10 王子 VS 王子
「激辛スープ……早食い対決……?!」
エリスが、驚愕混じりに復唱する。
提案したトトラは、やはり豪快な笑みを浮かべ頷く。
「そうだ。元々オゼルトンには、ラカライエ祭という祭があってな。その年の農作物の収穫を祝って、一番辛い唐辛子を競う風習があるんだ。オゼルトンの神に祝福された農家の唐辛子は特別辛いと言い伝えられている。そして、前回の祭りで選ばれたのが、何を隠そうウチの兄貴が育てた唐辛子なんだ!」
トトラの兄といえば、先ほどの"武闘神判"の予選で相手チームにいたソゾンのことである。
恵まれた体格と豪快な戦いぶりを見たせいで、農夫をやっている姿がまるで想像できないが……どうやら唐辛子農家としても優秀らしい。
「つまりは、神のご意志が宿る唐辛子ということ! それを使ってバトルすれば、"武闘神判"のように神判を受けることができる……そうは思いませんか、領主!」
トトラが、意気揚々と言う。
しかし、ガルャーナがそれに答える前に、エリスが犬歯を剥き出しにして吠える。
「はぁ?! ヒトの人生を早食い対決で決めようっての?! あたしのこと何だと思ってんのよ!」
「じゃあ、もう一度"武闘神判"をやるっていうのか? 王子は怪我しているようだし、武力に訴えるのは避けた方が良いと思うが」
「そ、それはそうだけど……」
口ごもるエリスと、その隣にいるクレアの肩を、トトラはぐいっと引き寄せる。
そして、
「オゼルトンの男は一度『こうだ』と決めたら、神判でも下らない限り意志を曲げねぇよ。領主の考えを変えるには、こうするしかねぇんだ」
「しかし……」
「大丈夫。店で出すスープよりもマイルドな味に仕上げるから、王子なら余裕で食える。激辛スープ食べ切って、女神にカッコいいところ見せるつもりだったんだろ? 一石二鳥じゃねぇか」
ひそひそと、耳打ちするトトラ。
どうやら、この場をクレアの有利に収めるための提案のようだ。
領の立場を護るため、武器と引き換えに要人を抱え込みたいとするガルャーナの主張は理解できる。
跡継ぎ問題も解決するならなおのこと、この交換条件は譲らないだろう。何らかの形で戦わなければ納得しないことは、今までのやり取りから明らかである。
エリスを担保にかけるなど、許し難いことだが……トトラが設けてくれたこの神判方法に乗っかることが、最も平和で確実なのかもしれない。
クレアは一度目を伏せると……
くるっと、ガルャーナの方を振り返り、
「……私は賛成です。それでガルャーナさんがエリスを諦めてくださるなら、受けて立ちましょう」
そう、真っ直ぐに言った。
ガルャーナは、その視線を正面から受け止め……
やはり表情を変えないまま、一つ頷き、
「オゼルトンの男子に辛いもので勝負を挑むとは、恐れ知らずな男だ。良いだろう。"武闘神判"に代わる正式な儀式として、場を設けてやる」
意外にもすんなりと、トトラの提案を飲んだ。
「な、なんか……大変なことになっちゃったな」
「うむ……」
部屋に入るなり次なるバトルが決定し、アクサナとワトルは困惑に顔を引き攣らせる。
エリスも、自身が試合の賞品となったことに釈然としない顔をしている。そんな彼女に、クレアはそっと近付き、
「大丈夫ですよ。貴女の嫁入りは、必ず阻止します。例え……どんな手を使ったとしても」
そう、低い声で囁いた。
その瞳の奥には、殺気を凝縮したようなドス黒い焔が渦巻いている。
それに気付いたエリスは、
(……だからヤバイんじゃない)
と、額に汗を滲ませる。
クレアが嫁入りを許すはずがないことなどわかり切っている。
怖いのは、クレアが勝負に負けた時だ。それを考えると、エリスは背筋が冷たくなった。
ガルャーナが勝つようなことがあれば、きっとクレアは、あらゆる残虐な手段を講じてでもエリスを奪い返すだろう。
何故なら彼は、国を……否、世界を敵に回しても構わないと、本気で考えていて。
領一つくらいなら一人でも壊滅させられるような実力と狂気を兼ね備えているから。
もちろんエリスも、クレア以外の男と結婚するつもりはさらさらないが……クレアが修羅と化し、オゼルトンを滅ぼす様は、当然ながら見たくはなかった。
(もう……せっかく"武闘神判"で勝利したっていうのに、どうしてこんな面倒くさいことになっちゃうかなぁ)
エリスはため息をつきながら、腰に手を当て、
