か……」
チェロとガルャーナは、その場にふらりと崩れ落ちた。
立っているのは、クレアのみ。つまり、彼の勝利である。
チェロとガルャーナの屍を跨ぎ、クレアはエリスに近付く。
そして、見たこともないような満面の笑みを浮かべ、こう言った。
「んふふ……見ていましたか? 俺があの二人に勝ったところ。どんな勝負を仕掛けられようと、俺がぜーったいに、エリスを護りますからね」
嬉しそうな吐息に漂う、甘い酒の香り。
完全に酔っている。いくら飲もうとも表情を崩すことのなかったクレアが、ここまで上機嫌に酔うのは初めて見た。
エリスは驚きつつも、あまり見ないクレアの無邪気な笑みに、思わずドキッとする。
「も、もう……未成年の教育によろしくないことしないでよね。アクサナがびっくりしてるじゃない」
速まる鼓動を隠しつつ、エリスが嗜めるように言うと……
クレアは、にまぁっと悪い笑みを浮かべ、
「教育によろしくないコト、って…………例えば、こういうのですか?」
そのまま、ぐいっとエリスの頭を掻き抱くように引き寄せ……キスをした。
真横で、アクサナが「わぁっ」と顔を赤らめる。
この流れでキスされるとは思わず、エリスは「んんっ!」と唸りながら抵抗する。
しかし、頭の後ろに手を回されているため、引き離せない。あまつさえ、アクサナが見ている前だと言うのに、舌まで絡ませてきた。
「ん゛ーっ! っぷはっ、いい加減にしろこの酔っぱらいが!!」
──ゴッ!!
エリスの鉄拳が炸裂し、クレアはギュルギュルと身体を回転させながら吹っ飛び……ズシャアッ! と、床へ倒れた。
沈黙するクレアを見下ろし、エリスは手をぱんぱんっと払う。
「ったく……ハメを外すのにも限度があるっつーの」
そう吐き捨てるように言った直後──エリスの視界が、ぐにゃりと歪む。
真っ直ぐに立っていることができず、その場にたたらを踏み、額を押さえる。
「う……あたしまで、酔ったかも」
クレアの舌に残っていた強烈な酒。加えて、先ほどから部屋に漂うアルコールの匂い。
エリスの鋭敏な味覚と嗅覚がそれらを取り込み、彼女を酔わせているようだ。
「さ、最悪……こんなんで、酔っ払うなん、て……」
悔しげな声で、そう呟いて。
エリスは、テーブルに突っ伏すようにして、意識を失った。
「………………」
会議室には、酔っ払いたちの死屍累々。
その中で、アクサナだけが、取り残された。
クレアもエリスも、ガルャーナもチェロも、レナードも、起きる気配はない。
そのことを確認し、アクサナは……
「…………っ」
意を決したように立ち上がり、静かに、部屋を出た。
鼓動が、足裏に響くほどに、高鳴っている。
心臓が口から出てしまいそうな緊張感を抱え、アクサナは、闘技場地下の廊下を進む。
訓練生として身に付けた業を生かし、極限まで足音と気配を殺しつつ、ガルャーナの従者がいないか、物音に気を配る。
そうしていくつかの扉の前を通過し、彼女は、一つの部屋の前で足を止めた。
煌びやかな装飾が施された、重厚な扉。
他の部屋の扉とは、明らかに異なって見えた。
確信があったわけではないが、アクサナはなんとなく「ここだ」と直感し、そのドアノブに、そっと手をかけた。
カチャ、と控えめな音を立て、扉は抵抗なく開く。
ギィと押し開けた先は、真っ暗な空間。廊下の照明が差し込み、ようやく部屋の中が微かに見えた。
(…………あった)
その暗がりの中で、アクサナは見つけた。
金色に縁取られた、神々しいハンマー…… 『神判の槌』。
まだ、呪いの力をその身に孕んだ、危険な武器。
ドクン、ドクンと、視界を揺らす鼓動。
緊張。恐怖。そして、少しの罪悪感。
しかし、それを凌駕する強い使命感に突き動かされ、アクサナは、『神判の槌』に近付く。
そして…………
その柄に、細い指先を伸ばす。
……そう。
ボクがこの任務に同行した本当の目的。それは…………
呪いを解く前の"禁呪の武器"に、触れること。
震える指が、もう少し、あと少しで、それに接触する──その、直前。
──ガチャッ!
背後で、扉が開く音。
アクサナは目を見開き、バッと振り返り……
「…………!」
次の瞬間、声にならない叫びを上げた。