12 ムチのあとの飴の時間
クレアの勝利で幕を下ろした、『激辛スープ早食い対決』。
その会場に現れたのは、エリスとクレアのよく知る二人──
国内屈指の魔法研究家にして、魔法学院の最年少特別名誉教授でもある、チェルロッタ・ストゥルルソン。
そして、特殊部隊アストライアーの優秀な隊員にしてクレアの先輩でもある、レナード・グロウシュライトだった。
「な、なんでここに……? ていうか、どういう組み合わせ??」
突然の再会、それも、所属の異なる二人が揃っていることに、エリスは混乱する。
クレアもこの来訪を予期しておらず、言葉を失っていた。
エリスの問いにレナードが答えようと口を開くが……声を発するより先に、チェロがシュバッ! とエリスに近付き、
「あぁんっ、エリス久しぶりっ! 大丈夫? 風邪とか引いてない? ていうか、なにこのふわもこなローブ! めちゃくちゃ可愛いじゃない!! フードにうさ耳が付いてるの? 被って被って! きゃーっ、似合うぅ♡」
……と、エリスにフードを被せ、きゃいきゃい騒ぐので、レナードは小さく咳払いをしてから、ガルャーナの方を向く。
「突然のご訪問、お許しください。私はレナード・グロウシュライト。クレアルドたちと同じ、アルアビス軍部に所属する者です。そして、こちらが……」
丁重に礼をしてから、レナードはチェロに挨拶を譲る。
チェロはエリスから離れ、ガルャーナの前に立つと、
「初めまして、領主さま。私はチェルロッタ・ストゥルルソン。国立グリムワーズ魔法学院に所属する教師です。そして……『精霊封じの小瓶』の開発者です」
そう、真っ直ぐに言った。
その言葉に、アクサナやトトラたちがどよめく。
もちろん、エリスとクレアも驚いていた。今回の独立騒動の火種となった技術の開発者であることをこの場で明かすなど、ある意味自殺行為だからだ。
「ここへは国からの指示ではなく、私の個人的な希望で来ました。領主さまと、お話がしたくて……"武闘神判"が終わった後に伺うつもりだったけど、こうして闘技場にいるということは、まだお取り込み中だったかしら?」
それを聞き、クレアには彼女がここを訪れた理由が、なんとなく理解できた。
チェロの問いかけに、ガルャーナは首を横に振る。
「いや、今しがた全ての戦いが終わったところだ。話があるというのなら、この後聞こう。神判の結果を以て……オゼルトンの今後を、決めなければならないからな」
言って立ち上がると、ガルャーナは従者にこの場の片付けと、会議室の準備を命じた。
「──まさか、こんな形でスープを振る舞うことになるとは思わなかったが……俺は、王子が勝つって信じてたぜ。食べ切ってくれてありがとうな」
闘技場の出口にて。
トトラがこそっと、クレアに言う。
すっかり夜も更け、トトラとソゾン、ワトルの三人はここで解散することとなった。クレアとエリスは、それを見送りに来ていた。
思えば今回の任務は、トトラの情報から始まり、トトラが発案した対決により幕を閉じた。
彼がいなければ、反乱を事前に阻止することも、"禁呪の武器"を回収することも、エリスの身柄を護ることもできなかっただろう。
だからクレアは、深い感謝の意を込め、彼に返す。
「お礼を述べなければならないのは私の方です、トトラさん。情報不足なままここへ来た私をワトルさんたちと引き合わせてくださり、本当にありがとうございました。先ほどのスープも、辛かったですが、とても美味しかったです。ご馳走さまでした」
「いやいや、想定よりだいぶ辛くなっちまってすまなかった。だが、王子ならあの辛さもクリアできるとわかったからな。次店に来る時までに、さらに辛いスープを開発しておくぜ。なぁ、兄貴!」
と、トトラは後方で馬車に乗り込むソゾンに呼びかける。
ソゾンは苦笑いしながら、「ほどほどにな」とぶっきらぼうに返した。
そして、トトラの横に立つワトルが、クレアとエリスを交互に見つめ、言う。