「はぁ……とりあえず、交渉は持ち越しってことね。それなら、みんな揃ったことだし…………早いとこ、この美味しそうな料理を食べちゃいましょ。このままぐだぐだ喋ってたら、あっという間に冷製スープになっちゃうわ」
よだれを密かに啜りながら、そう言った。
* * * *
──昼食の最中、ガルャーナは早速従者を遣わせ、『激辛スープ対決』の準備を進めた。
会場は、先ほど激しい戦闘を繰り広げた地上のフィールド。準備が済み次第、日が落ちない内に開戦することとなった。
トトラは昼食を済ませると、忙しなく部屋から出て行った。兄のソゾンに事情を説明し、スープ作りに取り掛かるのだと言う。
先ほどまで敵対勢力として戦っていたソゾンが協力してくれるのか、クレアたちは心配に思ったのだが、
「大丈夫だ、俺が説得する。むしろこれを機に仲直りできるのなら、俺としてもありがたいんだ。領の未来を占う戦いに、自分が育てた唐辛子が使われるとあれば、ソゾンも誉れに思うだろうからな」
去り際、トトラはニッと歯を見せ、そう笑った。
この勝負を提案した真の目的はそこにあったのか……? などと勘繰りたくなったが、クレアは何も言わずに彼を見送った。
──そうして、数時間後。
一同は、再び円形闘技場のフィールドに集結した。
観客はもちろんない。聞こえるのは、冷たい風の鳴く音のみ。傾きかけた陽の光が、しんと広い闘技場を白く照らしていた。
そんなだだっ広いフィールドの中央に、横長のテーブルと二脚の椅子が、ぽつんと置かれている。
なんとも奇妙な光景だが、これこそが、今から行われる神判の儀・『激辛スープ早食い対決』の会場だった。
「ほ、本当にやるんですね、ガルャーナさま……」
トトラに呼び戻された兄のソゾンが、大きな鍋を持ちながら、目を疑うように言う。
彼がこの場にいるということは、どうやらトトラの仲直り作戦は成功したらしい。手にした鍋には、兄弟で協力して作ったスープが入っていた。
「弟に話を聞き、半信半疑なままスープを作りましたが……まさか"武闘神判"の後にこんな儀式が行われるとは」
ソゾンの言葉に、ガルャーナは「ん」と頷き、
「我が一族に伝わる歴史書によれば、その昔オゼルトンでは、唐辛子を使った占いで結婚相手を決めていたのだと云う。古来より唐辛子は、槍のような形と鋭い辛さから、魔を祓う神聖なものとされてきた。神に選ばれたお前の農園のものを使えば、これはもう立派な儀式となるだろう」
そう、大真面目に答えた。
ソゾンはその言葉に感動し、涙すら浮かべるが……
「……なんかもう、ぜんぶこじ付けに聞こえてくるわね」
そんな本音を、エリスはぼそっと呟くのだった。
「さぁ、準備は整いました。ガルャーナさま、王子、こちらへ座って」
司会者のような口調で、トトラが着席を促す。
二人は一度視線を交わしてから、長テーブルに横並びになって着いた。
そのテーブルの中央に、ソゾンが鍋を置く。もうもうと上がる白い湯気の奥には、オゼットユキウサギの目玉よりも真っ赤なスープが、なみなみと入っていた。
ワトルが大きめのボウルを、アクサナが木製の丸いスプーンを遠慮がちに置き、試合に必要な道具を揃える。それを確認し、トトラが一度咳払いをする。
「こほん。ルールは簡単。そのボウルに注がれたスープを先に食べ切った方の勝ち。……と、こんなシンプルなかんじで良かったですか?」
念のため、トトラがガルャーナに確認する。
ガルャーナは「あぁ」と頷き、肯定した。
「ありがとうございます。ちなみに、盛った時のボウルの中身に差が生じないよう、具材はすべてペースト状にしてある。煮込んでドロドロになっているから、食材による不公平はないはずだ」
説明しながら、トトラは二人のボウルにスープを注いでいく。言葉通り、もはやスープと呼べるのか怪しいくらいにドロドロな"赤い液体"が、白いボウルを満たしていった。
それを目に映しながら、クレアは思う。
こんな形で激辛スープを飲むことになるとは思わなかったが……トトラの言う通り、これは最初から予定していたことでもある。
エリスの前で死ぬほど辛いスープを食べ切り、「カッコいい」と言ってもらう。
それこそが、今回の任務で叶えたい目標の一つだったから。
むしろ、このような場面で食べ切り、彼女を護ることができれば、さらにカッコいいのではないか?