「俺からも礼を言わせてくれ。オゼルトンの反乱を止めてくれたこと、そして、未来に繋がる新たな技術を生み出してくれたこと、心から感謝する。君たちと共に"武闘神判"で戦えたことは、俺の人生の誇りだ。ありがとう。君たちが繋げてくれたオゼルトンの平和を長く守れるよう、今後も尽力する」
その言葉は、やはりリーダーとしての気概に満ちたものだった。
エリスは、独立反対派のメンバーとの演習や準備を思い出し、微笑む。
「素人の集まりだった独立反対派がチームとしてまとまれたのは、間違いなくあなたのお陰よ。あたしたちだけじゃ、きっと無理だった」
「その通りです。肝心なところでいつも精神的支柱となっていただき、本当にありがとうございました。他のみなさんにもよろしくお伝えください。どうか、お身体に気をつけて」
クレアも同意して礼を述べる。
ワトルは深く頷き、手を差し出す。
「あぁ、お二人さんもな。この後の話し合いが滞りなく終わることを願っている。忙しい身分だとは思うが、またオゼルトンに来ることがあれば声をかけてくれ。今日の打ち上げを、あらためてしよう」
そう言って、順番に固い握手を交わすと、ワトルとトトラは馬車に乗り込み、去って行った。
馬車が見えなくなった後、エリスは「はぁ」と白いため息をつく。
夜になり、また雪が降り始めていた。先ほど昼食を食べたと思っていたが、もう夕食時である。
「ようやく一息……と言いたいところだけど、まだまだ長い一日になりそうね」
言いながら、闘技場を振り返る。
今ごろ、チェロとレナード、そしてアクサナが、ガルャーナの会議室に案内されているだろう。
これからエリスとクレアも向かい、『神判の槌』の無力化についての話を詰めなければならない。二回も神判を経たのだから、今度こそスムーズに事を運びたいが……
「あの二人がいることが、吉と出るか凶と出るか……話し合いがヘンな方に向かって、まーたワケのわからない対決にもつれこむことだけは避けたいわ」
チェロとレナードがこの地を訪れた理由はエリスにもなんとなく察しがついていたが、あの二人とガルャーナの相性が良いとは、到底思えなかった。
不安を滲ませるエリスに、クレアは微笑みながら答える。
「大丈夫ですよ。チェロさんの目的は我々と同じなはずです。冷静に話し合えば拗れることはないでしょう。それに……私としてはエリスが領主に奪われることを阻止できたので、これ以上気を揉むことは何もありません」
なんて、にこにこ笑うクレアを、エリスは寒さで赤くなった頬をより赤くして睨む。
「もう……武器の解放っていう一番重要なことがまだ残っているのよ? もう少し緊張感を持ちなさいよ」
「あはは。すみません。私にとっては、貴女を護ることが最重要事項なので。安心したせいか、少し気が抜けているようです」
そして、クレアはそっとエリスに近付き、
「……この後も、しばらく二人きりにはなれそうにありませんね。どうでしょう。今のうちに……"武闘神判"での健闘を讃え合いませんか?」
そう、向き合いながら問いかけるので。
エリスはクレアを見上げ、首を傾げる。
「健闘を、讃える?」
「えぇ。勝利を喜ぶ間もなくこんなことになってしまったので、少し二人で、喜びを分かち合いたいのです」
「なるほどね。そういうことなら、あたしも賛成」
「よかった。では、あらためて。エリス……私たち、やりましたね」
言いながら、クレアはハイタッチを求めるように、両の手のひらをエリスに向ける。
エリスはニッと笑い、その手に自分の手を、パチンと重ねた。
「やったわね。勝った勝った、作戦通り!」
「貴女が地の底に落ちた時は、大丈夫だとわかっていても、やはりドキドキしましたよ。でも、さすが。時間ぴったりに蔓の魔法を発動してくれました」
「あたしも、発動するまであんた一人にあのハンマーの相手を任せるのは心苦しかったけど、よく持ち堪えてくれたわ。位置の誘導も完璧だった!」