もしかすると、惚れ直してくれるかもしれない。
もしかすると……すんごいご褒美をくれたりするかもしれない。
そんな風に考え、クレアは成り行きで決まったこの滑稽な儀式へのモチベーションを上げる。
膝の上でぎゅっと拳を握る彼の横で、ガルャーナがふと顔を向け、
「先ほどから気になっていたのだが……何故お前は『王子』と呼ばれているのだ? この国の王位継承者でもあるまいに」
と、真顔で尋ねる。
それに、クレアは小さく笑みを浮かべ答える。
「もちろん、あだ名です。トトラさんのお店に通う内に、『激辛王子』と呼んでいただくようになったのです」
「あだ名……ふむ、やはりニセモノということか」
ガルャーナは腕を組み、クレアを見据えると、
「僕こそ、王子と呼ばれるに相応しい。この唐辛子王国・オゼルトンの、ホンモノの王位継承者だからな。エリシア共々、その称号も剥奪させてもらうとしよう」
美しい黒髪を靡かせながら、淡々と言った。
端正な顔立ちに、堂々たる風格。
確かに彼は、"王子"の名に相応しい君主だ。
しかし……
クレアは、にこやかな顔に影を落としながら、
「あはは。剥奪しなければ姫も称号も手に入らないような人には、王子ではなく"山賊"というあだ名がお似合いなのではないでしょうか?」
こめかみを痙攣させながら、バチバチに煽り返した。
そのやり取りを、アクサナとワトルがヒヤヒヤと見守るが……
ガルャーナは、煽られていることにすら気付いていないのか、「ふむ」と顎に手を当て、
「確かに、オゼルトンは領土そのものが山だからな。"山"に住まう"一族"と言う意味では、間違っていない。むしろぴったりだ。お前、あだ名を付けるのが上手いな」
と、相変わらず暖簾に腕押しな反応を示した。
その返答を聞き、クレアは……もう、会話すること自体を放棄し、
「トトラさん、初めてください」
にこやかに、儀式の開始を促した。
目の前に注がれたスープは見るからに辛そうで、風に漂う匂いだけで咽せそうになる。
だが、クレアに恐れはなかった。何故なら、トトラの店で何度も特訓し、口腔粘膜を鍛え上げてきたから。
しかも今回は、辛さを抑えて作ってくれていると言う。いくら相手が唐辛子の本場・オゼルトンの領主だろうと、恐るるに足りない。
エリスを想う気持ちがあれば、こんなもの……一瞬で飲み干してみせる。
そう意気込み、クレアはエリスに目を向ける。
そして、
「見ていてください、エリス。私は、このスープをカッコよく飲み干し……必ずや、貴女を護ってみせます」
真っ直ぐに見つめながら、言った。
エリスはドキッとしたように顔を赤らめ、少し目を泳がせた後、
「……ちゃんと見てるから…………残さず食べ切りなさい」
照れ混じりに、そう返した。
その言葉だけで、クレアには底知れぬ力が漲ってきた。
クレアは、ボウルを持ち上げる。
両手を使わなければ持てない量の、真っ赤なスープ。
それでもクレアは、勝利を確信していた。
「では……始め!!」
トトラが、試合開始の号令を発する。
直後、クレアは躊躇なくボウルの縁に口を付け、ドロドロのスープを口に流し込んだ。
その勢いに、エリスや他の面々は圧倒され、息を飲むが……
「…………ブェッフン!!」
これまで味わったことのない辛さに食道が悲鳴を上げ、クレアは早々に吹き出すのだった……