「完璧と言えば、氷のナイフの中に光の『神手魔符』を忍ばせたあの作戦。素晴らしかったです。正直、痺れました」
「いやいや、それに気付いてすぐに合わせてくれるあんたの方がすごいって。あの時、『通じ合ってる!』って感じがしたもん!」
「私も、何度もそれを感じました。特殊部隊の隊員でも、ここまで息が合うことはありません。エリスだから通じ合えたのです。やはり貴女は、私の最高の恋人で、最強の相棒です」
合わせた両手をきゅっと握りながら、クレアが微笑む。
その言葉にエリスは、心の底から嬉しくなる。
『風別ツ劔』の時も、『竜殺ノ魔笛』の時も、クレアには護られてばかりだった。
けど、今回は、一緒に戦うことができた。
一緒に、勝利を掴むことができた。
そのことが、嬉しくて、誇らしくて……
エリスは、込み上げる思いを満面の笑みに変え、
「……えへへ。まーね」
はにかみながら、そう返した。
……その直後。
クレアは手をぐいっと引き、エリスの身体を寄せると、
「ちなみに……その後の『スープ対決』での罵倒も、通じ合っているからこその"プレイ"という認識で、間違いないですか?」
そう、耳元で囁くように言った。
近すぎる声に、エリスは思わずドキッとし、声を上げる。
「ぷ、プレイ?!」
「Sっ気のあるエリスも最高でしたが……あれらの厳しいお言葉は、私を鼓舞するためのパフォーマンスだったのですよね?」
「いや、半分以上は本気でキモイと思っていたけど!?」
「では、私とはもうキスしないという言葉も、本気だったのですか?」
「そ、それは……」
「だとしても、私はちゃんとスープを飲み切りましたよ。なので、あの言葉は撤回してもらえないでしょうか?」
「いや、わざわざ撤回しなくても、もう大丈夫だってわかるでしょ?!」
「きちんと言ってくれなければわかりません。キスして良いのですか? いけないのですか?」
「あぁもうっ、わかったわよ! あの言葉は撤回する! だから、いちいち確認しなくても……っ」
──ちゅっ。
……と。
エリスの言葉は、クレアの口付けに遮られた。
見開いたエリスの瞳に映る、クレアの閉じられた瞼。
彼の口付けは、いつも突然だ。
こちらが目を瞑る暇も与えてくれない。
雪が降りしきる真っ白な世界で、重なった唇だけが、火を灯したように熱い。
ゼロになった距離で感じる体温と、クレアの匂いに、エリスの胸がきゅっと高鳴る。
ほんのり香る、唐辛子の匂い。
それを感じながら、エリスは悟る。
どうやらこの男は、『もうキスしない』という言葉に、本気で不安になったらしい。
だから、それを撤回させるために、こうして確かめる場と口実を用意した。
(……なんて、こいつのそんな腹の内まで、わかるようになっちゃったなぁ)
馬鹿で変態な、あたしの王子さま。
その腕の中へちゃんと戻って来られたことに、お互い無事に戦いを終えられたことに、エリスは今更ながらに安堵して。
重ねた手を握り返しながら、そっと、瞳を閉じた。
──ゆっくりと、唇を離し。
クレアは、赤くなったエリスの顔を見つめ、くすりと笑う。
そして、
「……楽しみにしていますよ」
「……え?」
「この任務が終わったら、寒さも忘れるくらいに熱いの、シテくれるんですよね?」
瞬間、エリスはボンッ! と顔から湯気を噴き出す。
それは今朝、この闘技場へ向かう道すがらに告げたセリフ。
"武闘神判"で無茶をしないようにと、釘を刺すために言ったものだったが……
「あれはっ……やっぱりナシって言ったでしょ?!」
「これで、この任務における私の目標も残り一つです。さぁ、武器の解放を早く終わらせて、二人きりになれる山小屋にしっぽりしけ込みましょう」
「しっ……?! なんであんたはいつもそんなことばっか……って、待ちなさいよ! ちゃんと最後まで緊張感持ってやるのよ?! ねぇ、聞いてる?!」
闘技場へスタスタと戻るクレアの後を、エリスは慌てて追いかけた。